2010年1月31日日曜日

知らんけど。

俺にできることなんてほとんどない。
というもどかしさの中にいる。

なるほどね。こうきたか、ネガティブ。
ネガティブになりますとは宣言したものの、
こんな感じで悩むというイメージトレーニングはできてなかった。
奥が深い。と、負け惜しみを言ってみても虚しく響くだけ。


悩んでるひとは身近にも遠くにもいっぱいいて、
なのに自分には何もできない。
ちょっと手を伸ばせば届くようでいて、
なんかすごく遠い気がする。


そして、
それが悩みだということがまた悩ましい。
ワイドショーを見る主婦みたいだ。
他人の悩みを、俺が勝手に悩んでいいのだろうか。
みたいな、悩んでもいいのか、という悩み。




とはいえ、悩むという行為にいいも悪いもない。
選択の余地もなく、俺たちは悩む。
悩まざるをえないから悩む。
そもそも悩みが悩ましいのは、それが不随意の感情だからだ。


にもかかわらず、俺が「ネガティブになります」と宣言したのは、
たぶんそんなわかったようなセリフを言うことで、
まあ悩まないこともできるけど、
そこを敢えて悩むことを選んだだけで、
いつでも抜け出すことができる。
と思い込むことができる。

つまり、悩みの内容そのものが解決するかははさておき、
俺がいま俺の「思い通り」に悩んでいるという事実は、
悩みが思い通りにならない、という悩ましさを乗り越えられる。

そんなもの、ただの気のせいだけど。



話は変わるけど、京都人にはよく自分の意見に、
「知らんけど」
という言葉を付け加えるひとがいる。

例えばこんな感じ。

「この料理ぜったいおいしいで! 知らんけど」
「俺テストめっちゃ自信あるわ。知らんけど。」


この「知らんけど」というのは、マジカルワードだ。
その意見が当たっていれば「ほらやっぱり、言った通りやろ」と言えて、
逆に外れたとしても「あーやっぱり、何か違うと思っててん」と言える。

「知らんけど」という言葉をつけることで、
あらゆることが自分の掌で踊っているような印象を与えることができる。




たぶん俺が「ネガティブになります」と宣言するのもおんなじ感じなんだろう。
と、身に付けたくなかった京都らしさを自分の中にまたひとつ見つけたようで悩みが増える。
知らんけど。

2010年1月28日木曜日

今年の具体的な抱負(2) ムックになりたい。

ブログのデザインを拾ってきたやつに変えてみました。
またヒマなとき自分でつくろうと思うけど、とりあえずこれで。



話は変わって今年の抱負。
ムックのようになりたい。

といって、
別にあんな毛むくじゃらになりたいわけではなくて、
もっとピンポイントに真似たいことがある。

それは、
ガチャピンのツイッターでムックがつぶやくときに必ず言う言葉。
ムックのつぶやきは、たとえばこんな感じ。

長崎なうでありますばってん。ム。


これこれ!!!!

この「ム」というのが、
かっこ良すぎる。
中尾彬も真っ青の渋さだ。


しかし、このムックといえども、
ツイッターでつぶやくのは簡単でも、
公共の電波に乗っているときに「ム」と言うことは、
見かけたことがない。

書くのは簡単でも、
口に出すのは難しい。
「ム」は、渾身の渋さをもってしか発語されない。


ていうか、
漫画の中にしか出てこない言葉ってあるやん。
ちょっと話は変わるけど。


例えば、
「むっ」というのはイラっとしたときの擬音語で、
「むうう」は、苦戦しているときに漏れ出る。
「むん!」は、なんか力を入れる時に出すかけ声だ。

でも、それを日常生活で使うかと言えばあんまり使わない。
ふつうは、
ゴキブリと格闘中に「むうう」なんて言わないし、
ハンバーグをこねるときに「むん!」と叫んだりはしない。
にも関わらず、
漫画とか小説の中にはそういう言葉がちりばめられている。


現実に即しているかとリアルさは違うから、別にそれでいい。
書き言葉と話し言葉は違って全然いいと思う。
ただ逆に、話し言葉が書き言葉に引きずられている感じがするときがある。
漫画に出てくるような
「こんなセリフ現実の人間は言わへんやろ!」と思うような言葉遣いを、
現実の人間がする。
例えばなんか、すごく長い文を倒置とか省略とかなしに一息に言う、とか。
国語の教科書を音読するような感じ。


それはなんか、初めはミーハーな感じでやだなと思ったけど、
最近は、素直に面白いと思う。
書き言葉が話し言葉に従属するわけじゃなくて、
互いに影響を与え合う。
それがあるべき言葉の姿だと思う。




で、話は戻って、
でも、俺は今まで「ム」と言う人に会ったことがない。
「むむむ」と言うひとは友達に一人いるけど、
そんな彼でも「ム」を使いこなすことはできないだろう。
渋さのレベルがダンチだ。


