2009年12月30日水曜日

【本】アイヒマン調書―イスラエル警察尋問録音記録








新聞に「今年の三冊」という特集があって、
小説とかエッセイが当然のように並ぶ中で、
ひとつだけ、学者の人しか読まないようなマニアックなタイトルの本が混じっていたので、気になって読んでみた。


以下、あんまりまとめられない感想。
読みにくいよ。



オットー・アドルフ・アイヒマンは、
ナチス政権下のドイツで、ゲシュタポ・ユダヤ人課課長を努め、
数百万人のユダヤ人を強制収容所に送り込んだ。
戦後、アメリカ軍に拘束されるも脱走し、アルゼンチンに身を潜める。
しかし、1960年、イスラエルの諜報機関に拉致・逮捕される。
翌1961年4月から裁判が始まり、12月に死刑判決が出た。

この本は、
両親をナチスによって奪われたレス大尉が、
親の仇ともいえるアイヒマンに対峙し続けた、
その取調べの記録だ。

アイヒマンは、
ひたすらに自分の責任を矮小化しようとする。
「命令だったから仕方がなかった」
「自分は反対だった」
という弁明を繰り返す。

そして、自分が主体的にユダヤ人絶滅計画を推進したようなことは、
「絶対にしていない」
と頑なに否定する。
いかに資料や、同僚の証言がアイヒマンの残虐性を証明していても。

そうして必死に否定する箇所には必ずと言っていいほど、
アイヒマンに都合が悪い、隠しておきたい事実があった、
とレスは後書きで回顧している。



率直に感想を言うと、
面白い。
まるで分厚いホラー小説を読んでいるみたいに。

きっと、
小説を読んでいるみたいだと思いたいのは、
これが現実でなくてフィクションだと信じていたいからだろう。
面白がるのは、第三者の特権だ。
自分には関係ないから、面白い。


でもほんとは、
これは俺たちが生きている世界の話。
自分がその上に立って歩いて走り回っているのに、
何も知らない、この世界の話。

戦争のこととか、
人の心の暗い部分とかって、
知れば知るほど、
自分は何も知らないことがわかるだけな気がする。

ほんとに何も知らんねんなー、と思った。



でも、何も知らないことを差し置いても、
俺はやっぱりアイヒマンが実在の人間だと思えない。


人間じゃなくてなんなのか。


アイヒマンは、アイコンだ。
人間は、服従することでここまで残虐になれる。
「悪の権化」という、象徴化され、肥大化した存在だ。


たぶん誰もが、「アイヒマン」について語るとき、
それはアイヒマンという人物ではなくて、
「アイヒマン」という概念の話をしている。

それはアイヒマン自身も例外ではない。
アイヒマンは、過去の「アイヒマン」がやったことをまるで他人事のように話す。

例えば、
レスが自分の両親がナチスに殺されたことを話すと、
アイヒマンは「それはひどい!」と言ったそうだ。
アイヒマンは、それがひどいことだとは認識するけれど、
それは、自分がやったことだとは認識できない。
あくまで「アイヒマン」がやったことなのだ。


万事がそんな調子で取調べが進む。
取調べはレスがアイヒマンを取り調べるというよりも、
レスとアイヒマンが、「アイヒマン」は悪だったのかを議論する、
という構図で話が進む。

それはなんだか、とても虚しい。

ドイツは敗けたし、
アイヒマンは死刑になった。
でも結局、
「アイヒマン」の勝ち逃げなんじゃないか、
とふと思ってしまう。

なんか、悲しいとか悔しいとか、
よくわからない感情が湧き上がる。




Twitterで知り合いがつぶやいていたけど、
鷲田清一の「死なないでいる理由」という本の中で谷川俊太郎のこんな言葉が引用されている。
じぶんがだれかってことは、じぶんに聞いてもわからない。他人に聞いてもわからない。じぶんがだれかっていうことは、行為のうちにしか、現れてこないような気がする。じぶんが傷つけた他人の顔を見るとき、いくら疑っても、逃れようもなく、じぶんが、ここにいるのを感じる。

考えてることも変わるし、
細胞だって新しくなるし、
過去の「じぶん」が今の「じぶん」と同じかどうかわからない。

じゃあ「じぶん」は連続してないかというとそんなことはなくて、
「じぶん」という存在はいろんな他者との関係性の中にあって、
そうした他者との相対位置がいきなりは変わらないことが
「じぶん」の連続性を保証している。

その関係性の中には当然、過去の失敗とか罪とかがあって、
そういう過去の未熟な「じぶん」がやったことでも、
なんであんなことをしたのか今思うとわからないようなことでも、
「じぶん」の一部だと引き受けるからこそ、
「じぶん」の連続性は保たれる。


でも、
「逃れようもなく、じぶんが、ここにいるのを感じる。」と思わない人もいて、
思わない人は簡単に逃げられる。


ずるい。

2009年12月26日土曜日

ウルトラマーケットの続報

ウルトラマーケット閉鎖について、前ちょっと書いたけど
なんかぜんぜん続報がないなーと思ってたら、
Googleアラートに突然こんなのがひっかかった。



675 :名無しさん@公演中:2009/12/15(火) 00:08:46 ID:2wVbfC22




今までのまとめ~w


万歳一座の内藤氏と天下の台所改善実行委員会が、大阪城ホールを相手取って記者会見。

記者会見内容があまりにDQNと話題になり内藤氏側の程度の低さに対する叩きが始まる。

ウルトラマーケットのセキュリティ管理の甘さがウルトラマーケット撤退の一因となっていた事が発覚。

2ちゃんねるでの叩き激化。この頃より内藤氏に対して長文正論コメが入り始める。

同じ頃、天下の台所改善実行委員会改善委員会を小池氏が発足。関西府下で活動しているかなりの劇団に天下の台所改善実行委員会の不正を問うアンケートがメール展開される。

アンケートメールによりロム専が爆発的に増加、日中でも裏事情スレが繋がりにくい状況となる。

その後、天下の台所改善実行委員会改善委員会の小池氏が、内藤氏に記者会見同様の質問状を送るが内藤氏質問
には一切答えずといった内容の報告書がメールにて届く。

悪口を書くなという2ちゃんねるではありえない書き込みが目立ち始めるとともに、天下の内藤さん問題の晒し目的の煽りが入る。

2ちゃん撲滅委員会名義で、書き込み内容は火消しなのにage進行という訳のわからない煽りが入る。にわか2ちゃんねらの増加。火消しをしたいのか、炎上させたいのかが分かりにくいカオス。

天下の台所改善実行委員会改善委員会から、助成金制度の廃止も含めた改善要望が大阪市に提出される。←今ここ。

天下の内藤さん涙目。

http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/drama/1247834647/675

2chでは議論がめっちゃ進んでるみたい。
このスレ全体を読むにはここ → http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/drama/1247834647
どこまでほんとなのかは信用できないけど、
でもなんかウルトラマーケット側にも問題はあったのかなーという雰囲気。





南河内万歳一座のサイトに特設コーナーみたいなのができてて、
http://www.banzai1za.jp/um2009/aisatu.html
記者会見の議事録とか載ってるので、
時間ある時に2chのスレと照らし合わせながら読んでみます。
で、またブログにまとめます。

とりあえず。

2009年12月24日木曜日

マカロン

研究室でプリンをつくって余った卵白をもらってきて、
実家でマカロンをつくった。

もう実家でクリスマスイブを過ごすことも、
母親にいろいろ聞きながらお菓子をつくることも、
しばらくないのかなー。


↓ここを参考にした。だいぶはしょったけど。
http://www.cuoca.com/library/event/2009macaron/index.html


(注:マカロンをつくりたいひとは上のリンクを読んでください。
俺のはあんま参考にしない方がいいと思う。特にてんさい糖。)

【材料】
卵白:200gくらい
てんさい糖:80g+80g
アーモンドパウダー:35g
塩:適量

【作り方】
1. 卵白にてんさい糖20gと塩適量を加えて、ボウルに泡立て器でひたすら泡立てる。
2. 角が立ってきたらてんさい糖60gを入れて引き続き泡立てる。
3. アーモンドパウダーとてんさい糖80gをあらかじめ混ぜておく。はずだったけど忘れていた笑。ボウルに加え、泡を潰しすぎないようにへらでさっくりまぜる。
4. 天板にクッキングシートを敷き、生地を一口大に絞る。
5. 1時間くらい乾燥させて、表面に膜をつくる。はずだったけどめんどくさかったのでやめた笑
6. オーブンを210℃にして、天板を入れる。表面に焼き色が付いたら140℃に下げ、20分くらい焼く。
7. カリカリになっていたら完成。


【反省点】
・乾燥をはしょるべきじゃなかった。
・砂糖多すぎた?
・焼くときナッツとか乗せてもよかったかも。
・てんさい糖は色が黒くなるのでなんか微妙。
・なかなかカリカリにならなくて、何回か焼き直した。温度設定がイマイチ?
・正直、マカロンってあんま食べたことなくて、どういうのがおいしいのかよくわからない(致命的)。

2010年になるとできないこと。と思っていたこと。

2010年になると不可能になってしまうことがひとつある。
新しい時代はいつも、
古き良きものを端に追いやってしまう。


それはなにかというと。


その前にちょっと思い返してみてほしい。

2000年
2001年
2002年
2003年
2004年
2005年
2006年
2007年
2008年
2009年

この十年間に決定的な共通性がひとつある。
それは何かと言うと、




真ん中にゼロがふたつあること。





奇跡というものは連鎖するもので、
この、1000年に一度しかこない奇跡は、
↓こういう奇跡を生んだよねそういえば。




(出典:Flickr

というしょーもない話でした笑




これは、日本語では年号眼鏡とか西暦眼鏡とか呼ばれていて、
英語では「New Year's Glasses」とか「Glow-Year Glasses」とか言うみたい。


しかし、
人類の最大の発見と言われるゼロがふたつもある、贅沢な時代はもう終わり。
2010年になったらもうこういうのもつくれなくなる。




と思っていたら、




↓こんなのを見つけた。

(出典:Stereogum)

あっ、なるほど。

まあこの写真は合成やけど、
あー意外とできるねんな、と思った。


奇跡なんかに頼らなくても、できてしまう。
人間というものは、恐ろしい。



↓そもそも年号メガネは、2000年よりも前からあったみたいで、
年号メガネ集
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-Bay/1018/megane.htm



↓このページによると
http://www.huffingtonpost.com/2009/12/23/2010-new-years-glasses-su_n_400992.html
そもそも年号メガネは、1990年にシアトルのミュージシャンによって考案されたらしい。


奥が深い。

2009年12月23日水曜日

今年の10曲(2009年)

今年どの曲が印象的だったか、
というのを毎年年末に書くようにしてて、
いつも紙の日記の方に書いてるけど今年からブログに書こっかな。

これはあくまで、「俺にとっての」今年の10曲なので
別にめっちゃ昔の曲でも今年初めて聴いたら
俺にとっては「今年の曲」なわけで、
なんで今更この曲?みたいなのもあるけど、
その辺は自分用メモなので多めに見てね!


