2009年5月31日日曜日

TOEFLを受けて思うこと

TOEFLを受けてきた。


あの、言い訳していいですか?


マイクテストのために「Describe the city you live in.」というお題でしゃべるときがある。
ふつうは「I live in 〜. The city is 〜.」みたいに答えると思うけど、
周りの人はなぜか「Describe the city you live in.Describe the city you live in.…」と念仏を唱えるようにして繰り返している。


音の強弱にこだわるひと
間の置き方にこだわるひと
発音にこだわるひと
これでもかと言うくらい早口で言うひと
肺活量を見せつけるように息継ぎなしで言いまくるひと

十人十色に英語のうまさをアピールしている。


プライドをかけた激しい死闘だった。
全く点数に関係がないところで、
TOEFLをつくったひとは予想もしないようなところで、
お前と俺とでは背負う英語の重みが違うんだよ!みたいな死闘が繰り広げられていたのだ。


というのを
ブログに書こう、と思ってしまったが最後、
俺はもはや集中できない。
どうやって面白く書こっかな。

(誤解のないように言うと、その「念仏」を唱えてたひとたちはたぶん俺より英語うまいと思う。
スピーキングセクションではみんな流暢にしゃべってたのがヘッドホン越しに漏れ聞こえてきてた。)


まあそういう集中できなかった原因はあるけど、
それを差し引いてもやっぱり全然ダメだった。
英語が耳に目に入ってこない。
単語が出てこない。


なんかこれは、英語だからとかそういう問題じゃなくて、
つまりは集中力な気がする。
ここぞというときに集中できない。
そういうのが苦手なんやけど、今年はできるようになりたい。
と今更思った名古屋旅行だった。

6月は研究計画書をがんばります。
誰かため池旅行に行きませんか?

2009年5月30日土曜日

名古屋に行きます。

明日は名古屋に行く。
TOEFLを受けに。

せっかくなので先輩と遊ぼうと思ったら、
入れ違いでその日は大阪にいるって言われて、
行って帰るだけの名古屋旅行になった。
まあ夜にミーティングあるしいいけど。


最近、勉強する気に溢れているけど、
何をしていいかわからない。

英語とか、力学とか、なんとかなるかなと思ってきたけど、
最近、研究室の子と話していて
えっ俺こんなできなかったんや。という衝撃を覚えた。

こんなはずじゃなかったのに。と、
サークルとかまったく入らずネクラに勉強しよう。という決意だった入学当初を思い返した。
別に今が悪いとは思わないけど。


そういう衝撃と、
引退した虚脱感の中で受ける明日のTOEFL。
なんかムダに緊張する。
えっ俺こんなできなかったんや。というのを直視するのがやだなー。


ところで話は変わって、
誰かいい名古屋土産を知りませんかー?
おすすめがあればケータイまでメールしてね!

2009年5月29日金曜日

引退しました。

昨日、3年間入っていたサークルを引退した。
2年間は代表だった。


といって別に、ハグし合って涙ながらに。みたいなのではなく。
さくっと引退した。


3年間を思い出すといろいろあった。

フィリピンに行ったし、
アラル海に行ったし、
世界水フォーラムに行ったし、

英語も少しはうまくなったし、
NGOのこともちょっとわかったし、
前よりは社交的になったし、

友達もできたし、
けんかもしたし、
失恋もしたし。

俺の大学生活の半分くらいは、
青春の3分の1くらいはこのサークルだった。


でも、
もう戻れないなー、と思う。


この半年くらいはとても居心地が悪かった。
もうあそこに俺の居場所はない。
変な話、俺が代表だったのにね。


理由ははっきりしている。
俺は引退するために、
わざと自分の居場所をなくしていったからだ。
あんまりみんなと触れ合わないようにして、
半年かかって、もう俺の居場所はない。
狙い通りだけど、やっぱちょっと悲しいよね。

でも、どんなに居心地がよくても、
そこに居続けることはできない。
昔からそういう生き方だったと思う。

輪から外れないけど、
輪の中心には行かない。
誰ともそこそこ仲良くなるけど、
親友にはならない。

よくわからない。
優しさから逃げるように生きている。
居場所があるのが怖いのかな。


いい大人がそんなことでいいのか、と思うけど、
たぶんこれからも変わらない。
出会いの数だけ別れは増える。
とにかくもうここには戻らない。戻れない。


(あ、ICCには戻るかもやけど笑)

2009年5月28日木曜日

農林中央金庫、純損失5721億円

農林中金、純損失5721億円 前理事長ら退職金凍結へ(朝日新聞)
http://www.asahi.com/business/update/0527/TKY200905270328.html


農林中央金庫が海外資産投資の損失拡大で赤字に転落した。
農林中金は、農協、漁協などのお金を投資運用をする組織だ。
(農林中金、信連、農協とかの関係が俺にはよくわからないので、この記事で間違ってるところがあれば教えてください!)


昔も赤字に転落したことがあった。
といっても俺が子どもだった頃の話なのでよく知らないけど。

住専問題

というやつだ。

バブル期に不動産融資にのめり込んだ住専7社に、信連(信用農業協同組合連合会)などの系統金融機関は5.5兆円貸し込んだ。これが回収不能になれば、全国の信連がバタバタ倒産してしまうピンチ。農協を救済するために税金が投入され、信連は5,300億円だけ放棄することで政治決着した。(日本最大の機関投資家・農林中金の巨額な「隠れ損失」(上) | 東京レポートより)


税金を投入することの是非で激論が交わされた末の結論だった。
農林族議員のがんばりのおかげだという。

果たして農協には6850億円の税金が投入された。

それで農協が破綻せずに済んだのは確かだが、
このことが原因で、農協は農政に口出しをできなくなったのではないか、と先崎千尋は「農協に明日はあるか」で述べている。
そもそも、農家のための機関である農林中金は、農林水産系の会社に投資することが本分で、住専のように投機目的に資金を運用するのは許されない。みたいなことを、先崎をはじめとして「本来の農協の姿」のビジョンを持つひとは主張している。