まずもって、
「ム」の使いどころがよくわからない。
上に書いたみたいに「むっ」とか「むむむ」というのはわかるけど、
「ム」というのはどういう場面で使うのか、
俺には正直よくわからない。

別に意味がある単語ではないけど、
単に渋さを見せつけるための示威行為なのかというと、
それもなんか違うように思える。



そしてもひとついうと、
上にも書いたけど、ものすごく渋さが要求される。

例えば、
さかなクンがあの高い声で「ム」と言ったところで、
なにか魚の鳴き声を真似たのかな?と思われるのがオチだ。

音節が短い分だけ、
ある程度存在感のある低い声でないと、
相手に届かない。



そういう、得体の知れない、そして手強い「ム」を、
自在に操れるようになればきっと俺の拙いしゃべりも、
ひいては俺の渋さも、
少しはレベルアップするに違いない、
と思った。



とか、こんだけ語っときながら、
気が向いたら使うかも、くらいのスタンスでがんばります笑






↓関係ないけど、この動画面白すぎる。



中の人などいない!って。。笑



以上でした。
次はもうちょいまともな抱負を書きます。
徹夜中なため、散漫な文章で申し訳ない。ム。

2010年1月25日月曜日

今年の具体的な抱負(1)卒論、秒殺

3週間進展がなかったプログラムが、
今日ほぼ完成した。


したら、なんだかネガティブな気持ちになる。


え、なんで? 逆じゃないの?
というのは、ネガティブ初心者の意見。


常時装備型のネガティブは、
ただの守りのネガティブだけど、
ここぞのネガティブは、
攻めのネガティブ、
というか、もはやポジティブだ。
と俺は信じて疑わない。


ふふふふふ。

(という笑いをするひとがツイッターにいて、
なんか真似したくなった。)

まあ平たくいうと、
ネガティブになるくらいがんばって根を詰めて、
一分一秒でも早く卒論を終わらせよう、
と思ったという話。


なんでって、
准教授と一緒にいればいるほど、
俺のネガティブさは加速度的に増していく。
そんなに力を注がずにゆっくり卒論に取り組むこともできるけど、それは結局、ネガティブの総量を増やすだけなんじゃないだろうか。
なら、一分一秒でもいっしょにいる時間を短くするのに全力を注ぐ方が賢明なんじゃないだろうか。

そして何より、
あの、邪悪なポジティブさは、
ネガティブを出し惜しみしていては打破されない 。

とはいうものの、プログラムが完成しないままでは勝算がない。
勝算のないネガティブは、素人の喧嘩だ。

きのう飲み会で、
「あのイベントが成功したのは、ゆんのネガティブさのおかげだよ。ほんとに感謝してるよ」
みたいな主旨のことを言われた身としては(笑)、
そんな幼稚なネガティブに恃むわけにはいかない。

しかしいま、俺の手元にはプログラムがある。
勝算のあるネガティブは、
もはやポジティブだ。
いまが「ここぞ」なんじゃないだろうか。


ということで、
沸々と沸き上がる
ネガティブさとやる気をタイピングに変えて、
2月7日までに卒論を終わらせる!
というのが当面の抱負です。

昨日書いたみたいな感じで、
方向性としてはポジティブに行こうと思うんやけど。
とりあえずしばらくはがんばってネガティブになります。
あしからず。

2010年1月24日日曜日

今年の抱負(方向性)

一年先が想像できない。


そんな人生を送っていたいとは思うけれど、
とりあえず方向性くらいは定めるべきだ。

じゃあ今年の抱負はなんやろうと思って、
話はちょっと戻って、
おとついブログに書いた「生きかたに響くことば」でのこと。

いろいろ展示されていることばの中で、
どれか響くのがあった?と友人に聞かれた。
俺は、

「今いる場所でなくてはならない存在に」

ということばが響いた気がした。
でも、それはなんで?
と聞かれて俺は言葉に詰まる。
自分でもよくわからないから。


少し考えて、
たぶん響いたのは「今いる場所で」という部分で、
「今いる場所」をないがしろにして、
あてどもなく「どこか」を探してしまう自分に反省を感じたからだ。
と、妙に納得して、
そう答えた。

でも、
あ、そうか違うなーと、
眠れない夜行バスの中でふと気付いた。

響いたのはむしろ、
「なくてはならない存在に」
という後半だった。

なくてはならない存在に、なる覚悟が俺にはない。
路傍の石のように、
なくてもいい存在として生きていたい。
どうしてかはわからないけど、
そういう志向性が身に染み付いて離れない。

とはいえ、
なくてもいい存在に、
なろうと思ってなれるわけじゃない。


もうすぐ京都を離れるのを前にして、
「えー、ゆんがいなくなると寂しいな」
みたいなことを言ってくれるひとも何人かいて、
なくてはならない存在になっているかはわからないけど、
少なくとも、
なくてもいい存在になることは失敗したのだろう。


