2010年1月22日金曜日

生きかたに響くことば

家探しのため関東にいます。
でも予約時間までヒマなのでブログを書こう。久しぶりに。


昨日、友人が所属するNPOが、
「生きかたに響くことば〜U25の原動力〜」
というイベントを開催していたのに行ってきた。
25歳以下のひとから寄せられた、自分の人生や価値観に影響を与えたことばが整然と展示されていた。

ちなみに、俺もひとつ出していて、

「それは、本当にお前のことばか?」

というのが、俺の生きかたに響いたことばだ。


これは、
「詩のボクシング」高校生大会の初代優勝者・草なぎ健太さんが、
準決勝くらいの詩の中で言ったことば。


もうあんまり覚えてないけど、
調べてみるとこの大会は2004年の夏あったらしく、
ということは俺は高二だった。


当時の俺は、
どこまで本気だったかは思い出せないけど、
何を思ったか詩人になろうとしていて(笑)、
そのために俺は「自分のことば」を見つけることに必死だった。
ノートに詩を書きなぐったり、
谷川俊太郎の詩を読みあさったりしていた。


そんなときに、
BSで「詩のボクシング」高校生大会が放送されついた。
そこに出場していたひとりの草なぎさんは、
オタクっぽい感じの男子高校生で
サングラスをかけて怪しい感じをプンプンさせながら
リングに立っていた。

ああ、これは出オチやな、と思った次の瞬間、
彼は言葉に関する詩を読み始める。

たぶんこんな感じのやつ。


ことばひとつで生徒は先生に怒られ、
ことばひとつで政治家は職を失い、
ことばひとつで人は死に
‥(中略)

だから、俺はひとつここでお前に問わなければならない。

それは、
本当に、お前のことばか。


それはなんかすごく衝撃的な問いかけで、
俺は「自分のことば」を探していたけど、
あらゆることばは誰かのコピーで、
そうか、俺自身が持ってる言葉なんて何一つなくて、
全部誰かの借り物なんじゃないのかな、
つまり唯一無二の「自分」なんて、どこにもいないんじゃないのかな
と思うほどに衝撃的だった。


思春期って、「自分らしさ」みたいなものをひたすらに追いかけてしまうけど、
誰のコピーでもない、
誰ともつながっていない
そんなじぶんなんてありえない。
俺という人間は、無数の「誰か」の寄せ集めだ。

けれど、
誰も「自分のことば」を所有できないということは、
逆にいうと、
そのことばが誰のものであっても変わらない、
ということだけど、
それはなんか違うなー、と昨日その展覧会に行って思った。
だって、いっぱいことばが展示されてる中でも、
知ってる人のことばは、
明らかに見え方が違ったから。


あらゆる言葉は、
文脈の中に位置付けられて口に出される。
つまり、話し手や場面によって意味が変わる。

例えば、ずっと前に農業系の友達と話してたときに気付いたけど、
「土の中には小さな神様がいっぱいいるんだよ」
ということばは、
マクロビ系の外見をした若者がいうのと、
もはや農業を極めた的な80歳のおじいちゃんが言うのとでは、
印象がぜんぜん違う。

友人は前者のパターンで、新興宗教の勧誘にあったという。(別にマクロビのひと全般を悪く言ってるわけじゃないよ)
でも後者は、あ、このおじいちゃんはきっと、
科学的に説明できる現象を昔なりの比喩で説明してるんだな、
と俺なら思うと思う。


そんなふうに、ことばは、
誰が言ったかというような文脈を抜きに、
意味やニュアンスが定まることはない。

でも、だから、
本来、話し手抜きには存在し得ないはずのことばが、
そのイベントでは並べられていて、
なんか不思議な感じがした。

文脈から自由になったことばは、
途方もなくふわふわしている。
意味はひとつに定まりきらず、
無数の「こうかもしれない」が頭を駆け巡る。


そのことばと向き合っているのか、
ことばの作者と向き合っているのか、
それとも、自分自身と向き合っているのか。
不思議な感じ。

2 件のコメント:

riyo さんのコメント...

本をだしてください。

yung さんのコメント...

じゃあ会社でそういう新規事業を企画してくれ笑