2009年10月17日土曜日

あいさつ

かもめ食堂」という映画に、
かもめ食堂で働く3人がそれぞれ「いらっしゃい」といってみるシーンがある。

もたいまさこのあいさつは、
ゆっくり「いらっしゃいませ」と深々と礼をして、丁寧すぎる。
片桐はいりのあいさつは、
早口で「いらっしゃい」と言うだけで、ぞんざいすぎる。

そして、小林聡美のあいさつは
丁寧過ぎずぞんざい過ぎず、ちょうどいいよね。みたいな話に落ち着く。


あいさつは難しい。
水都大阪2009で学んだことのひとつは、それだ。

意識が向きすぎると息苦しくて、
かといって向かなすぎると不安にさせる。
ちょうどいい距離感が難しい。
「ここにいていいんだよ」という空気をつくるのは、
並大抵の技ではない。

俺は、客が来ると、
「こんにちは」と言いつつ、
視線は向けずに作業を続けることでバランスを取る。
たぶんぎこちないけど。
演技力が足りない。


視線の使い方はとても大切だ。
例えば、ミーティングでみんなに意見を言ってもらうには2つ方法があると思う。

ひとつは、
「どう思う?」と誰かに視線を向けながら言うこと。
質問があって、対象がいて。
単純明快だ。
時計回りに回して行けば、一通りみんなが発言できる。
でもこのやり方は、振られなければ意見を言わない雰囲気をつくってしまうという欠点がある。

もうひとつは、
「どう思う?」と特定の個人ではなくて、その場に対して問うこと。
これは、とても難しい。
誰かと目が合ってしまえば、
それは「場」ではなくて「誰か」に問うていると誤解されがちだ。


「誰か」ではなくて「場」という得体の知れないものを相手にするという構図は、演劇によく似ている。
いやむしろ、演劇とは場づくりの一種なのだろう。
役者は、目の前にいる他の役者と話しているようでいて、
意識は舞台上すべてに向いている。

「見られている」という意識が人間を役者にする。
それはもう、色んな意味で。

水都大阪にしろ、カフェにしろ、学校にしろ、
「ここにいたい」と思えるような空間をつくるために、
スタッフは巧妙な演技をしなくてはいけない。
それは、おばちゃんの話し相手になったり、
こどもを誉めたりしかったり、
一心不乱に何かをつくっていたり。
水都大阪のメインアーティストのひとり、藤浩志さんも「つくり続けるふりをする。」と言う言葉で、自分に役割を課していた。


「ふりをする」のに重要なのは、あいさつだ。
出会ってから、会話はあいさつではじまる。
もちろん、あいさつをしないことも、
ガンを飛ばすなんていう「ごあいさつ」も、あいさつのうちだろう。
自分の立ち位置とか、相手との距離感を知らせるシグナリング。

例えば水都大阪でいうと、
藤さんは、つくることに没頭している(ふりをしている)から、あんまりあいさつをしない。
俺は、つくること優先だけど聞かれたら答える(ふりをしている)から、「こんにちは」と言ってすぐに視線を作業台に戻す。


あいさつは難しい。
そもそも俺は人見知りなので、
初対面の人間が難しい。
でも、水都大阪を経て、難しいなりにちょっとわかった気がした。




水都大阪の写真は現像中なので、また載せます。

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