2009年6月30日火曜日

怖いこと

最近、とてもプレッシャーを感じている。


その理由は2つあって、
ひとつは水都大阪のボランティアスタッフをすること、
もうひとつはCWWFフォローアップのファシリテータをすること。

どっちもそのうち詳しくブログに書くけど、
特にひとつめにとてもプレッシャーを感じる。


おとついが水都大阪のサポーター(ボランティアスタッフみたいなもの)説明会だった。
ボランティアというと、
大阪のおばちゃんおっちゃん、そしてヒマを持て余した大学生の男女がバランスよくいると思ってたらどっこい、
俺が所属していたチームの9割くらいは、芸大とかの女の子だった。

ていうか、説明会は2回に分けてやるからたぶん、大体半分くらいのひとがそこにいたはずだけど、男は2人だけで、しかも俺じゃない方の男の人は、大学生とかじゃなくてバイトをしながら創作活動をしているかなり本気の人。


えっ。

と軽いパニックに襲われた。
この中で、アートとかあんまり分かってないむさい男は俺だけなんじゃないだろうか、みたいな、
自意識過剰。


こういう場面はかなり久しぶりだ。
みんなができて、俺だけできない。
明らかに自分が最底辺にいる感覚。


でもたぶん、俺はずっとこういう場面を求めていたのかな。
と、ふと気付いた。

サークルを引退したくなった理由は、
不安で逃げ出したくなるような、
でも期待で心躍るような、
そういう気持ちが消えたからだ。きっと。


怖いけれど楽しい。
楽しいけれど怖い。


明日は水都大阪の関係で交野市の小学校に行ってきます。
子どもが怖い。
アートも怖い。
まんじゅう怖い。


何を言ってるのかよくわからない。
明日早いのでそろそろ寝よっかな。
水都大阪について、詳しくはまた書きます!

6月26日は拷問の日

1987年6月26日、拷問等禁止条約が発効した。
それを記念して、6月26日は"International Day Against Torture"になったらしい。


拷問にもいろいろあるけど、相手に不快に思うような音色や音量の音楽を聞かせる、という方法がある。
前にこのブログでも書いたけど(拷問のような音楽、音楽の拷問)、
Zero dBを中心に、そういう「音楽の拷問」への抗議行動が始まっていたらしい。

多くのアーティストや市民が、写真やビデオで沈黙の抗議をしている。

音楽の拷問の歴史は、1978年にイギリスがアイルランドに対して爆音を使用したというのが初めてのケースだった。
以来、音楽は拷問で使われ続けてきた。

分かっているだけでも、これだけの音楽が拷問に使われている。



正直なところ、この動きがどうなのか俺は判断に困る。

音楽の拷問はやってはいけないこと。
それははっきりしている。
このやり方は、拷問を受けるものだけでなくて
ミュージシャンの誇りをも穢す。

でもたぶん、
なんで音楽の拷問にだけフォーカスするのか。普通の拷問はいいの?
みたいな批判も出てくるだろう。

もうちょっとゆっくり考えたいと思う。


↓もっと詳しくは、以下のブログに解説されている。Zero dBのサイトの全訳もある。
[today's news from UK+]音楽の拷問への利用に抗議を。音のない抗議を。

黒ごまチーズタルトのレシピ

土日はリフレッシュ期間にしようと思って、
実家に帰ってお菓子を焼いた。

母親にアドバイスをもらいながら
俺がつくって、
弟と父親がケチをつける。
そこまで仲良し家族じゃないけど、
ありがちな家族の風景。


で、結局チーズタルトはなんか思ってた味と違ったので、
後学のためにレシピを残しておきます。


改善点:
・生地が分厚い
・フィリングの量が足りない
・生地は、もうちょっと砂糖減らした方が良いかも
・生地は、バター減らして牛乳とか入れた方が良いかも

材料:
【タルト生地】
薄力粉 430gくらい?
砂糖(てんさい糖) 110g
無塩バター(雪印) 200g
生クリーム(タカナシ、47%) 30g
塩 ひとつまみ

【フィリング】
クリームチーズ(フィラデルフィア) 250g
いりごま 一袋(80gくらい?)
砂糖(てんさい糖) 130gくらい?
生クリーム(タカナシ、47%) 160ml
薄力粉 20g

手順:
0) 準備として、クリームチーズは常温に戻すように冷蔵庫から出す。粉は振るっておく(ビニール袋の中で振る方法でもいい)。黒ごまは、ちょっとペースト状になるくらいまですりつぶしておく。
【タルト生地】
1)バターを混ぜてクリーム状にする。
2) そこに砂糖・塩を入れて混ぜる。
3) 振るっておいた小麦粉を少しずつ入れて混ぜる。練りすぎないように切るように混ぜる。
4) でもあんまりまとまらなかったので、生クリームを少量入れた。(たぶんほんとは1の時点で入れといた方が良いと思う)
5) 冷蔵庫で30分以上寝かせる。
6) 2つに分けて、麺棒で円形に伸ばす。
7) タルト型にバターを塗って小麦粉を振り、伸ばした生地を敷き詰める。
8) フォークで空気穴をまんべんなくあけて、170℃で15分焼く。焼いた後に冷えるまで待つが、その間にフィリングをつくる。

【フィリング】
9) クリームチーズを混ぜて、砂糖を入れる。砂糖が溶けるまで混ぜる。
10) 生クリームを入れて混ぜる。
11) 黒ごまを入れて混ぜる。
12) 薄力粉を入れる。

13) タルト生地にフィリングを敷き詰めて、170℃35分で焼く。

後ろ髪

代表をしていたサークルに口を出したくなってしまう。


出かけるとき、
扉を閉めて少し歩いたあと、
閉めたはずだけど、ほんとに閉めたっけ?
みたいに不安になって戻る、あの感覚。

たぶんそういう感じなんだと思う。ほんとは。
サークルの子のことを心配してるとか、そんな風に思いたいだけで。
もう、この子は親離れできないわね。ってぼやいてる親の方が子離れできてないだけ、みたいな。


でも、自分ではやっぱりよくわからない。


井上雄彦の漫画、「リアル」の中で、
主人公の一人が、バイクの後ろに乗せてて事故ったせいで下半身不随になった女のところに見舞いに行く、みたいなシーンがある。
必死に病院を探してやっと見つけた主人公にその女の主治医は、
「会って何になる。自分が楽になりたいだけなんだろう」
と言い捨てる。


おしなべて言ってしまえば人生なんてそんなもんで、
自分が楽になりたいから生きている。
そういう事実を突きつけられるのはつらいようで、
実は楽なのかもしれない。

自分が良いのか悪いのかとか、
必要とされているのかされていないのかとか、
他人が決めることを、
自分が想像しないといけないのは、つらい。
頭がぐるぐるする。堂々巡りになって。