そのバブル時の危機の反省を活かして2002年につくられたのが、JAバンクだ。
それ以前は農林中金、信連、農協それぞれの金融機関に分かれていたのを一体化させた超巨大金融機関。
JAバンクになって投機的な資金運用に拍車がかかった。
住専問題でよせられた批判への回答は、
そもそも投機的資金運用をやめるのではなくて、
もっと大規模に投資をすることだった。

といって、それを責めれるかというとそんなことはない気がする。

 農協マネーを集めたのはいいが、溢れるばかりの資金の運用は農林中金にとって悩みの種。農林中金の役割は法律上「農林水産業への資金の提供」であるが、農業・漁業は衰退、企業からの資金需要も低い。となれば、有価証券で運用するしか手はない。(日本最大の機関投資家・農林中金の巨額な「隠れ損失」(上) | 東京レポートより)


農林中金の有価証券投資額は、日本生命や三菱UFJを上回る。
その大規模でハイリスク、ハイリターンな資金運用が、サブプライムローン問題のあおりを受けた。
農林中金はまた危機に瀕している。
また税金の投入を受けるだろう。


たぶん根本的な問題は、
「農業・漁業は衰退、企業からの資金需要も低い」
ということなのだろう。

こんなにもお金があるのに、
こんなにも第一次産業は衰退してゆく。

その不思議なもどかしさの中で、
農協も、農協を批判する人も、そんなの他人事だと思ってる俺たちみんなも、答えを見つけることができないでいる。

2009年5月27日水曜日

【本】アジア太平洋諸国の収用と補償



キャリーズ,デービッド・L.ほか「アジア太平洋諸国の収用と補償」成文堂 2007



最近土地収用について勉強している。

この本はばりばり法律の本で、しかも訳書なので読みにくかった。
眠気を誘うという点で春の陽気と難しい本は似ている。
新しい季節とか知識とかに、体はそんなに簡単になじまない。

それでも、
時間がなかったので全部は読んでないけど、
難解ながら、なかなか興味深かった。


例えば日本は、
土地は個人のもので、
でも「私有財産は正当な補償の下にこれを公共のために用いることができる」と憲法に書いてあるから、
収用には法的根拠があるし、
収用の際には補償を受けることができる。


でも世界を見渡してみると、
(1) 財産権が制限された場合の補償のことが憲法に明記されていない
(2) 土地はすべて国が所有していて国民はそれを貸してもらっているだけ
という国が少なからずある。

(1)の場合は、憲法に書いてなくても法律で規定されてる場合が多いけど、法律だから行政が都合がいいように補償の規定がなくされてしまう危険がある。

(2)の場合は、そもそも土地を所有する権利がないから、それを政府に立ち退きを命じられても仕方ないよね。みたいな感じ。それでもバランスを取るために、ちゃんと補償みたいなものが得られるように法律があったりすることが多い。


国によって法律も違うし、この本にはあんまり書かれてないけどたぶん土地所有に関する文化とか認識も、かなり違うんだろう。
土地のことって複雑だからよくわからないけど、
もっとよく知りたいと思った。

アイスランド行こうかな(その3)

FacebookでMúmが、アイスランド人をボイコットしてくれ、と書いていた。

Múmはアイスランドのバンドだ。
アイスランド人が、アイスランドをボイコットしてくれと言っている。
それはなぜなのか。

Múmさん says that today is kick-an-icelander-in-the-shin-day!!!!! Iceland has started whaling again for commercial abuse, so if you see any icelanders today, kick them in the shin. Or just boycott Icelandic products.






アイスランドが商業捕鯨を再び開始したらしい。
あー、そうなんだ。
と思うのは日本人の感覚なのだろう。


だいぶ前にBjörkの夫、マシュー・バーニーが金沢21世紀美術館で個展を開いたときに、捕鯨をテーマにした映像作品があった。Björkも出演している。

「拘束のドローイング9」
http://www.wisepolicy.com/matthewbarney/

とても昔のことだからうろ覚えだけど、
それに関連してBjörkのインタビューが雑誌に載ってて、
日本とアイスランドは同じ捕鯨をする国だけど、
日本国民は捕鯨に好意的だけど、
アイスランドではそういうわけではない。
みたいなことが書いてあった。たしか。

ホントかはよく知らない。


とにかく、捕鯨に対する嫌悪感みたいなのが世界中から日本に対して向けられてる時代だった気がする。


差別なんてどうってことない。
差別されたって相手のことを無視すればいいだけだから。
でも、好かれようと思った相手に差別されるとすげーつらい。

みたいな感じのことが金城一紀「GO」の中に出てくるけど、
なんかそういう悲しさを感じた。
差別とは違うと思うけど。

テレビで世界が捕鯨反対している、というニュースを見ても、
あー、そうなんだ。
と思うだけだろう。
たぶんそれは、俺にとっての世界じゃないから。

でも、Björkが捕鯨反対って言ってると、
すごくグサッとくる。
俺はBjörkが好きだから。

「日本は豚肉でも牛肉でもなんでも食べれるから楽でいいよね」みたいなことを思っていたけど、
他の国では食べないものまで食べてしまうということは、
他の国では殺さないものまで殺してしまう。
そういう文化の中に俺らは生きている。


誤解のないように言っておくと、俺自身はそれでも捕鯨に反対じゃない。
思想とか文化とかは、そう簡単に変わるものじゃない。
変わらないから苦しいときもある。
捕鯨は、俺が初めて文化の衝突を感じた問題だった。

2009年5月26日火曜日

アイスランド行こうかな(その2)

アイスランドまでホテル付きで、11万8000円+燃油代。
http://reserve.4travel.jp/overseas/tour/detail/12548/KN642-SK_20090511/?ln=&sn=&dc=TYO&dm=9&dd=14&r1=AS&co1=TH&c1=CI-BKK&c2=&c3=&ac=&sc=


飛行機代だけでも20万以上だと思ってた。
案外いけるかも‥

「それでも私は帰れない」

っていう演劇を観に行くつもり。
誰かいっしょにいかへん?

http://www.rafiq.jp/wrd/index.htmlより)


