2010年12月30日木曜日

今年の10曲(2010年)

高校ぐらいから毎年、今年印象に残った曲を10曲書き残している。
完全に自分用メモ。

↓去年のはこっち。
http://notchained.blogspot.com/2009/12/10.html

これはあくまで、「俺にとっての」今年の10曲なので
別にめっちゃ昔の曲でも今年初めて聴いたら
俺にとっては「今年の曲」です。


2010年12月27日月曜日

たまには日記。

端的に言うと、今年は、
失恋の年だった。


好きなひとにふられ、
タイと研究にふられ、
古巣にふられた。
つながるってそんなにうまくいくことじゃないねんな、と思った。

冬だから、寒さに寂しさが増幅されて、
いきおいそう感じてしまうだけなのかもしれない。

でも、寂しいとか寂しくないとかそういうことじゃない。
とかいうよくわからない言葉で強がってみたいけど、
やっば寂しいな、と思う。


思い返せば俺は、違う舞台に上がるたびに人間関係をリセットしてきた。
中学から高校、高校から大学、そしてサークルの引退。
すごく狭い世界で生きてきたから、
その世界同士がつながってるなんて、信じなかった。
茶番劇だと思った。
中学には中学の、
高校には高校の、
サークルにはサークルの、
つながらず交わらない世界がそれぞれあった。

というと、社会かなにかが悪いみたいな感じがするけど、
悪いのは俺だ。
俺が逃げていたからつながらなかった。
何から逃げているのか、そのときはあんまりわからなかったけど。


「百万円と苦虫女」という映画で、
百万円を貯めては居場所を転々と変える主人公(蒼井優)が、
「自分探しみたいなものですか?」と問われるシーンがある。
主人公は、いえ、と答える。


むしろ、探したくないんです。探さなくたって、嫌でもここにいますから。逃げてるんです。

と、彼女は言う。
全力で「じぶん」から逃げているのだと。

それでも、最後には追い付かれてしまう。
自分でも知らなかった「じぶん」を見てくれていたひとがいて、
逃げ切れなくなる。

俺は、あの場面を思い出すたびうるっとくる。
どんなに世界を閉ざそうとしても、
いろんなひとの優しさとか想いに支えられて生きているのだと、思い知らされる。


「じぶん」から逃げるというのは、
そういう、優しさとか想いから逃げることだ。
逃げ続けてきた俺自身がそうであるように。


そして、ここにきて、
「じぶん」から逃げられなくなってきているな、と思ったりする。
という言い方をするとまた、社会か何かのせいな感じがするけど、
そこそこ俺のせい、というか、おかげ、なんじゃないだろうか。
もっと単刀直入に言うと、俺、今年はそこそこ逃げなかったんじゃない?
逃げ腰だけど、たまには逃げずに踏みとどまれたんじゃない?

だからいろいろ失恋したし、
寂しいなんて思うし、
それはそれでぜんぜんダメだったけど、でも、がんばったよ俺は。
ぜんぜん大したことないけど、がんばってたよ。
と、親バカな気持ちで誉めてあげたい。


いろいろ繋がらない。

ひとの想いも、
いろんな活動も、
夢とか未来とかも、
まるでうまくつながらない。
こんがらがって見失いそうになる。

それでも、投げ捨ててしまわずに、来年につなげたい。
寂しいって思うのは進歩だ。
つながらないことを素直に悔しがれたから。


「じぶん」を、来年につなげよう。
来年もこんがらがってもがこう。

いい年になりますように!