悔しい。
でも嬉しい、と思った。

そろそろ、
正面切って「なくてはならない存在」を目指しても、いろんなひとの思いとか優しさと向き合っても、いいんじゃないかなーと思う。
それは仕事なのか恋愛なのか、もっと他のかたちなのか、全然わからないけど。
こんなこと宣言するのも恥ずかしいけど、
俺は今年、なくてはならない存在になることを目指します。

って、去年の春もこんなこと書いた気がするけど笑

2010年1月22日金曜日

生きかたに響くことば

家探しのため関東にいます。
でも予約時間までヒマなのでブログを書こう。久しぶりに。


昨日、友人が所属するNPOが、
「生きかたに響くことば〜U25の原動力〜」
というイベントを開催していたのに行ってきた。
25歳以下のひとから寄せられた、自分の人生や価値観に影響を与えたことばが整然と展示されていた。

ちなみに、俺もひとつ出していて、

「それは、本当にお前のことばか?」

というのが、俺の生きかたに響いたことばだ。


これは、
「詩のボクシング」高校生大会の初代優勝者・草なぎ健太さんが、
準決勝くらいの詩の中で言ったことば。


もうあんまり覚えてないけど、
調べてみるとこの大会は2004年の夏あったらしく、
ということは俺は高二だった。


当時の俺は、
どこまで本気だったかは思い出せないけど、
何を思ったか詩人になろうとしていて(笑)、
そのために俺は「自分のことば」を見つけることに必死だった。
ノートに詩を書きなぐったり、
谷川俊太郎の詩を読みあさったりしていた。


そんなときに、
BSで「詩のボクシング」高校生大会が放送されついた。
そこに出場していたひとりの草なぎさんは、
オタクっぽい感じの男子高校生で
サングラスをかけて怪しい感じをプンプンさせながら
リングに立っていた。

ああ、これは出オチやな、と思った次の瞬間、
彼は言葉に関する詩を読み始める。

たぶんこんな感じのやつ。


ことばひとつで生徒は先生に怒られ、
ことばひとつで政治家は職を失い、
ことばひとつで人は死に
‥(中略)

だから、俺はひとつここでお前に問わなければならない。

それは、
本当に、お前のことばか。


それはなんかすごく衝撃的な問いかけで、
俺は「自分のことば」を探していたけど、
あらゆることばは誰かのコピーで、
そうか、俺自身が持ってる言葉なんて何一つなくて、
全部誰かの借り物なんじゃないのかな、
つまり唯一無二の「自分」なんて、どこにもいないんじゃないのかな
と思うほどに衝撃的だった。


思春期って、「自分らしさ」みたいなものをひたすらに追いかけてしまうけど、
誰のコピーでもない、
誰ともつながっていない
そんなじぶんなんてありえない。
俺という人間は、無数の「誰か」の寄せ集めだ。

けれど、
誰も「自分のことば」を所有できないということは、
逆にいうと、
そのことばが誰のものであっても変わらない、
ということだけど、
それはなんか違うなー、と昨日その展覧会に行って思った。
だって、いっぱいことばが展示されてる中でも、
知ってる人のことばは、
明らかに見え方が違ったから。


あらゆる言葉は、
文脈の中に位置付けられて口に出される。
つまり、話し手や場面によって意味が変わる。

例えば、ずっと前に農業系の友達と話してたときに気付いたけど、
「土の中には小さな神様がいっぱいいるんだよ」
ということばは、
マクロビ系の外見をした若者がいうのと、
もはや農業を極めた的な80歳のおじいちゃんが言うのとでは、
印象がぜんぜん違う。

友人は前者のパターンで、新興宗教の勧誘にあったという。(別にマクロビのひと全般を悪く言ってるわけじゃないよ)
でも後者は、あ、このおじいちゃんはきっと、
科学的に説明できる現象を昔なりの比喩で説明してるんだな、
と俺なら思うと思う。


そんなふうに、ことばは、
誰が言ったかというような文脈を抜きに、
意味やニュアンスが定まることはない。

でも、だから、
本来、話し手抜きには存在し得ないはずのことばが、
そのイベントでは並べられていて、
なんか不思議な感じがした。

文脈から自由になったことばは、
途方もなくふわふわしている。
意味はひとつに定まりきらず、
無数の「こうかもしれない」が頭を駆け巡る。


そのことばと向き合っているのか、
ことばの作者と向き合っているのか、
それとも、自分自身と向き合っているのか。
不思議な感じ。

2010年1月17日日曜日

【自分用メモ】Lyx

もう設定することは何もないかと思いきや、
そういえばLyxをインストールしていなかった。

Lyxは、Texをワードみたいな感じで使えるようになる超便利なソフトだ。
慣れると数式をキーボードから打てたり、
作業効率が段違いになる。



しかし、この設定に手こずる。
たぶんMacportsとかFinkを使ってやればこんなめんどくさいことはないんやろうけど、
それにはTexをまた入れ直さないといけない予感がするので、
なんとかLyxの設定を使って動くようにしないといけない。


