2015年3月8日日曜日

金水敏「コレモ日本語アルカ? 異人のことばが生まれるとき」


コレモ日本語アルカ?――異人のことばが生まれるとき (そうだったんだ!日本語)

マンガの中に出てくる中国人は、

「さあ、のむよろしい。ながいきのくすりあるよ。のむよろしい」 

のような調子でしゃべる。

けれど、俺はそんな変なしゃべり方をする中国人に会ったことはないし、たぶん現実にはそんな人はいないだろうと推測している。これからも会うことはないと信じている。にもかかわらず、このしゃべり方を聞いただけで 「これは中国人の描写だ」と瞬時にわかる。その暗黙の了解を弁えている。



そういう、現実に使われているかいないかに関わらず特定の役割のイメージと結びつく言い回しを「役割語」とこの筆者は呼んでいる。例えば、宇宙人は「ワレワレハ宇宙人ダ」としゃべる。宇宙人に会ったことがある人は(たぶん)いないけど、こういうしゃべり方をするのは宇宙人だ、というお約束をみんな知っている。

みたいなやつ。

で、果たしてこの〈アルヨことば〉というやつは、本当にかつて中国人の口から出てきていたことばなのか、〈アルヨことば〉は一体全体どこから来たのか、というのがこの本の主題になっている。

歴史は幕末まで遡る。1859年に開港した横浜で欧米人の駐留者と日本人の使用人のあいだで使われたピジン「横浜ことば」に端を発し、明治・大正を経て、満州で使われたピジン「日支合弁語」、そして戦後から現代にいたるまでのポピュラーカルチャーの中に、かたちを変えて生き残っている。

個人的には、満洲ピジンが衝撃的だった。こんな調子のことばらしい。
(略)僕が、
「たくさんある。高く買うよろしい」
といいながら、ニーヤンに雑誌をみせると、
「ハヲハヲ」
といってはかりではかってから、ポケットに手を入れた。いくらお金をくれるかみていると、
「トントンでこれだけ」といって五十五銭出しました。僕は
「テンホウ」というと、ニイヤンはにこにこ笑いながら、
(略)
謎の単語が多すぎるのはさておき。話者同士がそれで意志疎通できていたならそれでいいと思う。でも、満洲ピジンは、ピジンに留まり続けた。満洲で、日本人は日本人だけで固まって暮らしていたからこのピジンが進化して母語として使われることはなかった。

そして敗戦を迎え、満洲国そのものとともに満洲ピジンの実態は滅びて、記憶だけが亡霊のように受け継がれる。受け継がれる、というのは〈アルヨことば〉として日本に存在しているだけではない。満洲で話されたことばは、抗日映画の中の日本兵の「役割語」として中国にも生き続ける。例えば、「ばかやろう」(八格牙路)ということばは今の中国の若者でも知っていて、ネット上で使われているという。

ことばは、使われれば使われるほど進化するものだと思ってきた。でも、当たり前ながら進化しそこなったり消えていく言語もある。これは、進化しなかったことばの悲しい物語だった。

なんていう悲観的なことを書いてしまうのは、すみません、個人的な事情で、 たまたま同じ時期に観た野田秀樹の舞台731部隊に関するものだったから(ネタバレすみません…!)。それを引きずったままヘビーな気分で読んで、ことばとかコミュニケーションとか人間とか、いろんなものへの絶望が仄見えるような寒さを覚えた。

これも日本語なのか、という重たい問い。それに答えることばをまた探し続けている。

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