誰かに指図されて生きていくのはとても楽だ。
でもその誘惑に負けずに
頭の中で色んな考えが渦巻いたまま生きていきたい。


ということで、サークルにどう関わるかは、しばらく(ひょっとすると一生?笑)悩みます。
あたまぐるぐる。

2009年6月26日金曜日

ひとりになる。

研究計画書を提出して、ほっとひといき。
サークルを辞めて、初めてがんばった気がする。

一息つくと昔のことを思い出したりする。
「ひとりになる勇気を持ってください」
と、去年の夏言った言葉をふと思い出した。

(以下、ちょっと思い出を美化して書いてるかも…。半信半疑で読んでください。)

夏には苦い思い出が多い。
去年の夏、某環境系団体の合宿イベントで俺はスタッフをしていた。

その団体はでっかくて歴史もあって、そして硬直化していて。
俺はその団体の国際チームに所属してたけど、みんなで話し合うフリしてでも結局リーダーがやりたいことをやるのが好きじゃなかった。
大嫌いだった。
合宿イベントなんて絶対に行かない。と一度は心に誓ったのに。


けれど俺は、うっかりそのチームの新歓を手伝った。
そのチームにいた仲間まで嫌いだったわけではなかったから、手伝った。
手伝ってしまった。

そのせいで、何も知らない新入生が入って、仕事を押しつけられて苦しんでいる。
一番やる気があった子は、代表に仕立て上げられて、その重荷に堪えられず音信不通になった。
ひとり、ひとりと辞めていき、逃げ遅れた人が残された仕事に忙殺される。

わかっていたはずなのに。
こうなると薄々気付いていたのに、
なぜ俺は新歓を手伝ってしまったのだろう。
今でもときどき後悔に襲われる。


俺は、合宿に行った。
責任を取るために。
もう戻らないと決めていたそのチームの一員として。

そのチームで全日いるのは、俺と新入生ひとりだけだった。
俺は毎日がすごくつらくて、
夜は誰かとしゃべってないと不安でたまらず、
朝起きると逃げ出したい気持ちに駆られる。
でも海外のひとの応対のために、日本標準以上の笑顔をつくらないといけない。
日本標準以上の心の陰鬱さを隠しながら。

それでも、新入生の子がつらくても黙々と仕事をしているのを見ると、
あ、俺はこの子を助けに来たんだ。と思い出す。
助けになっていたのか、
助けられていただけなのか、
俺にはわからない。
その子の涙を流させないためにここにいる、という大義名分で
かろうじて俺は支えられていた。


でも、何日目かの晩のことだった。
夜のミーティングで、リーダーと俺と新入生がいた。
もう何を話してたか覚えてないけど、たぶんリーダーが、負担をかけてごめんね、みたいなことを言っていたんだと思う。
するとその子は、僕のことはいいんですけど。と言って言葉に詰まる。
少しの間があった後、手で目を押さえながら、
辞めていった友達のことはちゃんと申し訳ないと思ってください。と言葉を足した。


涙声で。


あっ、と思った。

俺はこの子に涙を流させないためにここにいるはずで、
なのにこの子は涙を流していて。
涙の理由はわからない。
友達への同情か、リーダーへの怒りか、仕事のつらさか、
わからないけれど、
俺の中で、何かがぷちっとちぎれた。
緊張の糸とか、そういう系の。

悔しさで視界が滲む。
もっと直接的に言うと、俺も泣いた。
結局、また俺は責任を果たせなかった。
それがとても悔しくて。
10分くらいずっとうずくまって泣いてた。
人前で泣いたのは、たぶん小学校以来だ。


泣いたらなんだかからっぽになって、
あんまり考えずに仕事をこなせた。
なんだかわからないままに最終日になって、
楽しかった(人によってはつらかった)合宿も終わる。
集まった200人は別れを惜しむ。
この合宿イベントで、みんな仲間を見つけてモチベーションを上げて帰っていく。
でも、ここで上がってるモチベーションは帰ったらすぐ下がる。というパターンが多い。
俺はなんかそういうのが嫌だった。


最後、舞台にマイクがおいてあって、誰がしゃべってもいいという時間。
からっぽの体を動かしてマイクを手に取る。
200人の聴衆にびびりながら俺は、
「ひとりになる勇気を持ってください」
とおそるおそる言った。

どんなに仲間がいても、
例えばこの合宿から帰ったら、
あるいはサークルのミーティングから帰ったら、
自分の部屋に入ればもうひとりぼっち。
何かを成し遂げようと思うとき、ひとりになる時間が必ずある。

でもひとりと孤独は違う。
仲間がいるから、ひとりになれる。
そういう勇気が、
同じ空の下で、お互いにひとりでもがんばるんだという
仲間を信じる強さが、
あってほしいと俺は願う。



しかしその言葉は、
200人に言っているつもりで、
実は俺自身に言っていたのかもしれない。

ひとりで苦しんでるフリをして、
そのくせその子を当てにする。

ひとりになることも、
仲間がいることも、
都合のいい言い訳にして
現実と向き合わない。

そんなの、ダメだ。



だから俺は、何かあるたび
自分はいい意味でひとりになれているのか確認する。
そしてそのたび、
孤独に、仲間に、ただ甘えているだけだと気付かされる。

椎名林檎の「罪と罰」という曲に「小部屋が孤独を甘やかす」という歌詞があるけれど、
孤独は、甘やかされるのによく似ている。


今回の研究計画書だってぜんぜんダメだけど、
でもちょっとはひとりでがんばれた気がする。
研究計画書はひとりの闘いだけれど、
いろんな人が助けてくれて、
仲間のありがたみを感じられた。

そんな風に思えるのはなんだか初めてで、
サークルやめて良かったな、と思ったりした(笑)

2009年6月25日木曜日

研究計画書(明日提出します!)

いろいろコメントをくださった方、
特に、厳しい意見を言ってくれた方、
ありがとうございます。
おかげで、ぼやっとしていた研究計画が少し輪郭を帯びてきたような気がしてます。
まだまだ全然だけど。

そして、ごめんなさい。
正直、もらった貴重な意見をぜんぜん処理しきれていない感があるんですが、もう明日郵送します。
下に載せたのをちょっと修正したのが完成版になると思います。


でも、明日以降もずっと意見は募集中です!!
研究計画書には反映できませんが、もし俺が首尾よく院に受かったらこういう研究をしていくわけなので。
今後もよろしくお願いします◎



 本研究では、タイのバンコク周辺において、遊水地の土地利用規制がどのようにマネジメントされているかに焦点を当てる。

1 背景
 洪水災害は (1) 洪水の強度(流量、水位など)、(2)治水施設の能力(貯水容量、流下量など)、(3) 被害ポテンシャル(人口密度、建造物など)の 3 要素が絡み合った社会現象である [1]。近年、洪水の被害増大の原因として気候変動が挙げられることが多いが、実際には、都市化が進んで災害危険地域にまで人口・構造物が増大してきたことも大きな原因の一つである。被害の最小化のためには、土地利用の規制・誘導によって被害ポテンシャルの増大を抑える必要があるが、そのような治水政策を取り入れている国はまだ少ない。
 その中でもタイは、土地のゾーニングに「遊水地」という区分を設けて土地利用規制を試みている数少ない国である。モンスーン気候にあって洪水が頻発するタイでは、遊水地による洪水の被害抑制は一定の成果を収めているが、都市化の圧力に曝され規制の継続が困難になっている地域もある [2]。

