2009年2月28日土曜日

俺のテスト勉強、人類の記憶。

On-Air : Why should you be punished if you question the Holocaust ?
http://worldhaveyoursay.wordpress.com/2009/02/25/on-air-why-should-you-be-punished-if-you-question-the-holocaust/


ヨーロッパのほとんどの国では、ホロコーストを否定することが罪になる。
表現の自由よりも「正しい」認識の方が優先されるのか。
それを巡ってBBCの番組で激論が交わされた。
上のページにもコメントがずらっと、これでもかというほど並んでいる。


なんかこういうのを見る度に、
正直、加わりたくないなーと思ってしまう。
高校の時、日本史と世界史をとったけど挫折したことが原体験にあって、
あんなにたくさんのことを俺は覚えていられない。

その、覚えていられないという問題は、
たぶん俺一人だけのものではない。
世界もだんだん忘れていく。
記憶は曖昧になっていく。


それでも、忘れてはいけない。


ホロコースト研究センターの所長は、ホロコースト否認説を非難しつつこう言った。
"…as if these people [in the Holocaust] were killed twice"

人は二度死ぬ。
命を失った時と、
人に忘れられた時と。

その事実を突きつけられて、
過去に興味がない。と言い切ることは難しい。

覚えていられないけど、
覚えていなくてはならない。
その葛藤のはざまで、
俺たちは何を見つけられるのだろう。

2009年2月27日金曜日

グーグルとグローバリゼーション

日本書籍出版協会、グーグル書籍検索問題に関して解説と翻訳文をサイトに掲載
http://japan.cnet.com/marketing/story/0,3800080523,20388995,00.htm


Googleが無断で本の内容をデジタル化して検索できるようにして、
著作権協会と作家が怒ってたらしい。
で、それが和解したという話。
知らなかったけど。

最近のGoogleは拙速というかなんというか。
Street Viewで世間の反感を買ったことは記憶に新しい。
「プライバシー」と「著作権」は、触れてはならない聖域だ。


話は戻って、なぜその問題に日本書籍出版協会が解説するのか。
アメリカの問題やん。
と思いきやそんなことはない。
以下の3つの事実を考えてみればわかる。

・日本人が持つ著作権は、アメリカではアメリカの制度によって管理される。
・Googleはアメリカの企業である。
・世界中のみんながGoogleを使う。

つまり、世界中が使うものなのにアメリカに強く左右されるということで、
日本の著作権者も、指をくわえて見ているわけにはいかない。


自分の世界が、自分の力の及ばないところで振り回されている感覚。
こういうのを指して、グローバリゼーションと呼ぶんだなー。とか思う。


同じような問題が、例えばグーグル八分と呼ばれる問題で起こっていたりする。これは、グーグルの検索結果から特定のサイトが意図的に抹消されることを指す言葉だ。
世界中の多くの人がグーグルを使うから、グーグルに表示されないと、サイトは存在していても社会的に「消滅した」とさえ言える。

例えば、アメリカ以外の国のサイトがアメリカにとって何かまずいことを書いていたとき、アメリカがそのサイトの会社に削除要求を出すことは困難だが、グーグルに「このページ、八分っといて」と言うことは比較的たやすい。
そのための言い訳ならいろいろある。米国愛国者法(「テロとの戦い」)、デジタルミレニアム著作権法(「著作権保護」)などなど。


世界とつながることはわくわくするけれど、時に牙を剥くことを忘れてはいけない。

2009年2月26日木曜日

Monoral

そういえばこんなバンドもいたな、と思い出した。



日本在住、外人バンド。というポジションはMonkey Magikとかぶってるけど、
このバンド、Monoralは日本語をいっさい使わない。(あ、日本語の曲もあったかな?)

ベースをやってる人はラジオDJの人で、高校のときこの人の(というかフジロックの)番組「Radio Up Nine」を聞きかじってたけど、
大学に入って年度が替わると、うちの地域には入らなくなってショックだった。
選曲のノリが合う数少ない番組だったのに。

2009年2月24日火曜日

「僕にはわからない」

もうすぐ死ぬの?

と笑われた。
もうすぐ卒業する先輩とお茶をしていて、
なんか最近昔の知り合いに会いたくなる、と俺が言うと。

そのときは一緒になって笑ったけれど、
当たってるのかもしれない。


俺は5月で、入っている学生団体をすべて辞める。


辞めることと死ぬことは、
気まずさと説明しにくさがよく似ている。
だから俺は、必死に論理武装をしたい。
言葉の殻に閉じこもりたい。


辞めるって何で?と聞かれれば、
院試のため。と答える。
ことにしている。

なるほど相手は、
あー。と納得ともため息ともとれない反応をする。
でも、それでは答えにはなっていない。
何のために院試を受けるのか、
進む先に何があるのか、わからない。