「世界難民の日全国リレー2009 大阪集会」
場所:2009年6月21日(日) 13:00〜16:00
日時:山西福祉記念会館(梅田と天満の間ぐらい、アクセス
参加費:1000円(学生500円)

プログラム
・劇
「それでも私は帰れない」(仮題)
  脚本:鈴江俊郎氏(劇作家。シアターコクーン戯曲賞、OMS戯曲賞、岸田國士戯曲賞受賞)

・パネルディスカッション
◆「難民と暮らせる街に−制度・政治を変える」
  講演者:今野 東氏 (民主党・参議院議員)
◆「今、日本の課題、市民の課題は何か」
  講演者:滝澤三郎氏 (東洋英和女学院大学教授・国連大学客員教授)
◆難民当事者の声 など

・難民との交流会

・写真展 ブース



鈴江俊郎は京都の劇作家。
演劇界の芥川賞「岸田國士戯曲賞」を受賞している。
俺は高校のとき講座を受けたことがある。
そのときは「劇団八時半」っていう劇団をやっていたけど、今はもう休止してるみたい。


ただいっこ気になることがある。

難民問題もキョーミあるけど、俺は単純に演劇を観に行きたい。
なのに、「それでも私は帰れない」に関しては鈴江俊郎・作という以外の情報がない。
どういう話なのか、
誰が演じるのか、
何分くらいなのか、
鈴江俊郎のホームページを見ても何も書いてない。

うーん。
わざわざ観に行ったのに10分くらいの寸劇だったらどうしよう‥


まあとにかく、演劇に興味がある人も、難民問題に興味がある人も、
いっしょに行ってもいいよってひとは連絡をください◎

2009年5月23日土曜日

Terry Callier



ラジオを聞いてたら流れていた。
なんかいいなと思った。


↓Wikipediaを見たらけっこう面白い経歴。
http://en.wikipedia.org/wiki/Terry_Callier

60年代、70年代とシカゴでちょっとヒットを飛ばしたりしつつ
売れないミュージシャンをやってたけど、
1983年娘の親権を得てから音楽を諦めて安定した仕事に就いた。

しばらくたって、イギリスのDJがTerry Callierの古い曲を見つけてクラブでかけ始め、
1991年からは、イギリスのレーベルに誘われて仕事が休みのときにライブに出かけるようになった。

1996年には実に約20年ぶりに曲をリリース。
1998年にはアルバム「Timepiece」が"the United Nations' Time For Peace award for outstanding artistic achievement contributing to world peace"(なにそれ?)を受賞して一躍有名になった。


上の曲が入ってるアルバムはfeat. Massive Attackらしい。
まじでー。買いたい。

2009年5月21日木曜日

うっかり

うっかりしてた。

院の出願日程をちゃんと確認してなくて、
TOEFLを名古屋まで受けに行くハメになった。
それでも出願に間に合うかは怪しい。


リアルに焦った。
最近、自分のうっかりさにへこむことが多い。
社会をなめててごめんなさい、みたいな。

うっかり、俺の未来は遠ざかっていく。



うっかり八兵衛、というキャラが水戸黄門にいたけど、
「うっかり」というのを肩書きに書ける、
その図太さがうらやましい。

「うっかり」は、看板に掲げてしまうとしかし、
むしろ確信犯的な雰囲気で、
それってうっかりではないでしょ。みたいな感想をいだかせる。

あ。
そういう風に気づかせてしまった。
みたいなうっかりさ?
裏のまた裏的な。


何を言っているのか自分でもよく分からない。


来週は英語漬けになろうと思う。
うっかりいい点とかとれるように。
「うっかり」って英語でなんて言うんだろう。

2009年5月20日水曜日

五右衛門ロック

ゲキ×シネ 五右衛門ロック
http://www.goemon-rock.com/


途中休憩も入れるとがっつり3時間半。
時間を感じさせない面白さ。
とは言わない。前半はおもんない。
でも後半が怒濤の展開。


森山未來がヤバい。
Youtubeでたまに映像を見てたけど、
ダンスうまいし、歌うまいし、芸達者だし。
タップダンスとかしてた。
映画で見ると演技が大げさすぎてあんま好きじゃなかったけど、
舞台では神がかって見えた。


ゲキシネとしては、
前回の「朧の森に棲む鬼」の方が無難で良かった気がする。
今回は、カメラが近すぎてめまぐるしい。
生で見たいと思わせるための戦略なのかな?

2009年5月19日火曜日

卒論

院の研究計画書はぜんぜん書けないままだけど、
卒論は、ため池に関することを書こうかな。と決めた。
たいした理由はないけど。

思い立ったが吉日。
フィルムカメラをついに買ったので、
誰かいっしょにため池を見に行かない?
都会の喧騒を抜け出して。


どこにあるのか全然知らないけど、
ため池数は兵庫県が全国1位、大阪府が全国5位、和歌山県が全国8位。
関西に全国の4割くらいのため池がある。
ちょっと探せば見つかるでしょう◎


↓これに応募できるようなのため池に行きたいんです。どう?

ため池百選
http://www.maff.go.jp/j/nousin/bousai/tameike/index.html

2009年5月18日月曜日

アイスランド行こうかな。

アイスランドへのツアーを見つけてしまった。

アイスランド・エアウェイブスツアー
http://www.tour.free-bird.co.jp/campaign/Iceland/airwaves_column.php#03

アイスランドで10月にある音楽フェス、Iceland Airwavesに参加するツアー。
これは高いので無理だけど、自分で航空機探して行ってみようかな。卒業旅行とかに。


最近、自分の中でアイスランド熱が再燃してきている。
院が関東になったら日本アイスランド学生外交会議に入ろうかな。
この団体まだあるのかな?


