2009年8月28日金曜日

九州にいます。

体調は無事なおってしまったので、九州は福岡にいます。
あめ降ってます。

行きは、新幹線でびゅんびゅん過ぎたけど、
帰りは、久留米から京都まで青春18切符。
朝5時のに乗って夕方6時過ぎにつく。


13時間。

こんだけあれば地球の裏側まで行けそうな時間。

何しよっかな。。

2009年8月26日水曜日

やっぱり。

あらゆるものにはメリットとデメリットがある。

じゃあ頭痛のメリットはなんなのか。
それはやっぱり、余計なことを考えなくてすむことじゃないのかな。
心を無にして。

とかいう余計なことを、頭痛のあたまで考えてしまう。


別室受験してきました。
体調不良で。


やっぱりなー。
ここぞというときは病気にかかる。
なんとなく予感はしてたけど。

午後に病院に行くと、まあ熱が低いからインフルエンザじゃないでしょう。と言われた。
なのでまあ普通に接してください(笑)


とりあえず面接に残ったので、明日もがんばります!

2009年8月25日火曜日

OpenSocicalアプリつくろうかな。

今日、柏に行ってきます。
そしてその足で九州に行ってきます。
報告は、また。

ところで、
院試勉強でバイトにもここ1ヶ月くらい行っていない。
なんかプログラミングしたいなーと思ったり思わなかったり。

mixiに最近、mixiアプリというのが表示されるようになったけど、
俺もOpenSocialでアプリをなんか作ろうかな。
とはいえ所詮は俺。そんなにテクニックはないので、しょぼいのしかできないと思うけど、

まあ勉強のために。
院試が終わればまたヒマを持て余す気もして。


誰か、アイディアあったらください!!
メシくらいおごるよ!

2009年8月23日日曜日

水都大阪、はじまる。

昨日から、水都大阪2009が開幕している。
大阪に「水の都」としての活力を取り戻すための、水とアートのお祭り。
10月12日まで、52日間続く。


おとつい、最終設営を手伝いに行ってきた。

目に映るのは、
立ち並ぶブース、
ちりばめられたアート作品、
汗を流して働くスタッフ。


気取った祭りではない。
「みんなでつくりあげてきた」
という言葉が似合う。

アーティストのひととボランティアのひとがアイディアを出し合ってきた。それが具現化して、会場になっている。
それはもう、泣くほど感慨深い。
俺が関わっただけでも、事前準備は7日間に及ぶ。

大阪も、
みんなでつくりあげていくのだろう。
水都になるのか、
滅亡していくのかは、
みんなの手にかかっている。

いっしょに歴史をつくりましょう!


とかいうとなんか選挙のフレーズみたいだけど(笑)、
まあ普通に楽しいお祭りやでー。

俺はペットボトルとかハンガーで作品をつくる手伝いをしたり、
こどもといっしょにおもちゃをいじっています。

大阪にいる人、寄る人はぜひ来てね◎

↓もっとくわしくはこの辺のホームページで。

水都大阪2009
http://www.suito-osaka2009.jp/
水都大阪2009 水辺の文化座
http://www.bunkaza.suito-osaka2009.jp/


あと、俺がこのブログで水都大阪に関して書いたのは「水都大阪」というラベルでまとめてます。
↓読みたければどうぞ。
http://notchained.blogspot.com/search/label/水都大阪

Firefoxと知床半島

なんかおもしろいなーと思ったのでクリップ。
Firefoxの開発と知床半島の自然保護運動の、意外な共通点。
そうかー、Firefoxって運動なんだな、と思い知る。


↓詳しくはここで。

2009年8月21日金曜日

ネガティ部

元気がないわけじゃない。

むしろ調子はベストに近くて、今なら誰にでも勝てる気がする。
そのくせ、万が一負けたら一気にどん底になる気がして、一歩も足を踏み出せない。

自信がないわけじゃない。
という言葉に自信がない。
そういう状態を指して「自信がない」と評するのだろうか、世間は。

いやいや世間体を気にしてはいけない。
俺は自信を持って断言するが、自信というものは常に自己完結的に評価されるのだ。
ここに俺は、簡易チェック法を考案しよう。自信をもって。
自信というものは、打ち砕かれたときに初めてその真価がわかる。
粉々になって風と消えてしまうものは、そもそも自信と呼んではならない。
本当の自信とは、自ずと再生するものなのだ。
じゃあ砕いてみればいいやん。それをもって簡易チェック法としよう。
新型インフルエンザも真っ青だ。

と思う一方で、自らを砕くという行為は自虐であり、自虐とは自分への不信そのものであり、つまり自信がないということで、とりもなおさずそれは、自信なんて砕く前から砕かれているということを意味する。
と気付いた瞬間、自信は砕ける。
うっかり、あっさり。
意識的に砕く徒労が省略されて、嬉しいような悲しいような。

そうやって、砕けていく。

何もかもが砕けていく。

砕ける、自信と腰。

あと、俺の未来とかその他もろもろも。


みたいなネガティブな思考がぐるぐる回っていた中学校時代。
自信がない友達同士で「ネガティ部」という集まりをつくった。気がする。
もはやその記憶に自信がないけど(笑)。
なんの活動をしてたんやろう?