俺にはまるでわからない。


わからないことはわからないと、声を大にして言おう。と中島らもは著書「僕にはわからない」の前書きで宣言していたけれど、

そんな勇気があるひとは稀だし、
当の中島らもでさえ、年を重ねれば森羅万象を知っていると思っていたけど、ある日老人が「宇宙のことがわからない」という投書をしているのを見て、ようやく「わからない」と言っていいのだということに思い至ったという。

わかった顔をする人ばかりの世の中で、
俺も、わからないなんて怖くて言えない種類の人間で、
こうしてブログでぼそぼそっとつぶやくことしかできない。
ひょっとすると、俺が辞めるのは
「わからない」という精一杯の叫びなのかも知れない。


でもじゃあ、なぜ辞める?と問われて、
わからない、と胸を張って言えばいいかといえば、
そうではない気がする。


なんでって、
「わからない」ということもまた、
安易過ぎる、わかり方、なのではないか。


わかることとわからないことと。
世の中にはその2つしかない。
穿った見方をすれば、
前者は、わからないものを見えないフリをすることで、
後者は、わからないものを「わからない」とラベル付けすること。
わかろうとする努力の果てに、どっちなのかという結論を出さなくてはいけない。

でも、本当なのだろうか。
そういう単純な二分法で、
世界を半分にぶった切る権利が、俺たちにはあるのか。


ふと、
中島かずきの演劇「朧の森に棲む鬼」を思い出した。

市川染五郎演じる主人公ライが、どんな嘘でも瞬時に仕立て上げる「口先」を武器に権威に上り詰め、悪の限りを尽くす、という話。みんなライの舌先に翻弄され、嵌められていく。言葉の力、その重み。
そんなライに復讐を誓う集まりの中で、絶対殺してやる。的な感じで激高している人を、古田新太が、言うなと制止して、

「いや、言葉にするとヤツの土俵に乗せられてしまう気がしてな」

みたいな感じのセリフを言う。たしか。
中島かずきの演劇は、浅いようで実は深い。


言葉には限界がある。
言葉で言い表せるものしか、言い表せない。
わかるでもなく、わからないでもなく、
その間の宙ぶらりんな状態を
言葉にすることは、できない。


だから俺は、辞める理由を聞かれても、
ほんとは答えたくない。
言葉にすればきっと少しづつずれていく。
意味と言葉が離れていって、
できた割れ目に足をとられそうになる。

2009年2月21日土曜日

災害の格差

最近、人並みに将来について悩んでいて、
就活はしないけど、どこの院に行くか決めてないことに焦燥感を覚える。
とりあえず、就活組を見習って業界研究とかをしてみようと思って、
専門誌を軽く読んでみた。


機関誌「河川」

「地球温暖化などに伴う水災害の解決に向けた国際的取組」という特集が組まれていて、おっ、と思った。
思いがけず国際協力っぽい雰囲気。

が、最初の方の記事は、
日本は英語はできないけど技術力はすごくて、だから英語さえ磨けばできる子なんだよ。もっと世界に日本の存在感を見せてやろうぜ!
みたいな感じで書いてあって、
世界で協力して水害を乗り越えよう
という前向きさはあんまりなく、
水害がひどくなるこれからが儲け時だけど、
このままでは競争に負けるでしかし。
みたいに殺伐とした本音が見え隠れする。

ちょっとうんざりして、
あんまり期待せずに残りのページをぱらぱらめくった。
すると、最後の方に「フィリピンのスラム街」というキャプションがついた写真があって、
懐かしい。
と思って目が止まる。
俺が行ったところかはわからないけど。


その記事は、途上国での水害警報のために、
水害を予測するソフトをつくった、
という感じの内容だった。

記事によると、水害警報に必要な要素は三つある。

1. データがあること
2. データの解析から水害を予測できる能力があること
3. 水害の予報をみんなに伝えられること

当たり前みたいな感じがするけど、
どれもなかなかに難しい。

まず1は、観測設備が整ってなかったり、国境をまたがっていてデータが揃わなかったり。加えて、気候変動のせいでいままでになかった降水パターンがあらわれる。
2は、精度がいい予測手法を開発するにはお金がかかる。
3は、情報がすぐにつたわる体制づくりコミュニティづくりが大切だが、写真に載っていたスラム街のような地域ではなかなか難しい。


その水害を予測するソフトは、1、2の要素をカバーするもので、
広くデータはあるが精度は悪かった衛星画像からのデータでの水害予測を可能にした、
というものだった。
データはネットを通じて無料で提供されてるものを使うので、世界中のどこでも使える。
これはたぶん画期的で、精度のいい地上観測のデータをあえて捨てる勇気がなかなか真似できない。


でも問題は、3だ。


日本でも海外でも、社会的に弱い人は水際に追いやられる。
すぐに水が得られて便利な代わりに、
水害が起これば真っ先に危険にさらされる。
それはほとんどの場合スクオッター(不法占拠)というかたちを取るので、行政サービスを受けにくい。
水害情報を発するのは政府だが、
「不法」な地域と政府がどこまで手を組めるのか。