2009年12月19日土曜日

日記

忘れないために日記を書いているのか、

忘れるために日記を書いているのか、


俺はいまだにわからない。
日記(ネット上のやつではなくて、紙のやつ。自分しか読まない)を書き始めたり止めたりしてもう12年になるけど、ぜんぜんわからない。


えっ、そんなの覚えとくために決まってるでしょ。
というひともいるやろうけど、
忘れてしまいたいこととかも書いたりするやん。
書いたからもういいかと思って、
あっさり忘れてしまったりするやん。
大事なこととか。

ひょっとしたら人間の頭の中はテトリスみたいになっているのかもしれない、とふと思う。


つまりどういうことかというと、
いびつな形をした知識がゆっくり降ってくる。
それを俺たちは回転させ加速させ、
うまく窪みを埋めるように落とす。
そしてやがて、苦労の末に一列が揃って「やった!」と思った瞬間、その一列はどこかに消えていく。
そして上を振り向けばまた次のブロックが来ていて、ああ、そうか俺はこういう、終わらない闘いの渦中にいるんだった、と思い出す。
諸行無常な気持ちになる。


でも消えてしまう、というのはなんかちょっと違うか。
まあ、
テトリスって例えが無理矢理やんな笑


訂正すると、
どこかに行ってしまう感じがする。

それは、無意識に使えるようになるということだったり、文章としてアウトプットされることだったり。

まとまらない考えは頭をぐるぐるするけど、
まとまった考えには、無意識とか紙の上とか、どこか行き先があって、
悩みのトピックから消えてしまう気がする。


だから、
まとまったことを書くとか、
書きながらまとめるとかっていうのは、
覚えるためのようでいて
忘れることに手を貸している。


でも人間もバカではなくて、
あ、これって書くことのそういう機能に薄々気付いてるのかな、と思う瞬間がたまにある。
それは、昔の日記を見返していて、
「〇〇なんて死んでしまえ」とか、
「生きてるってつらいことばっかだね」みたいな、
忘れてしまいたいことを書き連ねているのを見つけたとき。
たぶんそのときの俺は、忘れるために書いていた。


でも一方でそれは、
忘れるためのようでいて、
覚えておくためにもなっている。

だってほら、
書いた文章を読むと、
うっかり思い出してしまう。
忘れたかった記憶を。
ちゃんと忘れたはずなのに。

覚えることも叶わず、
忘れてることも叶わず、
でも日記を書きたくなるのはなんでだろう。

今日書いたことも、いったん忘れてまた思い出すんだろうな。

2009年12月17日木曜日

【転載】DAYS JAPAN存続キャンペーン

DAYS JAPANが、廃刊の危機らしい。


いろんなところから、
定期購読してください!というメールが回ってくる。

でもトップページをみるとなにも書いてなくて、
ほんとかなーと思ったけど、
公式ブログに書いてあるからたぶんほんとなんだろう。



フォトジャーナリズムってなんなのかとか、
難しいことはわからないけど、
この雑誌の視点が好きだ。

ずっと読んだことはなかったけど、
今年の夏くらいの号でセミパラチンスクのことを特集していたのをみて手に取った。
世界で誰もが忘れようとしている街をみつめる、そのまなざし。


続いてほしい、と素直に思う。





以下転載。





広河隆一からのお願い(転送歓迎)
是非より多くの方々にこのお願いが届きますように、
みなさまお力をお貸しください。
転送、転載をお願い致します。

DAYS JAPAN公式サイト
http://www.daysjapan.net/

存続キャンペーン 
http://daysjapanblog.seesaa.net/article/135219671.html

-------------------
 DAYSは12月9日に日本写真家協会賞を受賞しました。
写真界では日本でもっとも権威ある団体から評価を受けて
うれしく思っています。
フランスのペルピニヤンでの審査員を務めるなど、
海外での評価も高まっています。
世界で今ではほとんど唯一となったフォトジャーナリズムの雑誌を
絶やしてはいけないという励ましも、多く受けます。

 東京都写真美術館では、サルガド展開催中に、
DAYSのサルガド特集号は300冊以上を売ることができました。
週末の私の大阪講演で、年間定期購読者は19人増え、
これでキャンペーン開始からの新規定期購読者は、
370人になりました。
私の写真展を開催していただいている三重県の宮西さんの
メールが発信されてたった1日半で、
21人の方々が定期購読を申し込んでくださいました。
これで390人になりました。
(宮西さんのメールは添付しますので、転送歓迎で広めてください)。
DAYSが存続をかけたキャンペーンをしているということを聞いて、
朝日ニュースターの上杉隆キャスターは、
22日(火)の8時から生放送を準備していただいています。
皆さんのおかげで、DAYSはなんとか6周年に向けて進んでいます。
「500人定期購読者が増えれば、存続できます」というキャンぺーンの
500人という数字に、あと110人に迫ってきました。
 

 しかし正直言いますと、
DAYSはまだ6周年を迎える3月以降も存続できるかどうか、
確約することはできない状況です。
お金が全くないというわけではありません。
DAYSはこれまでまったく借金をしないで、6年近く続けてきました。
そしてまだ私たちが手をつけていないお金があります。
それはDAYSにもしものことがあって、
休刊せざるを得ないことが起こったら、
すでに定期購読をしていただいている方々に、
残金を返金するためにとってあるお金です。
このお金に手をつけざるを得ない状態になりそうになったら、
私は皆さんに事情をお話して、
DAYS休刊のお知らせをする覚悟でいます。

 営業や拡販をする立場から言いますと、
年末年始の休暇は、恐ろしい時期です。
この時期には書店に行く人は激減し、
すべての雑誌の売りあげが低迷するからです。
今出ている12月号は店頭からあと数日で姿を消し、
1月号が書店に並びます。
しかし世間はすぐに年末・年始の休暇に入るのです。

 その前にこのメールを出しておきたいと思いました。
「努力すれば続けることができたのに、しなかったから休刊になった」
などと、あとで後悔したくないからです。


 これまでDAYSを支えていただいた方々にお願いします。

 まず定期購読をお申し込みください。
年内の特別キャンペーン中にお申し込みいただけますと、
定期購読料は7700円と1000円引きになります。
かつて購読していただいたけれども、
最近は購読を止めているという方は、
もう一度購読をご検討ください。
すでにご購読いただいているは、周囲の人に広めてください。
1人でも2人でも増やしてください。
定期購読期間がまだ残っている方も、
継続手続きを今していただけますと、7700円になります。

 あと数日で書店から姿を消す12月号も、
読んでいただいた方からは、高い評価をいただいています。
まだお読みになっていない方は、
ぜひとも書店でのDAYSを購入してください。
書店の人に、「おや? DAYS販売の流れが変わってきたな」
と思わせるような、動きを作りたいのです。

 ボランティアの方々にお願いします。
さまざまなイベントでのご支援、本当にありがとうございました。
物販、定期購読拡大、周囲の人へのDAYS購読呼びかけなど、
いま一度のご支援をお願いします。


DAYS JAPAN編集長

広河隆一


≪定期購読は下記の方法のいずれかでお願いします≫

方法①
DAYS本誌48ページ綴じ込みの振替用紙、または郵便局備え付け振込用紙にて7700円のご入金
(通信欄に、◆存続キャンペーンお申込みの旨◆お名前◆ご住所◆電話番号◆希望購読開始号をご記入ください)

方法②
FAXにてのお申込み
◆存続キャンペーンお申込みの旨◆お名前◆ご住所◆電話番号◆希望購読開始号
をご記入頂ければ別用紙でも結構です。
(後日お手元に払込用紙とDAYS JAPAN本誌をお届けします)
FAX 03-3322-0353

方法③
E-mailにてのお申込み

◆存続キャンペーンお申込みの旨◆お名前◆ご住所◆電話番号◆希望購読開始号
をご記入の上弊社まで送信ください。
(後日お手元に払込用紙とDAYS JAPAN本誌をお届けします)
E-mail info@daysjapan.net

2009年12月16日水曜日

Underworld


"Athens" Underworld



カールハイド天才やなー。



と思う。


歌ってるのかしゃべってるのかよく分からない。
歌詞もなんか、意味不明なことを言ってる。

例えば、名曲「Born Slippy」の歌詞をちょっと見ると、
Drive boy dog boy
Dirty numb angel boy
In the doorway boy
She was a lipstick boy
She was a beautiful boy
And tears boy
And all in your innerspace boy
You had
hands girl boy
and steel boy
You had chemicals boy
I've grown so close to you
Boy and you just groan boy
She said comeover comeover
She smiled at you boy.
とかって、あんまり意味がわからない。
まあ意味分かる歌詞だったところで、
俺には英語が聞き取れないし関係ないけど。

こんなに意味不明なのに。
なのに、意味深な曲になるのは、なぜだろう。
そういうバランス感覚が天才だと思う。


http://www.myspace.com/underworld
↑myspaceで視聴できる。
「Beebop Hurry」っていう名前のが、このアルバムに入っている曲。
この曲はUnderworld名義ではなくて、
Brian Eno & Karl Hydeという名義になっていて、
Brian Enoってたまに聞くけど誰なんやろうと思ってWikipediaを見ると

日本でもパソコンブームの火付け役となった、マイクロソフト社のオペレーティングシステム、「Windows 95」の起動音「The Microsoft Sound」は彼の作曲によるものである。「The Microsoft Sound.wav」のプロパティには彼の名が記されている。一般にはあまり知られていないが、世界中の多くの人々が知らず知らずのうちに彼の作品を聞いていたことになる

という豆知識が書いてあった。
あんな短い音にも作曲者いるんや、と一瞬思ったけど
たしかに、誰かが作らないとないもんね。


誰かやりそうでやらないこと。

誰にもできそうでできないこと。



そういうことをやる人を、世間は天才と呼ぶのだろう。
だからカール・ハイドは天才だと、改めて思った。

2009年12月11日金曜日

禁酒は今年いっぱい

禁酒は、今年いっぱいで終わることにした。
最初言ってた3月までというのからはだいぶ縮まったけど、
まあ3ヵ月禁酒したからもういいやんな笑

今後の方針としては、
(1)安い酒は飲まない
(2)嫌いなひとの前では飲まない
という感じになるべくしようと思う。

ということで、
来年1月以降になったにも関わらず、
飲み会とか飲み会の誘いで俺が、
「あ、禁酒中なんで」と言っていたら、
それは、飲み会メンバーの中に嫌いな人がいるからだと思ってくれて差し支えないです笑
(あ、高いお酒をおごってくれるひとは無条件に好きです!笑)

そういう、あからさまな生き方をしたい。

これがいいとか、いやだとか。
お酒の力を借りずに、
はっきりきっぱり言えるようになりたい。

そんなことを思った禁酒期間だった。

2009年12月9日水曜日

RED RIBBON FESTA 2009 -ぼくたちは、HIVのある社会に生きている-

12月1日は世界エイズデーでした。


エイズという、遠いようで近い問題。
あんまりよくわからへんやんね。
でも、そろそろ知っといてもいいんちゃう!

みたいなノリで、知り合いがイベントをやるので、
今週金曜日、もし時間があったら行ってみてください!



☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

※転送大歓迎!

◆RED RIBBON FESTA 2009
~ぼくたちは、HIVのある社会に生きている~◆


・イベント案内
みなさんはHIV感染が日本の若者の間で広がっていることを知っていますか?
「自分には関係ないこと…」と思っていませんか?

日本では1日に4人がHIVに新規感染/エイズを発症しています。
先進国では日本だけがこのような増加傾向にあります。
検査を受けなければ分からない感染…あなたはどう考えますか?