で、なんでそんなことを思い出したかというと、
がんばろうという原動力になるネガティブさが最近足りないなーと思って、ネガティブな気持ちになりきってブログを書いたら、ほんとにネガティブな気持ちになって頑張れるかなーと思ったから。

では、果たして効果はあったのか。
それはよくわからない。
ネガティブになりきれないというのは、有り体に言えば自信があるということで、まあ喜んでいいのかな。
しかしもっとネガティブの神髄を極めたかった。
あ、「たかった」って過去形にしてしまうへんがネガティブ??(笑)


院試まであと5日。

2009年8月19日水曜日

面接対策メモ

まとめてみる。まとまらないけど。
院試まであと1週間。


【志望動機】
1) 治水の研究をしたいから。治水や利水など水に関わる問題は多くの要素が絡んでいるが、ここなら多面的な視野から問題を見れると思ったから。
2) 今まで興味を持ちつつ、深く考えることはなかった国際協力というものに正面から向き合おうと思ったから。


【研究概要】
遊水地の利用や管理の実態を研究したい。
遊水地というのは、洪水が溢れたときにその水を受け入れるための土地。他の宅地などを守ることができる。通常は農地や公園など、ひとが住まないところが遊水地になる。

今はダムや堤防などハード面に頼った治水だが、遊水地などのソフト面の対策も取り入れることが期待されている。
しかし、規制がうまくいかずに土地利用されると、使用者の不利益につながる。行政や土地所有者、デベロッパーなどのアクターが、遊水池の管理や利用にどのような影響を及ぼすのか調べたい。

遊水池は、特にハード面で洪水を防ぎきれない東南アジアで重要になると思うので、研究計画ではタイのバンコク周辺を対象にするとした。バンコクの周りに遊水地を設置して洪水時の緩衝地帯として機能させるという治水計画が取られているが、都市化によってグリーンベルトが宅地転用されつつあるという報告がある。その転用のメカニズムを研究したい。


【具体的な研究手法は?】
わからない。
衛星写真から土地利用形態を分析するか、フィールドワークによる聞き取り調査をするか、といった方法が頭に浮かぶが、それが適切な手法なのか確信はない。
研究手法については今後ご鞭撻を頂きたい。



【なぜ遊水地に興味を持ったのか】
高校の近くに同和地区があり、そこが遊水地になっていた歴史を習った。
遊水地は、間違えば社会的弱者へのしわ寄せにつながる可能性があると感じた。

しかし一方で、環境保護派の観点からは遊水地に関心が高まっている。
実務面での困難を明らかにした後に、遊水地の是非を判断すべきだと思った。


【なぜタイなのか】
堤防やダムのみでは洪水が押さえ込めない東南アジアでは遊水地の文化が発達していると考えられるが、東南アジアの中で遊水地を政策として取り入れているのはタイだけだった。(もっと調べれば他国の事例がでてきたのかも。。)
また、JICAが協力していることもあり、データが入手しやすいかと思った。

でも別にタイにこだわるつもりはない。


【他地域との比較を考えてるみたいだが、事例が少ないらしい。この政策は、他の都市で増えつつあるのか】
参考文献に上げた吉川氏の著作によると、日本の利根川流域など、ライン川流域、中国、あと、遊水地ではないが、アメリカの洪水保険による土地利用の誘導政策などがあるらしい。
遊水地政策が増えつつあるのかはわからないが、川との共生という言葉をうたう街は増えてきているし、気候変動で洪水のリスクも高まるので、今後増えてくると考えられる。


【アメリカの洪水保険って?】
あまり詳しくないが、簡単に言うと、洪水のリスクが高い場所に住む人には高い負担金を要求することによって、洪水安全地帯に誘導するような政策。
多くの本はこの政策を賞賛するが、そのような優れた政策を持ちながらニューオーリンズのような悲劇がなぜ起きたのかという考察はあまりみられない。
東南アジアのもこうした政策が適用できるのかも含めて、詳しい検証が必要だと思う。


【日本の事例についてはどうなのか】
日本の事例についてはもちろん研究しようと思うが、
・河川の形状、急さ
・政府による土地のゾーニングの影響力
という点がかなり異なるので、それをそのまま東南アジアに適応することはできないと思う。


【学部での卒論は】
ため池の耐震性。有限要素法というシミュレーション手法によってモデルを構築する。ことになると思うけどまだ始まってないのでわからない。


【院での研究とのつながりは?】
1) 農業土木の学科なので、シミュレーションのことも習う。治水政策は、理系的な流量や氾濫のシミュレーションを基につくられる。そうした技術的背景を読み解きながら、その中で遊水地がどう位置づけられているかを考えたい。
2) 農学部なので農業のことも多少理解しているつもり。治水を考えるには利水、すなわち農業との関わりを抜かすことはできない。例えば、僕の卒論はため池だが、ため池もまた、優秀な遊水地のひとつである。そうした、農業との関係性も視野に入れたい。