記事には、そういう問題提起としてスラム街の写真が掲載されていたが、
その答えは示されていなかった。


災害は、偶然のものではなくて、人災だ。
被災するリスクは平等ではない。
持てる者は安全な場所に、
しぜん、持たざる者は危険な場所に住む。

その格差を埋めることができるのか。
福祉、IT、教育などなど。
様々な分野で問われている「格差」の問題が、
防災においても立ちはだかっている。

Javascriptでマルチスレッド

Firefox 3.1に追加されるWeb Workersとは
http://builder.japan.zdnet.com/sp/firefox-3-for-developer-2008/story/0,3800087566,20386377,00.htm

Javascriptでマルチスレッドプログラミングを可能にする「Web Workers」という規格が策定されるらしい。
俺は正直マルチスレッドはよくわからない。
そんな覚えることを増やさなくても。
と思ったけれど、

JavaScriptへのマルチスレッド・プログラミングの導入
http://www.infoq.com/jp/articles/js_multithread

を読んで、なるほどなーと思った。

Ajaxは、Asynchronous JavaScript and XMLの略であり、Asynchronous(非同期)であることが画期的だった。(Google Mapsの登場まで気づかれてなかったけど)
同期処理だと何かを処理している間はほかの処理はできないけれど、
非同期処理は、サーバからレスポンスが返ってくるまで別のことができる。

こっちで処理をしてる間にサーバでも処理をして、
いわばマルチスレッドを擬似的に実現してきた。
でも、それだと不十分なところもあって(詳しくは上のリンクを参照)、
プログラマは技術を求められる。

Web Workersでそういう状況は改善されるだろう。

一方で、既往のJavascriptライブラリは大規模な書き直しを求められる。
別に書き直さなくても動くけど、
Web Workersをうまく使ったライブラリが新しく出たら、勝ち目はない。

とりあえず俺も、マルチスレッドを覚えないと、
マルチスレッドをうまく使えるプログラマには手も足も出ない。

2009年2月19日木曜日

見えない死、隠される生

最近、歯医者に通っている。
虫歯があって。

そこの診察室には席が3つあって、
1人の若い男の歯科医が順番に診察していく。
だから、呼ばれて診察イスに座っても時間がある。
今日も、最初に麻酔を刺されて、
しばらく放置プレー。

俺は本を開く。
最近、鷲田清一の「死なないでいる理由」という本を読んでいる。



まだ全部読み終わっていはいないけれど、
その中に「見えない死、隠される生」という章がある。

新聞にテレビに、友達との話題に、
死は溢れているけれど、
本当に「死」ぬところを見る人は稀だ。

例えば、親の死でさえ、
病院で心電図や血圧の数値と
医師の死亡宣告に翻訳されて、
死はもはや感じるものではなく
ニュースになってしまった。

要するにわたしたちの社会では、生きるうえでもっとも基本的な出来事がもっとも見えにくい仕組みになっている。食材となる生きものの死体処理、食材の輸入調達、女性の出産、人の死と死体の処理などの場面が視界から外されている。で、調理された肉を、パックされた食材を、胎脂や血液を拭われた新生児を死化粧をほどこされ正装した遺体をしか、わたしたちは見ないのである。

と鷲田は言う。

思えば大学生活は、
見えない死を知っていく過程でもあった。

医療に関わるひとは、まさしく人の死を、
法律に関わるひとは、人が社会的に殺されるのを、
文学に関わるひとは、言葉が滅びていくのを、
教育に関わるひとは、子供の目が死んでいくのを、
国際協力系のひとは、海の向こうでの貧困や戦争を、
農業に関わる人は、人が生きるために犠牲になるものを。

みんな、
他の人には見えにくい、それでいて、それぞれに重い死を
それぞれの目に刻み付けていく。

誰かが死ぬ、
何かが消滅するということは、
場所が一人分ぽっかり空くということで、
その穴を埋めることが
自分の居場所になるならそれもいい。
俺たちは誰かにもらったバトンを小脇に走っている。

早く俺の歯に空いた穴も埋めてほしいな。


と思ったところで先生が来て、歯を削り始める。
ちょっと響きますねー、と言われたけど
ぜんぜん痛くない。
麻酔されてるから。


そう、現代では痛みすら隠されている。


世界のどっかでは、
人は基本的には死ななくて、
でも人の恨みを買うから呪われて死んでしまう。
という世界観があって、
法律はないけど、
みんな呪いが怖いから角を立てずに仲良くする。
俺はそのシャープなものの見方に度肝を抜かれた。