なんでアイスランドかって、
この国は、

・音楽がすごい(Björk、Sigar Ros、Múm、Kira Kira‥) ← 人口31万人に音楽学校が90校!
・自然エネルギー率世界一 ← 水力、地熱で7割をまかなっている
・軍隊がない
・「地球のへそ」がある
・以外と寒くない(笑)

とかとか、魅力に溢れている。
日本にシシャモを輸出するだけの国じゃない。



といって、アイスランドは夢の国ではない。
開発か環境保護かで人々は揺れ、
金融危機で国は傾いている。


アイスランドは、グローバリゼーションの被害者だ。
みたいなことを、↓の映画は言いたいのだろう。







アイスランドの産業は、漁業以外はぱっとしなかった。
有り余る電力は安価だが、それを使ってくれる企業はあまりいない。
唯一の漁業は、1980年代初めに漁業資源を守るために漁獲割当が課せられると、個人で漁師をしていた人々は生業が立ち行かなくなった。他の手工業も技術革新で人の手を必要としなくなっていった。アイスランド東部は仕事がなくなり、過疎化していく。

そんな折、2003年に米国のアルミニウム製造会社アルコアが、アイスランドに新たな製錬所を建設し、国営電力会社ランズビルキンとの間で、水力でつくった電力の40年間にわたる供給契約を結ぶという話がもちあがった。
アルミニウムは電力を大量に使うので、企業にとっては輸送コストを考えても電力が安価なアイスランドでの精製は魅力的だ。
アイスランド政府にとっても、貧しいアイスランド東部に400人の雇用を生み出し、重化学工業にも力をいれていくことにつながる。

そのためにつくられるダムは、国全体の電力消費量の約半分を発電できるとても巨大なダムだ。しかし、その巨大さは代償も大きく、氷河から流れ出た二つの川がせき止められ、自然を残す土地が水没する。

はじめは計画を好意的に受け止めていた住民も、反対を始める。
反対運動はやがて、Björkとかも巻き込んだ大きなものになっていった。

NATIONAL GEOGRAPHIC 2008年7月号「相克の島国アイスランド」




Björkの有名さは海外まで及び、環境保護を求める声は世界中に広がっていく。

でも、上のNATIONAL GEOGRAPHICの記事にはこんなことが書いてある。
東部に暮らす人びとは、これまでに考えつくかぎりの事業や観光開発を試みてきたという。「でも、どれもうまくいきませんでした」と、地元高校の歴史の教師で、東部地域の行政機関の長を務めたこともあるスマウリ・ゲイルソンは語る。彼が続けた言葉は、この国のもめごとの核心をついている。「プロジェクト反対派が気にするのは土地やトナカイ、鳥たちのことであって、人びとの窮乏状態について議論しようとは思ってもいません。レイキャビクに住みながら、私たちがこの土地で石ころ一つ動かしたって反対するのです」と言いながら、石をつまむふりをして見せた。「自分たちはコンクリートとアスファルトの世界に住みつつ、ここへ来て美しい自然や人びとの暮らしを眺めたがる。住人が少ないほど、その生活が風変わりなほどよいのです」と、スマウリはうんざりだというように頭を振りながら語った。


開発か環境か。
アイスランドの貧困がどういうものなのか俺は知らないけれど、こういう言葉は、アイスランドに観光に行きたい!と言っている俺みたいな人間の胸にグサッと刺さる。



そして、この記事は金融危機の前に書かれたものだからさらっとしか触れられていないけれど、このプロジェクトの為に電力会社は15億ドルの資金投資をしている。
これは大半は海外の銀行からの借り入れらしいけど、アイスランドでは国内銀行が海外から投資を集めて、建設ラッシュが起きていた。重化学工業化、という国是のためというのも背景にあるのだろう。
そして結果、開発を急ぎすぎたことがあだになりアイスランドは負債の山に苦しんでいる。



結果だけを見てアイスランドを責めることができるのか、
グローバリゼーションのせいにして責めないことができるのか、
俺にはわからない。

とにかく、夢の国なんてどこにもないということを再確認しつつ、
俺は等身大のアイスランドを見に行きたい、と改めて思った。

2009年5月16日土曜日

大学院でやりたいこと候補その1

土木学会デザイン賞2008の結果が発表されていた。

土木学会デザイン賞2008
http://www.jsce.or.jp/committee/lsd/prize/2008/2008result.html

優秀賞の中に「子守唄の里 五木の村づくり」というのがある。
俺、行ったことあるよ。ここ。


川辺川ダムって知っていますか?
熊本県球磨川の支流、川辺川への建設が計画されつつも40年間計画が宙ぶらりんになってるダム。


「ダム問題」

という言い方が俺は好きじゃない。
俺らが考えるべきなのはダムそのものじゃなくて、
ダムで利害を受ける人のことなのに。
単純なカテゴライズが現実を曖昧にさせる。
問題はそんなに単純じゃない。


川辺川ダムの計画が発表されたのは1966年。
ダムができると五木村は沈んでしまう。
補償の不十分さに村民は憤り、行政と戦い始めた。
しかし、山奥にあるこの小さな村は疲弊し、分断していく。

補償を待つまでもなく都会に出て行く人
補償を受けてこの地を出ることを考える人、
補償されてもここに残りたい人

1984年、村と行政は補償案に合意する。
計画発表から18年が経っていた。
でもそれは、円満な解決ではなくて、
このまま廃村になるよりは補償金で移転した方がましだ、という五木村の妥協だった。

行政が作り出した過疎化の流れの中で体力を奪われ
それでも行政と戦い続けることはとても苦しい。

「格差の問題」?
「過疎の問題」?