2010年12月22日水曜日

平田オリザに対する批判まとめ

「まとめ」とか大層なことを書いたけど、
まとめ切れない。

平田オリザは、「青年団」を主宰する演出家、劇作家。

2009年10月に鳩山内閣で内閣官房参与となって以来、
ほんとにいろんな批判があると思う。
けっこう的を得たものから、
虚実ないまぜになったものまで。

つまりは目立ちすぎたんだな、と思う。


「平田オリザ」がアイコン化している。
まるで何かの象徴のように崇拝され、攻撃され、
焦点を結ばない虚像だけが膨張して、
批判のつぶてに打たれるだけのサンドバッグになっている。


高校の頃から平田オリザのファンな俺としては、
それは「平田オリザ」の虚像であって、
ほんとうの平田オリザではないと思う。

思うけれど、

「こんな批判なんて整理する価値もない」
と思うけれど、

それでも、直視しなくてはいけないものがある気がする。
たぶん、俺が目を背けたいのは、
俺への批判だから。



平田オリザへの批判は、主に2つに分けられる。
1)いわゆる「劇場法」への提言について
2)俗に言う「日本解体法案」について

ちなみに、平田は、
鳩山内閣では主に文化行政を担当し、
菅内閣では、国際交流を担当している。
上のうち、1)は鳩山内閣時代のもので、
2)は菅内閣時代の話だ。



1)いわゆる「劇場法」への提言について
これは、演劇関係者の事実誤認によるものが大きいと思われるが、
朝日新聞大阪本社版2010年3月19日付夕刊の、「劇場法」に関する平田の記事を読んで、
「劇団への助成をなくして、すべてを劇場へと振り向ける」のだという誤解が生じ、
様々な批判が飛んだ。

平田は後日、
劇団への助成はそのままで、劇場への助成を増やしていく、という意図だったと釈明する。

繰り返しになりますが、劇団関係者にご理解いただきたいのは、一部報道されているように、「劇団への助成を減らして、劇場への助成を増やす」といったパイの取り合いを目指しているのではないという点です。ただし、全体で見れば、演劇制作の主体は、すでに劇団から劇場に移りつつあり、この流れは世界の演劇の潮流からいっても、間違った方向ではないと思います。このことについての私の発言が、誤解を呼ぶ元になっているとすれば、説明不足をお詫びするしかありません。

http://www.seinendan.org/jpn/oriza/msg/index2.html?

と釈明しているが、
説明不足なのは否めないし、
「平田オリザが抱える青年団は劇場付きの劇団だから、
劇場をもってない劇団のことなんてどうでもいいんだ」
と思われても仕方がない。


個人的には、
平田オリザが言ってるのはかなり的を得ていると思う。
たとえ劇団への助成が減ったとしても、
劇場への助成が増えさえすればそれでいいと思う。
劇場を、単なる「ハコ」ではなくて、血の通った「場所」にしなくてはいけない。

だって例えば、東京芸術劇場に野田秀樹が来て面白くなったでしょ?


でも、平田が提案していることは、
自分(青年団)に都合が良すぎる。
こういうことはもっと中立的な人間が提言すべきだった。

もちろん、そんな人間がいないから、
平田が矢面に立たされているのだけれど。




2)俗に言う「日本解体法案」について
これは、あんまり深く説明するのはめんどくさいけど、
外国人参政権、夫婦別姓、人権擁護委員会、とかそういう辺を右翼の人が、
「日本解体法案」とかって呼んでいるらしい。


その中でも、平田オリザが関係するのは、外国人参政権だ。
講演で、在日韓国・朝鮮人への参政権付与について言及するなど、
外国人参政権に賛成の立場を取っている。

たしかに、「対話」が重要だという平田の理念からして、
国民でなくても住民なら政治的に意見を言えて当然だ、
というのは自然な考えだと思う。


でも、またちょっと問題発言があったりする。
それは、2010年2月29日のこと、
「友愛公共フォーラム発会記念シンポジウム」の席上で、

「ずっと10月以来関わってきて、鳩山さんとも話をしているのは、やはり21世紀っていうのは、近代国家をどういう風に解体していくかっていう百年になる。しかし、政治家は国家を扱っているわけですから、国家を解体するなんてことは、公(おおやけ)にはなかなか言えないわけで、それを選挙に負けない範囲で、どういう風に表現していくのかっていうことが、僕の立場」「国にやれることは限られるかもしれませんっていう、実はすごく大きな転換を、すごく巧妙に、(演説に)入れているつもりなので、先々、研究対象として、何が変わったのかということを、考えていただきたい」等の発言をした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E7%94%B0%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%B6