でも、そういう風に、
心に落下防止フェンスを張るバランス感覚は
人類が普遍的に持っているものと思う。


たとえば、
宮崎駿は、もののけ姫のインタビューで、
タタリガミに呪われた主人公アシタカは、
アレルギーという呪われた体を抱えて生きていかなくてはいけない現代人を重ね合わせてみた、
みたいなことを言っていた。
その呪いとはつまり、
自然を壊した罰ということらしい。


たとえば、
虫歯は呪いだと子供の俺は感じていた。

他の生き物の命を奪って食べて、
しかもけっこう捨てる、肉食動物ニンゲン。
俺たちはきっといろんな恨みを買っている。
だから虫歯は、
歯を蝕む呪いであり、
甘い思いをしてすいません。
野菜食べるんで許してください。
と懺悔させるための戒めだった。
俺のおやつ断ちは3日と続かなかったけれど。


でも人類は、科学技術でもって
呪いさえも克服しようとしている。
ひょっとすると、隠蔽しようとしているだけなのかもしれない。

上の本に、パスカルのこんな言葉が引かれている。
われわれは絶壁が見えないようにするため、何か目をさえぎるものを前方においた後、安心して絶壁の方に走っている。

それが生きるということなのだとしたら、そんなに虚しいことはない。
虫歯は痛い方がいい。
痛かったら甘いもの断ちするのに。
と、帰り道に菓子パンを頬張りながら思っていた。

2009年2月18日水曜日

「踊れるロック」

映画版ピューと吹くジャガーのCMを見て、ふと主題歌に目が止まった。
Franz Ferdinandって書いてあって、
あーそんなバンドもいたっけ。

ファーストはマニアックな感じで良かったけど、セカンドはなんか世間受けしそうな感じの音楽だった。
逆に率直に言うと、あんまし面白くなかった。
もういいや。

って思ってたけど、
CDショップに行ったら試聴コーナーがあって、聴いてみたらサードは意外とマニアックな感じで好きだった。


Franz Ferdinand - Ulysses

ロックとダンスミュージックの融合っていうのがよく言われてもてはやされる風潮になってきた。
踊れるロック。
Franz Ferdinandはその走り的なポジションのバンドで、1番があって2番があって、みたいな単純な形式にしばられない曲もあるんだ。というのを知らせるのに一役買った。

ダンスミュージックはでも、繰り返しばっかりなのがつまらないと言われてきたのに、翻って考えればロックの方が実は形式にこだわって単調だった
っていうのが不思議な気がする。


で、話は全然変わって、
日本の音楽の話。
最近、どんなバンドがいいのか友達に聞いたら、
サカナクション。
という答えが返ってきた。
最近サードを出したらしい。


サカナクション - ネイティブダンサー

サカナクションもFranz Ferdinandと同じで、
俺はファーストは好きだったけどセカンドはあんま好きじゃなく、でもサードでまた好きになった。
なんかボーカルがちょっとねちっこい歌い方なのが嫌だけど、これだけ電子音の使い方がうまいのは、Nirgilis以来の衝撃? 最近は邦楽ほとんど聴かないのでよく知らないけど。
でもなんか、日本のもいいなーと久々に思った。

2009年2月15日日曜日

個人的メモ

何の表かはナイショです。

Topics

Themes

Issues

Overarching Theme

Topic 1.1
Adapting to Climate Change

Theme 1:
Global Changes & Risk Management

Providing Water for Sustainable Development

Bridging Divides for Water

Topic 1.2
Water-related Migration, Changing Land Uses and Human Settlements
and water

Topic 1.3
Managing Disasters

Topic 2.1
Ensuring Water, Sanitation and Hygiene for All

Theme 2


Advancing Human Development and the MDGs

Topic 2.2
Water for Energy, Energy for Water


 

Topic 2.3
Water and Food for Ending Poverty and Hunger

Topic 2.4
Multiple Use and Functions of Water Services

Topic 3.1 Basin Management and Transboundary  Cooperation


 

Theme 3


Managing and Protecting Water Resources and their Supply Systems to Meet Human and Environmental Needs

Topic 3.2
Ensuring Adequate Water Resources and Storage Infrastructure to Meet Agricultural, Energy and Urban Needs

Topic 3.3 Preserving Natural Ecosystems

Topic 3.4


Managing and Protecting Surface, Ground, Soil and Rainwater

Topic 4.1


Implementing the Right to Water and Sanitation for
Improved Access

Theme 4


Governance and Management

Enabling Mechanisms for Development

Topic 4.2


Improving Performance Through Regulatory Approaches

Topic 4.3


Ethics, Transparency, and Empowerment of Stakeholders

Topic 4.4


Optimizing Public and Private Roles in Water Services

Topic 5.1


Sustainable Financing for th Water Sector

Theme 5


Finance

Topic 5.2


Pricing Strategies as a Tool for a Sustainable Water Sector

Topic 5.3


Pro-poor Financing Policies and Strategies

Topic 6.1


Education, Knowledge and Capacity Development Strategies

Theme 6


Education, Knowledge and Capacity Development

Topic 6.2


Water Science and Technology: Appropriate and
Innovative Solutions for the 21st Century to Address the Needs of Society

