2016年10月20日木曜日

小川さやか「「その日暮らし」の人類学 もう一つの資本主義経済」

「その日暮らし」の人類学 もう一つの資本主義経済 (光文社新書)
小川 さやか
光文社 (2016-07-14)
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この本おもしろかった。Living for Todayという切り口で、ピダハンからはじまって2章以降はタンザニアのインフォーマル経済に焦点を当てている。本筋とずれたところでちょっとだけメモ。(経済学よくわからないままに書いたので話半分くらいに読んでもらえれば)


最後の6章で、エム・ペサというガラケーで簡単に送金できるシステムがタンザニアの〈借り〉をめぐる文化を様変わりさせた、という話が出てくる。
エム・ペサを通じて簡単に送金ができるようになった結果、かつてならば、用立てるかを熟考したり、断ることができた無心や、先延ばしにしたり、うやむやにできた借金の返済に、即時的に応じなくてはならなくなったと語った。その理由は何より、彼らが無心や借金の返済の催促の際に頼りにしていた「わたしの意志としては応じたいが、状況がそれを許さない」、という説明が成り立たなくなったからである。
(190ページ)
距離と時間という障害が、テクノロジーの発達のために乗り越えられてしまった。それはいいことである一方で、もはや言い訳としては役に立たない。ではどうするのか。

この本ではその対策が2つ挙げられていて、その片方はこうだ。
(略)親族や友人に電話して「借金の返済を迫られたので貸してほしい」と頼む。そしてその親族や友人から借金の返済を迫られたときにやっぱり金がなかったら、別の親族や友人から借りて返すことになる。つまり、AはBから借りた金をCから借りて返し、Cから借りた金をDから借りて返すという自転車操業をすることで、「返済しないでいられる時間」を引き延ばすのである。(略)
 この方法で注目すべきことは、この間に一度も電子マネーを現金化しない者がいる点である。(略)一度も現金を手にせずに、携帯のボタン操作のみで、右から左へと「数字」を移動させるだけとなる。
(192ページ)
あれ、この最後の一文、なんか似たようなのを見たことがあるなーと思って考えていて、ふと昔読んだ本を思い出した。

手を離してみようぜ。: 桜井英治「贈与の歴史学」
http://notchained.blogspot.com/2013/02/blog-post.html

「贈与の歴史学」が取り上げているのは日本の中世で、贈与がエスカレートし、やがてバブルがはじけて混乱をきたす、という歴史を俯瞰している。

中世日本では「折紙」というフィンテックが流通していた。折紙は、もとは贈り物の目録という儀礼的なものだったが、やがてそこに書かれたものと交換できる約束手形のように扱われたという。そして、このテクノロジーは中世の経済の何を変えたのか。
折紙のシステムが贈与者にもたらした第一の利点は、資金の準備がなくても贈与が行えるようになったことである。折紙を手に入れたことで、彼らは過去の贈与を未来の収入によって清算することが可能になった。
(151ページ)
タンザニアで流通している現金化されない電子マネーは、折紙とどこか似ている気がする。もちろん、折紙はれっきとした債券で電子マネーはあくまでお金なのは違うし、中世日本のは貴族や武士の話だったけどタンザニアはインフォーマルセクターの話だし、もろもろ違う。
ただ一点、信用に支えられているという点が似ている。「贈与の歴史学」は信用経済について一言挟んでいる。
人類史における信用経済の歴史はかならずしも右肩上がりの発達をとげてきたわけではなく、寄せては返す波のように発達と衰退を繰り返してきたというのが実態に近い。
(165ページ)
この信用経済の盛り上がりがはじけたときに何が起こるのか。何ができるのか。その難問については、どちらの本も輪郭のはっきりした答えをくれたりはしない。ちゃんとじぶんの目を凝らしていきたい。

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