2 目的
 遊水地を活用した治水政策は、欧米にいくつか事例がみられる。しかしアジアにおいては、遊水地の文化は広く存在しながら、治水政策に遊水地を活かしている実例は日本や中国、タイなど数える程である。そのため、アジアでの遊水地に関する研究はとても少なく、中でもその管理について論じたものは管見ではほとんど見当たらない。一般に、人口集中が進む都市周辺において土地を使用しないままに維持するのは困難と考えられる。土地利用規制を活かした治水政策の是非を検討するためには、そうした実務面で生じる隘路を特定・分析する必要がある。
 本研究は、タイのバンコク周辺における遊水地管理の実態を明らかにし、その展望を考察することを目的とする。この研究成果は、モンスーンアジアに適した治水政策モデルの構築に寄与するものと期待される。

3 内容
 土地利用が規制されていても、ガバナンスが不十分であれば土地は使用されてしまう可能性がある。具体的には、(a) スクオッターによる占拠、(b) 土地所有者による違法開発、(c) 行政による不適切な規制解除、といった形態が考えられる。これは治水政策の本旨を損なうものであるし、なにより土地使用者自身にとっての不利益につながる。
 以上の問題意識を念頭に置きつつ、タイの遊水地管理の現状に関して以下の研究を行う。
• フィールドワークによる遊水地の使用・管理実態調査
• 関連する組織体制、法律の研究
• 住民参加、ガバナンスの度合いの測定

 タイの土地や治水に関する文化も考慮に入れつつ、上述の (a)(b)(c) や周辺住民などの様々なステークホルダーが遊水地の管理にどのような影響を及ぼし合っているかを明らかにしたい。

参考文献
[1] 砂田憲吾ほか「アジアの流域水問題」技報堂出版 2008
[2] 吉川勝秀「流域都市論」鹿島出版会 2008
[3] UN World Water Assessment Program, ”National Water Development Report: Thailand”2007

ブロガーの責任

FTC、製品レビューを書くブロガーへの規制実施へ--米報道(ZDNet)
http://japan.zdnet.com/news/internet/story/0,2000056185,20395447,00.htm


ついに来た。


「製品レビュー」というとずいぶんやわらかい言い方だ。
問題になっているのは、
報酬を渡してブログに製品のレビューを書いてもらうという
ブログの信頼性を利用(悪用?)したマーケティング手法のこと。

普通にブログを読んでて、
「うわあ、この製品すげー!」と書いてあったとき、
それが、お金をもらったサクラだなんて普通は考えないだろう。
あ、すごいんだ。と、ころっと騙される。
うっかりその商品を買ってしまうかもしれない。

詳しくは、口コミと広告の差はどこにある?も読んでほしい。


その宣伝手法が、ようやく取り締まられる。
ブロガーの大半は、ジャーナリストが歴史的に従ってきた倫理的なガイドラインには縛られていない。そのため、こうしたブロガーに無償で製品を提供する行為について報道されるようになって、もうかなりの期間がたつ。例を挙げると、Microsoftが数年前に「Windows Vista」が搭載されたAcerのノートPCを数十名のブロガーに無償で提供したが、これにはずいぶん悪評が広がった。


インターネットを通じて個人が簡単に情報を発信できるようになって、
個人はとても強くなった。
たぶん昔なら、ノートPCを無償で配って「友達にすごいって言いふらしてね」
と言ったところで、そんなに問題にはならなかったかもしれない。
でも、もうそんな時代じゃない。
誰もが情報を発信できる力を持ち始めた。

力には、責任が伴う。
最近、ブログとか掲示板への書き込みが原因で所属する組織(会社とか学校とか)に処罰されることが増えている。
それが良いのか悪いのかは分からないけれど、
個人が持つ力の濫用に眉をひそめる人は増えてきている。

そのうち、自由にブログを書くことができなくなる時代が来るだろう。
できるなら自由を制限するものは、
法律ではなくて、ブログ書き自身の倫理とか文化であってほしい。


俺たちブログ書きは自覚しないといけない。
情報を発信しているのだという責任と、
誰かが俺たちを利用しようとしているかもしれないという危機感を。

2009年6月22日月曜日

「ボランティア」と「奉仕活動」

昨日、お世話になっているNPOの総会でスタッフをした。
といって、書籍販売の番をしてただけだけれど。

そこで初老のひとに話しかけられた。
典型的な話が長いおじいちゃんで、俺はちょっとうんざりしながら話し相手になってあげる。
どういう流れか忘れたけれど、おじいちゃんは、
「俺はボランティアって言葉、嫌いなんや。奉仕ならいいけど」
と言った。

俺は、あーなるほど、老人にありがちなカタカナ恐怖症か。
もー、現代社会についてきてよね。日進月歩なんだよね、日本語は。
みたいな風に思ったけど、
よくよく聞くとどうも違うらしい。

おじいちゃんは、
ボランティアは、相手のためだけじゃなくて自分のためでもあるが、
奉仕活動は、純粋に相手のためだけに行う善行だ。と定義する。

それはぴったり俺の理解と一致する。
では一致しないのは何なのか。
それは、価値観だ。


おじいちゃんが「ボランティア」という言葉を嫌うのは、
「ボランティア」は自分のためにやっているから、
相手のためにならない活動でも、「俺っていいことしてる」みたいな感じで正当化されてしまう危険を孕んでいるかららしい。
他方、「奉仕」は見返りを求めないものだから、そんなことはない。だから「奉仕」という言葉を使って、見返りを期待するよこしまな気持ちを戒めるべきだ。
みたいなことを主張していた。

それはまあ一理ある。

一方で、俺が、そしてたぶん俺ら世代が「ボランティア」という言葉を好むのは、誰かのために何かをするという活動は、必ず自己実現とか成長とかの見返りを伴っていて、
むしろその見返りを、
偽善とか欺瞞に陥る危険性が常に潜んでいることを、
心に留めておくことが必要不可欠だ。
みたいな思想が背景にある。

俺たちは逆に「奉仕」という言葉が怖い。
その響きは、何か得たいという欲望を隠してしまう。
欲望をコントロールするためには、
目の届くところに欲望を置いておかないといけないのではないだろうか。


誰かのためだけにやっている、と主張することはもはやタブーになっている。
「ホーシって気持ち悪いよね。えっ? 宗教?」
みたいな警戒感。

例えばの話、環境系のボランティア活動をしている学生を「すごいね」とかって誉めると
「地球のためですから」とか
「私たちの子どもの未来のためだわ」みたいな答えは返ってこない。
代わりに少しはにかんで、
「いや、ただ楽しいからやってるだけなんで」という風に反応する。


おじいちゃんと俺、どっちの理解が間違ってるとか、そういうことはない。
どっちの考え方も大事で、ただし違うという事実を直視しないといけない。
しかし、それを必死に説明したけど伝わらなかった。


価値観の壁。
それはとても厚い。

2009年6月21日日曜日

研究計画書(6/20修正)