Topic 6.3


Using the Assets of Professional Associations and Networks to Achieve the Millennium Development Goals

Topic 6.4


Data for All



Topic 6.5


Water and Culture

2009年2月14日土曜日

Struts1.2から乗り換えたい。

サブタイトル:
Microsoftの底力を感じたことその2。


仕事の話&ひとりごとです。

めっちゃマニアック、しかも適当なので、
詳しくない人は基本飛ばし読みで、
詳しい人は「は? なにこの適当な知識」と思ってもスルーでお願いします。



Struts 1.2を使ってるけれど、
最近、オライリーの「J2EEデザインパターン」で一から勉強しなおしていると、

コンテンツキャッシングというテクニックが出てきた。
これは、動的に生成されるページを毎回毎回生成していては効率が悪いので、
サーバ側で一定時間はキャッシュして、表示を高速化しよう、というもの。

で、これを実現しようと思って検索していると、
どうもStruts1はもう時代遅れだということと、
といってStruts2とかJSFとかを使ったからといってコンテンツキャッシングの機能は自分で実装しないといけないっぽい、
ということがわかった。

けっこうめんどくさそう。
いままであんまりJ2EEの仕組みを理解しないままStrutsを使っていたので、もう一度勉強し直した方がいいのかも。
とりあえず、Struts1はXMLの設定がめんどくさいから別のに変えようかな。
SAStruts、OSCache、Spring、EJBとか、ググればいろんなのが出てくるけど、詳細は調査中。
とりあえず、Struts1.2は捨てたい。


話は変わって、
しかし、調べていくうちに知ったけど
ASP.NETは標準でキャッシング機能を備えている。




.NETフレームワークは触ったこと無いし、仕事ではJavaを使うので採用できないけど、
でもやっぱしお金かかってるだけあるなーと思った。
いろんな機能が満載、
ウェブプログラマーは垂涎の出来映えだ。
って、俺は初心者なのでよくわからんけど。

これが、世界一のOSをつくる企業の底力。
Microsoftの悪い所はなんでもひとりでやってしまうことだけど、
コミュニティの力なしにここまでのものを作り上げるのは、ほんとにすごい。

孤高の天才。

というとカッコいいけど。

でもやっぱり、
もうちょい協調性を重んじて欲しい。と思った。

2009年2月13日金曜日

Jim O'Rourke

いまさら気づいた。
Jim O'Rourkeは日本に住んでいた。




YAMAHAと岩井俊雄が生み出した奇跡の電子楽器、TENORI-ONの演奏で格の違いを見せつけるJim。
Jimは、くるりの「図鑑」のプロデュースで日本人にも有名。なのかな?
「図鑑」はいささかマニアックな仕上がりだったと巷ではいわれるけれど、確かにこのおっさんと岸田繁の絡みはなんかオタッキーなにおいがする。ヴィジュアル的に。
電子機器をいじるぽっちゃり系外国人と、メガネやせ形な日本人。

シカゴ出身っていわれると、あーなるほどっていう音作り。
でもどこか和風な感じがする。
音の重ね方とかが、雑な様で意外と繊細。


でもいいなー、
TENORI-ONほしいなー。
と思っても虚し。
値段は2ケタ万円。

WTF

誰にでも弾けるけれど、こういう格の違いを見せれる人のための楽器らしい。

2009年2月12日木曜日

ジャンプの三原則

今更、クロサギを読んだ。




過去に詐欺に遭った父親が無理心中を図り、ひとりだけ生き残った主人公が詐欺師を詐欺にかけて復讐する。という話。
これを読んでいて俺は面白いと思ったけれど、
それはきっと詐欺に興味があるからではない。
主人公がすべてを遠ざけて一人きりで生きていく、その姿にふと共感するからだ。


少年ジャンプの三原則って知っていますか?

友情、努力、勝利 。

少年マンガはこれを外しては書けないし、
つまりは少年はこれなしでは生きられない。
人はパンのみにて生くるにあらず。

が、最近、俺にとってはこの少年性がむしろ息苦しい。


努力はしたい。
それは確かに。

しかし、勝ち負けに意味はない。
勝ち続けて誰かを蹴落とし続けるよりも、
負け続けてもしたたかに生きていたい。

そして、友情は邪魔だ。
ひとりで生きていたい。
誰も傷つけず、
誰にも傷つけられたくない。


もちろん、
それが大人になるということではたぶんない。
ないけれど、俺には友情も勝利もしっくりこない。
だからこそ、もっとジャンプを読もう。と思った。

違う視点だとしても、
たとえわかり合えないとしても、
わかろうとしなくてはいけない。
それが大人になるということだと信じつつ。

2009年2月11日水曜日

シェルでオブジェクト

驚愕。

しているのは俺だけ?


