http://japan.zdnet.com/news/internet/story/0,2000056185,20395447,00.htm
ついに来た。
「製品レビュー」というとずいぶんやわらかい言い方だ。
問題になっているのは、
報酬を渡してブログに製品のレビューを書いてもらうという
ブログの信頼性を利用(悪用?)したマーケティング手法のこと。
普通にブログを読んでて、
「うわあ、この製品すげー!」と書いてあったとき、
それが、お金をもらったサクラだなんて普通は考えないだろう。
あ、すごいんだ。と、ころっと騙される。
うっかりその商品を買ってしまうかもしれない。
詳しくは、口コミと広告の差はどこにある?も読んでほしい。
その宣伝手法が、ようやく取り締まられる。
ブロガーの大半は、ジャーナリストが歴史的に従ってきた倫理的なガイドラインには縛られていない。そのため、こうしたブロガーに無償で製品を提供する行為について報道されるようになって、もうかなりの期間がたつ。例を挙げると、Microsoftが数年前に「Windows Vista」が搭載されたAcerのノートPCを数十名のブロガーに無償で提供したが、これにはずいぶん悪評が広がった。
インターネットを通じて個人が簡単に情報を発信できるようになって、
個人はとても強くなった。
たぶん昔なら、ノートPCを無償で配って「友達にすごいって言いふらしてね」
と言ったところで、そんなに問題にはならなかったかもしれない。
でも、もうそんな時代じゃない。
誰もが情報を発信できる力を持ち始めた。
力には、責任が伴う。
最近、ブログとか掲示板への書き込みが原因で所属する組織(会社とか学校とか)に処罰されることが増えている。
それが良いのか悪いのかは分からないけれど、
個人が持つ力の濫用に眉をひそめる人は増えてきている。
そのうち、自由にブログを書くことができなくなる時代が来るだろう。
できるなら自由を制限するものは、
法律ではなくて、ブログ書き自身の倫理とか文化であってほしい。
俺たちブログ書きは自覚しないといけない。
情報を発信しているのだという責任と、
誰かが俺たちを利用しようとしているかもしれないという危機感を。
3 件のコメント:
ブログではだまそうが、サクラになろうがかまわないと思うけどな。
それは、日常生活で、だます人がいて、サクラの人がいるのと同じで。
その最初の騙されるのを防ごうたってさ、ブログは何書いてもいいところなんだから、そりゃあ、騙されるのが悪いだろう、と。
逆に、そんなことばかり書いてる人は、やがて信用されなくなるだけだし。
だから、賢明な考えを持つ人は、商品について書くとき、慎重になると思う。自分で。
ペイパーポストの問題はまた別と思う。人間っていうのはフクザツなんだから、単純な自然言語解析だけじゃ「本音」はわからないんだから。
それは、解析側の努力の問題であると思う。
と基本は思う。
だから、自分の言動の責任とブログに書く責任は、基本は変わらないと思う。
そもそも、影響力が小さければ、さして心配するまでもない。
ただ、文章が残せて発信できてしまうと、読む人がどう捉えるか、ということをもっと考えなきゃならないのかな。
長文でした。
でもやっぱり現実世界とは違うと思うんです。
> そもそも、影響力が小さければ、さして心配するまでもない。
文章に残るし、ブログだと検索エンジンの上位に出やすいし、個人の影響力は強いと思います。ただ、心配するほどの影響力があるのかは俺にもわかりません。
でも、
> だから、自分の言動の責任とブログに書く責任は、基本は変わらないと思う。
というのは、確かにそうだと思います。
でも責任は変わらないけれど、匿名性のせいで責任を過小にしか感じられない傾向がありますよね。
だから、人をだますハードルが低いんじゃないでしょうか。
そして情報量が限られているので、読む側も、面と向かっているときと比べて嘘を見破りにくいです。
意見を言うときには、日常の責任と同じ(かそれ以上の)責任があることを実感して書くような、そして中落ち味さんのように、これはおかしいと思ったらつっこみコメントを入れるような、そういう緊張感あるブログ文化ができればいいのに。と思うんです。
書ききれないので、http://taiji.exblog.jp/11832269/
に続きを書いてみました。
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