実家が毎日新聞なので、絶対に違う新聞にしよう。と思いつつ毎日新聞になった、俺の意志の弱さ。
まあそんなことはどうでも良くて、
今日の夕刊の一面に
「アフガン農水路完成へ」という記事が載っていた。
ペシャワール会がアフガニスタン東部で掘り進めてきた農業用水路が今月完成になる見通しらしい。
「百の診療所より一本の水路を」を合い言葉に、5年がかりで進めてきた工事。
総工事費は15億円。10万人が恩恵を受ける。
と、新聞の記事では好意的に書かれてあるけれど、
農業土木をかじる身としてはひとつ気になることがある。
(でも、ペシャワール会のことをあまりよく知らずに書いているので、眉に唾を漬けながら読んでほしい)
ペシャワール会というと、
少し前にスタッフの伊藤和也さんが殺されるという痛ましい事件が起きた。
その背景として、こんなことが囁かれている。
(http://www2.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=61383&log=20090408)
「事件はタリバンの仕業と伝えられているが、そうではありません。ペシャワール会スタッフのクナール川利水活動を、ある隣国の人間たちが長期間監視していたのを私たちは知っています。クナール川の下流にダムを建設する計画を持っているこの国では、ペシャワール会がクナール川の水をナングラハルの住民に行き渡るようにすることで、自分たちのところに流れてゆく水が減り、計画によくない影響があると考えていたのです」
この「ある隣国の人間」というのはパキスタンの諜報機関だという。
俺はクナール川の地理関係とかをよく知らないのでなんとも言えないけれど、
でも、ひとつ頭に入れておかなければいけないことがある。
それは、誰かが水を使えるようになれば、
誰かが水を使えなくなるかもしれないということ。
川の問題を考えるとき、
「水は誰のものなのか」
という問題がついて離れない。
そこに流れているからといって好き放題に使っていいものではない。
上のブログの記事ではパキスタンが加害者でペシャワール会は被害者だという論調で書いているけれど、翻ってパキスタンの側から見れば、ペシャワール会は自分たちの水を奪いにきた敵だ。
その不信感を払拭するという作業を、
巨大な国際機関でさえ成功事例があまりない流域全体での合意形成を、
はたしてペシャワール会という、いちNGOが担えるのか。担ったのか。
伊藤さんが殺されたときに、
「なぜ現地のひとに好意的に受け入れられていたNGOが攻撃されなければならないのか」
という声が上がったが、
いったい「現地」とはどこなのだろう。
ある地域の人に好意的に受け入れられているからといって、
その人気が他の地域を犠牲にすることによって得られていたとしたら。
とかいろいろ考えてしまったけど、
ペシャワール会の情報もあまりないし、
国際河川政策の知識もあまりないし、
これは単なる妄想だ。
俺には正直、ホントのところはわからない。
少なくともアフガニスタンの人は幸せになるのなら、これでいいのかも知れない。
ただただアフガンとパキスタンの、調和のとれた発展を祈るばかりだ。
4 件のコメント:
毎日を取ったのね。
毎日はペシャワール会や、大手の新聞が取り上げない国際条約のことも大きめで取り上げているので、好きです。まあ最近元気ないけど。
国境を跨ぐ河川のこととか日本人って疎いから、どんなルールが存在しているか気になるわ。2国間とか3国間での協定があればいいとか・・・。
哲さんは現地に26年もいるんだ、そんなこと全部ひっくるめて分かっているでしょう。
それに、クナール川をなめたらいけません。どうせ利権問題でしょう?干ばつでまったく水のない場所に通して何が悪いんですか?水がないと人は生きられません。生きられない人たちなど関係ないという意見をあなたは肯定している可能性があることを自覚していますか?
それにあそこの水路は日本伝統の手法で作られています。水が緩やかにながれるように設計されています。もっと設計上のことやクナール川の水量や気候による変動を調べてから書くべきでは?といってもかなり昔の日記ですねこれ。
匿名さん
ご指摘ありがとうございます。
別に農水路のことを批判するつもりはなく、
もやもやっと疑問に思ったことを書き留めておこうと思って書いた日記でした。
たしかにクナール側やペシャワール会のことをろくろく調べもせず書いていて、
そのようなお叱りを受けても仕方ないと反省しています。
ただ、
> 生きられない人たちなど関係ないという意見をあなたは肯定している可能性があることを自覚していますか?
という点に関してですが、
客観的にベストの選択と、合意形成に落ち着く妥協点とが同じとは限りません。
ここで書きたかった主眼は、この農水路が客観的に見て良い(多くの人が生きられる)かどうかではなく、
パキスタンとの合意形成がどうなっていたか、という点です。
不快になられたのでしたらお詫びいたします。
中村哲先生が参考にされた1790年に作られた筑後川の山田堰を見てきました。山田堰では、それまで何度も洪水や干ばつを繰り返した暴れ川と言われた筑後川の水をコントロールできました。もちろん流域の左右の村のことも充分考えられています。さらに修復を加えながら現在も、この堰は現役で周囲の村落の役に立っています。そのような堰を参考にして砂漠を緑の大地に変えたマルワリード用水路を完成に導いたのが日本人であり、九大の先輩でもありことに誇りを覚えます。無償の協力を命がけで達成されたペシャワール会の活動に最敬礼したいですね。
理不尽にタリバンに殺された伊藤和也さんも、命の水に潤う状況をきっと草葉の陰で喜ばれていると思います。
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