【きみの長所と短所を挙げよ。それを改善しようとしているか、しているならどうやってしているのか。】
長所は、ひとつの物事に集中できることだと思う。ひとつの対象を多角的な視点から深く洞察することができる。
短所は、逆にひとつの物事に集中し過ぎることだと思う。視点を変えることはできるが、別の対象に目を移したりといったことが苦手だ。
改善のために、学術雑誌や新聞などを読むときは、情報を食わず嫌いせずに全部読んで、いろんな情報を知ることを心がけている。
この研究をするためには、様々なアクターや、その国の制度、文化など、いろんなことを目を向けないといけない。フットワークの軽さを磨いて行きたいと思っている。

2009年8月18日火曜日

辛い

からい

というのも、

つらい

というのも同じ漢字を書く。
わかりにくい。
どうせだからどっちかの「辛」と「幸」を取り替えれば判読できるようになるのに。とかつまらないことを考えてしまう。

つらいけどしあわせなシチュエーションはあんまりないけど、
しあわせなからさはある。

昼間に食べた麻婆豆腐が、いろんなスパイスが有機的に絡み合う尊い辛さだった。
久々に美味しいものを食べた気がした。
緊張で食べ物がノドを通らなかったのもあるけど、
それを差し引いても、おいしかった。
ごちそうさまでした。

↓近くに寄った人はぜひ。
龍門

2009年8月17日月曜日

テストの話

明日は試験1日目。
午前に英語があって、午後に専門科目がある。
その間の休憩が憂鬱だ。
みんな試験の話しかしてないだろうから。
やだなー。


俺はテストの話が嫌いだった。
小中高ずっと。
理由はふたつある。

ひとつは、軽く自慢になるけど(笑)、テストの点が良かったから。
テストの点がいい奴がテストのことをしゃべってたら「こいつはいつも勉強のことしか考えてない、面白くない奴だ」という印象を与えてしまう。
実際に俺は口下手で面白くないから、なおさらだ。
面白いことを言えないならせめて、面白くないことを言わないようにしないといけない。そんな、弱者のしたたかさ。

そしてもひとつは、テストの話に建設的な姿勢を感じないから。
惜しかったとか、ああしとけば良かったとか、
単に後悔なだけで反省にはなっていない。
どうせ同じ生産性のない話なら、音楽とお笑いの話をしたかった。


大学では俺は成績悪いので、ひとつめの悩みはもうないけど(笑)
明日はきっとふたつめに悩む。
みんなはもうこれで院試が終わるから、後悔しとけばそれでいい。
どうせ落ちたりしないし。
けど、俺はまだ本命が残ってる。
吐くぐらいの緊張が残ってる。
まだ前を向き続けなければならない。
みんなとの温度差が、きっと苦しい。


あー、やだやだ。

2009年8月16日日曜日

町田康


町田康「告白」中公文庫 2008



気持ちが沈んでいる時に、
明るい音楽を聴く人と、
暗い音楽を聴く人とがいる。

俺は後者で、
暗い気持ちの音楽にどっぷり浸かることで、ああ暗い気持ちになっているのは俺だけではなくて他にもいっぱいいて、それはつまり暗い世の中だからなんだな。今月は菓子パンにお金を使い過ぎてあと1週間はごはんにふりかけオンリーの生活であって、それがゆえに暗い気持ちだったけど、世の中が悪いんだ。サブプライムローンのせいだ。俺は悪くない。
みたいな、明るい気持ちになれる。
ある意味で。


というのはなんか例が悪い気がするけど、
自分と同じ気持ちのひとがいるとか、
自分と同じ悩みのひとがいるというのは、
ほっと安心させられる。
世界は俺ひとりではない、と。


町田康の文章も、そういう意味での癒しの力を持っている。

町田の小説に出てくる主人公はみな、愚鈍であったり、自意識過剰であったり、精神を病んでいたりする。
それは、他人事のようでそうではない。
俺ってバカなんじゃないか、とか、誰にも理解してもらえない、といった不安を抱く瞬間がふとした日々の中にないだろうか。


そんなたぐいの不安に足を取られてしまったとき。

ひとつの解決策は、誰かに「お前は馬鹿じゃない」と言ってもらうことだ。マンガとか映画を観て、強くてカッコいい主人公に自分を重ねるのもいいかも知れない。自分はなんでもできるという自信に浸れるから。

町田康のは真逆で、
馬鹿な主人公が不幸と汚辱にまみれてゆくのをみて、まあこんなダメな人間でもいいよね。みたいな不思議な安心を覚える。安心というより、むしろ絶望に近い。それは、自信なんてなくても生きていけるのだという気付きだ。


「告白」の主人公・城戸熊太郎は、内向的で思い込みが激しく、たまに幻覚を見る(本人は幻覚と気付いていない)。そして口べたなのと妄想癖があるのとで、話したいことをうまく口にできない。それどころか、思ってもいないことが口をついてしまったりする。それがために、元来ケンカも弱く穏やかな性格であるのに恐れられ大悪人に祭り上げられ、最後には思い込みから10人を斬り殺してしまう、という悲しい話だ。