この現状を少しでも変えたい。
HIVやエイズについて伝えたい。

そんな想いを持って、
【RED RIBBON FESTA 2009】を開催します!

友達や恋人、親子で遊びにきて、音楽やダンスを通してHIV・エイズのこと一緒に考えませんか。

皆様のご来場を心よりお待ちしております。


-------------------

【日時】2009年12月11日(金) 19:00~22:00

【場所】cafe Fish!
http://www.cafe-fish.com/

【内容】
関西で活動する若手中心のバンド/ダンスグループのパフォーマンス!!
HIVやエイズに関するトーク

【料金】
500円(1ドリンク)

【主催】
神戸STI予防啓発グループ SHIP
http://www.ship-kobe.com/

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

2009年11月28日土曜日

ショールとの接し方がわからないよ。

去年の冬服はなんか軍服みたいだと評判が悪かったので、
今年はもっとエスニックになろうと思って、
フェアトレードの店で、フェアトレードではないショールを買った。

で、買ったはいいけど、
どうやって巻けばいいか悩んだり、
ドレープって何かわからず悩んだり、
そもそもショールとストールはどう違うのか悩んだり、
まあそんな感じ。

ポンチョみたいにすればいいのかな。
明日、安全ピンとかゴム紐とか、
なんか留めるやつを買いにいこうかな。


しかし、いくら巻き方がうまくなったところで、あかんなーと思った。 
エスニック過ぎるとなんかコスプレっぽい。
過ぎたるは及ばざるがごとし。


エスニックなニット帽 + エスニックなポンチョ = 山岳民族になりきりたいひと
みたいな方程式。


でもそれは、夏の祭りで浴衣を着るのと何が違うのだろう。
浴衣を着て俺たちは何をしたいのかと言うと、
きっと日本人になりきりたいのだと思う。


望むと望まざるに関わらず、
服装というものは何らかのメッセージを発信している。
いや、俺は服になんてぜんぜん気を使いませんからメッセージなんてないですよ、というひとでも「服に気を使いません」というメッセージを、発していないと言いきることは難しい。

みたいなことを、何かで読んだことがある。

つまり、人間は、裸の、「ただのひと」ではいられなくて、
「こういう人だよ」というメッセージを、服という形で身にまとって、「こういう人」になりきらなくてはならない。

人生という名の、コスプレコンテストを俺たちは生きているのだ。


そう思うと服選びは気が重い。
自分を選ぶというのは、いつでもしんどい。
別に俺は山岳民族になりきりたいわけじゃない。

ショールだけじゃなくて、
服との接し方がわからない。


といって裸で街を歩いたりはしないので、普通に接してね(笑)

2009年11月27日金曜日

最近の悩み(2)

今日、三回目の卒検(笑)に受かって、悩みがいっこ減った。


しかしもういっこの悩みはおっきくなるばっかりで、なんか憂鬱な感じ。

そう、準教授の話。

うちの準教授の中身が真っ黒なのにはうすうす気付いていた。
気付いていたけど、それを再確認してしまうのはやっぱり意外とショックで、だって俺は、その真っ黒さを差し引いても準教授はいい人だと思ってこの研究室を選んだから。


完璧な人間っていなくて、みんなどっか悪い部分を持ってる。
ふとした拍子に、そういう黒さが見えてしまうことがある。
それに怯えると、人と話したくなくなる。


ひとと話せば話すほど、
相手の悪い部分ばっかり見つけてしまう気がして。


話せば話すほど、
話したくなくなる気がして。


話せばその人を好きになるかもしれないけど、話さずに嫌いにならずにいるほうが無難だ。
俺はいつもそういう無難さにしがみつきたい。


でもたぶん、一番いやなのは相手のブラックさそのものではなくて、
あー、こいつも心の中は真っ黒なんやろうな。とか思いながら、でもそんなふうに思ってることを隠しながら相手と笑い合えてしまう、じぶん。


そういう俺の心こそブラックだよね。

みたいな、まあ大げさに言うとそんな悩みが最近あって、人と話すことからなんとなく距離を置いてしまう。
まあでも現金な性格なので、忘年会シーズンにはたぶん治るかな(笑)
禁酒は続いてるけど、飲み会には全然行きたいので誘ってくださいね!!

2009年11月26日木曜日

【値下げ】国際協力コンソーシアムVol.5~あなたと国際協力をつなぐものは一体なに!?~

以前にもブログに載せたイベントですが、
参加費が2000円値下げされたのでもっかい。





参加型開発研究所の中田豊一さんを講師に招いて、
国際協力に関心があるひとを対象に合宿イベントを行います!
ファシリテーター講座とディスカッションだけのシンプルな内容ですが、
今後国際協力に関わっていく土台の部分が、ぎゅっと凝縮されています。

年末は忘年会とかでお金がなくなるシーズンですが、
参加して得した!と思えるようなイベントにするので、
興味がある方はぜひご参加ください。




また、興味がありそうな方、
MLにご転送いただければさいわいです。
よろしくお願いします。


(転送歓迎)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【国際協力コンソーシアムVol.5】
~あなたと国際協力をつなぐものは一体なに!?~
12月12日13日(一泊二日)@京都府立ゼミナールハウス
主催:ICC関西
http://www.icc-kansai.org/event/261.php
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

ICC関西は、関西の国際協力系学生団体におけるネットワーク構築を目指し、活動しています。今回のイベントでは、国際協力の現場で必要なスキル習得の機会と自己の国際協力に対する問題意識を語り合う場を提供します。

<内容詳細>

①ファシリテーター講座

この講座では、一般に考えられているような、ワークショップの進行役としてのファシリテーターという枠を超えて、途上国での援助活動やNGOなどの組織運営で活用可能なファシリテーションの技能を習得することを目指します。 
講師は、参加型開発研究所主宰の中田豊一氏をお招きしています。
この講座を受けることで、例えば、プロジェクト活動先の現地の人々との対等な関係作りのための対話術や、さらにその関係から一歩踏み込んだ、課題解決に向けた質問法を身につけることができます。
このファシリテーター講座は、中田氏の国際協力の現場第一線での経験と行動科学の理論に基づき、独自に体系化させたものです。他では経験できない「目からうろこ」が落ちるような瞬間が、あなたにも訪れること請け合いです。


② ディスカッション

ファシリテーター講座で学んだことを活かし、国際協力に対する自己の問題意識や想いを語り合い、新しい方向性・問題解決への道を模索するためのディスカッ ションをおこないます。このディスカッションでは、オープンスペーステクノロジーというファシリテーション手法を使用します。この手法を使うとどうなるの で しょうか?
ディスカッションの結果や方向性は全くわかりません。
「私達の世界を豊かにするための将来の課題と機会とは?」というメインテーマが決められているだけです。個々のディスカッションは、参加者の提案でテーマが設けられ、話し合いがもたれます。
例えば、以下のようなディスカッションがあるかもしれません。
「どうしても国連職員になりたい!」
「もっとみんなに世界の貧困問題を知ってほしい!」
「チームのみんなが同じ目的を共有できない」
中田氏の講座で得たスキルを用い、このディスカッションに挑むことで、多様な視点からの様々な意見が飛び交うことを期待しています。


<日程>

時間 当日スケジュール
12月12日(土)
13:00~13:10 開催の挨拶
13:20~13:50 アイスブレーク
14:00~18:00 ファシリテーター講座
(講師:参加型開発研究所主宰 中田豊一氏)
18:00~20:00 夕食、入浴
22:00~22:00 ディスカッション、別室でミニワークショップも同時開催
22:00~ 就寝、もしくは、自由時間
12月13日(日)
9:30~10:00 アイスブレーク
10:00~12:00 ディスカッションの続き
13:00~17:00 ディスカッションの成果の共有
18:00~ JR京都解散、お疲れさま会(自由参加)



【日時】
12月 12日13:00~ 13日17:00

【場所】
京都府立ゼミナールハウス(http://www.kyosemi.or.jp/
※当日JR京都前、新都ホテルから無料送迎バスで会場に向かいます

【参加費用】
参加費用 6000円(宿泊費、食費込み)
※当日支払い

【参加方法】
こちらのページから
件名‚に「国際協力コンソーシアムVol.5」、
本文に、名前、所属先、当日連絡先(携帯メールアドレス、携帯番号) と記載し、送信してください。

【予定定員】
約30~40名

【応募締め切り】
12月4日
先着順ですのでお早めにお申し込みください。
たくさんのご応募、お待ちしております♪


<講師紹介>

*中田豊一氏
現在、参加型開発研究所主宰として、途上国の開発援助現場での調査研究・NGO職員のための研修・コンサルティングに力を入れている。他にも、非常勤の役 員として、NPO法人シャプラニール市民による海外協力の会代表理事、NPO法人市民活動センター神戸理事長、NPO法人ソムニード代表理事(共同代表) など、数々の開発援助分野の第一線で活躍している。

<ファシリテーター紹介>

*鈴木陵氏

1987 年生まれ。関西学院大学総合政策学部在籍中。高校時代に読んだ本がきっかけで国際協力分野に興味を持ち、大学入学と同時に国際交流・国際協力支援団体 CLUB GEORDIEに所属2008年度には事務局長を務める。開発教育などの参加型の学びの場との出会いをきっかけに、ワークショップなどの場づくりに関心を 寄せている。
現在は教育分野のNPOシチズンシップ共育企画に所属し、「セルフカルチャープログラム」と「教育ファシリテーター講座」を担当。自身もファシリテーターとしての「あり方」と「やり方」を磨くべく修行中。



<ちなみに・・・>

あなたが団体運営の中でなにか悩みを感じているなら、
ICC関西に相談してみてください。
そしてもし、時間が許すなら、ミーティングに遊びにきてみてください。
ICC関西ならきっと、あなたのお役に立てるはずです。
お気軽にメールしてくださいね!

↓連絡は、こちらからどうぞ!  

【お問い合わせ】

関西国際協力コンソーシアム(ICC関西)
HP: http://www.icc-kansai.org/

2009年11月25日水曜日

"I don't feel pleasure and I don't feel pain"

Mogwaiの曲で、Iggy Popのインタビューをサンプリングしている「Punk Rock」と言う曲がある。
Iggy Popの曲をマトモに聞いたことないけど、
"I don't feel pleasure and I don't feel pain"と言っている部分が、なんとなく耳に残った。
うれしくないし、苦しくもない、
なんかそういうニュートラルな瞬間って、
確かにあるなーと思って。

寝起きのまどろみ。

ランナーズハイ。

あと、演劇で舞台に出てるときもそんなんだった気がする。


ああいう瞬間っていうのは一体何なんだろう。



I'll tell you about punk rock: punk rock is a word used by dillitante's and ah... and ah... heartless manipulators about music that takes up the energies and the bodies and the hearts and the souls and the time and the minds of young men who give what they have to it and give everything they have to it and it's a... it's a term that's based on contempt, it's a term that's based on fashion, style, elitism, satanism and everything that's rotten about rock'n'roll. I don't know Johnny Rotten but I'm sure... I'm sure he puts as much blood and sweat into what he does as Sigmund Freud did. You see, what sounds to you like a big load of trashy old noise is in fact the brilliant music of a genius, myself . And that music is so powerful that it's quite beyond my control and ah... when I'm in the grips of it I don't feel pleasure and I don't feel pain, either physically or emotionally. Do you understand what I'm talking about? Have you ever felt like that? When you just couldn't feel anything and you didn't want to either. You know? Like that? Do you understand what I'm saying sir?