繰り返すけど、問題はそんなに簡単じゃない。
でも国と村は合意し、事態は決着をみた。

はずだった。


環境意識みたいなのが高まっていく時代だった。
「環境」
「公共事業のムダ」
とかいう御旗を掲げてダム工事に反対する人々があらわれる。
川辺川下流に、九州に、全国に。

第三者的な正義感は、当事者を困惑させる。
突然盛り上がるダム反対運動は
五木村にとっては「なぜ今更?」という思いが強かった。
昔にこれほどの盛り上がりがあれば、
国と五木村のパワーバランスも違っただろう。
でも昔のことはまあ仕方ないとしても、
いま工事がストップすることは、補償が宙ぶらりんになることを意味する。
村が水没しないことはそれはそれでうれしいけれど、
水没する覚悟はもうしていたのに。


全国のダム反対運動は、
「ダムvs住民」という崇高な戦いであることが重要であって、
当事者がどう思ってるかなんて気にしない。
彼らにとってこの問題は

「ダム問題」

だった。

そしてそんな全国の活動家のおかげで、せいで、
川辺川ダムは今もまだできていない。
おそらく中止になるだろう。
だからといって、過疎になった五木村はもとには戻らない。

川辺川ダム中止を掲げた熊本県知事は、五木村の振興を指揮しようとしている。
一方で全国のダム反対活動家は、そんなことをするだろうか?
きっと次のダム反対活動に身を投じるのだろう。
彼らの目には、ダムしか写らない。
そういう意味では、彼らが嫌う国交省の役人と変わらない。


何度でも言うけど、
問題はそんなに簡単じゃない。
五木村に行って、
何が正しいのか俺にはよくわからなくなった。


上の俺の説明も、多分に現実を単純化している。
詳しい様子が知りたいなら、↓の本を読んでみるといいかも。


熊本日日新聞「巨大ダムに揺れる子守唄の村—川辺川ダムと五木の人々」新風舎 2005

ボスインザスカイ




演劇を観た。
2年ぶりくらいだと思う。

ヨーロッパ企画「ボス・イン・ザ・スカイ」を見た。
RPG風って言うけど、
メラゾーマ!
みたいなそんな感じではなかった。
もっと現代文明に依存したドラゴン狩り。

シュールでリアルな、緻密なコントだった。
嘘っぽい中にあるリアルさを知る。
こういう戯曲が俺にも書けたらよかったのになーとつくづく思う。

2009年5月15日金曜日

【本】国際協力学


高木 保興「国際協力学」東京大学出版 2008


俺が受ける院の教科書的な本。
ついに読んだ。

初めの方はぜんぜん面白くない、と思ったけど、
国際協力の難しさ(民主主義はどんなときでも良いのか、とか)が隠さず語られててすごかった。

これだけ違う分野の著者が集まってひとつの本を書くのは、
それなりに感動的なことなのだろう。

学際的な分野では、みんなが「うちの分野はそんな簡単じゃないんですよ。他の分野は知らないですけどね」みたいに自分の専門の重要性を主張して引き下がらず、結論を見ないことが多い。
「文理融合」という言葉はだんだん姿を消していった。
融合ではなく、単に自分の専門を拡大しようとする欲望が学問を後退させる。

そういう中でこの本は、
「国際協力学」という学問の存在を十分に予感させる。



そして個人的な収穫としては、

リアルオプション

という概念を知れたことがある。
意思決定の柔軟性が持つ価値を評価する方法。
めっちゃ経済学な感じがするけど、
勉強しないといけないのかな‥

2009年5月13日水曜日

5月15日はみどりの日!

というタイトルを見てピンと来る?




そう、Green Dayのニューアルバムがついに出る。


Green Dayが好きだ。


Green Dayは、こんなのパンクじゃないと叩かれてきた。
パンクのこころは反逆にあって、
こんなポップで媚びた音楽はクソだぜ。みたいな。

確かにコアなパンクシーンが、Green Dayのせいで
ポップパンクとかメロコアとかに塗り替えられてきたのは否定しない。
パンクは死んだのかもしれない。

それでもGreen Dayは
パンクバンドがみんなエモっぽくなってく中で、
相変わらずタブーな歌詞をポップに
自分らしい音を鳴らし続ける。
そういう姿勢をパンクといわず、何をパンクと呼ぶのか。


ポップパンクとかメロコアは嫌いだけど、
Green Dayはそーいうのじゃないんだよね。
みたいに言う人がもっと増えてほしい。


ちなみにGreen Dayの名前は、
日本のみどりの日とはなんも関係なくて、
「やることがなくて一日中マリファナを吸ってる日」
みたいな意味らしい。

2009年5月12日火曜日

GOSSIP

前から知ってたけど、
なんか名前的にスキャンダラスな暑苦しい音楽な気がして
あんまちゃんと聴いてなかった。

今日ラジオから「Heavy Cross」っていう曲が流れてきて、
なんかクールな感じでいいなーと思った。
↓ここで聴ける。
http://thegossipmusic.com/

クール。
だけど、
ボーカルの女の人は見た目が暑苦しい。
そしていろいろスキャンダラスな発言や行動をするらしい。

やっぱりバンド名通り?
まあいっか。

2009年5月10日日曜日

国際協力系学生NGO合同説明会

あと一週間になったのでもっかい宣伝します。
もしこういうのに興味がありそうな人がいればぜひ教えて上げてください!


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 国際協力系学生NGO 合同説明会
  5月16日(土)@京都

 http://www.icc-kansai.org/event/godo.php

*-~-~*-~-~*-~-~*-~-~*-~-~*-~-~*-~-~*


春が来ます。


国際協力に興味があるひと、
でも国際協力ってよくわからないひと、
もう団体に入ってるけど他ものぞいてみたいひと、
春からなにか始めたいひとへ。


あなたの新しい大学生活がここにあります。
13団体がプレゼンをする、
関西最大級の学生国際協力イベントです!
集え、次世代の国際協力エースたち!!



--------【開催概要】--------
日時:
2009年5月16日(木)
13:30~16:30(入退場自由)

場所:
こどもみらい館第1研修室
(京都市営地下鉄「丸太町」から徒歩5分、
http://www.kodomomirai.or.jp/access2.html

対象:
大学1回生(2回生以上ももちろん歓迎です!)