10人もの人間を斬り殺すのが、どういう人間であるのか、想像もつかない。
この本を読むまでは。

読んだ後、自分も同じ状況に育てば10人を斬り殺していたのではないか、という気分になる。
狂人のような城戸熊太郎はしかし、自分と変わらない。
相手にわかってもらえない、という不安が増幅されれば自分もこんな風になるかも知れない。というか自分では気付かないだけで、すでにこんな風な狂人なのだろうか。

強くてカッコいいとか、弱いけれど勇気があるとか、そういう人間が主人公に選ばれることは多い。
しかし、愚かで醜い人間の内面に真っ正面から向き合うことはあまりない。
町田康は、そんな愚かな人間に、というかむしろ、人間の愚かさそのものに寄り添っている。
そういう視線が、とても尊い。

平田オリザは著書の中で、
文人としてのわたしは、日本は滅びると信じていますし、滅びてもかまわないとも思っています。劇作家としてのわたしの仕事は、かつてチェーホフが、百年前に、滅びゆくロシア帝国の人々を愛情を持って描き続けたように、滅びゆく日本人の姿を記録していくことだと思っています。(「ニッポンには対話がない」)

と言った。
そんな、愛情ある視線。

破滅するものを「それでいいんだよ」と受け入れることは、国際協力に携わろうとしている身としてはダメなことだと思う。
それでも、そういう視線に救われる想いの人がいることを忘れられない。
俺自身も、何度も町田康の小説を読んで支えられてきたと思うから。




ということで、
俺は今日も、研究計画書わかってもらえないかも、という不安に悶々としつつ(笑)、でも町田康の本を読んで、まあいっかと思った。思えた。

院試まであと10日。

注:
院試まではしばらくネガティブな日記が続きますが、たぶん元気なので安心してね!笑

2009年8月14日金曜日

パンクしました。

心が。


みたいなリリカルな状況には全然なってなくて、
残念ながらパンクしたのは自転車のタイヤで、
普通に物理的にパンクしただけだ。
ありふれたアクシデントでつまらない。
まあ、8月末までは受験勉強で家に引きこもってるのでそこまで困ることもないだろう。


とはいえ、
精神的にもパンクしそうな部分は確かにあって、
それは何かというと俺の知識のキャパだ。
今まで勉強してなかった俺の脳は、専門知識の嵐に拒絶反応が出ている。

なので、今いるところの院試勉強を、
思い切ってしないことにした。


まずもって、今いるところにそんなに魅力を感じない。
もともと滑り止めだし、
準教授とノリが合わないし、
正体不明のダメなオーラが漂ってる。

こんなとこ、落ちたって構わない。


と言っても、実際に落ちるかどうかはまた別の話で、
本当に落ちそうだったら俺は、
「落ちたって構わない」なんて平然とブログに書けないだろう。

どこまでホントか知らないけど、
内部生は、英語で足切りを食らわなかったら受かるらしい。
他の科目がどんなに悪くても。

そんな露骨な身内優遇に、
安心しつつ、
でもやっぱり嫌悪感を拭い去れず。
俺が勉強する理由はますます見つからなくなっていく。



だからもう、本命の勉強に絞ることにした。
「落ちたって構わない」なんて言い訳ができないところにこそ、集中したいから。

あと2週間。
長いようで短い。

2009年8月13日木曜日

高校演劇

BS2「青春舞台2009」
8月31日(月) 0:15〜18:00
http://www.nhk.or.jp/seishunbutai


たとえば、野球。
高校野球には、春夏二回の大会があって、
それぞれ県大会の予選が終わったらすぐに全国大会がある。
流れる汗と涙。
青春はかくもスピーディーだ。


しかし、高校演劇の大会システムはとてもややこしい。

去年の京都府を例にとると、
8月に各地区の予選があって、
11月9日に京都府大会、
12月26日、27日に近畿大会がある。
(参考:高校演劇 大会結果 速報ブログ

そして、全国大会はというと、
なんと今年の7月31日〜8月2日にある。

つまり、
演劇で日本一になるには、丸1年がかかる。


高校野球で日本一になるには、春夏かける3年で6回チャンスがあるのに対して、
演劇は、
高1の夏〜高2の夏か、
高2の夏〜高3の夏か。
2回しかチャンスがない。

そのシビアさが、その儚さが、
青春を輝かせる。


まあ俺らのとこは大会に出たことないけどね笑


青春舞台は、全国大会の最優秀校1校と優秀校3校の公演だ。
全国2200校の頂点に立つ、演劇。
その気迫はすごくて、飲み込まれそうになる。
もっと具体的に言うと、青春に戻りたくなる。
そろそろ戻りたくても戻れない歳なので、安心して観れるかな笑

BS観れる人は観てねー◎

2009年8月12日水曜日

「僕にその手を汚せというのか」

タクティクスオウガ

というスーパーファミコンの不朽の名作がある。
民族紛争のさなかにある大陸で、主人公が様々な運命に翻弄されながらも闘い、大陸を統一する。みたいな話だ。あんま覚えてないけど、たしか。

