コンビニ人間 村田 沙耶香 文藝春秋 2016-07-27 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
公式ホームページの紹介を見れば、
現代の実存を問い、 正常と異常の境目がゆらぐ衝撃のリアリズム小説。だとか評されているけれど、「正常と異常の境目がゆらぐ」なんていうのは、その境目の線を引く側にいる人間のずるい言葉だ。境目の、本の言葉を借りて言えば、「あっち側」の人は、境目がどこにあるか分からないから困惑しているわけで。
(『コンビニ人間』村田沙耶香 | 単行本 - 文藝春秋BOOKS)
前にこのブログにも書いたけど、たとえば俺は「楽しい」という気持ちがあまりよくわからなくて、でも「こういうときはとりあえず『楽しかったです』と言っておく」とかはカンニングをして知ってるから、飲み会が終わったらすかさず「今日は楽しかった! また飲みましょう!」とか言うことができる。そういう教養がある。自慢じゃないけど。
世の中には、呼吸をするように境目の線を引いたり見分けたりできる人(a.k.a. 空気が読める人)と、そうではない人がいて、そうではない人は努力してその線を踏まないようにしないといけない。この本の主人公はどうしているかというと、「コンビニ人間」になる。コンビニの接客フォーマットや同僚のしぐさを型としてコピーすることで「正常」な人間になっている。
朝になれば、また私は店員になり、世界の歯車になれる。そのことだけが、私を正常な人間にしているのだった。正常たろうとする強い意志と戦略でもって生きている主人公は異常なまでに正しい。
ここで俺が言う「正しい」とは、論理的な正しさのことで、依拠している前提が違うから境目の「こちら側」の正しさとはかみ合わないけれど、正しいものは正しい。それでも地球は回る。
そんな正しい主人公が積極的に間違おうとしていく姿には、ほんとうに勇気づけられるというか、身につまされるというか。俺ももっと正しさをかなぐり捨てたい。「正常と異常の境目」をゆるがすことなんてできないから。俺にできるのは、自分の正しさをゆさぶることだけだから。