主催:
ICC関西

入場無料・申し込み不要


--------【プログラム】--------
13:30~13:40 開催の挨拶
13:40~14:20 参加団体の簡単な団体紹介
14:25~14:40 アイスブレークタイム
14:40~16:20 ブース展
16:20~16:30 終わりの挨拶


--------【参加団体】--------
Asian Monkey
AFS京都支部
関西NGO協議会
国際学生協会(ISA)
国際協力コンソーシアム関西(ICC関西)
SHIP
JAPSAM
自立のための道具の会・京都
SAGE
日本ケニア学生会議
BEAM
FAVLIC
フェアトレード学生ネットワーク関西(FTSN関西)
神戸学院大学ボランティア基金 VAF


--------【問い合わせ】--------
問い合わせのページから。

または

ICC関西代表 竹田孝紀
Tel:090-6911-9323

までお願いします。

--------【ICC関西とは】--------
関西に活動拠点を置く学生NGOに
「スキル・恊働・交流」の場を提供し、
各学生NGOが掲げる理念達成のための
パートナーとして活動している。
定期的に国際協力コンソーシアムを開催。

HP:http://www.icc-kansai.org/

2009年5月9日土曜日

【本】ニッポンには対話がない


北川達夫、平田オリザ「ニッポンには対話がない—学びとコミュニケーションの再生」三省堂 2008


品格や
武士道よりも
「対話力」。


と帯に書いてあるけど、つまりはそういう本だ。
昔になんて戻れないぜ、夢見てんじゃねーよ。みたいな。


いろんな意味で、日本の国際化が進んでいる。
それは、ビジネスが国際展開するとか、
移民が来るとかだけではなくて、
日本人同士でもいままでのように分かり合ったり察したりできなくなることも含めて。
個人の価値観は多様化していく。

「分かり合おうなんて思ってはいけない」
と2人は言う。
簡単には分かり合えないから
分かり合えない人同士でもコミュニケーションをする力を、
「対話力」を、身につけよう。
というのがこの本の趣旨だ。

別にそれは「察する文化」とか昔からの美徳を捨てる
とかそういうことではない。
察し合える人同士では察し合えばいいけれど、
違う価値観を持った人も日本に増えてくるから、
そういうひととの共生するためには対話が必要になる。


「分かり合おうなんて思ってはいけない」
というのが衝撃的だった。

大人の社会でも学校教育の中でも、「心から分かり合おうとするものでなければほんとうのコミュニケーションとはいえない」「心から分かり合える人間関係をつくりなさい」と教え育てられている。それが実は、子どもたち、若い世代の人たちに相当なプレッシャーを与えてきているのではないか。

と平田オリザは言う。

ほんとにそうだと思う。
俺自身そういうプレッシャーを感じてきたし、
心から分かり合うことができないときには深い挫折を感じた。
コミュニケーションっていうのはそういうことだと思ってきたし、去年「コミュニケーション」っていうテーマでイベントを開いた時も「心から分かり合うコミュニケーション」を想定していた気がする。

みんなが同じ価値観を持っていた古き良き日本。
俺たちはその幻想の中で、現実とのギャップに傷つく。
心に体がついてかない、みたいな感じで。

それでも、傷つきながらも言葉を交わしたい。
ひとはいばらの道を生きている。
分かり合えないひとともコミュニケーションをする、その力を身につけないといけない。
と、差し当たってうちの準教授を前にしたときに強く思う。

2009年5月8日金曜日

らじとも

結論から言うと、我が家にラジオが来た。


下宿して1年。
ずっと買おうと思いつつ、
デザインいいやつがいいかな。
音がいいやつがいいかな。
みたいに迷いまくりで結局買えなかった。
そんな迷うからいっそ買うのを諦めて、
実家からラジオを持ってきた。

我が家の静寂がついに破られる。
ひょっとして電波届かないかも、と心配していたけど、
ばっちり802が聴ける。

でもこの数年聴かない内に
番組も流れる曲も変わってて、
浦島太郎になった気分だった。


で、なんかよく分からないけど「らじとも」っていう単語がよく出てくる。
聴くところから察するに、ラジオを聴く友達のことらしい。
中高生が学校名とクラスとともに「ラジ友募集中!」みたいなメッセージを添えてリクエストする。
確かにそういう気持ちはよく分かって、ラジオを聴くのって少数派だからなかなか友達が見つからない。俺も、音楽のことを語り合える友達ってなかなか見つけられなかった。
しかもそういうのって見た目にあんまり比例しなくて、
話してみたら、あ、意外とこの人が?みたいなことが結構ある。


ラジオを通じてつながり合うっていいな。
お互い知り合ってるのにあえて匿名になって攻撃し合う、
裏サイトとかが流行るそんな時代なのに、
ラジオネームという匿名性を捨てて友達になるのが、
温かいつながり方だと思った。


そんな風にラジオを通じて、
誰かとつながることができる。


ラジオは何かをしながら聴くもので、
俺は受験勉強をしながらラジオを聴いていた。
リクエストとともに添えられるメッセージが
いろんな人の「ながら」を伝える。
休日で寝てる人もいるし、
渋滞でイライラしてるひと、
上司の目を盗んでラジオを聴いてるひと、
もちろん勉強してる人もいる。

それぞれバラバラのことをしているけど、
ラジオの前にいるという共通点だけでつながっている。
お互いを知らないし、話もできないけれど。
でも確かにそこに誰かがいるという安心感。

そういうゆるさが、
今の時代に求められてるつながり方な気がした。

2009年5月6日水曜日

【本】土木国家の思想 - 都市論の系譜(その2)


本間義人「土木国家の思想 - 都市論の系譜」日本経済評論社 1996



歴史に「もしも」はない。

それでも、もう少しマシな今があったんじゃないか、という思いはつきない。「もしも」の積み重ねでできてきたこの世界を背負う人間にとっては。


この本は、世界で稀に見る土木国家になった日本の歴史を振り返り、
住宅より土木を、生活より産業を優先する、
そんなのじゃない日本のかたちがあったんじゃないか、
という「もしも」を指摘する。

「鉄のトライアングル」と呼ばれる政・官・財の癒着構造を生み出した、中曽根康弘。

住宅や水道より道路や河川を優先するという「本末論」を唱えた、芳川顕正。

欧米の都市計画を学んで地方自治の重要性を感じつつも、旧「都市計画法」によって中央集権体制をつくりあげてしまった、池田宏。

貧困層のための住宅提供を政策に掲げながら結局は道路に予算を割いた、関一。

土地高騰によって様々な原因を引き起こした日本列島改造論を論じた、田中角栄。

「都市経営」を掲げて神戸の山を削り海を埋め立てた、宮崎辰雄。


けれど、「もしも」を振り返れば振り返るほど、
それは「もしも」ではなくて必然なのだと思えてしまう。
それほどに「土木国家の思想」が一貫としてある。
生活を無視し、民意を無視し、
産業優先で中央集権の、くにのつくり方。


