2009年8月8日土曜日

セミパラチンスクについて、思ったこと。

64年前。


原爆が投下されてもうそんなに経った。
ここ数日のNHKは、64年前のヒロシマ・ナガサキを振り返る番組のオンパレードになっている。
いつもならあんま観ないけど、
カザフスタンのセミパラチンスクが取り上げられていたので観てしまった。


世界各地の核の被害者を「こんな悲劇を繰り返してはいけない」とつなぐ、その技術は名人芸だ。
世界中のひとが、核兵器廃絶のために心をひとつにしている。
ような気がする。


誤解を避けるため言っとくと、
俺は、日本は核武装しろ!みたいに言いたいわけではもちろんなくて、
ただ、カザフスタンの核兵器廃絶運動が過度に美化されている感じがしたので、そこにきちんとツッコミをしたい。


事実、オバマ大統領のプラハ演説を経て、運動は盛り上がっている。
けれど、この手の運動には3種類ある。

1) 「核」廃絶運動
2) 「核兵器」廃絶運動
3) 核による被害の補償要求運動

この3つはお互いに補完するものでありながら、世間はどれかひとつに注目すると他を忘れてしまう。
いま、この中で中心となっているのは「核兵器」廃絶運動だ。

その方向性は間違っていない。
原子力発電所よりもまずは核兵器の方が危険だし、
国内問題である補償要求と比べて世界連帯しやすいし、
プラハ演説で世界はそっちに傾いている。


そしてカザフスタンもこの核兵器廃絶運動に加わっている。
その背景には、セミパラチンスクの過去があるからだ、とテレビは言う。

セミパラチンスクは冷戦下の1949年から1989年の間に、合計456回の核実験があった場所だ。
そこから離れた村でも、「死の灰」によって広島原爆の爆心地から1.6kmに匹敵するレベルの被曝を受け、住民はいまも健康被害に苦しんでいる。

それは、予期せぬ失敗ではない。
わざと風が強い日を選んで実験した。一部住民を汚染地域に移住させもした。
被曝した住民のための診療所を開くが、そこで行われたのは治療ではなく診断だけだった。
放射線の影響データを取るための、人体実験だった。

1989年、住民は立ち上がって核実験反対運動を始めた。
その年以来実験は行われず、1991年に公式に閉鎖された。
核への反対運動の、数少ない成功例だ。
テレビはそう言う。


しかし。
ここで2つの「しかし」を指摘したい。

しかしカザフスタンは、「核兵器」廃絶は訴えても、「核」廃絶を訴えることは決してないだろう。
カザフには世界で2番目に多くのウラニウムが眠っている。
重要な外貨獲得手段であるウランを、間違っても廃絶するなんてありえない。
むしろ、「核」を使い続けるための「核兵器」廃絶だと言える。
カザフスタンはIAEAが押し進める「核燃料バンク」の受け入れを真っ先に表明している。

それがいいか悪いかはひとによると思う。
ただ、「核」廃絶と「核兵器」廃絶は大きく差があることを指摘しておきたい。


そして、
しかしカザフスタンは、セミパラチンスクのことは過去だとして蓋を閉じようとしている。
セミパラチンスクのひとは、もちろん今も健康被害に苦しんでいる。
ナザルバエフ大統領(カザフ)が核兵器廃絶をいくら声高に叫んだ所で、心はわずかに休まるかもしれないが、体は救われない。
セミパラチンスクの人々が治療を受けるには補償が必要なのに、それは意図的に忘れ去られようとしている。
国からも、世界からも。

日本でも水俣病患者への支援がようやく決着がついたように、
補償問題の解決には往々にして時間がかかる。
しかも、セミパラチンスクの場合は、当事国であるソ連が今では消滅しているのだからなおさらだ。
「核兵器」廃絶という運動に心をひとつにすることは、それぞれの地域の問題である補償問題から視線をそらすことにつながりやすい。
未来と過去のことを同時に考えることの難しさがそこにはある。


核の問題に限らない。
多様なひとと、それに付随する多様な思想や利害がつきまとう問題があるとする。
その解決のために大規模な運動を起こすことは、大きな目的を達成するために細部を忘れることであり、
けれどその「細部」の中に少なくない人の生活や人生が含まれているかもしれない。

自分が何を見て、
何を忘れようとしているのか。
それを直視しないといけない。

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