しかしIggy Popは頭良さそうにしゃべるなー。


ちなみに、Wikipediaには
またイギーは、ステージ上で嘔吐したり、ナイフで己の体を切り刻んだり、裸でガラス破片の上を転げまわって血まみれになったり(そのまま救急車で搬送される)といった奇行を繰り返し、過激で暴力的なロックミュージシャンとして悪名を馳せる。
と書いてあって、
これを読んでしまうと"I don't feel pleasure and I don't feel pain"という言葉はもはや気持ち悪いけれど。。

2009年11月22日日曜日

ht-03aを買おうと思ったけどやめた。

噂のGoogleケータイを買おうと思って、でもやめた。


理由その1)ケータイ代が今よりちょっと高くなる。

まあこれは当たり前か。便利さに金はかかる。
パケット使い放題みたいなのに入らないといけなくて。




理由その2)iモードメールが使いにくい。
ht-03aはGmailを使うことを想定しているらしく、
@docomo.ne.jpみたいなメールアドレスが、使いにくい。
というのは、使えることは使えるらしいけど、
iモードのパケットはパケット使い放題の中に入ってなくて別計算になる。
つまりお金がかさむからあんまり使いたくない。



理由その3)Flashが見れない
ということは、完全にパソコンの代わりをすることはできなくて、
Flashのサイトを見るためには帰ってパソコンを開かなくてはいけない。

部分的にFlashが使ってあるサイトってけっこうあるので、
意外と不便だったりする。
例えば、写真を何かのサイトにアップロードする時とか。

でも、Appleが市場を独占するためにFlashを導入できないiPhoneとは違って、
次世代機種ではFlashが導入されている。




ということで、
料金も便利さも、まだ買い時じゃない気がして、
3年半前に0円だったケータイをまだ使い続けることにした。

2009年11月20日金曜日

謝って済むなら誤っても済むのか。

謝って済むなら警察は要らない。

というのは誰が考えた言葉なのだろう。
これはつまり反語的に、
謝って済むわけがないから、「警察は必要だ」と言っているということで、
公権力の必要性を臆面なく肯定するそのスタンスは、なんだか庶民感覚じゃない。

そんなに警察好きなん?
俺はあんまり好きじゃない。



いやあるいは、こんなシチュエーション。

「うーわ、バンパーへこんでるわ。何してくれるねんわれ!」
「す、す、すいません…ちょっとよそ見をしてて。ほんますいません!」
「あのな、謝って済むなら警察は要らんねん。」
「(警察と聞いてちょっと挙動不審になる)あ、あ、あのー…ちょっとなんか厚かましいんですけど、警察は呼ばんといてもらえませんか。勤務中に事故ったって上司に知れたら…」
「(弱みを聞いてしめたと思いつつ語気を強める)はあ?、そんなん知るかいな。謝って済むなら警察は要らんにゃ! どないしてくれるねん!」
「すいません。ほんますいません。もう二度としませんによって」
「二度もぶつけられたらたまらんわ! わからんやっちゃな、謝って済むなら警察は要らんちゅーとるやろ」
「ほんならどうすれば…」
「しゃーから言うとるやろ。あ・や・ま・っ・て・す・む・な・ら(ゆっくり強調して)警察は要らんねん。俺が言うてる意味わかるか?」
「あっ…(ポケットに手を入れるて財布を取り出す)これくらいで許してくれはりますか?(一万札を数枚、相手に差し出す)」
「(にやけつつ受け取る)わかったらええんや。」


みたいな感じで、「警察」というみんなが恐れるキーワードをちらつかせることで、謝る以上の行為を強要する。恫喝の定型句だという可能性。

お金で済むから警察は要らない。
そんな、現実。



まあそんなことはどうでもよくて、
マイケルジャクソンの話。
生きてたときは、整形してるとか、幼児虐待とか、バッシングをさんざんしておいて、
死んだら「マイケルってすごかったよね実は」みたいに手のひらを返す。
メディアも、リスナーも。

マイケルは謝らないまま死んでいって、
世界は謝らないまま誉めちぎる。
それの何が悪いのかと聞かれると、よくわからない。
わからないけれど、ラジオからマイケルの曲が流れまくってるのを聞くと、なんだか釈然としない気持ちになる。

「ごめん」と一言いえる人間になりたい。

2009年11月16日月曜日

How To Disappear Completely

「How To Disappear Completely」というRadioheadの曲がある。

私はここにはいない

何も起こっていない

みたいなフレーズを歌い続けるその曲は、
たぶん俺のテーマソングだ。
俺はいつも、いなくなる方法を探しているのだろう。

と、昨日今日に「〈老い〉を表現する」というワークショップに参加してふと思った。
なんでかと言われても、よくわからない。
わからないけどそんな気がする。

いまここに、俺はいる。
しかし一方で、いつまでもいることはできない。
「死」とは俺が「いない」状態になることだから。
自分の「いない」が不意に突きつけられることで誰かが苦しむなら、
俺はむしろ、積極的にいなくなりたい。


とはいえ、いなくなることは難しい。

例えば、冒頭の曲。
「ここにいない」と主張するのはなんだか滑稽だ。
「留守ですか?」と聞かれて「留守です!」と叫び返すみたいで。

いなくなるには手順を踏まないといけない。
宮部みゆきの「火車」という小説がある。
うろ覚えで筋書きを言うと、
ある人物は多重債務から逃れるために他人になろうとする。整形をして、戸籍を変える。やっと借金から逃れられると思ったけれど、ふとした拍子からばれそうになり、それを隠すために、殺人を犯してしまう。
いなくなるためなら、ひとはひとさえ殺す。
そして、ひとを殺してもなお、いなくなることができるとは限らない。


もっと、「いない」へと軟着陸しないといけない。
「老いる」というのは、その手段のひとつだと思う。
徐々に淡くなるように消えていく。


でも老いは、死に近づくことであって、
「いない」に近づくこととは似ているようで違う。
いなくなることは不可能に近い。
だって、いまここに俺はいるから。


いなくなることなんて、ほんとはできないのかもね。
それでも「いなくなる」方法を探さずにはいられないのは、それを探している間は俺がここに「いる」理由があるからなのかも知れない。
ここにいたい、なんて言うのが照れくさいだけで。


わからない。
なんかネガティブな感じの文章やけど、別に悩んでるとかではないのであしからず(笑)

2009年11月11日水曜日

【メモ】Trac構築

完全に自分用メモです。
ごめん、次はもうちょっと面白い事書きます。。



ダウンロード
1. sudo apt-get install subversionでsubversionをダウンロード(gitにすればよかったかも。。)
2. sudo apt-get install apatche2でapatche2をダウンロード
3. sudo apt-get install tracで、tracをダウンロード


ディレクトリ作成
4. mkdir(任意の場所)/reposでレポジトリ用のディレクトリをつくる。
5. svnadmin create /home/svn_repでレポジトリをつくる。
6. mkdir /var/www/tracでTracサイト用のディレクトリをつくる。
7. trac-admin /var/www/trac initenvでTracサイトの初期化

設定
8. htpasswd -c /var/www/trac/trac.htpasswd adminで、ユーザを追加。
9. .htaccessをいじって、Basic認証が効くようにする。(/etc/apatche2/httpd.confでも可)



その他
Apatcheを再起動したい時は、
sudo /etc/init.d/apache2 restart
tracを走らせたいときは、
(これたぶん、--basic-authのとこは/var/www/trac/conf/trac.iniで設定するはず)
sudo tracd -p 8000 --basic-auth=trac,/var/www/trac/trac.htpasswd,/var/www/trac/ /var/www/trac/
Subversionを走らせたいときは、
svnserve -d

2009年11月10日火曜日

劇団☆新感線「蛮幽鬼」

大阪公演の初日を観てきた。

ああいうでっかい劇場って初めてで、3階席がものすごい角度なのにとまどう。
ななめ45度くらいから見下ろしてる感じ。

役者はみんな前向いて話すので、なんとなく疎外感を感じつつ、
でもなんか会場が一体になってるのがすごかった。
会場から自然に拍手が起こったり、
役者のひとが「なんぼの」と言ったら観客は「もんじゃー!」と応えるという、謎の声の掛け合いがあったり(笑)、
とにかく楽しかった。
いのうえひでのりが描く世界の中にどっぷり浸かって。


ただ今回は、あんまし歌とか踊りがないタイプの劇だったので、それがちょい残念。
また別の公演を観に行こう。お金貯めて。

2009年11月7日土曜日

Kraftwerk

最近、Kraftwerkばっかり聞いてる。
結成40年を越えている怪物バンド。

名前は知ってたけどずっと聴いたことはなかった。
↓でも先日ふとYoutubeでこれを見つけて、心が鷲掴みにされた。



Wikipediaには、
初期の実験的アルバム以降の彼等の作品は各アルバムごとに明確なコンセプトが提示されており、その主題も「高速道路」「放射能」「鉄道」「ロボット」「コンピュータ」など、従来のバンドが取り上げなかった無機的なものが多い。
と書いてあるけど、
その誰も取り上げないものを取り上げる勇気と、
無機質なものを無機質な音で描写するテクニックが恐ろしい。

テクノロジーは魅力的だけど、時にひとを中毒にする。
そういう「妖しさ」が、
魅力的だけれど毒のある音によって丁寧に描かれている。

それはなんだかひねくれていて、不思議な感覚だ。
Kraftwerkの曲は魅力だけど、
それに描かれているものは魅力的じゃない。
もっと具体的に言うとたとえば、
「Radio Activity」という曲は小一時間リピートしていたいくらい好きだけど、
放射能そのものには、なるべく近寄りたくない。
そんな、ハトに豆鉄砲みたいな感じ。


そういう不一致を、意図的につくり出してるのがKraftwerkのすごいところだと思う。
それはプレゼンテーションの妙だ。
例えば、曲名をもっと別の名前にして、
後ろに何も映像を流さなければ、
放射能を連想することはなくて、
不思議な感じになることもない。


そういう、一級のひねくれ方を身につけたいな、
と思った。

2009年11月3日火曜日

パソコンを研究室に移動。

今日、思い立ってパソコンを研究室に移動した。
たぶん、家に帰ると部屋はがらんとしているんだろうな。


理由はふたつあって、
ひとつは、研究室にパソコンがないと研究が進まないこと。

うちの研究室にはまともに使えるパソコンがひとつしかなくて、
みんなで奪い合いになっている。
プログラムを何回も直して書いて、
ってしているとみんなの視線が背中に突き刺さる。
これから卒論が佳境に入るともっとそうだろう。

ちょうどFortranの環境をインストールし終わったので、
明日からはさくさくプログラムを直して、
早いとこ実験に移りたい。



もひとつは、家にパソコンがあると中毒症状的に使ってしまうこと。
何も用がなくてもとりあえずパソコンを点けないと一日が始まらない、
みたいなのはなんか異常だ。と自分でも思う。