悪い意味での歴史の重みを知った。
それをはねのけるだけの意志の強さが欲しいと思った。

忌野清志郎、最後の曲

忌野清志郎が、死んだ。

代わりなんていない。

mixiのミュージシャンのコミュではよく
「ポスト○○は?」なんていうトピックが立つ。

そのトピックにはたくさんのバンドの名前が書き込まれる。
まるで「代わりなんていくらでもいるんだ」と言わんばかりに。
そんなことを話してどうする、と思う。
そのひとが奏でられる音はそのひとだけのもので、
代わりなんていないのに。

忌野清志郎は、この人の代わりなんていない。と強く思わせるミュージシャンだった。


そんな忌野清志郎が残した、最後の曲がある。
関西のラジオ局FM802の開局20周年キャンペーンソング「Oh! Radio」だ。
ラジオ局で流れてるのは忌野が歌ってるわけじゃなくて、くるりの岸田繁とかHYとかスガシカオとかが歌っている。今はラジオ局限定だけど、忌野清志郎バージョンもやがてCD化されるのではないか、という噂がある。

遺作「Oh!RADIO」 記念盤でCD化か
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2009/05/05/02.html



FM802を聴いてたらよく流れてくる。
忌野が残したシンプルなメッセージが胸を打つ。


Oh! Radio 聴かせておくれ この世界に 愛と平和の歌を


というフレーズがあるけど、この曲がまさに愛と平和の歌な気がした。

2009年5月4日月曜日

スラムドッグ$ミリオネアと音楽

いまさらだけど、スラムドッグ$ミリオネアを観てきた。
スラム街出身の青年がインド版「クイズ$ミリオネア」に出て、
インド版みのもんたのプレッシャーを受けつつも正解を重ねていく。
問題に関連して過去の回想シーンが挟まれ、徐々に彼の平坦ではない素性がわかっていく。
で、最後はインド映画っぽく踊る、という話。

結論から言うと、普通におもしろい。
まだ観てないひとは観た方がいい、とみんな言うけど、その通りだと思う。
まだ観てないならいますぐ映画館に直行した方がいい。


でもこれを観たからって、インドがわかるとかそういうものではない気がする。
別にボンベイに行きたくなるわけではないし、
帰りにカレーを食べたくなるわけじゃない。
インドを舞台にしてるけど、
インドについての映画ではない。
まあ、だから普通におもしろいんだと思う。


話は変わって、
内容もさることながら、音楽がすばらしい。

アカデミー作曲賞と歌曲賞をとったこの映画の音楽は、
A.R.ラフマーンというインドの有名な作曲家が担当している。
あの有名な(俺は観たことないけど)「踊るマハラジャ」もラフマーンが音楽を担当していた。
インドっぽく、でも現代音楽っぽく。
とにかく、映画を見る時は音楽にも耳を傾けて欲しい。

インドには民族も文化も色々あるから、音楽もいろいろあるみたい。
ラフマーンは、タミル系のひと。
もともとタミル語映画のサントラをつくっていたそうだ。


便乗して紹介すると、
最近はASIAN DUB FOUNDATIONにはまっている。

↓ここで試聴できる。
ASIAN DUB FOUNDATION


エイジアン・ダブ・ファウンデイション(Asian Dub Foundation)は、イギリス出身のエレクトロニカ/ダンス系音楽グループである。在英のインド・バングラデシュ系のメンバーによって構成されている。略称は「ADF」。
エスニックなアジア音楽を取り入れたブレイクビーツに乗せて、辛らつな社会風刺や政治批判のメッセージを発信するスタイルを持つ。ダブを基調としつつ、バングラビートやジャングル、レゲエにヒップホップ、さらにパンク・ロックまで幅広い音楽性をクロスオーバーさせた「無国籍」なサウンドは、しばしば『ミクスチャー・ダブ』などという言葉で語られることになる。(Wikipedia


と書いてあるけど、調べてみると「インド・バングラデシュ系」という部分は間違いで「インド・パキスタン系」のような気がする。
ADFは「バングラ」という音楽のジャンルを広めたことで有名で、たぶんそれで「バングラデシュ」と書いたんだと思うけれど、バングラは、パンジャーブ地方(インド・パキスタンが接してるところ)の音楽で、バングラデシュとは関係ない(たぶん)。
カタカナにするとわからないけど、

Bhangra



Bangladesh

で発音も違う。
でも日本語では、バングラデシュっていうのバングラって縮めたりするよね?
うーん…ややこしいなー。


とはいえ俺もインド音楽をよく知らないのでよくわからない。
インド音楽の中にどういうジャンルがあるのか、
そもそも「インド音楽」ってひとまとめにできるのか、
詳しいひとがいたら教えてください!


あともうひとつ。
↓映画の舞台になってるボンベイ(ムンバイ)のバンド。
Bombay Dub Orchestra

模様替え失敗

うーん。。。

このブログをいじって、
↓こんなふうにしたかったけど
http://bookreader.cognitom.com/

うまくいかない。悔しい。

2009年5月3日日曜日

聞きたいことしか聞こえない。

研究計画書ってどうやって書くのか、博士課程の先輩に聞きに行ったら、
お前は自分ひとりでできるタイプか、
ひとにアドバイスをもらいつつつくっていくタイプか、
と問われて答えに迷った。

俺はよくひとに話を聞きにいくけど、
実は半分くらい聞き流してる。
気付いたら晩ご飯の事とか、
昨日読んだマンガの続きとかを考えてたりする。


退屈なんだよ、しゃべんな。


とまで思うことは稀だけど、
そういう集中力のなさにけっこう真剣に悩んでいる。

なんでって、
俺がほんとに土木系の仕事に就くとしたら、
いろんなひとの話を聞かなくてはいけない。
それは退屈どころの話ではなくて、頭がパンクしそうになる。
土地収用法について調べていて、そんな気がした。