さらに書き直してみました。



本研究では、バンコク周辺において、遊水地の土
地利用規制がどのようにマネジメントされているか
に焦点を当てる。

1 背景
洪水災害は (1) 洪水の強度(流量、水位など)、(2)
治水施設の能力(貯水容量、流下量など)、(3) 被害
ポテンシャル(人口密度、建造物など)の 3 要素が
絡み合った社会現象である [1]。近年、気候変動な
どによると考えられる洪水強度の増大や、(3) を低
下させることによる減災効果が実証されてきたこと
を背景として、遊水地政策をはじめとした非構造物
対策に注目が集まってきている。しかしながらその
プラクティスは、特にアジアではまだ少ない。
その中でもタイは、土地のゾーニングに「遊水地」
という区分を設けて土地利用規制を試みている数少
ない国である。モンスーン気候にあって洪水が頻発
するタイで、遊水地による洪水の被害抑制は一定程
度の成功を収めているとされている [2]。

2 概要
上述のようにタイは遊水地確保のための土地利用
規制を行っているが、現実には、人口集中が進む都
市において、土地を使われないままに維持するのは
困難を伴うと考えられる。たとえ法律で規制されて
いても、ガバナンスが不十分であれば使用されてし
まう可能性がある。具体的には (1) スクオッターに
よる違法占拠、(2) デベロッパーによる違法開発、
(3) 土地利用規制の不適切な解除、といった形態が
考えられる。これは治水政策の本旨を損なうもので
あるし、なによりその土地を使用する者自身にとっ
ての不利益につながる。
以上の問題意識を念頭に置きつつ、タイの遊水地
管理の実態に関して主に以下の観点から分析を試み
たい。
• フィールドワークによる遊水地の現地調査
(不法占拠、他の利用形態への転用など)
• 遊水地管理に関する組織体制や法制度の研究
• ガバナンス、住民参加の度合いの測定
• 土地、治水に関する文化の研究

3 目的・意義
遊水地を活用した治水政策は、ヨーロッパを中心
に発展してきた。アジアにも遊水地文化は広くみら
れるが、遊水地を政策として採用している実例は日
本の利根川流域など数える程しかない。従って、遊
水地の活用に注目が集まっているにも関わらず、そ
の管理の実態に関する知見や研究は少ない。この状
況の中で、タイの土地利用規制による治水政策から
学ぶべきものは多いと思われる。
本研究は、タイの治水政策の重要な要素である土
地利用規制を取り上げ、その先進性と課題を明らか
にすることを目的とする。また、遊水地政策にとっ
て重要な要素や観点を考察することも目指してい
る。本研究の成果は、他地域との比較分析を通じ
て、モンスーンアジアに適した治水政策モデルの構
築に寄与するものと期待される。

参考文献
[1] 吉川勝秀「河川流域環境学」技報堂出版 2005
[2] 砂田憲吾ほか「アジアの流域水問題」技報堂出
版 2008
[3] UN World Water Assessment Program, ”Na-
tional Water Development Report: Thailand”
2007

2009年6月20日土曜日

【本】ミカン山から省農薬だより

石田紀郎「ミカン山から省農薬だより」北斗出版 1988


部屋を片付けているとふと本が出てきた。
友達のサークルでミカン山の調査の手伝いをしたときにもらった本だ。
カザフスタンに行くときにお世話になった先生が執筆している。
そういえばぜんぜん読んでなかったなと思って、せっかくなのでページを開いた。


「京大農薬ゼミ」というイカツい名前のそのサークルは、20年以上も和歌山のミカン山で省農薬ミカンの調査を続けている。
その活動がなぜ始まったのかは、今から40年以上も昔にさかのぼる。


1967年7月14日、1人の少年が死んだ。


彼は農芸高校に通うミカン農家の子どもで、
夏の農業実習の前に農薬散布のことを教えておこうと思った両親は、
彼にニッソールという農薬の散布を体験させる。
ニッソールは、効果がとても高いかわりに毒性も高いフッソールという農薬を改良し、効果はそのままにして毒性は低くした農薬だった。

「10リットル浴びても大丈夫です」と声高に宣伝されたニッソールはしかし、
きちんとカッパを着て手袋をして散布したにもかかわらず、
わずかに露出していた皮膚から彼の体を蝕む。
彼は中毒で倒れ、ひきつけとれいれんに苦しんだ。
両親はただ、発作を起こすたびに彼の体を抱いて抑えることしかできなかった。
特効薬はなく、彼は苦しみ続け3日後に息を引き取った。17歳だった。


いったい誰が彼を殺したのか。


2年後、両親はニッソールの製造販売会社と国を相手に裁判を起こした。
といって文章にするとさらっと書けるけれど、そんなことはない。
都会からは「農民は金もうけのために毒と知りつつ農薬をまいたのだから自業自得だ」と罵られ、農村からは「お上にたてつくようなことはやめておけ」と釘を刺される。

そもそも農薬中毒そのものが隠蔽されてきた。
農薬で死んだのではなくて、
自業自得で死んだのだと、
人の死が隠されてきた。

そういう社会状況の中で、この決断がいかに重いものだったか、
俺たちには想像できない。


地方裁での裁判は8年続き、果たして両親は敗訴した。完全敗訴だった。
けれど彼らをとりまく環境は少し変化していた。
初めは冷たい目で彼らを観ていた農村の仲間も、都市の消費者も、少しづつ理解を示し始めた。

高裁に移って更に7年。裁判官は和解を勧告した。
両親は和解を受け入れる。納得してかどうかはわからない。
17歳だった彼が死んでから17年。たった2人の農家が闘い続けるには長過ぎる年月だった。


しかしそれでも、
誰が彼を殺したのか。
という問いに明確な答えは見つからない。

農薬を売った会社が殺したのか、
販売を許可した国が殺したのか、
農薬を使った農家が殺したのか、
それとも、農薬を使わなくてはつくれない「きれいな」作物を要求する、消費者が殺したのか。

たぶん誰に責任を押し付けたところで、虚しい。
兼業で農業に時間を割けない中で、
事実として農薬を使わなければ売れる作物はつくれなくて、
つまり、事実として農家は農薬を浴び続けている。
だから農薬はダメなんだ。なんて、その人の生活を知らない他人が身勝手に言えることではない。


省農薬ミカン園の試みは、まだ裁判が行われている1972年に、父親の弟が新しく開くミカン農園で始められた。
実際、農薬を可能な限り省いたミカン栽培は可能なのか。
以来30年ほど、その挑戦は続いている。

ここまで書いて疲れたので、あとは農薬ゼミを見てね(笑)

2009年6月19日金曜日

Twitterとイランのいざこざ

片付けているはずなのに、
片付ける前よりも
片付いてない気がする。

これはなんかあれだよね、
治りかけがかゆい的な。
つまり俺の部屋は今かさぶた的な。

あーやだやだ。
考えるだけでもかゆい。
かゆいのはいやだ。
と思って現実逃避にブログを書いてみます。



米国務省、Twitterへのメンテナンス変更要請に関して見解を表明
http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000056023,20395210,00.htm