まずもって、
Lyxを起動して卒論のファイルを開くと、
"jsarticle.cls"が見つかりません、みたいなエラーが出る。
そして、PDF、ps、DVI、どの出力も動かない。

しかし英語のLyxファイルはコンパイルできる。
どうも日本語の設定の問題らしい。

といって、Babelが動いていない訳ではなく、
TexShopで試しにファイルを作って
¥usepackage[japanese]{babel}
と書いてみると、普通にエラーなくTexコンパイルできる。
そういえば、jsarticleもTexShopでは問題なく動くので、
Lyxが何かを認識していないだけみたい。
たぶん。



と思って調べていくと、
TexShopは文字コードがSJISまたはEUC-Jなのに対して、
LyxはUTF-8をメインに使っているみたい。

しかし、たぶんpTexはJIS、SJIS、EUC-Jのみっつにしか対応していないので、
UTF-8ではうまく動かない。
なんかちょっといじれば動く気がするけど。。

とりあえず、Lyxの設定を、
Lyx>環境設定>言語設定>言語の「既定言語」を「日本語」に、
文書>設定>言語の「言語」を「日本語」、「文字コード」を「その他」で「日本語(CJK不使用)(SJIS)」を選ぶ。
そして、書き出しで「Latex(pLatex)」を選んで、生成された○○○.texをTexShopで開く。
という手順を踏めば、ふつうにPDFを生成できるので、
まあこのまま使おうかな。
とりあえず。


やっぱりTexは手強い。



(環境)
OS:Mac OS 10.6.2
ハード:Mac mini(2.53GHz Intel Core2 Duo )

2010年1月15日金曜日

【自分用メモ】gfortran, gnuplot,ImageMagick

メインの言語であるFortranをコンパイルするためのgfortranと、
結果を可視化するためのgnuplot、
そしてその結果をつなぎ合わせてアニメーションにするためのImageMagickをインストールする。


Macには、gccは入っているのにgfortranはない。
なので、公式のgfortranというのはなくて、
野良ビルドのgfortranを入れないといけない。

ぐぐってみると、High Performance Computingというサイトのgfortranと、
統計計算用言語Rをコンパイルするためのgfortranがある。
どっちがいいのかよくわからなくて、
HPCのほうがいっぱい検索結果が出てくるけど、
よくみると「エラーが出た!」とか書いてあるのが多い。

迷ってると切りがないので、おそるおそるHPCのを使ってみると、
ちゃんとまわった。ほっ。


しかし、gnuplotはなぜか知らないけどホームページにつながらなくて、どうしようもない。
また明日ってことかな。
帰って寝よう。


と思ったら、希有な人がMac用にgnuplotのソースをコンパイルして公開しているのを見つけてしまった。
これを使おう。
インストールしたらそのままちゃんとうごく。

~/.bashrcに
export PATH=/Applications/gnuplot.app:/Applications/gnuplot.app/bin:$PATH
と書いたら、コマンドラインからgnuplotを呼び出せるようになった。



そしてImageMagickはというと、
最初からインストールされていた。
やっぱり内部でいろいろ使ってるのかな。




↓そしてこんなのができました。
elastic soil simulation
まあこの計算結果ってぜんぜん間違ってるんやけどね。
見るからに怪しい動きやな笑


ということで、なんと半日で環境構築は終わりました。
すごいな、Mac。なめていた。



さて、明日から研究がんばろう!


(環境)
OS:Mac OS 10.6.2
ハード:Mac mini(2.53GHz Intel Core2 Duo )

【自分用メモ】GIMP,Inkscape,Cyberduck,Aptana Studio

次に、ちょっと脱線して、
グラフィックス系のソフトと、ウェブ系のソフトを入れる。
Photoshopの代わりの、GIMP
Illustratorの代わりの、Inkscape

インストールはまあさくっと問題なく終わる。
問題は、日本語フォントの設定。
kinput2というのの設定がすごくややこしかった記憶があるけど。
むむむ。。。


と思って調べていると、
どうもMacUIMという、Linuxの入力メソッドをMacで動かせる、みたいなのでやるとさくっと設定できるみたいだ。

はじめはいろいろ試してもうまく動かないけど、
ログインし直さないと設定が有効にならないみたいで
何回か再起動してると、いつの間にか動いていた。
X11上ではShift+スペースで日本語と英語が切り替わる。

すごいなー。
進歩というのは目覚ましい。



そして、そういえば知り合いの団体のホームページをつくると約束していたので、そういう用のソフトをもうちょっと入れる。
FTPクライアントのCyberduck
IDEのEclipseAptana Studioをプラグインとして入れる。


これも問題なく終わりそうだったけど、最後Aptana Studioを入れるところでつまづく。
EclipseのInstall new softwareというところでうまくネットにつながらない。

たぶんプロキシの設定が問題なんだろうなーと思ったら案の定。
↓ここを参考に
http://d.hatena.ne.jp/sardine/20090626
プロキシを設定したらうまくいった。




おっ、なんか順調にいってる!