「僕にその手を汚せというのか」
というのは4章立てになっているストーリーの最初の章のタイトルで、
主人公はこの章の最後に、敵対する民族への敵意を煽るために、その民族のふりをして自分たちの民族の街を虐殺するという計画を打ち明けられ、従うか従わないかの選択を迫られる。

主人公がどちらを選んでも、結局虐殺は起こってしまう。
主人公が手を汚したか汚していないか、それだけの違いだ。
それだけの違いで、後のストーリーは劇的に変わる。



手を汚すか汚さないか。
それはとても大事な要素だ。
いろんな分野において。

いつか噂で聞いたけど、医者は「神の手」とか言われるレベルになると、手術でその「神の手」を行使する機会はあんまりなくなるらしい。執刀に立ち会うけれど、無難な箇所しか手を出さない。
その手術が成功すれば「神の手」の手柄になり、
万が一失敗すればその場にいる誰かの責任になる。

失敗して「神の手」の名に傷がつくことは、何よりも回避されなければならないのだ。噂で聞いただけだから本当かは知らないけど。


けれど、
手が汚れていないことの価値とは正確にはどれほどのものなのだろう。


と、この本を読んでふと考えた。


この本では、アフガニスタンでは「アフガンに軍隊を送ったことがない日本」への信頼が厚いことなどを例に挙げ、日本は第二次世界大戦以降は軍隊で攻めたことがないから信頼があり、平和構築において大きな役割を果たせる。
と述べられている。

第二次世界大戦での日本の侵略の記憶が残っているアジア諸国はともかく、
中東とかアフリカとか日本に侵略されたことがない国では、確かに日本への不信感みたいなのはあんまりないんだろうと思う。
たしかに大きな役割を果たせる可能性はあるだろう。

じゃあ、
ほんとに平和構築に「手が汚れていない」ということが価値を持つのならば、日本が自衛隊の戦闘地域への派遣を求められた時に
「あ、ぼく手を汚したくないんでやめときます」
みたいな断り方はできるのだろうか。

手が汚れていない国が平和構築に価値を持つのなら、世界は手を汚してでもその国の価値を守るべきなのだろうか。
「あ、じゃあ俺がやっとくわ」
みたいににっこり笑って代わりに戦争をする。そういう、日本は平和の国、アメリカは戦争の国、みたいな割り切った役割分担とかはどう?


とか聞かれると、賛成するのはやだ。
そういう、割り切れない世界をムリヤリ割り切った世界観に賛同してはいけない。と直感が言っている。
手を汚したくないから汚れ仕事は他人にやらせる。というのはとても汚いやり方のように聞こえる。


でもほんとに、
「手が汚れていない」ということはどれほど価値を持つのだろう。
誰か知ってたら教えてほしい。

2009年8月9日日曜日

目が回る。

暑さのせいなのか
院試が近づいてきた緊張なのか、
屋根裏にコウモリが棲んでいる実家の部屋で暮らしているせいなのか、
なんか体調が変だ。


きのう天満橋らへんを歩いていると、
地面がぐるぐる回っていた。
別に気持ち悪いとかないけど。
あっ、「目が回る」ってこういう感じなんだ!という発見だった。


風呂に入っていると、
体の何カ所かにじんましんが出ているのに気付く。
魚介類にたまにアレルギーが出るけど、
特に当たるものを食べた覚えはない。


まあたぶん院試が近いせいで、
何かの本番が近づくといつも体調が悪くなる。
センター試験前は、1週間ずっと寝込んでいた。

自分との闘い。
そういうのには俺は、連戦連敗だ。



やだなー、
院試早く終わらないかなー。

とか言ってしまうと負けな気がする笑

2009年8月8日土曜日

セミパラチンスクについて、思ったこと。

64年前。


原爆が投下されてもうそんなに経った。
ここ数日のNHKは、64年前のヒロシマ・ナガサキを振り返る番組のオンパレードになっている。
いつもならあんま観ないけど、
カザフスタンのセミパラチンスクが取り上げられていたので観てしまった。


世界各地の核の被害者を「こんな悲劇を繰り返してはいけない」とつなぐ、その技術は名人芸だ。
世界中のひとが、核兵器廃絶のために心をひとつにしている。
ような気がする。


誤解を避けるため言っとくと、
俺は、日本は核武装しろ!みたいに言いたいわけではもちろんなくて、
ただ、カザフスタンの核兵器廃絶運動が過度に美化されている感じがしたので、そこにきちんとツッコミをしたい。


事実、オバマ大統領のプラハ演説を経て、運動は盛り上がっている。
けれど、この手の運動には3種類ある。

1) 「核」廃絶運動
2) 「核兵器」廃絶運動
3) 核による被害の補償要求運動

この3つはお互いに補完するものでありながら、世間はどれかひとつに注目すると他を忘れてしまう。
いま、この中で中心となっているのは「核兵器」廃絶運動だ。

その方向性は間違っていない。
原子力発電所よりもまずは核兵器の方が危険だし、
国内問題である補償要求と比べて世界連帯しやすいし、
プラハ演説で世界はそっちに傾いている。