Windows PowerShellで変わるスクリプティング環境
http://builder.japan.zdnet.com/sp/windows-7/story/0,3800092267,20387781,00.htm


今更知ったMicrosoftの底力。
ずっと知らなくてすいません。的な気分になった。

Windowsのシェルの使いにくさときたら、なかった。
Unix系のそれと比べれば、まるで幼稚園児のようだった。
grepもろくに使えない。
lsじゃなくてdirって何?
ふん。所詮はWindows、恐るるに足らず。

みたいに笑えていたのはもはや過去の話。
今、MacとLinuxは震え上がっているに違いない。
シェルがオブジェクト指向になっている。

Windows PowerShellでは

PS> $files = ls

みたいにlsの結果をオブジェクトとして扱える。(ついでに言うと、lsが使える!)
それでもって例えば、

PS> $files.length


とすると、lsで得たファイルの数が表示される。
こんな文法をシェルで見る日がくるとは思わなかった。
Pythonとかみたい。


これにMacやLinuxは勝てるのか。


Linuxはもうbashを離れられない。
Windowsは前のシェルスクリプトがしょぼかったから互換性を保ちつつ革新的な新しさが達成できたが、シェル環境がこれ以上ないほど整えられたLinuxは身動きがとれない。少しbashを変えただけでエラーの嵐が起こる可能性がある。

↓例えば、bashをオブジェクト指向「っぽく」書くことはできる。
http://mediakey.dk/~cc/bash-shell-object-oriented/

でも、定められた言語設計をごまかすことは難しい。
下の方に厳しいコメントが続いていた。


Macはどうか。
まあbashを捨てることはできるかもしれない。
しかし、Applescriptにはインタラクティブシェルがないし、じゃあMicrosoftのようにシェル言語を新しくつくるかというと、
そんな余裕はないだろう。
Objective-Cのように、bashをオブジェクト指向っぽくするのに一肌脱いでくれるなら、みんなKHTMLを巡ってあった確執も忘れてAppleはオープンソースの英雄とたたえられるかもしれない。
俺はObjective-Cは見慣れない感じで嫌いだけど。
それでも、Macのbashはしょぼいって言われている現状を思うと心配。


でも、ここまで書いて思ったのは、
上に「Pythonとかみたい」って書いたけど、
シェルとかマクロ言語とかを捨てて
「Pythonとか」グルー言語を使えばいいのかな?
ちょっと遅そうだけど。


どの方向が正しいのかわからない。
でもとにかく、Windowsが盛り返してきそうな、勢いを感じた。

2009年2月10日火曜日

ロボット演劇

久々に演劇を見に行く。
実に3年ぶりに。


大阪大学社学連携プロジェクト ロボット演劇『働く私』

脚本・演出:平田オリザ
演出補:岩井秀人
テクニカルアドバイザー:石黒 浩(大阪大学)
ロボット側監督:黒木一成(イーガー)

出演:古屋隆太、井上三奈子、三菱重工業製「wakamaru」

協力:(有)アゴラ企画・(株)イーガー・三菱重工業(株)



舞台はお茶の間。若い夫婦、祐治と郁恵は2体のロボット、タケオとモモコと同居しています。せっせと料理を作るモモコは、この家でなくてはならない存在になっていますが、タケオは「働きたくない」と悩みます。話が進むにつれ、祐治も働くことができない存在だということが分かってきます。
 日常生活の中にロボットがいる風景の中では、人とロボットとのコミュニケーションだけでなく、人と人、そしてロボットとロボットとのコミュニケーションが浮かび上がってくる、ということを、この短編劇は仄めかしています。(http://www.osaka-brand.jp/kaleidoscope/robot/index.html




ロボットダンスは人間が踊るし、
ロボットロックは、近未来的なかぶり物をしたDaft Punkの曲だが、まああれも一皮剥けば人間だ。
人とロボットが交わるとき、
そこには新たな発見と感動がある。


しばしば演劇と人形浄瑠璃が比べられ、
人間の俳優は人形には勝てないと言われる。

なぜなら、人間には魂があるから。
それって、役柄の「入れ物」としては、致命的な欠陥だ。
傷物であればこそ、人間の方が人間に愛されるけれど。


人形は完璧だ。

では、ロボットは完璧なのか。

いや。
そんなことはない。

ロボットは人形とは違う。
ロボットには魂はないけれど、魂に似たものがある。
それをプログラミングと呼ぶか魂と呼ぶかはさておき、
どう動くかを自分で決めるロボットは、
ぎこちない。