16日の夜に、Twitterのメンテナンスが予定されてたけど、アメリカ政府の意向で延期になった。
なぜかというと、イランの選挙後のどたばたがあるかららしい。
イランはいま国内外の記者に対して報道管制を敷いていて、情報の発信が極端に少ない。
だから、TwitterとかFacebookとかのソーシャルメディアからの情報が重要になるからだそうだ。


新聞とかテレビが規制されてる時でも自由に報道できる、
やっぱりネットのパワーはすごいよね。

というのがポジティブな捉え方なのだろうけれど、
俺はちょっとやな感じがした。
なんかやだ。かゆい感じがする。


アメリカ国務省がネットを情報収集に利用するということは、
その逆にアメリカがネットの情報発信を遮断することもあるわけだ。


ネット上は個人の世界だ。
ブログでTwitterで情報を発信する個人メディアは、
自由なように見えて、意外と脆弱な気がした。

オールドメディアは、発信する人は少ないけれど、伝達する媒体はいろいろ(新聞、テレビ、口コミとか)あった。
一方でネット上のメディアは、発信する人は多くても情報が伝わるルートがインターネットしかない。
そしてみんながインターネットしか使わないことで、他のメディアは衰退していく。
でも、インターネットという公共インフラを使っている以上は、自由を謳歌しているようで国の手のひらの上で踊っているだけ、ということもある。
例えば中国みたいに。


確かにネットは自由だ。
Twitterの自由さはすばらしい。
でも、それは誰かに与えられたからすばらしいんじゃない。
俺たちはもっと、自由を勝ち取ることに真剣でないといけない。
でないと自由はやせ細る。

2009年6月18日木曜日

múmが来日する

9月にmúmが来日する。
いいなー。川崎まで行きたいなー。


でも、今年こそは夏フェスに行こう!と思いつつ、けっきょく行けない予感がする。。
音楽フェスに行ったことない俺ですが、
卒業旅行にはSXSWに行きたいんです。
そのうちちゃんと調べてブログに載せよっかな。
誰かいっしょに行かない?



“TAICOCLUB’09 KAWASAKI”
http://taicoclub.com/?p=323

TAICOCLUB’09 KAWASAKI the 1st line-up

9/19(Sat)-20(Sun)
“TAICOCLUB’09 KAWASAKI”
http://taicoclub.com/
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2009年6月16日火曜日

研究計画書(修正版)

16日朝、修正しました。
・「土地利用規制」「土地制限」「土地規制」を「土地利用規制」に統一
・最後の段落を修正

コメントください。


「タイの遊水地政策の現状と課題」

1 背景
 災害の被害の大きさは (1) 洪水の強度(流量、水位など)、(2) 治水施設の能力(貯水容量、流下量など)、(3) 被害ポテンシャル(人口密度、建造物など)の3要素が絡み合って決定される [1]。近年、気候変動などによると考えられる洪水強度の増大や、(3) を低下させることによる減災効果が実証されてきたことを背景として、遊水地政策をはじめとした非構造物対策に注目が集まってきている。しかしながらそのプラクティスはまだ少ない。
 その中でもタイは、土地のゾーニングに「遊水地」という区分を設けて土地利用規制を試みている数少ない国である。この政策は先進的であり一定程度の成功を収めているとされている [2]。

2 概要
 本研究では、バンコク周辺において、遊水地の土地利用規制がどのようにマネジメントされているかに焦点を当てる。
 上述のようにタイは遊水地指定による土地利用規制を行っているが、現実には、人口集中が進む都市において、土地を使われないままに維持するのは困難を伴うと考えられる。たとえ法律で規制されていてもガバナンスが不十分であれば、使用されてしまう可能性がある。具体的には (1) スクオッターによる違法占拠、(2) デベロッパーによる違法開発、(3) 土地利用規制の不適切な解除、といった形態が考えられる。これは治水政策の本旨を損なうものであるし、なによりその土地を使用する者自身にとっての不利益につながる。
 以上の問題意識を念頭に置きつつ、タイの遊水地管理に関して主に以下の観点から検討を加えたい。
• 遊水地管理に関する組織体制や法制度の研究
• ガバナンス、治水計画への住民参加の測定
• タイの土地、治水に関する文化の研究
• スクオッターの居住実態の調査
 この研究を通して、災害防止のための土地利用規制において重要な要素を考察することを目指す。

3 目的・意義
 この研究は、タイの遊水地政策の先進性と課題を明らかにすることを目的としている。強力な都市化の圧力に曝されているタイの遊水地を土地利用規制することは困難を伴う。しかし、その困難の中で治水政策を進めるタイの政策は先進的であると考えられる。その実態と展望を明らかにしたい。
 遊水地による治水政策はヨーロッパを中心に発展してきた。一方アジアでは、遊水地の文化は広く見られるものでありながら、それを政策にまで発展させた国は稀である。モンスーンアジアに適合した治水政策が求められている中、遊水池による治水を政策として実践しているタイの事例から学ぶものは多いと考え、このテーマを選択した。

参考文献
[1] 吉川勝秀「河川流域環境学」技報堂出版 2005
[2] 砂田憲吾ほか「アジアの流域水問題」技報堂出版 2008
[3] UN World Water Assessment Program, ”National Water Development Report: Thailand”2007

MGMT

MGMTに今更はまってる。
なんか名前的にmihimaru GTみたいな感じだろと思ってたけど(笑)、聞いてみたら意外といいなーと思って。




Massive Attackのアルバム早くでないかな。
今年はでも、もっと前衛的なのを聴いていきたいなと思っているので、なんかおすすめがあれば教えてください。ポストロック系、トロニカ系。

2009年6月14日日曜日

「キレイ -神様と待ち合わせした女-」を観た。

松尾スズキの演劇は一言でいうと、
暴力的だなと思う。

それは殴る蹴るとかいうことではなくて、
何もわからないままにただただ感動させられることが
とても一方的なコミュニケーションだという意味で。


テーマがどうとか、メッセージがどうとか、
そんなのどうでも良くなる。
言葉で言い表せるようなものなんて、
きっとくだらないものばっかりだ。

そう思いながら俺は、
「キレイ」を何十回も読み直しながら、
脚本を書いてた。

文章うまいね、
と誉められることがたまにあるけど、
俺の高校時代の半分くらいは文章を書くことだった。
多少はうまくならないと、もとがとれないよね。


でも、俺が身につけた技術はたぶん、
正統派な文章力ではなくて、
「それっぽい文章を書く能力」とでもいうものだ。
これって、身につけてはいけないものだったと最近感じる。

ふと昔書いた脚本が読みたくなって、
段ボールから引っ張りだしてみた。
俺がスキンヘッドだった時代を。

それっぽい言葉の羅列。
会話っていうのはおしなべて、それっぽいのかもしれない。
臭いんだよ、ハゲ。
みたいなストレートな言葉は、
普通は唾と一緒に飲み込んで言わないよね。


果たして俺の文章力がしょぼいのか、
話し言葉と書き言葉の差なのか、
よくわからないけど、
俺はそれっぽい言葉でお茶を濁すことしかできない。
大学のレポートなんてそれで十分だったから。