土地収用というのは、個人が持っている土地を公共の目的のために、強制的に売ってもらうという制度。ダムとか道路とかをつくったりするのに、住民の賛成が得られないと使われる。
「公共のため」という大義名分を振りかざし、個人の土地を奪う。
いつの時代?と思うかも知れないけど、今でもガンガンやってる。


そのためには土地の権利者と事業者を交えた公聴会を開かないといけなくて、国交省のページにいくとその議事録が見られる。

一般国道42号改築工事(紀宝バイパス)に係る公聴会議事録につい
一般国道468号新設工事(首都圏中央連絡自動車道)[有料道路名「東京湾横断・木更津東金道路」]に係る公聴会議事録について
第二京阪道路及び近畿自動車道門真ジャンクションに係る公聴会議事録について


たぶん俺は、
勇猛果敢に生活者の視点からの意見を述べているひとじゃなくて、
「先ほどお話しした通り」
「今後も誠意を持って対応して参ります」
みたいな言葉でお茶を濁している側の人間になる。

なんかそんな未来がほの見える。
いやだ。


うちの準教授はたぶん、そんなこと気にしない。
公共のためならいいんじゃない。と言う。
でもじゃあ「この方がみんなが得するから、あなたは損をしてください」と面と向かって言えるのか。
少なくとも、俺には言えない。


公共事業をやる前に、公共とはなんなのか考えたい。
でもそのためには、俺の聞く耳キャパシティが足りない。
聞きたいことしか聞こえない。


なんかそんなことに悩んでしまった。
とりあえず、目の前のひとの話をちゃんと聞こう。
うちの準教授の話にもちゃんと付き合おうと思った。(注:下ネタをのぞく)

【本】土木国家の思想 - 都市論の系譜(その1)


本間義人「土木国家の思想 - 都市論の系譜」日本経済評論社 1996



まだ読み終わってないけど、この本はおもしろい。
日本がなぜ土木国家になったのかという歴史がかかれている。
文系の人にとっては当たり前なのかもしれないけど、
理系にとって歴史は古くて新しい。
どういう経緯で今があるかをすっとばして、
技術の話ばかりをいつも聞いているから。


日本が土木国家になった起源は、
一般には戦前、大政翼賛体制になった1940年あたりだと言われるが、
もっと昔、明治維新の頃まで遡ることができる、と本間氏は言う。

1888年、東京府知事芳川顕正が山県有朋宛てに提出した上申書で
首都東京の近代化の基本に触れて
「道路・河川・橋梁ハ本ナリ、水道・家屋・下水ハ末ナリ」と述べた。
これを「本末論」と呼ぶ。

「本末論」の解釈はひとによって違う。
この本では、道路・河川・橋梁をつくることが最優先で水道・家屋・下水は後回し、つまりは、産業が優先で、人々の住環境はどうでもいいということ。と捉えられている。

しかし一方で、俺の大好きな藤森照信とかは、これは、産業を重視して市民を顧みないとかそういう、大事さの違いのことを書いてるわけではなくて、単に、どっちも大事だけどまずは都市の骨組みである道路を造って区画を固め、しかる後に住環境の整備をする。というつくる順番のことを書いただけだ、と反論している。


これらの意見をもつのはそれぞれ、
前者は文系の人間、
後者は理系の人間が多いらしい。

理系は、その時点のことを深く考察し、
文系は、前後の歴史を踏まえて文脈を読み取る。


たしかに、字面だけを見れば、
藤森照信のように好意的な解釈をすることもできるが、
その後、住環境整備は遅々として進まなかったこと、
また、道路・ダムなど産業のためのインフラへの投資額の高さ、さらには土木業界と官僚との癒着が、現在に至るまで続いていることを踏まえると、人々の住環境はどうでもいいや的な発想があったことは想像に難くない。


文系と理系の違い、
技術は中立的ではありえないこと、
とか、日頃想ってることがちょっとクリアーになった気がする。
明日がんばって読み終えよう。

2009年5月1日金曜日

なぜTwitterが攻撃されるのか。

TwitterがXSSワームの複数の亜種に攻撃される(ZDNet Japan)
http://japan.zdnet.com/sp/feature/07zeroday/story/0,3800083088,20391683,00.htm

フランスのハッカーがTwitterの管理パネルにアクセス(ZDNet Japan)
http://japan.zdnet.com/sp/feature/07zeroday/story/0,3800083088,20392623,00.htm


ここ最近、Twitterが攻撃されるニュースが続いている。

Twitterは、ブログとチャットの中間のようなサービスで、
「いまなにしてる?」という質問に140字以内のつぶやきを投稿する。
mixiとかFacebookみたいに中毒性の高いのじゃなくて、
お互いにつぶやき合うことで「ゆるい」コミュニケーションが生まれる。
というのを売りにしている。


Twitterのシンプルさは、奇跡的だ。

他のSNS、例えばFacebookとかが、
これでも足りない、これでも足りない、と
ビョーキみたいに機能を追加していく一方で、
Twitterは140字の投稿しかできない。

Small is Beautiful.
と言ったのはシューマッハだが、
そういうことだと思う。
必要なものなんて、そんなにたくさんはない。


そのTwitterが最近よく攻撃されている。
なんでなのか、俺にはよくわからない。
なにか恨みを買うようなことをしたのか、
それとも理由なんてないのか。


気になって過去のニュースを探ってみると、こんなのがあった。

Twitterはアンフェア——開発者が非難(ITmedia)
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0904/23/news049.html


なるほどTwitterはそのシンプルさゆえに、
言わばインフラみたいな役割を果たしている。
TwitterのAPIを利用したアプリが巷に溢れている。
インフラがちょこまか動くようでは、その上に成り立つ開発者は不安定で仕方がない。
そういう、開発者への思いやりが欠けている、という批判がある。


でも、これが攻撃を受ける理由になるのかな。
俺にはよくわからない。

誰か理由を知っていたら教えてください。