そのぎこちなさが、
不完全さが、
きっと人間と似ているのだろう。

だから、人間とロボットの交流は、
ある意味で傷のなめ合いのようだ。
ほんとは交流している気がしているだけで、
人間の思い込みだとしても。

そこからいつも、新しいものが生まれてくる。
このロボット演劇は、そんな可能性を秘めていると思った。

2009年2月9日月曜日

Noel Gallagher首相

Noel Gallagher inspired by Barack Obama to become Britain's prime minister? - NME
http://www.nme.com/news/noel-gallagher/42609


イギリスのバンド、オアシスのノエル・ギャラガーが、バラク・オバマを見て、
俺もイギリスの首相になろうかな。
みたいな妄想をしている。

LOL


Radiohead、Bloc Party、U2と社会派バンドが勢揃いするUKロックシーンの中で(U2はアイルランドだけど)、
オアシスは何をしてきたのか。
もちろん売れる曲は出したけれど、音楽以外にしたことといったら暴言を吐くことくらいだろう。
その汚さといったら。
ノエルはオバマの演説のうまさに感動したらしいけれど、
なるほど、ある意味でノエルの暴言はオバマに匹敵する。


去年は、イギリスである世界最大のロックフェス、Glastonbury FestivalのヘッドライナーをJay-Zがつとめることに噛み付き

「(フェスティバルを)ぶち壊すっていうんなら、誰も行かなくなるだろう。ジェイ・Z? 悪いけどあり得ない。グラストンベリーにヒップホップは要らないね。間違ってるよ」(http://www.afpbb.com/article/entertainment/music/2378591/2835541


と言って物議をかもした。
果たしてJay-Zは、そんなディスをネタにするパフォーマンスを見せて、ステージは大成功した。
ノエルが負けた。とあちこちで囁かれた。

そこにあるのは、
ギターミュージックでなければダメ。という保守性と、
自分がイギリスの音楽を代表しているという思い上がり。
錆び付いた心。



今回のインタビューで、地下鉄改善のために
zero-tolerance for hoodies

なんて言っていて、労働者階級の代表の面をしていたのはいつの話なのか。


ノエルが、首相なんて。
寝言でも言って欲しくない。

2009年2月7日土曜日

くるり

くるりの新曲「三日月」を聴いた。


前のアルバム「ワルツを踊れ」はなんだかストリングばっかりで、壮大な感じが好きじゃなかったけど、
やっぱりくるりは偉大だ。と思った。

ちなみにこのブログのタイトルは、くるりの「ハイウェイ」の歌詞から取っている。
俺は、岸田繁を超える作詞家はそうそういないと思う。
メロディーは日本的だけれど、
その曲作りは日本離れしている。


日本の歌詞は、往々にして説明的すぎる。

恋を歌う曲は、恋を歌っていて、
勇気を歌う曲は、勇気を歌っていて、
ポニョの曲は、ポニョのことを歌っている。

なるほど、それはそれで当たり前かもしれない。けれど。


平田オリザは「演劇入門」の中で、
近代芸術と現代芸術は、伝えたいことが先にあるか、描写する世界が先にあるか、という違いがある
と述べている。

近代芸術は、宗教的や政治的な争いの中で、イデオロギーを伝える道具として使われてきた。
そこにはテーマが必ずあり、テーマを伝えるための世界をつくるのが芸術家の仕事だった。

しかし、芸術が宗教や政治と縁遠くなった現代では、テーマがない。
何かの主義主張ではなく、もっと心の奥深くにある何かを表現するために自分の目に写る世界のかたちを描写するのが現代芸術だという。

演劇はそうやって変わってきた。


音楽だって。
風景を描くようにあっていいと思う。


くるりの曲は、何のことを歌っているのか判然としない。
でも、何もわからないわけではない。
そのバランス感覚。

歌詞を頭の中で噛み砕きながら、
あ、こういうことかな。
と思った次の瞬間、
あ、違うか。
みたいなことを繰り返す。

なにか大事なことを思い出しかけて、
けれどすぐに忘れてしまうような、
ふわふわした感覚。

そこにテーマはない。
いろんな風景が、意味が、
浮かんでは消える。

抽象的な歌詞を書ける歌手はたくさんいるけれど、
ここまでテーマが希薄な曲は、
きっとくるりにしか奏でられない。

日本語もここまで進化したのか。

2009年2月5日木曜日

マインドコントロール

Throw away your cellphone!