そしてカザフスタンもこの核兵器廃絶運動に加わっている。
その背景には、セミパラチンスクの過去があるからだ、とテレビは言う。

セミパラチンスクは冷戦下の1949年から1989年の間に、合計456回の核実験があった場所だ。
そこから離れた村でも、「死の灰」によって広島原爆の爆心地から1.6kmに匹敵するレベルの被曝を受け、住民はいまも健康被害に苦しんでいる。

それは、予期せぬ失敗ではない。
わざと風が強い日を選んで実験した。一部住民を汚染地域に移住させもした。
被曝した住民のための診療所を開くが、そこで行われたのは治療ではなく診断だけだった。
放射線の影響データを取るための、人体実験だった。

1989年、住民は立ち上がって核実験反対運動を始めた。
その年以来実験は行われず、1991年に公式に閉鎖された。
核への反対運動の、数少ない成功例だ。
テレビはそう言う。


しかし。
ここで2つの「しかし」を指摘したい。

しかしカザフスタンは、「核兵器」廃絶は訴えても、「核」廃絶を訴えることは決してないだろう。
カザフには世界で2番目に多くのウラニウムが眠っている。
重要な外貨獲得手段であるウランを、間違っても廃絶するなんてありえない。
むしろ、「核」を使い続けるための「核兵器」廃絶だと言える。
カザフスタンはIAEAが押し進める「核燃料バンク」の受け入れを真っ先に表明している。

それがいいか悪いかはひとによると思う。
ただ、「核」廃絶と「核兵器」廃絶は大きく差があることを指摘しておきたい。


そして、
しかしカザフスタンは、セミパラチンスクのことは過去だとして蓋を閉じようとしている。
セミパラチンスクのひとは、もちろん今も健康被害に苦しんでいる。
ナザルバエフ大統領(カザフ)が核兵器廃絶をいくら声高に叫んだ所で、心はわずかに休まるかもしれないが、体は救われない。
セミパラチンスクの人々が治療を受けるには補償が必要なのに、それは意図的に忘れ去られようとしている。
国からも、世界からも。

日本でも水俣病患者への支援がようやく決着がついたように、
補償問題の解決には往々にして時間がかかる。
しかも、セミパラチンスクの場合は、当事国であるソ連が今では消滅しているのだからなおさらだ。
「核兵器」廃絶という運動に心をひとつにすることは、それぞれの地域の問題である補償問題から視線をそらすことにつながりやすい。
未来と過去のことを同時に考えることの難しさがそこにはある。


核の問題に限らない。
多様なひとと、それに付随する多様な思想や利害がつきまとう問題があるとする。
その解決のために大規模な運動を起こすことは、大きな目的を達成するために細部を忘れることであり、
けれどその「細部」の中に少なくない人の生活や人生が含まれているかもしれない。

自分が何を見て、
何を忘れようとしているのか。
それを直視しないといけない。

2009年8月6日木曜日

実家にいます。

研究室にいると。

あと94単位残っている(でも今年卒業する気の)子が住み着いている。
面倒見のいい、みんなのお兄さん的な存在の子が「うちの院試勉強しようぜ!」みたいなオーラを出している。
研究室のエース的な子のデキるオーラがまばゆい。
そして、サークルの活動場所が一緒だったので仲がいい子がいて、つい話し込んでしまう。

置いてあるパソコンが放つ、異常なほどうざいファン音をBGMにして、
研究室には魔力が渦巻いている。

これは本命の院試に集中できない!と思って、研究室のみんなには申し訳ないけど、一念発起(?)、実家に帰ってきました。
まあちゃりで1時間なんやけどね笑


下宿は狭いからと思って持っていかなかったけど、
やっぱり自分の机は集中できる。
よくあるかわいい学習机みたいなのじゃなくて、
父親とおそろいの、おっさん臭い木机。
だから、おっさんになっても使い続けるのだと思う。
もうぼろぼろだけど、いろんな記憶がしみ込んでいる。

演劇部の台本書いてたとき、
年賀状を描いていたとき、
大学受験の勉強してたとき。

机の上は、夢を具現化する場所だ。


そろそろ勉強しよっかなー。
クーラーないんやけど(笑)、暑さに負けずがんばります!


ぜんぜん関係ないけど、京大の近くにあるベジタリアン料理屋「CAFE PROVERBS [15:17] 」で食べた、豆乳ベジラーメン。
↓おいしく撮れたので載せておきます。

2009年8月4日火曜日

世界子ども水フォーラムフォローアップ2009 in 岐阜

世界子ども水フォーラムフォローアップ2009 in 岐阜


夏休みは、
冬に引きこもりたい俺にとっていつもつらくて、
でもそれを乗り越えて強くなれる時間だ。

「休み」がいちばん休まらない。
今年もそんな風に思える充実した夏だった。
ってまだ終わってないけどね笑



世界子ども水フォーラムフォローアップ2009 in 岐阜には、水関係の活動をしている中高生が41人集まり、2泊3日で自分の活動について話し合った。
テーマごとに6、7人のチームに分けられ、2人の大学生スタッフがつく。