音楽を鳴らすならラジオでいい。
文章を読みたいなら本でいい。
メールならケータイでいい。


もっとシンプルな生活がしたい。

ブログも、なるべく更新しないようにしようと思う。
書きたいことはいっぱいあるけど。

まあ、会って話しましょう◎
基本夜はひまです。

会えないひとは、年賀状とか送ってな!
パソコンがなくなって広くなった机で、
虎の絵を練習しときます。

老いの中にある若さ、若さの中にある老い

まず、せりふを覚えられないわけですね。それに、昨日やったことがきょうできるとは限らない。昨日できなかったからきょうできないかというと、突然できたりする。それが翌日も持続するかと言うと、それは分からない。それが「老い」なんですね。(2009年11月2日 毎日新聞朝刊10面)
と、蜷川幸雄が紙面でインタビューに答えていた。
蜷川は、58歳から83歳まで42人が所属する「さいたまゴールド・シアター」の結成を呼びかけ、指導している。
それに関して聞かれての答えだ。


せりふを忘れては劇が進まない。
蜷川は、 舞台の端っこに座って、役者がせりふを忘れたときはせりふを教える役をしているそうだ。
それは会場からも見えている。
わかっていて、「老い」をさらけ出すのだと言う。

それまで「演劇」だと思っていたものをちょっと変形して、人生のあり方、老いのあり方そのものを全部さらけ出しちゃおう、と考えたんです。そういうふうに劇の枠組みを広げていくことによって、また違った演劇が生まれつつあるような気がします。

なんかうまく言えないけれど、
「老い」とは何かとか「若さ」とは何かとか、
あんまり深く考えずに言ってみるけど、
老いをさらけ出すというのは、
逆に若さを表現することではないのかな、と思った。

けれど「老い」とは、
世間がつくったレッテルに過ぎない。

42人の老人が飛び越えているのは、
物理的な「老い」そのものではなくて、
「老い」という偏見なのだ。

イメージを跳ね除けるとき、
そこには躍動する若さがある。


老いの中にある若さ。



一方で、鷲田清一の「死なないでいる理由」という本にこんな下りがある。

先にもふれたが、落合恵美子さんに教えてもらって、じぶんの大学で、あるいは集中講義に行った別の大学院で、学生に「あなたは大人ですか、子どもですか?」と訊いたことがある。あまりにきれいに教えてもらったとおりの結果が出るので驚いた。つまり、大学一年生はほぼ全員、大学院生でもそのほとんどが「子どもです」と答えるのである。ところが一方で、こらは精神科医の香山リカさんに教わったのだが、「じぶんはもう若くないと思うひと」というと、これまたほぼ全員、手をあげる。若者が幼児化している一方で、老いが早年化している。じつのところ、ひとは老いやすくなっているのか、それとも老いにくくなっているのか。
確かにそうで、
実感として、俺は大人じゃないけどもう若くない気がする。

若さの中にある老い。
俺たちは、それを肌に感じつつ生きている。


ということは、
老人に「若さ」が表現できるということは、
若者にこそ、「老い」が表現できるのではないかな、
と思ったりする。
こんなことを閃くなんて、やばい俺天才ちゃう?
と思ったりする。
具体的にどう表現するか、さっぱり思いつかないことは棚に上げといて。


思ったりして、
↓これに参加しようか財布と相談中。

生と死の共育ワークショップ vol.3 <老い>を表現する。
〜「老いかた」から考える「生きかた」〜
http://homepage2.nifty.com/citizenship/de0902.htm


うぐぐ、今月はお金がない。。。
でもめっちゃ行きたい。。。

2009年11月2日月曜日

Warp20


Warp Recordsが20周年を迎える。


それを記念して、
過去の名曲をウェブ投票で選んだ[Chosen]と、
過去の名曲のカバーアルバムの[Recreated]がある。


Chosenの方は、ドープ系の曲ばっかりでおもしろくない。
これがWarpっぽいと言えばそうだけど。
こんなもんか。20年。

と思ってたとこでRecreatedを聴くと、
すごかった。
最先端のようでどこか懐かしい。

Disk1の11曲目にぐっときて、衝動買いした。
(いい曲なので、iTunesとかCDショップで視聴してみて!)

Warpはつくづく外さない、と思う。
20年はダテじゃない。



Warpのホームページにサンプラーがあったので
とりあえずエンベッド(↓)

2009年11月1日日曜日

かぼちゃプリン

夜になると、
異形の者たちが蠢く。
無明の闇を食料を求めて徘徊する。


こういうのを日本語でなんというのだろう。

百鬼夜行?


なんのことはない、
ハロウィーンの話。

いいなー、仮装。
楽しそうで。
俺も異形の者に仲間入りしたい。


うちもさみしくハロウィーン気分になろうと思って、
あと、諸般の事情でプリンをつくらないといけなくて、
かぼちゃプリンを作ってみた。




かぼちゃプリン - プリンレシピサイト「プリン気分」
http://www.purin-kibun.net/recipe/pumpkin_pudding/


結果は、失敗。
味的にはそこそこ食べれるけど、
まったくぷりんぷりんしてない。

たぶんかぼちゃ入れすぎ?
むずいなー。


諸般の事情というのは、
雲が畑森の文化祭というイベントで(リンク先は去年のサイト?)プリン係になったから。
今年は12月5日(土)にある。
場所は変わらず、雲が畑(出町柳からバスで約50分)。

森の空気を吸いに
あとプリンを食べに笑
来てください!



てなわけで、また何回かプリン作るので、
暇なひとはプリンパーティーしようぜ笑
あと、森の文化祭の手伝い手も募集中なので、
興味がある人は連絡くださいねー◎

最近の悩み

自分のことは自分でわかる!

と豪語する人がいる。
でも、そんなにわかるもんじゃないでしょ。
「自分」とは何か。という問いにさえ歯切れよく答えられないくせに。
「自分」って何なのかわからないのに、
「自分」が今どういう状態なのか、わかるはずがない。

自分を自分でわかるためには、
何らかの方法で自分を客観視しないといけない。

例えば。
ストレスがたまると、甘いものが増える。

ということは、
最近甘いものを食べまくりやな、と気付いたら、
それはストレスが溜まっているサインだとみてまず間違いない。

甘いものというワンクッションを挟むことで、
ほんのちょっとだけど自分を解析することができる。



まあ何が言いたいかというと、
最近俺は甘いものばっかり食べてて、
なんかストレスが溜まってるんやろうなー、と実感した。
というだけの話。

その理由は単純明快に二つあって、
ひとつは、今更自動車教習に通ってること。
要領いい方じゃないので、補修にかかる不安と背中合わせ。


そしてもひとつは、うちの准教授とノリが合わないこと。
こっちはけっこう深刻だ。

人間はひとりひとり違うから、
チームで団結するにはその違いを乗り越えなくてはならず、
とはいえそれも限界があって、乗り越えられない壁もある。
例えば、モラルの差とかがそうだ。
と聞いたことがあるけど、

俺のケースは正にそれ。
モラルの差。

乗り越えられないし、
乗り越えたくもない。


「大阪の女の子は、きっと朝鮮とか中国とかの悪い血が混じってるからブスばっかだ」

とか、そういうことを平気で言う。
悪気が全くないからタチが悪い。
ほんとに何気なく、そういう発言が口を突く。


こう言ってはあれだけど、
住んでる世界が違うなーと思う。

もっと率直に言うならば、

性根が腐っていると思う。


でも、
たとえ性根が腐ってるとしても、
生徒思いのいい先生ではある。

それが問題だ。

ノリが合わないけれど、
仲良くしようと思えば仲良くできてしまうのかも知れない。
でも、仲良くしたくない。


まあ、そんな悩んでるってほどでもないけど、
多少のどうしようかな感がある。

そういう人間とどう付き合えばいいんやろう。
なんか妙案があれば教えてください。

2009年10月30日金曜日

国際協力コンソーシアムVol.5~あなたと国際協力をつなぐものは一体なに!?~

国際協力に興味があるひとへ。

ICC関西が全力をもってイベントを開催します。

ファシリテーター講座とディスカッションだけというシンプルなイベントですが、
ほんとにおすすめなので、
ちょっとでも興味に引っかかったらぜひ行ってください!


(転送歓迎)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【国際協力コンソーシアムVol.5】
~あなたと国際協力をつなぐものは一体なに!?~
12月12日13日(一泊二日)@京都府立ゼミナールハウス
主催:ICC関西
http://www.icc-kansai.org/event/261.php
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

ICC関西は、関西の国際協力系学生団体におけるネットワーク構築を目指し、活動しています。今回のイベントでは、国際協力の現場で必要なスキル習得の機会と自己の国際協力に対する問題意識を語り合う場を提供します。

<内容詳細>

①ファシリテーター講座

この講座では、一般に考えられているような、ワークショップの進行役としてのファシリテーターという枠を超えて、途上国での援助活動やNGOなどの組織運営で活用可能なファシリテーションの技能を習得することを目指します。 
講師は、参加型開発研究所主宰の中田豊一氏をお招きしています。
この講座を受けることで、例えば、プロジェクト活動先の現地の人々との対等な関係作りのための対話術や、さらにその関係から一歩踏み込んだ、課題解決に向けた質問法を身につけることができます。
このファシリテーター講座は、中田氏の国際協力の現場第一線での経験と行動科学の理論に基づき、独自に体系化させたものです。他では経験できない「目からうろこ」が落ちるような瞬間が、あなたにも訪れること請け合いです。


② ディスカッション

ファシリテーター講座で学んだことを活かし、国際協力に対する自己の問題意識や想いを語り合い、新しい方向性・問題解決への道を模索するためのディスカッションをおこないます。このディスカッションでは、オープンスペーステクノロジーというファシリテーション手法を使用します。この手法を使うとどうなるので しょうか?
ディスカッションの結果や方向性は全くわかりません。
「私達の世界を豊かにするための将来の課題と機会とは?」というメインテーマが決められているだけです。個々のディスカッションは、参加者の提案でテーマが設けられ、話し合いがもたれます。
例えば、以下のようなディスカッションがあるかもしれません。
「どうしても国連職員になりたい!」
「もっとみんなに世界の貧困問題を知ってほしい!」
「チームのみんなが同じ目的を共有できない」
中田氏の講座で得たスキルを用い、このディスカッションに挑むことで、多様な視点からの様々な意見が飛び交うことを期待しています。


<日程>

時間 当日スケジュール
12月12日(土)
13:00~13:10 開催の挨拶
13:20~13:50 アイスブレーク
14:00~18:00 ファシリテーター講座
(講師:参加型開発研究所主宰 中田豊一氏)
18:00~20:00 夕食、入浴
22:00~22:00 ディスカッション、別室でミニワークショップも同時開催
22:00~ 就寝、もしくは、自由時間
12月13日(日)
9:30~10:00 アイスブレーク
10:00~12:00 ディスカッションの続き
13:00~17:00 ディスカッションの成果の共有
18:00~ JR京都解散、お疲れさま会(自由参加)



【日時】
12月 12日13:00~ 13日17:00

【場所】
京都府立ゼミナールハウス(http://www.kyosemi.or.jp/
※当日JR京都前、新都ホテルから無料送迎バスで会場に向かいます

【参加費用】
参加費用 8000円(宿泊費、食費込み)
※当日支払い

【参加方法】
こちらのページから
件名‚に「国際協力コンソーシアムVol.5」、
本文に、名前、所属先、当日連絡先(携帯メールアドレス、携帯番号) と記載し、送信してください。

【予定定員】
約30~40名

【応募締め切り】
12月4日
先着順ですのでお早めにお申し込みください。
たくさんのご応募、お待ちしております♪


<講師紹介>

*中田豊一氏
現在、参加型開発研究所主宰として、途上国の開発援助現場での調査研究・NGO職員のための研修・コンサルティングに力を入れている。他にも、非常勤の役 員として、NPO法人シャプラニール市民による海外協力の会代表理事、NPO法人市民活動センター神戸理事長、NPO法人ソムニード代表理事(共同代表) など、数々の開発援助分野の第一線で活躍している。

<ファシリテーター紹介>

*鈴木陵氏

1987 年生まれ。関西学院大学総合政策学部在籍中。高校時代に読んだ本がきっかけで国際協力分野に興味を持ち、大学入学と同時に国際交流・国際協力支援団体 CLUB GEORDIEに所属2008年度には事務局長を務める。開発教育などの参加型の学びの場との出会いをきっかけに、ワークショップなどの場づくりに関心を 寄せている。
現在は教育分野のNPOシチズンシップ共育企画に所属し、「セルフカルチャープログラム」と「教育ファシリテーター講座」を担当。自身もファシリテーターとしての「あり方」と「やり方」を磨くべく修行中。



<ちなみに・・・>

あなたが団体運営の中でなにか悩みを感じているなら、
ICC関西に相談してみてください。
そしてもし、時間が許すなら、ミーティングに遊びにきてみてください。
ICC関西ならきっと、あなたのお役に立てるはずです。
お気軽にメールしてくださいね!