と明石でカナダ人に言われたときのことをふと思い出した。
Museのライブアルバムのタイトル「HAARP」を見て。

はっきり言って書くのはめんどくさい。
小難しいどころか、はっきり難しい。
でも俺は、理系の人間としてこれを書かなくてはいけない気がする。
いつか誰かが「マインドコントロールされるぞ」という脅しにマインドコントロールされないために。


HAARPとは何か。

High Frequency Active Auroral Research Program、高周波活性オーロラ調査プログラムという、アメリカが行っている高層大気の調査プロジェクトだ。

地球の大気は、

という感じになっている。
この中間圏と熱圏の間らへんに、電離層という層がある。
HAARPは、この層を調べるプロジェクトだ。

では、電離層に何があるのか。
この層は、言ってしまえば
陽光に誘われて原子とか電子とかが踊り狂っている層で
この層に触れた電波はいろいろに変化する。
反射されたり、
吸収されたり、
波長が変わったり。

世界は電波でつながっているから、
電離層は時にひとのコミュニケーションを邪魔する。



その仕組みは未だによくわかっていなくて、
それを知るためにHAARPプロジェクトがある。
アラスカにある180本の超高性能アンテナで電磁波を電離層にぶつけて、
その反応を知ることで電離層の仕組みを解明するのが目的だ。


HAARPのメリットは、単に通信の確立にとどまらない。


例えば、電波の反射を考える。

地球は丸いから、普通に考えると電波が届くには限界がある。
地平線より向こうには送れない。
でも、電離層は電波を全反射することができるので、それをうまく使えば地球の裏側までも電波は届く。



例えば、波長の変化を考える。

波長が長い波は、いろんなものをすり抜けることができる。
電離層をうまく使って超長波を水中にある潜水艦と効率よく交信したり、地面に埋もれてるものを探したりできる。



そんな魔法のような電離層。
しかし、まことしやかな噂がいろいろある。


例えば、
強力な電磁波を送ることで電離層をコントロールすることによって、
気象を想いのままに操り、軍事用に使おうとしているという推測。
けれど、電離層に影響を与えるほどの電磁波(太陽並みのエネルギー)は簡単には起こせないし、
気象現象が起こるのは一番下の対流圏(0-17km)で、
電離層(80-300km)とかなり離れていて直接気象に影響を及ぼすのは難しい。


そして、もうひとつが、
HAARPは、アンテナから出る電磁波を世界中に発射して、
電磁波によってマインドコントロールをしようとしている、という推測。
カナダ人も俺にそういっていた。

携帯電話はその電波の受信機であり、
あなたは携帯電話によって政府の意のままに動かされている。
政府の向こうには企業がいて、
あなたが何か商品を買おうとするとき、
それはあなたが欲しがっているんじゃない。
そう思わされているだけなの。
マインドがコントロールされてるんだよ。
だから、ケータイは危ないんだ。
ユー捨てちゃいなよ。


と言われても俺は、ケータイをスローアウェーする気にはなれない。
のはやはり、
マインドコントロールされているからなのだろうか。
俺の心はもはや、KDDIの虜なのだろうか。


その答えは、
俺が自分で考える。


マインドコントロールされているよ、と言われて
その言葉を素直に受け入れる瞬間が、
俺のマインドがコントロールされたときだ。


人は考えるのをやめた時に死ぬ。


そして、精神的に死んだ人間を狙っている輩がいる。


↓例えば、こんなサイト
世紀末超兵器HAARP
http://rerundata.net/08haarp/toc.html

このサイトは、オウム真理教のサイトだ。
(たぶん何もないと思うけど、閲覧するときは自己責任で)

宗教が悪いとは思わないけれど、
カルトに食い物にされることは許せない。


考えることを諦めずに生きていこう。
と強く思った。

2009年2月3日火曜日

Muse


Stockholm Syndrome - Muse


Museってこんなにすごかったんだ。
となんとなく気づいた。
しばらく聴いてなかったけど。

3人でこんな音が出せるって。
すげー。



ちなみにこの曲のタイトル、
ストックホルム症候群とは、

ストックホルム症候群(すとっくほるむしょうこうぐん)は、精神医学用語の一つで、犯罪被害者が、犯人と一時的に時間や場所を共有することによって、過度の同情さらには好意等の特別な依存感情を抱くことをいう。(Wikipedia


らしい。

こういう変な曲名がつけられるって。
すげー。

2009年2月1日日曜日

はじめての工学倫理


「はじめての工学倫理」斉藤 了文、坂下 浩司



高校のときは、科学なんて大嫌いだった。
でもなぜか理系クラスにいて、毎日が憂鬱だった。
成績はよかったけど、
科学を面白いと感じることはできなかった。
俺は、科学が面白いと感じるのは罪だと思っていた。
俺の中で、技術の進歩とは
戦争を悲惨にするだけのものだった。


それはきっと、
倫理の伴わない技術ばかりが目立つからだ。
ブレーキを踏まない車の方が速いに決まっている。
でも、そんなものばかり見ている内に、
技術というのはそういうものだと絶望していたのだろう。


その絶望は今でも消え去らずに残る。
俺は科学を面白いと思うことはできない。


俺が技術者になりたい理由は
科学が好きだからではない。
科学が嫌いだからだ。
嫌いだからこそ見えるものが、きっとある。


今の技術にはどのネジが抜けているのかを知りたい。
そして、知ってほしい。
この本は、その一助となる貴重な教科書だ。