でも、今書かないといけないのは研究計画書だ。
院の入試まで、
俺の未来まで、
お茶で濁したくはない。


頭の中にあることを寸分違わずに文章化するのはとても難しい。
その難しさを初めて実感している。
目覚めろ俺の文章力!
と願いながら今日も研究室に籠ります。


あ、もっかい言っとくと、キレイのDVD貸すよー!
観たい人は連絡をください◎

2009年6月12日金曜日

予告

研究室訪問を終えて、いまから京都に帰るところ。
あんまり質問することとかぱっと出てこなかったりしたけど、めっちゃいい雰囲気だなあと思った。ゆるくてでも厳しそうで、あそこなら自分を追い込める気がする。行ってよかった。


で、予告します。
土日で研究計画書素案を書きます。

ブログに載せるのでもしヒマな人は読んで、意見疑問をコメント書くか俺にメールするかしてください。

「これ意味あるの?」
みたいな厳しいのから
「カザフスタンはチョコがおいしいの?」
とかいう素朴なのまで、なんでも歓迎です◎

たぶんそのほとんどが俺には答えられないけど(笑)、院試までには答えれるようになります。します。そういう決意でがんばろうと今日思ったから。

よろしくお願いします!

(こっから自分用メモ)
で、そのためにこれからやることは、
1.タイの洪水について調べる(気候、洪水による年間損失、洪水への対策、主要河川のプロファイル、温暖化や都市化などの影響、メコン川流域国間の協力体制・政治力学)
2.タイの土地政策を調べる(遊水池のゾーニング、都市計画の変遷、河川計画の主体、規制的土地収用の制度、土地や空間の概念)
3.「living with water」について調べる(概念・歴史(バングラデシュ?)・実現のための技術・実状など)
4.他国の遊水池について調べる(土地制度上の根拠、文化)
5.遊水池の特性(生物多様性、スクオッター?)
6.遊水池を対象に扱う国際援助プロジェクトまたは土木事業のグッドプラクティス(具体的には想像できない。。)

…これ全部やるのは神業やな。帰ったら作戦を練ろう。

2009年6月10日水曜日

「キレイ -神様と待ち合わせした女-」


キレイ -神様と待ち合わせした女-



ついに買ってしまった。

大人計画の最高傑作と名高い「キレイ」。
「キレイ」は、戯曲は持ってて何回も読み返してたけど、
引退のときに演劇部に寄付してしまった。

こないだ京都芸術センターで見つけて、
久しぶりだなーと思って10ページくらい読んだら、
これは映像で観るしかない、と本を閉じ、
その日の夜にヤフオクを初めて使って落札した。


大人計画ってなに?
というひとへ。

大人計画は、松尾スズキが主催する劇団で、
宮藤官九郎と松尾スズキという、泣く子も黙るツートップ。
所属俳優は、阿部サダヲ、荒川良々、近藤公園、猫背椿とか。

俺は松尾スズキが大好きだ。
初めは「ヘブンズサイン」を読んで、
心が純粋だった俺は、なんだこのエログロな戯曲は、
と思って拒絶反応があったけど。

でも心はだんだんダーティーになっていく。
生きるってそういうことだよね。

松尾スズキの世界観がすごく好きだ。
絶望は笑いによく似ている。
あんなブラックジョークの嵐の中でほの見える真摯さが、
タブーの裏にある人間の本質をえぐり出す言葉の鋭さが、
天才だと思う。



DVD貸すので、観たい人は連絡してね◎
ていうか誰かんちでいっしょに観ようぜー。



ちなみに。
今日はなんかブログばっかり書いてるけど、言い訳をしとくと、
ホントは論文とか読まないとと思うけど、
二日酔いでやる気がでないんです。

‥あんまり言い訳になっていない?笑

まあそれはさておき、いまから東京に行ってきます。
雨やまないかな。。

幸福実現

全然知らなかった。
最近、週刊少年マガジンに金田一少年の事件簿が連載再開したけど、そういうことだったのか。

「幸福の科学」政党、衆院選に出馬へ
http://www.sanspo.com/shakai/news/090528/shc0905280502000-n1.htm


今朝新聞を開くと、選挙に向けた各党の様子、みたいな記事が地域面に載っていた。
そこには、
宗教法人・幸福の科学が母体の政治団体「幸福実現党」も全区擁立の動きを見せている。

と書いてある。
えっ、幸福実現党ってなんか名前は聞いたことあるけど、こんなメジャーな政党だったんだ。ていうか幸福の科学?と、思わずネットで調べた。
最近、世界は俺の知らないとこで回ってるな、と感じることが多い。


↓幸福実現党の公式ホームページに行ってみると
http://www.hr-party.jp/index.html
・憲法9条を変えて北朝鮮を攻撃します
・消費税とか相続税をなくします
みたいなことが書いてある。


宗教系だから、もっとピースフルな感じなのかなと思ってたけど、
どうもタカ派とお金持ちに優しい政党らしい。

なるほど、軍事力とお金があれば「幸福」だよね。
まあそういう人もいるよね。
そんな殺伐とした社会、俺はやだけど。


でもなんか、幸福の科学に関する情報は釈然としない。

「幸福の科学 被害」とかって検索しても、あんまり具体的なのが出てこない。
大川隆法は馬鹿だ、みたいな悪口はいっぱいヒットするけど、
足の裏を見ればわかるとか、
手をかざしたら病気が治るとか、
親類から離されて集団生活しないといけないとか、
これぞまさにカルト!みたいな決め手に欠ける。
1991年にフライデーに激しく抗議したということがちらちら書いてあるくらい。

けっこうおとなしい宗教なのかな?
Google八分されてるのかな?

こういうのに詳しいひと、教えてください!

「BASURA バスーラ」

「BASURA バスーラ」公式サイト
http://www.basura-movie.com/





マニラのゴミ山で暮らす人々を89年から追い続ける四ノ宮浩監督の最新作。
最新作『BASURA バスーラ』(2009年)は、第一作『忘れられた子供たち スカベンジャー』に登場した子供たちのその後を追い、依然として変わらないフィリピンの貧困と、そこで生きる人間たちの“命の輝き”を映し出している。6月27日より東京都写真美術館ホールにてロードショー公開、以降は全国で順次上映される。


この映画のことは、2年前から知ってた。

これは「5000人の力を集めて一本の映画を作ろう!」というコンセプトで、一口一万円の寄付を募って製作された映画だ。
↓寄付を呼びかけたひと、寄付をしたひとの名前が見れる。
http://www.basura-movie.com/5000.html

この呼びかけを2年前に見た時は、
なんだこの怪しげな呼びかけは。
と思ったけど、
(なんかホームページがすごく怪しげだった気がする)
ちゃんとお金が集まってるのを見ると、すごいなと感じる。ゲンキンだけど。


こんなの無理だろう、
と思うようなことでもやらないと変わらない現実がある。
そういう現実と向き合ってきたひとだからできた映画の撮り方なんだろうか。


関西に来たら観に行きたいな。
中高生以下は無料。

Googleという波。

「Google Wave」は、グーグルのマイクロソフト化を示すものか?
http://japan.zdnet.com/sp/feature/07microsoft/story/0,3800083079,20394157,00.htm