↓連絡は、こちらからどうぞ!  

【お問い合わせ】

関西国際協力コンソーシアム(ICC関西)
HP: http://www.icc-kansai.org/

2009年10月29日木曜日

ウルトラマーケット、閉鎖?

ウルトラマーケット:閉鎖へ 演劇より災害備蓄 大阪市の方針転換に小劇団困惑(毎日.jp)
http://mainichi.jp/kansai/news/20091028ddf041040009000c.html




ウルトラマーケットというのは、大阪城ホールの倉庫をいくつかの劇団が合同で借りて劇場としている場所だ。
それが、本来の倉庫に戻るのだという。


ウルトラマーケットを使用している劇団は、南河内万歳一座を筆頭にして「天下の台所改善実行委員会」という、粋な名前の集団を形成している。
そこに名前を連ねている劇団は、

南河内万歳一座
演劇集団よろずや
クロムモリブデン
劇団Ugly duckling
デス電所
南船北馬一団
未来探偵社
ランニングシアターダッシュ

と、有名どころが並ぶ。


関西の小劇場は、次々と閉鎖されている。

劇場がないというのは、
単に発表をする場がないというだけではない。
交流が断絶する。
新しいものが創造されない。

場所がなくては、
なにも生まれないのだ。

そういう状況に危機感を持った劇団が、
自分たちで小劇場をつくっていく。
ただの倉庫が、劇場になる。
それ自体がとても演劇的だ。

毎年、
春には「大阪城・ウルトラ春の乱」
秋には「大阪城・ウルトラ秋の乱」
という演劇フェスティバルが開催され、
関西の演劇シーンを盛り上げてきた。



とか知った顔で語ってるけど、
俺はウルトラマーケットのことをよく知らなかった。
ウルトラマーケットは、ぐぐってもあんまり情報が出てこない。
でも、断片的な情報がいちいち刺激的だ。
自分達でつかみとって、つくっていっている感じがして。




なのに、
ほんとになくなってしまうのだろうか。


思うに大阪の文化行政は、場所の大切さを軽視している。
フェスティバルゲートにしてもそうだし、
精華小劇場にも、
3 利用期限について
現時点では、元精華小学校や幼稚園を含む全体の利用計画が決定されていないため、その決定次第で利用状況が変更となる場合がある。
よって、当面、暫定利用としたい。暫定使用であるため過大な投資を避けるべきだという制約があるが、この期間を劇場として定着するためのいわゆる「パイロット事業期間」として活用し、今後の展開につなげていきたい。(精華小劇場公式HP
という制約がついている。


その場所でしか生まれないもの。
その場所に蓄積されてきたもの。
その場所を中心につながる縁。

それらはすべて、
「その場所」が失われれば、積み木のように脆くも崩れ去る。


でも、ほんとに失われてしまうのか、わからない。
と思いたい。
南河内万歳一座が11月17日に会見を行う。
ウルトラマーケットで生まれ、蓄積されてきたエネルギーがどこに向かうのか。
その行く末を見届けたい。


…まだウルトラマーケット行ったことないけど(笑)

これ観にいこうかな。

維新派「ろじ式」
http://www.ishinha.com/en/news/143.html

維新派、知り合いが好きっていってて、ずっと観たかった。
↓これめっちゃすごそうじゃない!?





もいっこ。

劇団Ugly Duckling
「標準Zero in」
http://blog.ugly-d.com/article/32643071.html




↓あと、これも観に行きたいかも。

チェルフィッシュ
「クーラー」
http://chelfitsch.net/next_performance/

でもチェルフィッシュは抽象的な感じがして観にいくのが怖い。
おもしろい?

2009年10月28日水曜日

【メモ】pTexLiveをUbuntuに入れるには

参考サイト:
ptexlive

http://tutimura.ath.cx/ptexlive/
pTexLive README
http://tutimura.ath.cx/~nob/tex/ptexlive/0README

iso.lzmaの読み取り
http://tutimura.ath.cx/ptexlive/?iso.lzma%A4%CE%C6%C9%A4%DF%BC%E8%A4%EA

TexLive
http://www.tug.org/texlive/

Ubuntu Japanese wiki: Tex
https://wiki.ubuntulinux.jp/JapaneseLocalizedDerivative/LaTeXForJapanese

Lyx
http://www.lyx.org/WebJa.Home


1. texliveのiso.lzmaをダウンロードする
2. md5をチェック
3. "lzmadec"をインストール
4. lzmadecでiso.lzmaを展開
5. isoファイルをマウント
6. Tex Liveをインストール
7. pTexLiveをダウンロード
8. ptexlive.cfg の中で、TeX Live 2008 DVD のマウント先を指定
9. make
10. make install
11. パスを通す。

みたいな感じ?
ほとんどptexliveのサイトからのコピペやけど。


まあ正直platexを使った方がぶなんだけど、
Ubuntu wikiには「apt-get install latex-env-ja」 ってやればいいって書いてあるのに、
パッケージが見つかりませんってでるのはなぜ?

青年団「東京ノート」

国立国際美術館で青年団の演劇、「東京ノート」を観てきた。

美術館が舞台の演劇を、
ほんとに美術館を舞台にやるという、
不思議な空間だった。
どこまでが演劇で、
どこまでが観客なのかわからなくなる。


平田オリザの演劇を観てるといつも、
うまい、と思う。
まあ「いつも」というほど観たことないけど。
それは、設定の臭わせ方であったり、
演技の細やかさであったり、
微細な感情の描き方であったり。


演劇は、旅行によく似ていると思う。

旅行をするとき、
乱暴に言えば人間は二つのタイプに分けられる。

ひとつは、「違い」を見るタイプ。
「すごい! 都会ではこんな自然ないよね!」
「日本じゃありえない!」
みたいな絶叫を繰り返す。

もうひとつは、 「同じさ」を見るタイプ。
「あ、これ○○と似てる」
「これっていわゆる○○だよね」
みたいな分析をつぶやく。



世界は、よく似ていて、ぜんぜん違っている。
そんな、当たり前のこと。

違いの中に共通点を見つけられる。
同じ中に相違点を見つけられる。

そういう構造はたぶんあらゆるものにあって、
たぶん演劇でもそうで、

例えば、松尾スズキは「違い」を強調する。
普通にはない境遇の主人公が、
普通にはない世界を生き抜いていく。
偏見とか差別とか、日常には表に出てこない「違い」でどぎつく塗り固められた中に、
なぜか不思議な「同じさ」を感じてしまう。


一方で、平田オリザは「同じさ」が際立つ。
日常とあまり変わらないような、どこかで見た光景の中に、
ちっちゃく揺れ動く人間の心が丁寧に描かれる。
小さな喜びとか悩みとか、
ぎこちなさとか隠してしまうこととか。
日常と「同じ」空気の中に、
新鮮な「違い」に気付かされる。


演劇の世界の中を旅行しに、
俺たちは劇場に行くのだ。

違うとか同じとか。
その世界がどう見えるのだろう。


ところで東京ノートの最後のほうに、こんな場面がある。

ちょっと空気が読めない中年女性が、また突然、脈絡もなくサンテグジュペリの「星の王子様」の話をし始める。星の王子さまの中に、肝心なこと目には見えない。心で見なさい、みたいな台詞がある。それに対してその女性は、
でもさ、心でなんか見えないよね。 心でなんて、どうやって見るのっ!?
と、少しおどけた調子で言う。ちょっと笑う。
あんまり面白くないツッコミだ。
相手も、どこがおもしろいのか分からないけどまあ合わせとこうか、みたいな感じで、笑う。

二人で笑って、
少し間があって、
中年女性は一言付け加える。

心、みんな違うでしょう。


この一言が、なんかとても衝撃的だった。
何を言わんとしているのかよくわからないけど、
なんとなく感動した。
うまい。

2009年10月23日金曜日

Maximo Park

無事Ubuntuをインストールできたけど、
Karmic Koalaはムリで、Jaunty Jackalope(軽快な角ウサギ)になった。

宿命じゃなかったのかな。
まあいいや。




Maximo Parkって、そうか、この曲のバンドか。
と思ったので忘れないようにクリップ。

2009年10月22日木曜日

宿命のコアラ

グッバイマッキントッシュ。


今日、
Mac miniにUbuntu Karmic KoalaのNetbook版をインストールする。
気づけば最近ネットしか使ってないし、まあいっかと思って。


↓Netbook版はこんなかんじになる。



いずれMacを止めようとは思っていた。
宿命だ。


ではなぜ即座にMacを止めなかったかというと、
これはMacにイラっときた大きな理由の一つでもあるけど、
iTunesの曲が移せないことがある。

LinuxにはiTunesがない。
まあwineを使えば動くこともあるけど。

自分で買った曲なのに、
自分のパソコンに移せないってどういうこと?
その狡猾な囲い込み戦略にいらっとくる。

でもそれも、
15曲ずつくらいオーディオCDとして焼けばもっかい読み込める。
10枚ものCDを焼くのはめんどいけど。


伸びるMacの魔の手。
コアラとの宿命の出会い。



でもほんとにインストールできるのかな。。

しばらくブログ更新がなかったら、
インストール失敗したと思ってくれて差し支えないです笑

2009年10月20日火曜日

水都大阪の写真

水都大阪が終わって早一週間。
何か見えたような、見えなかったような、そんな日々を振り返らなくては。と思いつつもう一週間だ。

とりあえず写真を載せます。
感想はまた。

今回は、全体的に写りが悪い。
曇りだったからかな。反省。


ラッキードラゴン。台風の次の日で川はゴミだらけ。



要らなくなったおもちゃでできた恐竜、トイ・ザウルス。
赤い方が母親、青い方が父親。



要らなくなったおもちゃでできたお城。




トイ・ザウルス。
この黄色いのは子どもです。
京都のギャラリーで11月21日まで展示されてるので、機会があったら観に行ってね◎



ヤノベケンジ「ジャイアント・トらやん」。
今回はたまに動くだけだったけど、ホントは火炎放射ができるらしい。



淀川テクニック「金チヌ」。淀川と大阪湾のゴミでできている。



風でキラキラ揺れる金属片。
ひとつひとつに小学生の願い事が書いてあって、じっくり見るとけっこう面白い。



風で揺れると音が出る。
こういうのが会場中にちりばめられて、妙な音を出していた。



段ボールでできた船。
もらい手募集中ってなってたけど、行き先は見つかったのかな。



インフォメーションの建物。
周りの壁は土壁で、手形がびっしり。俺の手形もある。


 
wahというアーティストの「紐タワーをつくろう」というワークショップ。
風船にいろんな方向から紐をつなげて、風船を上げると、あやとりのタワーのように紐のタワーができる。とっても細くて、ゆらゆら揺れるタワー。