「産業と生活の水」という難しいテーマを与えられたうちのチームは、けっこう悩んだ。



うちのチームは、というか、主に俺が悩んだ。
悩み過ぎて、2日目の夕方には限界がくる。
笑顔が引きつる。
俺の限界は顔によく出る。
どうしよっかな、という焦りが隠せない、損な性格だ。


7時からファシリテーターはミーティングなので、焦りつつも俺は議論の場を離れないといけない。
でも離れたことで少し冷静になれた。
もっと子どもに任せていいんだ、と思った。
他の班の話を聞くと、もうファシリテータは話し合いに参加してなくて、子どもだけで進めているという。

うちの班もそうすればいいのか、
なるほどねー。
と、この感動をみんなに伝えに行きたくても、
案外ミーティングは長引いた。

冷静になった頭がまた焦り始める。
大丈夫かなー、
もっと早くみんなにまかせればよかった。
と不安と後悔が頭をぐるぐる。


やっとミーティングが終わって、階段を駆け上がり、部屋に飛び込む。
すると、子どもがこっちに目を俺に向ける。
そして、「ゆんがいない方が話が進んだよ!」と笑顔で言った。

ほっ、と思った。
みんなは、誰にも言われることなく、自分たちで勝手に話を進めていた。
そしてもう結論は目前だ。

そんな子どものすごさにほっとして、
でもやっぱりちょっと寂しくて、
「あ、だよね」と、疲れた笑顔で返事をした。



俺に断りなく話を進めるというのは、
「ゆんのことなんて気にしなくてもいいや」という、
信頼だ。
それが嬉しかった。涙が出るほど。

逆に俺は、それほどまでに子どもを信頼できていなかったことに気付く。これは、ほんとに悪かったと思う。

そのあと、まとめは時間内に終わった。
発表準備は夜2時まで終わらなかったけど。。
矢のような2泊3日だった。



ファシリテータなんて俺にできるのかなーと思っていたら、
意外とできた(笑)

でも、俺がしてあげられたことなんて微々たるもので、
それ以上に、意外とできなかったことの方が多い。
やるべきことは想像よりシンプルだったけど、
シンプルなことをやるのは想像より難しかった。


やっぱり、信じることが一番大切で、
一番難しいんだ。

それを何度も何度も、
身にしみて学んでいるのに、
どうして俺は信じきれないのか。

信じることは、才能だ。
たぶん人を信じないのが俺の生き方で、
そういう意味で俺は永遠に二流のファシリテータにしかなれない、と最近感じている。

でも、自分にできないからこそ、
信じることの大切さを少しはわかってるつもりだ。
反面教師でもなんでもいい。
それを伝えていくことに、俺の役割はあるんじゃないだろうか。
なんか負け惜しみみたいだけど、ほんとにそう思ったりしている。



みんなそれぞれの日常に帰って行くけれど、
ここでできた信頼は簡単には途切れない。
見えない糸でつながっているように、
みんなの存在に背中を押されるように、
それぞれの場所で、それぞれの人生を闘っていく。

信頼という尊い感情。
それを抱えて俺も院試をがんばります!
夏はまだまだこれからだよね◎

2009年8月2日日曜日

過去問をやってみた。

俺はまだ本気出してないだけ。


というタイトルのマンガがあったけど、
気がつけばもう院試まで一ヶ月を切っている。
そろそろ本気を出そう。

何を隠そう、俺はいま、
研究計画書を根本から揺るがすツッコミをもらった焦りと、
世界子ども水フォーラムフォローアップ(この報告は後日書きます)で子どもたちのすごさを見て、俺もがんばろうというやる気とに、
溢れている。

そろそろ本気を出そう。
言い訳とかじゃなくて。


ということで、
とりあえず過去問を少しやったみた。
その駄文をさらけ出すので、なんか意見ください。
院試の小論文はこの参考書いいよ、みたいなのもあれば教えて!
(注:内容は間違いだらけかも。あんまり信じないで読んでください。。)


問)以下は、国際協力に関する理解力・洞察力を問う問題である。(A1)、(A2)の両方の設問に答えなさい。(50分)

(A1)
貧困に対して国際協力という手段を用いて対処することには賛成論と反対論がある。それぞれの立場の主要な論点を示した上で、この問題に関するあなた自身の見解を述べよ。