しかし次は、gfortran、そしてgnuplot。
あんまりうまく行くような気はしない。。



(環境)
OS:Mac OS 10.6.2
ハード:Mac mini(2.53GHz Intel Core2 Duo )

【自分用メモ】Tex

私事ですが、
Macに戻りました。
この卒論で忙しい時期に。。

ということで、このブログはしばらく、
Macに関する自分用メモになります。
読みたくない人ごめん。


まずは論文作成に必須(だと思い込まされているだけ)のTex。
MacにはMacTexというものが存在しているのでそれと、
Texを日本語に対応させるpTexを入れる。

とりあえず、
↓主にこのサイトを参考にして、
http://www.geocities.jp/ball_rw/tex/install_snowleopard_new.html
MacTex-2009Drag & Drop Texをインストール。

しかし、TexShopはちゃんと動くものの、
日本語は「???」みたいな感じで文字化けする。

あれっ?と思ったら、
設定をし忘れていることに気付き、
参考サイトに書いてある通りにやると、すっと動く。

そして、
¥documentclass[11pt]{jarticle}
とやるとエラーが出るのはなんでかなーと思ったら、
最近はjarticleは使わずにjsarticleになっていることを思い出し、修正。


さくっとTexが入れられたことに感動した。
俺が大学1年生の頃は、Texの設定に3日くらいかかった。
環境がちゃんと整ってきてるなーと思った。



(環境)
OS:Mac OS 10.6.2
ハード:Mac mini(2.53GHz Intel Core2 Duo )

2010年1月12日火曜日

検索ストーリーをつくってみた。

Googleが宣伝しまくってる「さがそう。」コンテスト。
意外と簡単にできたので、俺もつくってみた。


面白いなー、これ。
もっかいつくろっかな。









説明:
今年こそは、逃げない。

ということを考えていると、いつの間にか来年のことを思っている。



ぐぐってると、こういうときあるよね。
何か確固たる目的があって検索をしていたはずなのに
いつの間にか全然関係ないキーワードに目移りしてたりして、
あっこんなことを調べたかったんじゃない!
ってなる、あの感じを再現してみた。






↑どうこれ?
ひそかに自信作やねんけど笑








追記:
キャンペーン名を「検索ストーリーをつくろう。」って書いてたけど、
「さがそう。」の間違いでした。
申し訳ない。。




あと、ついでに書いておくと、
前に「ピアノの曲」で書いた、地雷を踏んだらサヨウナラ、
川井憲次ではなくて、安川午朗でした。


いろいろ勘違いしてごめんなさい。

2010年1月10日日曜日

ウルトラマーケットに関して。

閉鎖を巡ってもめている小劇場ウルトラマーケットに関して。

公式サイトと、2ちゃんねるのスレッドを見つつ考えてみた。
でもあんま詳しくないので、
そして解釈は俺の個人的な推測なので、
間違ってたら教えてください。



公式サイトによると、
「ウルトラマーケット」は、大阪城ホール西倉庫を改装した小劇場だ。
この騒動は、
10月5日、財団法人大阪城ホールから南河内万歳一座代表の内藤裕敬に書面で退去通告が渡され、
突然の退去通告に内藤たち演劇関係者が反発している、
というものだ。


ウルトラマーケットの経緯を辿ってみると、
はじまりは2002年まで遡る。

扇町ミュージックスクエア、近鉄小劇場の閉鎖が決定し、
新しい劇場が必要とされていた。
しかし、新しい劇場をつくるのは容易ではない。

そこで、既存の劇場の活用も考えて、
演劇プロデューサーの松原利巳(現・芸術創造館副館長)が大阪城ホールを見ていたところ、
大阪城ホール側から使われていない西倉庫の紹介があった。
そして、劇場を使いたいという演劇関係者のニーズと、
西倉庫を有効活用したいという大阪城ホールのニーズが合致して、
南河内万歳一座座長の内藤裕敬を中心に「天下の台所委員会」という組織を結成し、
2003年4月のオープンの準備が始まった。


ここでまずひとつ問題があって、
この時から今まで、賃貸契約が書面で結ばれたことはない。
記者会見では、
「10年は頼むね」と言われて、器材の購入も10年スパンを思って計画してきた、
と内藤は述べているが、それも書面では残っていないので証明はできない。
もちろん賃借料はきちんと支払われてきたけれど、
口約束だけで大阪城ホールの施設を6年間(2004年度〜2009年度)も使ってきたのは、
奇跡だと言える。

逆に言うと、
今回のことは奇跡が終わっただけだ。
騒ぐほどのことじゃない。もっと大阪城ホールに感謝しろよ。
という批判を口にするひとも多い。




そして、オープン目前の2003年3月にもうひとつ問題が発覚する。
西倉庫は、大阪市公園局によって公園として登録されており、
大阪城ホールが自由に使えるスペースではないと判明する。
オープンを延期し、大阪都市協会、ゆとりとみどり振興局、大阪城ホールで協議した結果、
『劇団への助成に限り西倉庫の使用を許可する旨の決定』が出た。