このアーティストはけっこう面白い。うまい棒を一万本積み上げたりしてる。



巨大サッカーゲーム。
人形たちは毎週塗り替えられる。
最終週には某猫型ロボットと、某メガネ小学生がいた。
なぜか、その某メガネ小学生が原作のキャライメージに反して、エースストライカーのポジションにいたのが印象的だった。



ご当地体操を考えるアーティストの「水都体操」。
前夜祭では、橋本知事も平松市長も踊らされたという。
色んな意味で。



日本で唯一のプロ砂像家がつくったドラゴン。
表面はスプレーのりで固められていて、台風をも堪えうる防御力をもっている。ラスボス級の堅さ。
ちなみにこの砂場は誰でも遊べて、橋本知事がお忍びで何回も来ていたという。



文化座劇場という建物で、ライブとかトークセッションをやっていた。
自分の持ち場があったので行けなかったけど、音楽が漏れ聞こえてくるのがいいBGMになっていた。

そんないい雰囲気を出しながらも、
構造的にはギリギリ感が漂っている。
亀裂が入ったり雨漏りしたりするのを騙し騙し延命していた。
ほんと、川に沈まなくてよかった。



カラーのガムテープで、
浅井祐介というアーティストのひとが描いた植物模様。
あ、テープ貼るのも「描いた」って言うのかな?



絶滅危惧種の動物を白黒で板に描いたのが、会場中に展示されている。
写真で見ると立体っぽいけど、ほんとはぜんぜん平面で、その平面感と立体感が入り交じったのが不思議な感じ。



バンブーフォレストという、竹で組まれた構造物。
新聞のこれをつくった人のインタビューが載ってて、
「勘でつくっていると思われるかもしれないが、きちんと緻密に構造計算をして設計している。科学技術の勝利です。」みたいに自信満々に言っていたが、
よく見るとところどころで竹が折れている。
勝利の中に、敗北の芽を見た。



ポリフといって、ポリ袋を熱で圧着させてつくったフラッグ。
くっつけたいポリを、引っ付かないようにクッキングシートで挟んでアイロンをかける。



ポリクラフト。ビニール袋を細切りにしてつなげていく。



ハンガーの飾り。



かえる工房。
俺は、主にここにいた。



ハンガー。
一見するとハンガーってわからないけど。
ホットボンドと針金でくっつけた。
クリスタルの結晶をイメージしてつくったらしい。



ペットボトルのソファー。



ペットボトルのイスとテーブル。



かえる工房の小屋の後ろ側。
ハンガーでつくった海の生き物で彩られている。



ぬいぐるみカーテンと、俺。
ここは、「かえっこ」といって、いらないおもちゃを持ってきて交換する、お金の要らない子どもの遊び場だった。



ポリフでつくった服。
着ると、固くて動きにくいばかりか、脇の辺で角が痛い。



かえっこ屋の看板。



ペットボトルのソファーとテーブル。



外から見た中之島。



夜。会場を囲む川には光の船が行き来する。
これはなんかファイアーダンスっぽいの。



風船の中にLEDを入れたものをそれぞれ手に握っている。
この船が12隻川を行き交う様子は壮観だった。



剣先公園にある、噴水。
たしか安藤忠雄が提案した。


以下、おまけ。
水都大阪とは関係ない写真です。


さびれたボート乗り場。
昔の水都の名残な気がした。



コルテオのテント。
観に行きたい!



水都大阪はどうでしたか?
もしも見に行ったひとは感想を聞かせてねー◎

2009年10月19日月曜日

【本】コミュニケーション力を引き出す

ブログを模様替えしました。
しかししょぼいデザインやな。。
またそのうち改善します。



読書の秋。
ということで、いろいろ本を読んでいこうと思う。



この本、あと1年前に欲しかった。

とは思う内容のピンポイントさだけど、正直読みにくい。
「K社の実例」という蓮行の英雄譚の部分が長過ぎることとか、
平田オリザの「コンテクスト」という概念が説明されてないこととか、
平田オリザも蓮行も好きだから、
もったいないなーと思う。

コミュニケーションは、個人の努力や才能の問題ではなくて、
環境や関係性に強く影響を受ける。
その最も大きな影響のひとつに、教育がある。
日本は、教育に演劇が取り入れられていない唯一の先進国だ。
かつては強い同調圧力を働かせていればそれで意思疎通はとれたが、
今はもう多様性の時代であり、多様な個人を尊重しながら対話をする力があらゆる場面で求められる。
その解決策は、演劇しかない。
なぜなら、コミュニケーション力は、何かを共同で作り上げることや、他人の立場になって考えることでしか磨かれないからだ。

みたいなことが書いてある。
ところどころ言葉足らずだけど、
とにかく面白いので本屋で立ち読みしてみてね。


ところで、蓮行って?

蓮行さんは、劇団衛星という劇団の代表をしている。
劇団衛星は、正劇団員はみんなバイトをかけもちせずに生計を立てている希有な集団だ。
この本では、演劇ワークショップによる研修で培ったノウハウが書かれているが、
他にも、裁判員制度が始まるのに合わせて「大陪審」というマルチエンディング型演劇を上演したり、
学校教育に演劇的手法を導入する「演劇で学ぼう!」というプロジェクトに参加したり、
悪く言えば、キワモノで、
よく言えば、いろいろ面白いことをしている。


もう5年前になるけど、
蓮行さんのワークショップを受けたことがある。
この本の中で語られている「奥義! あくび卵発声」を教わったのを思い出して、
なんだか懐かしくなった。

そんな、奥義を授かったはずなのに、
最近「えっ? ごめん聞こえない」と言われることがよくある。
また発声練習しようかな。

劇団☆新感線「蛮幽鬼」を観に行きます。

決めた!

観に行きます。


劇団☆新感線「蛮幽鬼」
http://banyuki.com/


B席7500円。
値段にビビって手が出せなかったけど、
一念発起、散財します。


値段高いからあんまり強く誘うつもりはないけど、
もしいっしょに行く人がいれば、今日明日中に連絡くださいねー。

2009年10月17日土曜日

EXODUS SUNDAY MARKET EXPO'09

EXODUS SUNDAY MARKET EXPO'09

明日ヒマなひと、このイベントいっしょに行かへん?
あと、民博にも行きたいです。
行くってひとがいれば、ケータイに連絡してなー◎

あいさつ

かもめ食堂」という映画に、
かもめ食堂で働く3人がそれぞれ「いらっしゃい」といってみるシーンがある。

もたいまさこのあいさつは、
ゆっくり「いらっしゃいませ」と深々と礼をして、丁寧すぎる。
片桐はいりのあいさつは、
早口で「いらっしゃい」と言うだけで、ぞんざいすぎる。

そして、小林聡美のあいさつは
丁寧過ぎずぞんざい過ぎず、ちょうどいいよね。みたいな話に落ち着く。


あいさつは難しい。
水都大阪2009で学んだことのひとつは、それだ。

意識が向きすぎると息苦しくて、
かといって向かなすぎると不安にさせる。
ちょうどいい距離感が難しい。
「ここにいていいんだよ」という空気をつくるのは、
並大抵の技ではない。

俺は、客が来ると、
「こんにちは」と言いつつ、
視線は向けずに作業を続けることでバランスを取る。
たぶんぎこちないけど。
演技力が足りない。


視線の使い方はとても大切だ。
例えば、ミーティングでみんなに意見を言ってもらうには2つ方法があると思う。

ひとつは、
「どう思う?」と誰かに視線を向けながら言うこと。
質問があって、対象がいて。
単純明快だ。
時計回りに回して行けば、一通りみんなが発言できる。
でもこのやり方は、振られなければ意見を言わない雰囲気をつくってしまうという欠点がある。

もうひとつは、
「どう思う?」と特定の個人ではなくて、その場に対して問うこと。
これは、とても難しい。
誰かと目が合ってしまえば、
それは「場」ではなくて「誰か」に問うていると誤解されがちだ。


「誰か」ではなくて「場」という得体の知れないものを相手にするという構図は、演劇によく似ている。
いやむしろ、演劇とは場づくりの一種なのだろう。
役者は、目の前にいる他の役者と話しているようでいて、
意識は舞台上すべてに向いている。

「見られている」という意識が人間を役者にする。
それはもう、色んな意味で。

水都大阪にしろ、カフェにしろ、学校にしろ、
「ここにいたい」と思えるような空間をつくるために、
スタッフは巧妙な演技をしなくてはいけない。
それは、おばちゃんの話し相手になったり、
こどもを誉めたりしかったり、
一心不乱に何かをつくっていたり。
水都大阪のメインアーティストのひとり、藤浩志さんも「つくり続けるふりをする。」と言う言葉で、自分に役割を課していた。


「ふりをする」のに重要なのは、あいさつだ。
出会ってから、会話はあいさつではじまる。
もちろん、あいさつをしないことも、
ガンを飛ばすなんていう「ごあいさつ」も、あいさつのうちだろう。
自分の立ち位置とか、相手との距離感を知らせるシグナリング。

例えば水都大阪でいうと、
藤さんは、つくることに没頭している(ふりをしている)から、あんまりあいさつをしない。
俺は、つくること優先だけど聞かれたら答える(ふりをしている)から、「こんにちは」と言ってすぐに視線を作業台に戻す。


あいさつは難しい。
そもそも俺は人見知りなので、
初対面の人間が難しい。
でも、水都大阪を経て、難しいなりにちょっとわかった気がした。




水都大阪の写真は現像中なので、また載せます。

2009年10月16日金曜日

//

WWWの生みの親ティム・バーナーズ・リー氏が今、後悔していること(ZDJapan)

Look at all the paper and trees, he said, that could have been saved if people had not had to write or type out those slashes on paper over the years — not to mention the human labor and time spent typing those two keystrokes countless millions of times in browser address boxes.(NYTimes


ほんとに「//」だけで紙が浪費されるのかな。。
なんかネタっぽい。

2009年10月13日火曜日

北海道の写真

もう一ヶ月前になるけど、北海道に行ってきた。
水フォーラムに行ったメンバーで同窓会をしに。

そのときの写真をいくつかアップしときます。
きれいに撮れたから。


↓朝のウトナイ湖。いずれこの写真を加工してブログのスキンにしよう。

↓苫小牧港


↓ウトナイ湖のハクチョウ。


2009年10月12日月曜日

「しがみつかない生き方」にしがみつく

香山リカの「しがみつかない生き方」という本が売れている。
つまり、「しがみつない生き方」にしがみつく、
という不思議な現象が起こっている。

あることにしがみつない代わりに、
また別のことにしがみつくという、
諸行無常。

俺も買ってしまったけど。しがみつきたくて。



香山リカの本を読んでいると、
その思想には賛同しているはずなのになぜか納得できない、不思議な感覚になる。


その理由はなんとなくわかる。

例えば、「絶対は、絶対にない」と言う言葉をたまに聞く。
これは意味はわかるけれど、
冷静に考えればおかしい。

つまり、「絶対はない」という内容を言いたい。
しかし「絶対はない」ということは、
「絶対にない」ということはない、ということで、
絶対はあるかも、ということになり…