国際協力による貧困解決への賛成論は、主に3つある。
ひとつは、貧困問題は主に発展途上国で起こっていて、当事者である政府にはそれらの問題に十分な対策を打つ財政的、組織的な体力がないことが多い。よって、そうした問題を解決できる能力・余力のある先進国の関与が必要である、という考えもある。
もうひとつに、そもそも途上国には「貧困」を認識するのに困難があり、「国際正義」という外からの観点で何が是正されるべきなのか指摘する必要がある、ということもある。
また、そうしてある国の貧困問題を解消することは、援助国と被援助国の友好や、世界の金融的、政治的、軍事的安定を増進することにつながる。国際協力は援助される国だけでなく、援助する側の国や世界にも利益をもたらす、という考えもあげられる。
一方で、重要な反対論もある。
ひとつには、貧困問題はあくまで国内問題であって、過度な介入はその国が自ら貧困を解決する力を損なう、という意見がある。
また、上に「国際正義」という言葉を使ったが、そもそも何が正義かといった価値観は国や地域で違って、国際協力は単なる価値観やイデオロギーの押し付けにつながらないか、という懸念もある。
さらには、はたして援助によって得られる便益はどれほどのものなのか、という疑問も提起される。自国の税金といった財源を、ほんとうに自国にとってメリットがあるかわからない、他国への国際協力へ使うことへの不安があるからだ。
以上のように、国際協力への賛否両論ぐあいは激しいものがあるが、私個人の意見としては、国際協力という手段による貧困解決には賛成である。
そのひとつには、アクターが多様化してきたことが挙げられる。以前は「国と国」という単位での考えが主流であり、国益や国の思惑といったことを強く意識しなければならなかった。しかし現在では、NGOが政府を飛び越して(時には政府の意に反して)現地支援に乗り出すことも増えてきたし、援助を受ける人々も、インターネットなどの情報革命でそうした個人ベースの支援を知り、それを望むようになってきた。グローバル化する世界の仲で、国際協力は強く必要とされるようになってきている。
以上が、私が貧困問題への国際協力による対処に賛成する理由である。



(A2)
国際公共財の中には、何かの目的を達成するために設けられたものがある。このような国際公共財の具体例を二つ挙げ、それぞれについてその目的と効果的に機能しているか否かについてその理由とともに簡潔に説明せよ。


国際公共財には例えば、国連やWTOなどが挙げられる。ここでは、この2つについて取り合げ、論じてみたい。
国連は、2つの世界大戦を経た苦い経験から、「集団安全保障」という概念で世界の秩序を守るために設立された。集団安全保障とは、集団で決めたルールを守らずに秩序を乱している、とみなされる国に対して、集団でせいさいを加えることによる安全保障の形式である。国連が機能していたのかというと、確かに結果だけを見ると、設立以後世界大戦は起こっていないが、90年代までは冷戦による東西の勢力均衡に寄って秩序が保たれていたに過ぎなかったことや、イラク戦争などに見られるようにアメリカなどの大国がルールを乱してもなすすべがなかったことなど、「機能していた」とは言い切れない部分がある。また、近年はテロなど、軍事更衣の主体が国家以外も含まれるようになったことなども、国連の意義に見直しを迫っている。
WTOは、GATT後に、世界の自由で対等な貿易のルールをつくるために設立され、20年以上そのルールについての話し合いが続いている。WTOによって、輸入制限撤廃や関税の引き下げが(賛否両論あるにしても)進められてきた点は、WTOの機能として評価されてしかるべきだ。しかし、近年は農業交渉などを中心に議論が行き詰まりを見せ始め、FTAというかたちで二国間の交渉が進んでいる。こらは、WTOの当初の目的、世界の自由で対等な貿易、という点からは少し外れるのかもしれない。



【反省点】
・1も2も、あんまりはっきり問いに対する適切な答えの形になっていない。 → 「私は賛成です。なぜなら〜」みたいな定型文を覚える。
・WTOが「20年以上」とかの事実誤認 → 勉強する。うろ覚えな知識は出さない。
・漢字が思いつかない、間違う → あきらめる?(笑)

Man On Wire

「Man On Wire」を見に行ってきた。
フランス人の大道芸人、フィリップ・プティが、
世界一高いビル(当時)、ワールドトレードセンターのツインビルで綱渡りをする。
17歳の時に新聞記事で「世界一高いビルが建つ」と書いてあるのを見て、
これは綱渡りするしかない、と決意したそうだ。
そんな、バカな天才の物語。

10年近くの間、仲間を集め、WTCへの忍び込み方、ワイヤーを張る方法などを試行錯誤を重ねるその姿は子どものようだった。
犯罪のドキュメンタリーという視点がおもしろかった。
陳腐なハリウッドの犯罪ものを観るより、全然わくわくする。
苦難を乗り越えて綱渡りを成功させる瞬間は、
まるで奇跡を観ている気がした。


でも、たしかにフィリップはカッコいいけど、
この映画はおもしろいけれど、
俺は好きになれなかった。


フィリップが綱渡りを成功させた瞬間は、
つまり、夢が叶った瞬間は、
夢が終わった瞬間でもある。

夢が終わると、
チームにも、
フィリップと恋人にも、
別れが訪れる。
きっと、心をひとつにしていられる目標が達成されてしまったからだ。

もともといろいろケンカもするチームだった。
意見もぜんぜんまとまらない。
バラバラな人たちが、
ひとつのバカな夢の元に集まっていただけ。

「だけ」という言葉がとても切ない。
チームってそんなもんなのか、というもやもやが俺の中には残る。

結果が大事じゃなくて、
プロセスが大事だ。
綱渡りが成功することよりも、
チームの仲がいいことの方を、
俺だったら選ぶかもしれない。


でも、
そういう打算的な選択をできない、
愚直な人間だから心を打つのだろうか。

ひとは選んでなりたい人間になれるわけではない。
フィリップはそういう、折れることができない人間だったんだな、
と思う。
思うしかない。