2009年5月16日土曜日

大学院でやりたいこと候補その1

土木学会デザイン賞2008の結果が発表されていた。

土木学会デザイン賞2008
http://www.jsce.or.jp/committee/lsd/prize/2008/2008result.html

優秀賞の中に「子守唄の里 五木の村づくり」というのがある。
俺、行ったことあるよ。ここ。


川辺川ダムって知っていますか?
熊本県球磨川の支流、川辺川への建設が計画されつつも40年間計画が宙ぶらりんになってるダム。


「ダム問題」

という言い方が俺は好きじゃない。
俺らが考えるべきなのはダムそのものじゃなくて、
ダムで利害を受ける人のことなのに。
単純なカテゴライズが現実を曖昧にさせる。
問題はそんなに単純じゃない。


川辺川ダムの計画が発表されたのは1966年。
ダムができると五木村は沈んでしまう。
補償の不十分さに村民は憤り、行政と戦い始めた。
しかし、山奥にあるこの小さな村は疲弊し、分断していく。

補償を待つまでもなく都会に出て行く人
補償を受けてこの地を出ることを考える人、
補償されてもここに残りたい人

1984年、村と行政は補償案に合意する。
計画発表から18年が経っていた。
でもそれは、円満な解決ではなくて、
このまま廃村になるよりは補償金で移転した方がましだ、という五木村の妥協だった。

行政が作り出した過疎化の流れの中で体力を奪われ
それでも行政と戦い続けることはとても苦しい。

「格差の問題」?
「過疎の問題」?

繰り返すけど、問題はそんなに簡単じゃない。
でも国と村は合意し、事態は決着をみた。

はずだった。


環境意識みたいなのが高まっていく時代だった。
「環境」
「公共事業のムダ」
とかいう御旗を掲げてダム工事に反対する人々があらわれる。
川辺川下流に、九州に、全国に。

第三者的な正義感は、当事者を困惑させる。
突然盛り上がるダム反対運動は
五木村にとっては「なぜ今更?」という思いが強かった。
昔にこれほどの盛り上がりがあれば、
国と五木村のパワーバランスも違っただろう。
でも昔のことはまあ仕方ないとしても、
いま工事がストップすることは、補償が宙ぶらりんになることを意味する。
村が水没しないことはそれはそれでうれしいけれど、
水没する覚悟はもうしていたのに。


全国のダム反対運動は、
「ダムvs住民」という崇高な戦いであることが重要であって、
当事者がどう思ってるかなんて気にしない。
彼らにとってこの問題は

「ダム問題」

だった。

そしてそんな全国の活動家のおかげで、せいで、
川辺川ダムは今もまだできていない。
おそらく中止になるだろう。
だからといって、過疎になった五木村はもとには戻らない。

川辺川ダム中止を掲げた熊本県知事は、五木村の振興を指揮しようとしている。
一方で全国のダム反対活動家は、そんなことをするだろうか?
きっと次のダム反対活動に身を投じるのだろう。
彼らの目には、ダムしか写らない。
そういう意味では、彼らが嫌う国交省の役人と変わらない。


何度でも言うけど、
問題はそんなに簡単じゃない。
五木村に行って、
何が正しいのか俺にはよくわからなくなった。


上の俺の説明も、多分に現実を単純化している。
詳しい様子が知りたいなら、↓の本を読んでみるといいかも。


熊本日日新聞「巨大ダムに揺れる子守唄の村—川辺川ダムと五木の人々」新風舎 2005

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