2009年10月12日月曜日

「しがみつかない生き方」にしがみつく

香山リカの「しがみつかない生き方」という本が売れている。
つまり、「しがみつない生き方」にしがみつく、
という不思議な現象が起こっている。

あることにしがみつない代わりに、
また別のことにしがみつくという、
諸行無常。

俺も買ってしまったけど。しがみつきたくて。



香山リカの本を読んでいると、
その思想には賛同しているはずなのになぜか納得できない、不思議な感覚になる。


その理由はなんとなくわかる。

例えば、「絶対は、絶対にない」と言う言葉をたまに聞く。
これは意味はわかるけれど、
冷静に考えればおかしい。

つまり、「絶対はない」という内容を言いたい。
しかし「絶対はない」ということは、
「絶対にない」ということはない、ということで、
絶対はあるかも、ということになり…

みたいな思考のループに陥る。


絶対はないはずなのに、
「絶対はない」と宣言するときだけは、
「絶対にない」と言っていい。
そういう勝手なダブルスタンダードに、
違和感を感じてしまうのだろう。


香山リカの本は、当たり前のこと(と俺が感じること)を言っている。
しかし、当たり前のことは、
ことさらに口にしないのが「当たり前」だ。
当たり前のことは自然に身につく。


そういう時代が終わったから、こういう本が出ているんじゃないか。
それはそう。確かにその通りだ。
しかし「当たり前のこと」の内容が変わっても、
自然に身につくのが「当たり前のこと」だというのは揺るがない。
本を読んで勉強しないと体得できないことは、
もはや「当たり前」ではないと思う。


しかし、じゃあ「当たり前」だと言わなくていいかというと、それはそんなことはない。
声高に叫ばなければ、当たり前は失われてしまう。


似たようなことがいくつかあって、例えば、

「謙虚が日本人の価値観です!!」とガツガツ主張すること。

反グローバリゼーション系のNGOがグローバルに連帯すること。

「環境に優しいことをしましょう」みたいな内容のビラを大量に刷って配ること。


やった方がいい。
いいんだろうけど。
難しい。




でもたぶん、香山リカの文章を呼んで、いややなと思う理由は、
そういうのに違和感を感じることよりも、
違和感を感じつつも当たり前のことを口をすっぱくして言う役割のひとが社会には必要で、あ、そういう役割が必要と気付いてしまったということは、俺もそろそろそういう役割に回るのか。うわー、もうおっさんやな。
と思わされるからだ。


その「いややな」という感覚こそが、「しがみつない生き方」をするための大きな壁。
モラトリアムにしがみつないことは、とっても難しい。


手を離してみようぜ。

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