失恋の年だった。
好きなひとにふられ、
タイと研究にふられ、
古巣にふられた。
つながるってそんなにうまくいくことじゃないねんな、と思った。
冬だから、寒さに寂しさが増幅されて、
いきおいそう感じてしまうだけなのかもしれない。
でも、寂しいとか寂しくないとかそういうことじゃない。
とかいうよくわからない言葉で強がってみたいけど、
やっば寂しいな、と思う。
思い返せば俺は、違う舞台に上がるたびに人間関係をリセットしてきた。
中学から高校、高校から大学、そしてサークルの引退。
すごく狭い世界で生きてきたから、
その世界同士がつながってるなんて、信じなかった。
茶番劇だと思った。
中学には中学の、
高校には高校の、
サークルにはサークルの、
つながらず交わらない世界がそれぞれあった。
というと、社会かなにかが悪いみたいな感じがするけど、
悪いのは俺だ。
俺が逃げていたからつながらなかった。
何から逃げているのか、そのときはあんまりわからなかったけど。
「百万円と苦虫女」という映画で、
百万円を貯めては居場所を転々と変える主人公(蒼井優)が、
「自分探しみたいなものですか?」と問われるシーンがある。
主人公は、いえ、と答える。
むしろ、探したくないんです。探さなくたって、嫌でもここにいますから。逃げてるんです。
と、彼女は言う。
全力で「じぶん」から逃げているのだと。
それでも、最後には追い付かれてしまう。
自分でも知らなかった「じぶん」を見てくれていたひとがいて、
逃げ切れなくなる。
俺は、あの場面を思い出すたびうるっとくる。
どんなに世界を閉ざそうとしても、
いろんなひとの優しさとか想いに支えられて生きているのだと、思い知らされる。
「じぶん」から逃げるというのは、
そういう、優しさとか想いから逃げることだ。
逃げ続けてきた俺自身がそうであるように。
そして、ここにきて、
「じぶん」から逃げられなくなってきているな、と思ったりする。
という言い方をするとまた、社会か何かのせいな感じがするけど、
そこそこ俺のせい、というか、おかげ、なんじゃないだろうか。
もっと単刀直入に言うと、俺、今年はそこそこ逃げなかったんじゃない?
逃げ腰だけど、たまには逃げずに踏みとどまれたんじゃない?
だからいろいろ失恋したし、
寂しいなんて思うし、
それはそれでぜんぜんダメだったけど、でも、がんばったよ俺は。
ぜんぜん大したことないけど、がんばってたよ。
と、親バカな気持ちで誉めてあげたい。
いろいろ繋がらない。
ひとの想いも、
いろんな活動も、
夢とか未来とかも、
まるでうまくつながらない。
こんがらがって見失いそうになる。
それでも、投げ捨ててしまわずに、来年につなげたい。
寂しいって思うのは進歩だ。
つながらないことを素直に悔しがれたから。
「じぶん」を、来年につなげよう。
来年もこんがらがってもがこう。
いい年になりますように!
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