2011年5月4日水曜日

"Justice has been done."

オサマ・ビンラディンが殺害されてオバマ大統領が言ったこの言葉に、
違和感を感じてる人が多い。

俺はでも、同じくらいにやなせたかしの「正義」に納得できない。
納得できないけど、そのアブノーマルさが好きだ。

Justiceの語感がよくわからないので、
日本語の「正義」と一緒に論じていいのかよくわからないけど。



やなせたかし氏 日本人の正義とは困った人にパン差し出すこと
http://www.excite.co.jp/News/column_g/20110503/Postseven_18844.html



戦時中の飢えに苦しんだ記憶から、
正義とは飢えている人に食べ物を差し出すことだ、
という結論を導きだしたらしい。


やなせたかしは、なぜ、
正義は相対的なものであると気付きながら、
それでも絶対的な正義があると信じられるのだろう。

自分の過酷な体験から導きだされた、個人的な正義を、
なぜ、誰にとっても「正義」だと断言できるのだろう。

例えば、アメリカの食料援助でその国の農業がやせ細っていく事実を知っても、
食べ物を差し出すことがどんなときでも正義だと、断言できるのか。



俺にはぜんぜん理解できない。
でもまあ、そんなに悪いとも思わない。

やなせたかしが言う「正義」は、
自分の負の体験を極限まで積分してつくられたもので、
サンデルの「これからの正義」みたいな普遍的な正義とは正反対だ。
もっと個人的で、本来は他人には共感されないはずの、
歪みきった感情のことを俺たちは「正義」と呼んでる気がしてきた。

そのアブノーマルさを認識した上での「正義」なら、
まあいいんじゃない、と思う。


なんかよくわかんないけど、端的に言うと、
正義って、復讐なんじゃないかと思う。


個人的なトラウマとか、憎しみとか後悔とか、
そういう心の傷から生まれた反動が、「正義」なんじゃないか。
だから、正義には必然的に復讐が伴うんじゃないか。
というより、正義とは復讐そのものなんじゃないか。

だから、今回の復讐をもって、
Justice has been done.なんて言えてしまうんじゃないか。


とか、そういうことを考えてしまった。


グラウンド・ゼロのお祭り騒ぎを見て、人が死んで喜ぶなんておかしいよ、
と言ってる人がいる。
俺もそう思う。

でも、これで復讐から解放されるのだとしたら、
まあ祝っていいんじゃない。
ぜんぜん賛成できないけど、その「正義」をまるで理解できないけど、
祝いたくなる気持ちはわかる。
復讐して残るのが虚しさだけだとしても。



何を書いてるかだんだん分からなくなる。
俺にとって正義とは何なんだろう。
どんな復讐をしたいんだろう。

2011年5月3日火曜日

益子陶器市

益子陶器市に行ってきた。

益子も地震で被害を受けてて、
陶器が割れたり、登り窯が壊れたりしたらしい。
ナガオカケンメイがリツイートしたつぶやきをみて、行ってみようと思った。
初栃木。


なんかうまく言えないけど、
ちゃんと手触りがある祭りだった。

イベントとして取り繕った部分はむしろ少なくて、
色んな日常がはみ出して来てる、みたいな。
下手な地域系アートフェスティバルよりぜんぜん楽しかった。
なかなかない経験。
面白いのでひまなら行ってみてー。
次の陶器市は秋です。


写真、俺が撮るとなんだか、
盛り上がりがぜんぜん伝わらなくなってしまったけど…、
いちおう載せます。


益子駅。


駅からメイン会場への道すがら、
陶芸の写真パネルが色んなとこに置かれている。


トイレの札も陶器!


ポストも益子焼!


これも益子焼…w


登り窯。ここで陶器を焼く。


登り窯のいちばん上。排気口。
まだほんのり熱気がある気がした。たぶん気のせい。


貝殻の益子焼。


とげとげ。


くにゃくにゃ。


植木鉢。


植木鉢…?


壷。高そう。


サイズが分かりにくいけど、直径1メートルくらいの皿。
これで魚とか飼うのかな。


草むらに見つけた陶器の破片。


益子焼とは関係ないけど、こんなオブジェも。


↓その他いろいろ。