2012年9月19日水曜日

雑記


ちょっと前にダークナイト・ライジングを観てきて思ったことメモ。
そろそろネタバレしてもいいやんな…?笑
映画自体観るの何年ぶり?って感じなので割と的外れかも。

ヒーローもののリメイクって要は何かというと、
原作になかったディテールを拾っていくことだとざっくりぼんやり偏見を俺は持ってる。

ヒーローだって悩むし、
ヒーローだって敗けるし、
ヒーローだって恋をするし、
ヒーローだってうんぬんかんぬん。

まとめて言えば、
ヒーローだって人間なんだよ(人間じゃない場合もあるけど)、
みたいなことを、言いたいんでしょ。

これは、村上春樹が「アンダーグラウンド」でやろうとしてたこととか、

アンダーグラウンド (講談社文庫)アンダーグラウンド (講談社文庫)
村上 春樹

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宮本常一が一生涯をかけてやってたこととか、

庶民の発見 (講談社学術文庫)庶民の発見 (講談社学術文庫)
宮本 常一

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そういうのと似ている。

「ヒーロー」だとか「被害者」だとか「民衆」だとか、
そういうラベル付けをされてのっぺらぼうになった人の、
表情を取り戻す。
そういう闘いを、あの人達はしているのだと俺は理解している。


で、クリストファー・ノーランはけっこう善戦しているように見えたけど、
最後に敗けてしまう。

それが悔しくて、思わず泣きそうになった。ほんと。

バットマンは、死んだけど実は生きてた、みたいな結末になるのだけど、
結局、ヒーローは三作分ももがいても、
人間らしい生活をするにはいっぺん死ぬことが必要なんだ。
けっきょくヒーローはヒーローで、人間は人間で、
その越えられない溝の深さに、
なーんだやっぱり、と、思った。苦笑した。

ひとはいつか死ぬという事実と同じくらい当たり前だけど、
物語にはいつか終わりがあって。
ある物語は突然別の物語にはなれないし、
なるにはいったん終わらないといけなくて。

ざっくりぼんやり悲しかった。
なんかそんな感じだった。
(たぶん半年後くらいにこの文章読んでも何のことだか思い出せないんだろうな。。)

2012年9月9日日曜日

National Geographicの写真コンテスト

How National Geographic Traveler exposes problematic entries in its photo contest (Poynter.)
http://www.poynter.org/latest-news/regret-the-error/186817/how-national-geographic-traveler-exposes-problematic-entries-in-its-photo-contest/

National Geographicの写真コンテストについての記事。
写真の修正はどこまで許されるのか、という話。

修正には色々なパターンがあって、
氷山の上にペンギンが乗ってるすてきな写真だと思ったら、
実はペンギンはコピペで貼ったやつ、
みたいなのとかもあるらしい。
“It was like perfect light on an iceberg and there was a penguin standing there,” he says. “People in the room liked the picture and I looked at it and said, ‘Look at that edge — somebody pasted that penguin on there. It’s too perfect.’ ”
 で、どうやって判断するかというと、

1)RAWファイルと見比べる
2)EXIFがそれっぽい感じか見る

という感じらしくて、
なんだかアバウトな気がしてならない。

特に1)の方は怪しくて、記事の最後の方に、
優勝作品の画像と元のRAWファイルとを見比べて
 the raw file is very close to the submitted jpeg. The processing was used to enhance what was already there, rather than altering the image.
なんて言ってるけど、
もはや感性の問題でしかない気がする。
じっさいこの取材に答えているひとも、

“Can I justify that it isn’t so dramatic because it’s been cooked?,” 

なんて言っている。
同感かも。

難しいことはさておき、コンテストの写真はどれもすごい。
さすがナショジオ!と思わせるクオリティ:
http://ngm.nationalgeographic.com/ngm/photo-contest/

2012年9月4日火曜日

サソリが食べたい。

いやいや、のんびりYouTubeとか聴いてたわけですよ。
したらこんなバナーがにゅっと出てきたわけですよ。


えっ?
あるって本当!? 食べたい!

とかって思うやんふつう。
こんなものを見てしまった日には。


で、これが一体何の広告かというと、
Googleの「ごちそうだん」というキャンペーン? サービス?らしい。

Google+上で「#ごちそうだん」というタグを付けてつぶやくと、
誰かが答えてくれる、みたいな感じらしい。
なるほどねー。

しかし俺がなぜむくれているかといえば、
上のサイトで「相談を探す」というところで、
意気揚々と「サソリ」と検索したら、
なんと…

検索結果が0件なんですよ。。

探し方が悪いのかもしれないし、
みんな限定公開でつぶやいてるから俺には見れないのかもしれないし、
日頃の行いが悪いからなのかもしれないし、
なんてまあ色々理由はあるでしょう。

しかしとにかく、
行き場をなくしたサソリへの想い(という名の食欲)をどうしろと言うのかと。

恋と呼ぶには浅いけれど、勘違いで済ますには深すぎるんですよと。

あれだけサソリを全面に押し出すからには、
サクラでもいいからサソリ料理の店教えてよと。

そんなことを思ってしまったんです。
頭の中が夏休みでごめんなさい。


そんなわけで、誰かサソリ料理食べに行こうよー。
場所はきっとぐぐればすぐ出てくるからさ。

2012年9月3日月曜日

網野善彦「歴史を考えるヒント」

歴史を考えるヒント (新潮文庫)歴史を考えるヒント (新潮文庫)
網野 善彦

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これは歴史の本ではなくて、ことばの本だと思う。

単に、同じことばでも今と昔ではこんなに意味が違う、みたいな話が書いてあるわけじゃない。
巻末の與那覇潤さんによる解説が秀逸なので引用(この解説だけでも読む価値あると思う):
たとえば、有名な「百姓は農民ではない」というテーゼを語る五章。ここで述べられているのは、単に全近代の日本人の生業比において海民や職能民がもっとおおかったはずだ、という事実認識ではない。(中略)なぜ私たちは百姓というと農民と思い込むのか。その完成の由来こそが、ことばの来歴に寄り添う形で明らかにされているのだ。

例えばこの「百姓≠農民」という話題で言えば、
単に「百姓には農民じゃないひともいた」ってことを言ってるだけじゃなくて、
なぜ俺らが「百姓=農民」だと思い込んでいるのか、というより、思い込まされているのか、が語られている。

いま使ってることばは、いつか誰かの手で恣意的に歪められたことばかもしれなくて、
ことばの裏側に隠れた意図に目を凝らさないといけないよねー、

みたいな夏休みの読書感想文を書きたかったわけではなくて。
なんでこういう本を最近読んでるかというと、みたいな話を書こうと思ったけど、
今日はもう遅いのでまた改めて。なんて言ってもう書かない予感もするけど。。