これは、
大阪城ホール側も、アリーナでは興業できない小規模なライブ・コンサートをそこで催す方針で、(http://www.banzai1za.jp/um2009/2002.html)
という希望が難しくなったということだ。
西倉庫は、劇団しか使うことが許されず、
大阪城ホール側にとっては、
「有効利用してくれるのであれば」という貸し出しのインセンティブが弱まったのではないだろうか。

とはいえ、おそらくこの時点では
大阪城ホールが音楽イベントを開催するという望みを捨てたわけではない。
実際、2005年には音楽イベントが開催されている。





オープンした2004年の末、
大阪城ホールが1000万円を出して、出入り口、避難通路などが整備された。
そして2005年から、「ウルトラ春の乱」「ウルトラ秋の乱」という演劇祭がスタートし、
ウルトラマーケットは本格的に始動することになる。
この2005年に、本来許されていないはずの演劇以外の使用があった。
ひとつは、演劇祭の間に大阪城ホールが開いた
音楽イベントOSAKA ROCK CITY “Fly The Flag” (主催:サウンドクリエイター)、
そしてもうひとつは、
演劇祭に参加した大日本プロレスだ。
翌2006年に、大阪城ホール内部からそれを問題視する声が上がり、
大阪城ホールに依頼されて、
南河内万歳一座が大阪市ゆとりとみどり振興局に演劇以外の使用も許可するように交渉に行く。
しかし交渉は失敗し、

大阪市ゆとりとみどり振興局伊東課長に相談するが、2003年の使用決定時に「劇団助成」名目の記載があるとのことで、大日本プロレスは認められず。

これにより、当初、大阪城ホール側が希望したライブ・コンサートなどの使用も不可能となった。(http://www.banzai1za.jp/um2009/2006.html

とある。
(でもこの年の演劇祭の中ではサントリー音楽財団のコンサートをやっている。なんでなんやろう。。)





そしてこの翌年から大阪城ホールは態度を一変させたように見える。
たぶん、
音楽イベントで使いたいという目論みが外れたこと、
西倉庫を貸し出した時から理事が変わったこと、
というふたつが背景にある。

2007年8月に天下の台所委員会が出したウルトラマーケットをより発展させるための要望書に対して、
新任常務理事が「私が独自に調査した結果、後にも先にも、ウルトラマーケットの演劇活用に関し、それを呼びかけ、推進しようとした人物も書面も事実も無い。よって何故、ウルトラマーケットの事業にこれ以上、我々が協力せねばならぬのか」と発言。(http://www.banzai1za.jp/um2009/2007.html
という出来事があった。
まるで手のひらを返したような反応だ。
それから少しやりとりがあった後、
現状維持なら構わない、ということに落ち着く。
お互いにわだかまりを残したまま。




さらに翌年の2008年4月、
ジャニーズのコンサート時に、
ファンがウルトラマーケットを通ってホール内部に侵入しようとして止められる、
という出来事がある。

天下の台所委員会はセキュリティの強化を約束する誓約書を大阪城ホールに提出。
(きちんと文章としてかわされた約束は、おそらくこれひとつだけだろう。)
大阪城ホールにとってもはやウルトラマーケットは、
役に立たないばかりか、害を及ぼす可能性さえ持つのだ。



そして、去年2009年10月の退去通告に至った。

大阪城ホールが挙げた理由はふたつ、
2008年にもめたセキュリティの問題と、
大阪市危機管理室から、
緊急物資の備蓄に西倉庫を使用したいという申し出があったことだという。


でも、理由なんてなんでも良かったんじゃないかな。
厄介払いしたいだけで。




たぶん大阪城ホールは一枚岩ではなくて、
純粋にウルトラマーケットを応援してくれる人もいるけど、
快く思わない人もいる。

だから、書面の契約を結ばなかったんじゃないかな、と思う。
正式にしてしまうとおおごとになるから。

そして、快く思わない人には、
「音楽イベントに使えるから」
と言って説得していたけど結局使えないことがわかって、
快く思わない人はやっぱり快く思わない。



起こるべくして起こった気がする、終末。




どっちが悪いって言うと、
俺は大阪城ホールの態度が好きになれない。
2ちゃんねるでは、内藤を「子どもがダダをこねているみたいだ」と叩く発言が多いけど、
大阪城ホールが、書面になってないからと過去を否定しウルトラマーケットに向き合わないのは、
いい大人が情けない。
よくある、弱者に無神経な強者の姿だ。

でも、悪い悪いと責めても出てくるものは何もない。
ウルトラマーケットが続いても続かなくても、
もうそこが居心地が悪い場所だということは変わらない。
大阪城ホールはもう、良き理解者にはならないだろう。