Google Waveっていうのは、Googleが発表した、メールに代わるコミュニケーションツール。
メールも、
チャットも、
SNSも、
ブログも、
ぜんぶWave上で統合される。
ドキュメントの共同編集とかゲームもできるらしい。

詳しくは「Google Wave」で検索したら解説のニュース記事がヒットする。大量に。
IT界はこの発表で熱狂に包まれている。
ネタがないから、代わり映えのしないMacとWindowsの新しいOSのちまちました比較ばっかりしてたウェブ系記者の目が覚めたかのようだ。


俺にはこのすごさが完全には理解できないけど、
いままで想像もしなかったような技術がいくつも使われているのがなんとなくわかる。
イノベーションってこういうことなんだな、と思う。ほんとに。

例えば、
ドキュメントをリアルタイムで共同編集するときの方法とか(http://www.atmarkit.co.jp/news/200906/01/wave.htmlの一番最後に書いてある)、
メッセージでなくてツリーをオブジェクトとして扱うとか。


コミュニケーションが変わろうとしている。
Waveの強力さはしかし、
かつてMicrosoftがWindows 95の成功でパソコン市場を独占して開発者を困らせたように、
Googleを暴君に変えるかも知れない。



上の記事に
 私には次のように見える:Google Waveへの賞賛は、シリコンバレーのジャーナリストやブロガーが地元のWeb 2.0企業(GoogleやApple)を好むことを示す例であり、好むにも度が過ぎてしまい、これらの企業が、Microsoftが作ったよくすべる坂を転がり初めても、それを認めることができない、ということではないか。

という記述がある。

この例えはわかりにくいけれど、
つまり、シリコンバレーの人はGoogleとかAppleとかが好きすぎて、なんか変なことをしてても「GoogleとかAppleだからいっか」みたいに見過ごしてしまうのではないか、ということ。恋は盲目。
(実際、俺はもうAppleはアウトだと思う)

そうならないように、
Googleが、変えていいのか。という疑問を投げかける慎重さが、勇気が、IT業界には必要だ。

Googleという波。
世界はその波に乗っているようで、
実は飲み込まれているのかもしれない。

2009年6月6日土曜日

うっかり(その2)

うっかり確かめるのを忘れてたら、
来週行こうとしていた研究室のゼミが金曜日で、
観に行こうと思っていた演劇とかぶっている。

新幹線ですか、やっぱり。。


ちょっと冷静に考えてみる。
東京から京都の値段を比較してみよう。

夜行バスだとまあ5000円くらいとして、
新幹線だと、学割を駆使して、
乗車券7980円×0.8+特急券4730円=11114円
になる。

つまり、差額6114円。


しかしながら、新幹線にすることによって以下のメリットが創出される。

1) その日の晩ご飯(飲み会)代が浮く
2) 次の日の朝食が自炊できる
3) 駐輪場代が一日分安くなる
4) 環境に優しい
5) 夜行は正直しんどい
6) プライスレスな友情

これを個別に検討してみたい。


1) その日の晩ご飯(飲み会)代が浮く
東京に行くと大体毎晩飲み会になる。
宅飲みか店飲みかは五分五分だが、仮に店飲みだとすると、まあ3000円はいくだろう。
それを、家に帰って冷や奴とおひたしと白ご飯を食べることによって、200円くらいに抑えることができる。

合計:約2800円の節約


2) 次の日の朝食が自炊できる
次の日の朝食はおそらく、夜行バスが京都駅に到着すると目の前にある、なか卯の誘惑に負けて食べることになる。
カツ丼とかかな、朝からがっつり。
それは、とりもなおさず550円の出費。
これを、家で納豆と白ご飯を食べることによって、100円以下に抑えることができる。

合計:約400円の節約


3) 駐輪場代が一日分安くなる
これは夜行バスを使う時はたぶん、京都駅のすぐ横にある駐輪場を使うが、ここは1日150円なので、新幹線を使って1日早く取りに行くと、150円が浮くことになる。

合計:150円の節約


4) 環境に優しい
これは俺にとっては外部不経済だ。
地球温暖化? 知るか。地球なんて滅びてしまえ。
とまでは思わないけど。

合計:エコなひとになれる。


5) 夜行は正直しんどい
正直しんどいんです。もう若くないんです。
眠る時は布団で寝たい。
死ぬ時は畳で死にたい。

なんて、何を言ってるかよくわからない。
これは別に経済的な便益は生み出さない。

合計:しんどくなくなる


6) プライスレスな友情
一緒にその劇を観に行く友達がいる。
プライスレスってなんだよ、と思ってdictionary.comで調べると、

1. having a value beyond all price; invaluable: a priceless artwork.
2. delightfully amusing or absurd: a priceless anecdote.

と書いてある。
まあ確かに友情はお金に換えられないほど貴重ではあるけれど、お金にならない。
ていうかむしろお金かかるよね。飲み会とか。

でも、いっしょに演劇を観に行く友達がいるのは尊いことだと思う。
こんど飲もうぜ!

合計:プライスレス


まとめ
新幹線によるメリット合計:(エコなひとになれる + プライスレス + しんどくない) - 2764円

‥よくわからんけど、これ3つ足したらまあ3000円くらいの価値があるんちゃうかな。
やっぱりShinkansenは日本の宝だよね。
と自分に言い聞かせて、新幹線の切符を買いに行く。

そろそろ、青春18きっぷで東京まではむりだなあ、と思ってきた。
もっと若くありたいけれど。

ペシャワール会、クナール川農業用水路完成

最近、新聞を取り始めた。
実家が毎日新聞なので、絶対に違う新聞にしよう。と思いつつ毎日新聞になった、俺の意志の弱さ。

まあそんなことはどうでも良くて、
今日の夕刊の一面に
「アフガン農水路完成へ」という記事が載っていた。
ペシャワール会がアフガニスタン東部で掘り進めてきた農業用水路が今月完成になる見通しらしい。
「百の診療所より一本の水路を」を合い言葉に、5年がかりで進めてきた工事。
総工事費は15億円。10万人が恩恵を受ける。


と、新聞の記事では好意的に書かれてあるけれど、
農業土木をかじる身としてはひとつ気になることがある。

(でも、ペシャワール会のことをあまりよく知らずに書いているので、眉に唾を漬けながら読んでほしい)


ペシャワール会というと、
少し前にスタッフの伊藤和也さんが殺されるという痛ましい事件が起きた。
その背景として、こんなことが囁かれている。

http://www2.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=61383&log=20090408
「事件はタリバンの仕業と伝えられているが、そうではありません。ペシャワール会スタッフのクナール川利水活動を、ある隣国の人間たちが長期間監視していたのを私たちは知っています。クナール川の下流にダムを建設する計画を持っているこの国では、ペシャワール会がクナール川の水をナングラハルの住民に行き渡るようにすることで、自分たちのところに流れてゆく水が減り、計画によくない影響があると考えていたのです」