という風に、右翼が使う「国家」「解体」というキーフレーズを使ってしまっている。
(出所が週刊誌だから、脚色されている可能性はある)
これは怪しまれても仕方がない。

まあ、外国人参政権賛成なのは変わらないし、
どうあがいても右翼受けが悪いのは変わらないけど。
でもそれにしても、もうちょっと味方をつくる言い方もあったんじゃないだろうか。


近代国家の解体、というのは、
「日本人」というアイデンティティに閉じこもる/閉じ込める
のではなくて、もっとグローバルな世界に対応した、
多文化共生な社会に開いていかなくてはいけない、
といったニュアンスだろうか。

ここで切り取られた短い言葉からはコンテクストが読めないけれど。





という感じで、
演劇関係者に反感を買い、
右翼を敵に回し、
というのが今の平田オリザだ。

なんか見てて切なくなる。

こんなぼろぼろになるまで、なぜ闘わなくてはいけないのか。
できるなら、平田オリザには演出家と劇作家だけしていてほしい。


そんなことを思いながら、俺もまた、
平田のインタビューから誤解を招きそうな部分だけを抜き取ってみて、
まとまらないまとめを終わりにしたい。

演劇はこういう、コピペの文化に、
つぎはぎと分断に満ちた世界に、
どう生きていくのかなあ、なんて考えながら。

興味あれば全部読んでね。

http://www.wonderlands.jp/interview/010hirata/


…要するに、劇団はそれ単体では原理的に金にならないから、若い人たちをだまさない限り絶対に存続しない。いつもずーっと文化大革命しているようなもんだから。「毛沢東だ!」って言って若者をついてこさせないといけない。

少なくともぼくの活動の中に新しいところがあったとすれば、「だましているんだ」ということを、はっきり言ったことでしょう。それが革新的だったと思うんです。それまでは、だましてないことにしていたし、主宰者も騙していないと思い込んでいた。でも、劇団というのは、若者をだましてるんだと。だましていることを前提にして、お互いに納得ずくで契約を結ばせようというところまではきた。
http://www.wonderlands.jp/interview/010hirata/5/

2010年12月21日火曜日

Boards of Canada

最近日記書いてないから、
どんなことでもいいからとりあえず書こうと思って、
どうでもいいこと書きます。


最近、自分の中で、
Boards of Canada熱が再来している。

Boards of Canadaは、スコットランド出身のテクノバンド。
Autechreの目にとまってメジャーデビュー。
その後、Warp Recordsに移籍。

俺が初めにこのバンドを知ったのは高校生のとき。
受験生の心に電子音はよく沁みる。
これ聴きながら勉強してたなあ。

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電子音でありながら、どこか懐かしい感じがして、
昔の色あせた写真を見るような気分になる、

BoCの音が持つ中毒性は、
冬の朝に布団から抜け出せないときの気持ちによく似ている。
ぬくぬくと夢の中を生きていたい、という欲求と、
このままじゃいけない!、という意思が、
耳元でせめぎあっている。






2010年12月5日日曜日

最近、

柏市民劇団 CoTiK
http://www.cotik.org/


Twitterとかでちょこちょこつぶやいたりしてて、
気付いている人もいるかもしれないけど、
俺は劇団に入ろうとしています。

で、昨日は初めて稽古の見学に行ってきた。
5人だけのこじんまりした練習で、
集まる時間が少ない中でどうすればうまくできるか考えられていて、
さすがプロだなーと思った。


まだ入るって決まったわけじゃないけど。
軽い近況報告でした。