劇場は単なる催しをするハコではない。
その場所を通じて交流が生まれて、
新しいものとか研ぎすまされたものが育まれる。

つまり、いい場所をつくるためには、
いいコミュニティがなくてはならない。
しかし、悲しいことにコミュニティとは必然的に「内部」と「外部」を作り出すものだ。
それは可視的であれ暗黙的であれ、ある種の排除を伴う。
「内部」のひとからみたらどんなにいい場所でも、
「外部」のひとにとってはそう感じられない。

2ちゃんねるのスレッドには実際に演劇関係者っぽい感じでしゃべってるひともいて、
こんな書き込みがあった。
みんな残念なんだよ。
小劇場が生まれますとか何年か前にカッコイイこと言ってくれてるのを聞いて良かったなと思って、みんなのためになるんだろうなって喜んで、
でも関西小劇場界のほんの一部の劇団しか恩恵を受けられない、使うこともできないって事が分かって落胆して、
気がついたらその劇場が潰れたわけ。
潰れてしかも貸主からセキュリティに難ありって言われてだよ?
そりゃま、小劇場界の共通の財産になりえたものが…、内藤さんて何がしたいのってなるよ。

おれは個人的には、あれは関西に小劇場ができたわけじゃなくて、南河内万歳一座という劇団に自分とこの劇場ができただけなんだよなって理解してるけどね。
うちの劇団とは関係ないし別にどうでもいいかなって。(http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/drama/1247834647
2ちゃんねるではウルトラマーケットの味方をするひとが少ないのが、
はたしてリアルの世界でも同じなのかというとよくわからない。
でもやっぱり、選ばれた人しかウルトラマーケットを使えない(という印象を与えた)のは、
ウルトラマーケットの味方を確実に減らしている。
味方を減らしてでも、場所性を保つためにそれは必要な排除なのだろう。


そして逆に、ウルトラマーケットの排除もまた、
大阪城ホールの場所性を保つには必要なのだ、きっと。
場所性とは、大阪城ホールの場合は「品格」という言葉で置き換えられるかもしれない。
品格を保つために、
それだけのために「ならず者」は排除される。

劇団アグリーダックリングの樋口が、
記者会見でこんなことをいっている。
「市」VS私たち「表現者」になると、どうみても私たちはならず者に見えるわけです、世間から見れば。そういうならず者に、最終的に責任を押し付けることができてしまえる、市なんですよ、きっと、大阪っていうのは。そういうのが、もう本当は、もう通常にあって、これは大阪のウルトラマーケットひとつの問題ではなく、大阪市の文化の問題だと思います。(http://www.banzai1za.jp/um2009/kk3.html

「ならず者」とはつまり、
自分たちの枠の外にいる人間を指して言う言葉だ。
「ならず者」を排除することを残酷というのか、
その冷徹さに磨かれて芸術は輝くのか、
答えは出ない。





はっきりしているのは、
けっきょく、大阪ってそうなのか。
というため息があちこちから漏れ聞こえること。
当事者も第三者も、
関西の人も遠くの人も。
それは声にならない絶望を代弁している。

権力者が、マイナーなアートに携わる人間を「ならず者」と扱う限り、
アーティスト自身が自分たちを「ならず者」と卑下する気持ちがどこかにある限り、
大阪に、アートにとって幸せな時代は訪れない。





でもこんなことを書きながらも、
内藤たちの行動はやっぱり、
「ならず者」がゴネているように俺の目には映ってしまう。

そう見られてしまう彼らの勇敢な行動も、
そう見えてしまう自分の陳腐な目も、
なんだか残念でならない。

もっと芸術のことがわかるようになりたい。

2010年1月9日土曜日

Akai MPD-18

これ買いたい!!




とまあ、この動画はネタだとして笑

MPDというのは、
MPCシリーズという有名なサンプラーがあるんやけど、
そのパッドの部分だけのやつ。
パッドをパソコンにつないで、パソコンの音楽ソフトと連動させて使う。

MPCは最低5万くらいするけど、
なんと一万円以下でMPDシリーズが買えるというのは、
いやはや恐ろしい世の中だ。

Akai MPD-18
http://www.amazon.co.jp/AKAI-MIDI-CONTROL-UNIT-MPD18/dp/B002KFYO82/
http://www.akai-pro.jp/mpd18.php


とはいえ、AbeltonとかなんかそういうDAWソフトが必須だと上のアマゾンのレビューには書いてあって、
気になりすぎる。
やっぱむりかなー。。

まあ、
KORG DS-10もあるし、
新しくMac買ったらGaragebandもあるし、
趣味でちょっとやるくらいにはちょうどいいか。


お金貯めよっと。
まずパソコン買わないと。



追記:
調べれば調べるほどなんか無理な気がしてきた。。
Garagebandはたぶんリサンプリングみたいな機能ないし、
そもそもMPDと連携するのか謎だし、
DS-10の音を使うにも、ソフトサンプラー要るし。

むむむ。。悩むなー。



更に追記:
あ、これくらいならちょっとがんばれば買えるかも!