この「ある隣国の人間」というのはパキスタンの諜報機関だという。

俺はクナール川の地理関係とかをよく知らないのでなんとも言えないけれど、
でも、ひとつ頭に入れておかなければいけないことがある。

それは、誰かが水を使えるようになれば、
誰かが水を使えなくなるかもしれないということ。

川の問題を考えるとき、
「水は誰のものなのか」
という問題がついて離れない。
そこに流れているからといって好き放題に使っていいものではない。


上のブログの記事ではパキスタンが加害者でペシャワール会は被害者だという論調で書いているけれど、翻ってパキスタンの側から見れば、ペシャワール会は自分たちの水を奪いにきた敵だ。
その不信感を払拭するという作業を、
巨大な国際機関でさえ成功事例があまりない流域全体での合意形成を、
はたしてペシャワール会という、いちNGOが担えるのか。担ったのか。


伊藤さんが殺されたときに、
「なぜ現地のひとに好意的に受け入れられていたNGOが攻撃されなければならないのか」
という声が上がったが、
いったい「現地」とはどこなのだろう。
ある地域の人に好意的に受け入れられているからといって、
その人気が他の地域を犠牲にすることによって得られていたとしたら。


とかいろいろ考えてしまったけど、
ペシャワール会の情報もあまりないし、
国際河川政策の知識もあまりないし、
これは単なる妄想だ。
俺には正直、ホントのところはわからない。

少なくともアフガニスタンの人は幸せになるのなら、これでいいのかも知れない。
ただただアフガンとパキスタンの、調和のとれた発展を祈るばかりだ。

2009年6月5日金曜日

ザ・ダイバー

もいっこ、多言語っぽい演劇。



野田秀樹 東京芸術劇場芸術監督就任記念プログラム第3弾
「ザ・ダイバー」
http://www.nodamap.com/productions/thediver/

作・演出:野田秀樹

出演:
大竹しのぶ
渡辺いっけい
北村有起哉
野田秀樹

東京芸術劇場小ホール1
8月20日〜9月20日




野田秀樹と大竹しのぶって、マジで!
しかも、25歳以下はチケット1000円!
めっちゃ観たい!
場所は東京だけど。


‥院試の帰りに観ようかな。

2009年6月4日木曜日

鳥の飛ぶ高さ

来週、青年団の演劇を観に行きます。




青年団国際演劇交流プロジェクト2009 日仏交流企画
『鳥の飛ぶ高さ』京都公演 (原題:Par-dessus bord)


原作:ミシェル・ヴィナヴェール
演出:アルノー・ムニエ
翻案・演出協力:平田オリザ

日本語・フランス語上演/日本語・フランス語字幕付き

【場所】
京都芸術センター・フリースペース
(京都市営地下鉄「四条」駅より徒歩5分。)

【日時】
6月12日(金) 19:00〜
 13日(土) 15:00〜★
 14日(日) 15:00〜
(★の回終演後、平田オリザとアルノー・ムニエによるポストパフォーマンストーク開催)

【料金】
一般=2,500円/学生・シニア=1,500円

【解説】
フランスを代表する現代劇作家ミシェル・ヴィナヴェール作"Par-dessus bord"の舞台を、現代の日本に置き換え、平田オリザがお届けするドロ沼企業買収劇。超高性能便器を開発した日本の家族経営メーカーが、世界最大手のフランス資本便器会社に狙われる。
日仏合作の新型経済演劇をフランスの次世代を担うアルノー・ムニエが演出する。



あこがれの平田オリザ。
高校の時はこの人の本を読みあさっていた。
もう半分くらいは内容を忘れたけど(笑)

でも、残りの半分はきっと、心に染み付いて一生忘れない。

演劇はハートでしょ。
みたいに思ってた当時のがさつな俺にとって、
平田オリザの緻密さ、冷静さは衝撃だった。
人生が45度くらいは変わったと思う。

(平田オリザに関しては、この投稿でちょっと書いたので、興味がある人は読んでみてな。)


平田オリザの演劇を観るのは二回目、前も多言語演劇だった。
2006年に「その河をこえて、五月」という、韓国語と日本語の演劇を見た。
多言語演劇ってなりたつのかな、と観る前は思っていたけど、
舞台の上には自然な、多言語な日常があった。

俺たちはもはや鎖国された世界に生きてるわけではない。
多文化な社会の中で暮らしている。
多言語演劇ってなりたつのかな、という俺の疑問はたぶん、
単に演劇だけでなくて、社会に対する疑問でもあった。
多文化社会って成り立つのかな。という疑問。

移民が増える中で誰もが抱く不安。
その不安に耐えきれずに、外人なんて追い出してしまえ!なんて短絡的に叫ぶ人が増える中で、平田オリザはクールに答えを示していた。
多文化社会ってこういう感じだよ、というリアリティでもって。
そんないいことばっかじゃないけど、
そんなに悪いことでもない。

演劇の力を感じた。


対話とか多文化共生を語る上で、平田オリザは避けて通れない。
俺は金曜日の回を観に行きます。観に行くって人は連絡してね!

Gutevolk









最近ずっとPortisheadばっかり聴いてたけど、
BGM的に流すのはこういうのがいい。CD買おうかな。


nobleレーベル所属。
world's end girlfriendとかkashiwa daisukeも所属するnobleのコンセプトは
方法論やジャンルではなく、なんでもありなクロスオーバーでもないところで、
ただただ美しく自由な、日常の為の音楽の提案。
あなたの日常が、精神が、より優雅になれれば、こんなに嬉しい事はない。


なんかこういうミニマルな感じが斬新だなと思った。

2009年6月2日火曜日

食生活を改善したい。

バファリンの半分は優しさでできていると言うが、
俺のからだの半分は菓子パンでできている。
自炊もするけど、それでも足りなくてコンビニにパンを買いに走る。


ひとはパンのみにて生きるにあらず。

というのはもちろん、
日本人ならコメ食えよ。
とかそういう意味ではなくて
生きるのには食べるのも大事だけど信仰とかも大事だよね。
みたいな、聖書に出てくる殺し文句のひとつだ。


そんなことはどうでもよくて、
そろそろ無理だと思うんだよね、
パンだけでは。
若さでは。
もっと健康的な食生活にしないと。

菓子パン代を野菜とスパイス代にかえて、
消費カロリーが減ってくる
もう若くなくなるころに備えたいと思った。

という発想がもはや若くない?笑

2009年6月1日月曜日

百万円と苦虫女




百万円貯めては町を転々とする女の子の話。
名作だと思った。

ロードムービーというと、
自分探しとかなんかそういう雰囲気がするが、
主人公は「自分探しか?」と聞かれてこう答える。
いえ、むしろ探したくないんです。探さなくたって、嫌でもここにいますから。逃げてるんです。


自分を探さない旅。
その果てにある衝撃のエンディング。
泣ける話。
なのかは人による。

強い人には分からない、
痛みとか寂しさとか。


居場所をころころ変える主人公と
やってることがころころ変わる自分を重ね合わせて、
ちょっと泣いた。

将来が涙でにじむ。
すっきりして
明日から勉強をがんばろうと思った。
覚悟ができた気がした。


それにしても蒼井優の演技を見るといつも、
怖い、と思う。
なにがすごいのかもよくわからない、すごさ。
こんな演技がどうやってできるんだろう。