みたいな思考のループに陥る。


絶対はないはずなのに、
「絶対はない」と宣言するときだけは、
「絶対にない」と言っていい。
そういう勝手なダブルスタンダードに、
違和感を感じてしまうのだろう。


香山リカの本は、当たり前のこと(と俺が感じること)を言っている。
しかし、当たり前のことは、
ことさらに口にしないのが「当たり前」だ。
当たり前のことは自然に身につく。


そういう時代が終わったから、こういう本が出ているんじゃないか。
それはそう。確かにその通りだ。
しかし「当たり前のこと」の内容が変わっても、
自然に身につくのが「当たり前のこと」だというのは揺るがない。
本を読んで勉強しないと体得できないことは、
もはや「当たり前」ではないと思う。


しかし、じゃあ「当たり前」だと言わなくていいかというと、それはそんなことはない。
声高に叫ばなければ、当たり前は失われてしまう。


似たようなことがいくつかあって、例えば、

「謙虚が日本人の価値観です!!」とガツガツ主張すること。

反グローバリゼーション系のNGOがグローバルに連帯すること。

「環境に優しいことをしましょう」みたいな内容のビラを大量に刷って配ること。


やった方がいい。
いいんだろうけど。
難しい。




でもたぶん、香山リカの文章を呼んで、いややなと思う理由は、
そういうのに違和感を感じることよりも、
違和感を感じつつも当たり前のことを口をすっぱくして言う役割のひとが社会には必要で、あ、そういう役割が必要と気付いてしまったということは、俺もそろそろそういう役割に回るのか。うわー、もうおっさんやな。
と思わされるからだ。


その「いややな」という感覚こそが、「しがみつない生き方」をするための大きな壁。
モラトリアムにしがみつないことは、とっても難しい。


手を離してみようぜ。

2009年10月8日木曜日

口パク

ディジュリドゥ吹けるようにならないし、
本番は口パクしようかな。


とかいう話ではなくて、
↓面白い口パク動画を見つけた。



これは何が面白いかというと、
先日イタリアのTV番組「Live@Quelli」に出演したMUSE。
番組では、当て振り(口パク)で演奏しなければいけないと言われ、それに反抗してパートを交換。
MATTがドラム、CHRISがギター&キーボード、DOMがベース&ヴォーカルを担当。
演奏が終わった後は、DOMがリード・ヴォーカリストとしてインタビューをされています。

な、なぜ、誰も気付かない…?(岡村有里子オフィシャルブログ


ということで、
演奏(するふり)がめっちゃ雑です。
ドラムのMatthewの適当っぷりが面白すぎる笑
They will not force us
They will stop degrading us
They will not control us

という歌詞にぴったりな感じで、
地味に受けた。

(上の動画、削除されて観れなくなってたら、「Muse live @ quelli」で検索してみたらまだ別のがあるかも)




あ、ちなみに、
ディジュリドゥは循環呼吸で吹けるようになったでー◎
あと音のバリエーションが増やせれば、それっぽく吹けるようになる。のかな?

2009年10月6日火曜日

7日、8日は水都大阪は休みです。

中之島に嵐が来ます。

色んな意味で。


なんて言ってみるものの、
まあ正直、単に台風が来て危ないので休みなだけです。
間違えてこないように。
けっこうこのブログで宣伝してるので、
一応注意しとこうと思って。


また連休中に来てなー!

循環呼吸

ディジェリドゥってどうやって息継ぎするのかな、
と思ってたら、いやな予感は的中。
循環呼吸を覚えないといけない。

循環呼吸というのは、

息を吐いている状態で頬を膨らませ、その部分に空気を蓄える。
膨らんだ頬を元に戻す力を用いて、中の空気を押し出す。
押し出している時間を利用し、鼻で空気を取り入れる。
鼻で取り入れた空気を出す際は、それまでの空気の勢いが変わってしまったり、音が途切れてしまってはいけない。ここが初心者にとっては一番難しいポイントである。(Wikipedia


というのを繰り返すことで、
半永久的に息を吐き続けることができる、
奇跡のテクニックだ。


まあ、息を吐くだけなら意外と難しくなくて、
↓とりあえずこういうのはできるようになった。(この動画は俺じゃないです。)


これから、なんか飲み会で一発芸を要求されたらこれをやろう。
コップの周りが水浸しになるけど笑


でも、息をするのと、音を出すのの間には、天と地ほどの差がある。
循環呼吸で演奏できるようになるのは、めっちゃ難しい。
あと1週間でできるのかな。。

誰かできるひといたら、いい練習法を教えてください!!

2009年10月5日月曜日

あと1週間

水都大阪2009が、あと1週間で終わる。
終わってしまう。

人間は関係性の中で生きていて、
その関係性が全て断ち切られてしまえば、
自分の存在を失ってしまう。
と、メインアーティストのひとり、藤浩志さんは言う。

いま中之島で紡がれている関係性は、
1週間先に途切れる。
中之島という、滅亡すると決まった世界の中で、
俺たちは生きている。


水都大阪を、
たくさんのひとの想いを、
次につなげないといけない。

でもどうやって?


俺が最近暗い気持ちなのはきっと、
その答えが見つからない閉塞感と、
出口のなさに真剣にもがく、アーティストの暗い雰囲気に影響されているからだ。



多くのボランティアのひとは、
ふつうの大学生とか会社勤めなら、その日常に帰ればいいし、
アーティストとして生きていくなら「ひとつの経歴」として次につなげればいい。


けれど、俺は、
遭難してしまう。


水都大阪が、これから俺が考えないといけないことと重なり過ぎている。
つまり、ひとと水との関係性を知ること。紡ぐこと。

逃げ場所がない。
「好きなことをやってもいいよ」と言われた時感じたショックの正体が、
少し分かった気がする。
好きなことではなくて、
やらなければいけないことを、やるのだろう。



アーティストのひとたちも、水都大阪にかける想いはとても深くて、
その分、苦悩も深い。

でも、俺にできることはほとんどない。
それぞれにはそれぞれの
作品があって、
理想があって、
悩みがあって。

つながりながらも、
それぞれ別々の闘いを生きている。

別々だけれど、
この場所に真剣に向き合っている戦友のような。




あと1週間。
なんかすごくひとりで悩んでる気がしてたけど、
そうじゃないことに気付いた。

がんばろう。

まだ中之島に来たことがない人はぜひ来てね!

2009年10月4日日曜日

Thom Yorkeの新曲

Radioheadはしばらくアルバムを出す予定はない。
曲単位でのリリースはあるらしいけど、
やっぱりアルバムじゃないとねー。
と思ってしまうのは、もうおっさんの意見なのだろうか。
iPod世代には通用しない感覚なのかな。


でもまあ、メンバーのソロプロジェクトはけっこうあるみたいで、

ちょっと前に、ドラマーのPhil Selwayがアルバムを製作中だというニュースが流れた。
個人的には、
あのドラマーはスキンヘッドなので、
勝手に親近感を抱いている。

また髪の毛剃ろうかな笑


Thom Yorkeはというと、ツアーをしてるらしく、
LAのライブで新曲をいくつか披露していた。

↓その映像
http://stereogum.com/archives/photo/thom_yorke_echoplex_los_angeles_10209_093601.html


Thom Yorkeがすごく好きだけど、
それ以上にRadioheadが好きだ。
あの混沌とした、けれど洗練された音は、
きっとひとりでは奏でられない。

早くアルバムでないかなー。

2009年10月3日土曜日

ふと気付くと、

「好きなことをやっていいよ」と言われてはじめて、
自分がいま好きなことをやっていることに気付いた。


好きなことなんてやりたくないのに。


それはなんていうか、
ひとに説明できる感覚じゃない。
好きじゃないと気付いてしまうのが怖いのだろうか。
生きてることとか、もろもろ含めて何もかもが。
わからない。


全てに嫌気が差す瞬間がある。
きっと誰にでも。
俺の場合はそれが、好きなことをやってると気付いたときに突然くるだけだ。
落とし穴みたいに。
幸福感はチキンレースによく似ている。


歯車が狂いはじめた気がする。
別に人間関係がうまくいかないとか、
仕事がうまくできないとか、
そういうことじゃなくて。
理由のない些細な違和感。


理由がないから解決しようもない。
まあいっか。

ディジュリドゥ

水都大阪2009のクロージングで、なんか楽器をやるらしく、
俺はディジュリドゥを演奏することになった。
親が旅行で買ってきたのが家にあったから。


俺の理解では、ディジュリドゥというのは、空きビンの口に息を吹いてボーッという音が鳴るのの延長線上にある、
超単純明快な楽器だと思っていたけれど、



えっ?

こんな演奏できるの!?
どうやって息継ぎしてんの??


と、とても反省しました。
↓この辺の動画を観て、ちょっとしばらく練習しようかな。。
Didgeridoo Tutorials Beginner (1) - learn how to play

2009年9月30日水曜日

断酒します。

断酒します。
少なくとも半年。


きのう、飲み会途中から記憶がなく、気づくと午前3時半、出町柳の駐輪場を歩き回っていた。
そんなとこにチャリは止めてないのに。

こういうのって初めてではなくて、
3度目だ。


仏の顔も3度まで。


しばらく酒を飲みません。
そして、断る力を身につけます。
こいつは無理に酒を勧めるとヤバいやつだ、という恐怖を植え付ける方法、
有無を言わせぬ冷たい目、
言葉より雄弁な沈黙、


つまりは俺は怖いひとになりたいのかも知れない。

単に酒が怖いだけやけど。

2009年9月29日火曜日

水都大阪の写真(少しだけ)

写真が現像できたので載せます。
でもほんとにちょっとだけです。
この何十倍ものアートと思いが、
中之島に詰まっています。
ぜひ生の中之島を見に来てね!


ヤノベケンジさんの作品、「ラッキードラゴン」。運がいいと火を噴くところを見れる。



淀川テクニックさんの作品。淀川に捨てられていたゴミでつくったチヌ。



井上信太さんの作品。絶滅危惧種の動物を板に書いて、会場中にこんなのがいっぱい展示されている。


作品じゃないけど。天神橋という橋。大阪は「八百八橋」と言われるほど橋が多かった。



同じく作品じゃないけど。橋の照明。おしゃれ。




水都大阪もあと2週間で終ってしまう。

あれっ?と思い出しかけては、忘れる。
アートって楽しい!と思う毎日の中で、何か見落としてる気がしてた。
しかし、こないだついに俺がなんで水都大阪に関わろうとしたかを思い出した。

そうか、
俺はここに、水都の片鱗を探しにきたのだった。

アートは手段に過ぎない。
手段に溺れるという愚挙。


あと2週間。
俺は、あと2週間で水とひととの関わりを知らなくてはいけない。