Ableton Live Intro
http://www.h-resolution.com/ableton/intro.html

まあ何にせよバイトしろって話やんな。。

2010年1月8日金曜日

ピアノの曲

知り合いから、芝居の音響用にピアノメインのインスト曲なんかいいの知らん?と聞かれたので、ちょっと考えてみた。
せっかくなのでブログに載せとこうと思う。
でもこうして思い出してみると、なんか俺が知ってる音楽の幅って狭いなーと思った。世界はもっと広いのに。
あんまピアノじゃないのも混じってるけど、許してな。


Yann Tirsen
Max Richter

加古隆
川井憲次


World's End Girlfriend。



Youtube巡ってたら見つけた。よく知らん。
映画のサントラ。




MONO



あと、インストじゃないやつ:

Moby(原曲はインストじゃない)


Hush Sound(原曲はインストじゃない)


Air - Once Upon A Time

http://www.youtube.com/watch?v=jP6MHX3Nc0I



(追記:著作権侵害の動画は外しました。
気になるバンドは、Myspaceとかで曲を聴いてみてください。)

2010年1月7日木曜日

Macに戻ろうかな

なんかスティーブジョブズの手の中で踊ってるみたいでいやでMacをやめてLinuxにしたけど、
そろそろMacに戻ろうかな。
いやそんな別に戻りたいとかじゃないけどさ、
俺がいなくて寂しいでしょ。
戻ってやろうかな。

という、
家出した中二のようなことを思っている。



というのも、最近のMacのことをあんまり知らなかったけど、
↓この記事を読んで、すごいと思った。特にGCD。

やっぱりスゴい! Snow Leopardの「64bit対応」(Macpeople)
http://ascii.jp/elem/000/000/455/455691/

マルチコア時代の新機軸! Snow LeopardのGCD(Macpeople)
http://ascii.jp/elem/000/000/455/455786/

GPUをフル活用する、Snow Leopardの「OpenCL」(Macpeople)
http://ascii.jp/elem/000/000/456/456973/



というか、すごいと思ったというより
おっ、Appleってこんなことするんや、と思った。

Macってなんか見た目はかっこいいけど、
中身はUNIXのパクリで、
実はバグばっかり。
といううわべばっかりのOSだと思ってたけど、
それは俺がうわべばっかりしか見てないからで、
ちゃんと中身もすごいのか。


64bit化で先を行ってるという話は、
そういえばAppleは、
OS 9からOS Xにがらっと変えるときとか、
CPUをIBMからIntelにしたときとか、
そういう大きな変化を苦労して工夫して乗り越えてきて、
それが今実を結んでいる。

確かにMacは急躍進したけど、
ぽっと出てきたわけじゃない。
ジョブズだけのおかげでこんな有名になったわけじゃない。
ちゃんとこれまでの積み重ねがあるから今がある。


そして、Appleは確実に変わってきている。

オープンソースのいいとこは取るけどほとんど貢献はしない、
という批判を浴びてたけど、
GCDとかOpenCLはオープン化されている。

こんなこと今までなかったよね。
オープンな、未来。


ガツガツしていたジョブズ時代は、
もうそろそろ終わりかけている気がする。
急成長もそろそろ終わりだろう。

キラキラ輝く新製品を出して消費を煽る、みたいな、
そういうのはもうそろそろいいんじゃない。
と、ユーザーも、Apple側も思っている。と信じたい。

2010年1月6日水曜日

メロトロン

やっぱり橋本和昌か!
初めてCMを観たときからそうじゃないかと思ってたけど。


Norton TVCM「No ストレス, No ウィルス, Norton」
http://www.symantec.com/ja/jp/norton/theme.jsp?themeid=security-2010tvcm


トウキョウソナタで初めて存在を知って、
それ以来けっこう好き。
だんだん有名になってきたのかな。


ワンフレーズ聞けばそれとわかる。
のは、メロディもあるけど、
音の選び方に個性が出てるからなんやろうか。
なんかどっかレトロな感じが好き。

橋本和昌がこのCMで弾いている楽器は「メロトロン」というらしい。
響きがいいよね。

メロトロン。

とろけてしまいそうな感じ。


↓他の曲も聴いてみたい人は、Myspaceで。
http://www.myspace.com/kazumasahashimoto

2010年1月5日火曜日

Days Japanは存続するらしい。

Days Japan存続キャンペーンのことを前に書いたけど、
どうやら12月半ばで最低限の目標、新規講読者500人はクリアしたみたい。

↓公式ブログ、12月23日の記事
http://daysjapanblog.seesaa.net/article/136397708.html


すごいなー、口コミの力。
存続キャンペーンはこのまま3月まで延長して、
安定してDays Japanを運営できる1500人をめざすらしい。

俺も購読しようかな。
(こればっかり笑)