昨日は友達に誘われて、
ガンダム00 Supporter's Gathering 2010 -A trailer for the trailblazerII-
というイベントに、ガンダム全然知らんのに行ってきました。
未知の世界で、めっちゃ楽しかった。
けど、俺なんかが冷やかしでいていいのかな、と非常に申し訳ない感じでした。。
ごめん!
で、そこで生The Back Hornを観て来た。
あの中で、7年も前からバクホンを知っているのは俺くらいじゃない!?
思わず「まさしー!」と叫んでしまった。
…とか言いつつ、最近あんま聴いてないけど笑
実は、生で姿を見るのは初めてだけど、
生で曲を聴くのは2回目、というトリッキーなことになっている。
4年前、バクホンは「弾き叫びツアー」という路上ライブツアーをやっていて、
それを俺は三条大橋の上で「なんかこれバックホーンに似てるかも」と思いつつ、
受験前で急いでて通り過ぎざるを得なかったという、すれ違い。
なので、4年越しの雪辱でした。
俺がバックホーンを知ったのは、
↓この曲だった。
アルバム「イキルサイノウ」のころの悩ましい感じの音が好き。
↓シングルじゃないけど、これも名曲。
最近は曲調が力強い感じに変わりつつあるけど、
でもやっぱ好き。
↓昨日演奏してた曲。2曲目はわからなかった。「警鐘」って曲だった?
9月15日にアルバム出るって。
買おうかな。
あ、そうそう、
今日から21日朝までタイに行ってきます。
不在通知でした。いちおう。
2010年8月30日月曜日
2010年8月28日土曜日
自衛隊みてきた。
「ドン!」
という音とともに、バスが揺れる。トランクを閉めた音だ、と誰かが言った。けれど、その後でまたドンドン!と空気が揺れて、あ、そうか。これも砲弾の音なのか。と僕は気付く。
皮肉なもので、バスという壁いちまいを隔てて聞いた音のほうがリアルに感じる。昼間に観覧席から見ていたときは、こんなに体の芯に響く音だと気付かなかったのに。それはたぶん、僕たちの生活が、戦争というものと幾重もの壁を隔てているからだ。テレビを観るように、バスの窓越しに感じる方が、僕の知っている「戦争」に近い。つまり、いつかどこかで誰かがやってる、自分とは関係のないこと。
僕たちは、戦争との距離を掴めずにいる。きっと、実際に戦争が目の前で起こってもそうだろう。目の前で起こっているからリアルかと言えばそんなことはない。鼓膜を突き破るような大きい音、炸裂する閃光、上がる土煙。こんな光景をいままで見たことがないし、すごいと思う。思うけれど、心に響くかといえば、そうでもない。正直、富士総合火力演習を見ても何も分からなかった。延々と続く火器の解説を聞きながら、まるで兵器の見本市にいるような感覚になる。砲弾が発射されると起こる「おおっ」というざわめきに混じって声を上げつつも、一体これは何を見せたいのか、そして何よりも自分は何を見たいのかがわからない。けれど少なくとも、動いている機械の、機械的な説明じゃない気がした。
そう、聞きたかったのはきっと、耳を塞いでも響いてくる轟音じゃない。遠くからだと聞き取れないような、息づかいに耳を澄ませたかった。自衛隊にはどういう人がいて、どういう汗を流して、どういう悩みを抱えて国防の最前線に立っているのか。そのストーリーを、リアルさを、僕は知りたかった。目の前で兵器が動くのを見ればリアルかと言えば、そんなことはない。富士総合火力演習がただのショーに見えて、残念だった。
もっと想像力を働かせて、いろんなことをリアルに感じれるようになりたい、と思った1日だった。良い経験になった。
↑自衛隊の火力演習にゼミで行ってきた感想。
「自衛隊すごかった! これからもがんばってね!」という感想を書けという無言のプレッシャーみたいなのがあって、じゃあ絶対違うこと書こう、と思って書いた文章(笑)。
とにかく、
「リアルさ」に関しては簡単に譲れない。
目の前で見ればリアルかと言えばそんなことはない。
むしろこの火力演習は、
軍事マニアみたいな、「非現実」を求めてくる人に媚びたつくりになっている。
目の前で「非現実」をぶっ放せばリアルになるかというと、
兵器のディテールを語ればそれがリアルかというと、
そんなことないんじゃない。
少なくとも俺はそんなマニアックなことを聞きに来た訳じゃない。
でもじゃあ、
何を観に来たのかというとあんまりはっきり答えられなくて、
自分の立ち位置の曖昧さに絶望する。
俺の「リアル」は何なのか。
よくわからない。
そういう、よくわからなくなる、良い機会になった。
上の感想の最後、「良い機会になった」というのはなんか取って付けた感じがするけど、
まあ良い機会にはなったと思うよ。
そんなすぐに答えが出ることじゃない。
リアルさって何なのかとか、平和とか戦争とか。
いろんなことが頭の中をぐるぐる回る。
そういう良い機会になったと思う。ほんと。
という音とともに、バスが揺れる。トランクを閉めた音だ、と誰かが言った。けれど、その後でまたドンドン!と空気が揺れて、あ、そうか。これも砲弾の音なのか。と僕は気付く。
皮肉なもので、バスという壁いちまいを隔てて聞いた音のほうがリアルに感じる。昼間に観覧席から見ていたときは、こんなに体の芯に響く音だと気付かなかったのに。それはたぶん、僕たちの生活が、戦争というものと幾重もの壁を隔てているからだ。テレビを観るように、バスの窓越しに感じる方が、僕の知っている「戦争」に近い。つまり、いつかどこかで誰かがやってる、自分とは関係のないこと。
僕たちは、戦争との距離を掴めずにいる。きっと、実際に戦争が目の前で起こってもそうだろう。目の前で起こっているからリアルかと言えばそんなことはない。鼓膜を突き破るような大きい音、炸裂する閃光、上がる土煙。こんな光景をいままで見たことがないし、すごいと思う。思うけれど、心に響くかといえば、そうでもない。正直、富士総合火力演習を見ても何も分からなかった。延々と続く火器の解説を聞きながら、まるで兵器の見本市にいるような感覚になる。砲弾が発射されると起こる「おおっ」というざわめきに混じって声を上げつつも、一体これは何を見せたいのか、そして何よりも自分は何を見たいのかがわからない。けれど少なくとも、動いている機械の、機械的な説明じゃない気がした。
そう、聞きたかったのはきっと、耳を塞いでも響いてくる轟音じゃない。遠くからだと聞き取れないような、息づかいに耳を澄ませたかった。自衛隊にはどういう人がいて、どういう汗を流して、どういう悩みを抱えて国防の最前線に立っているのか。そのストーリーを、リアルさを、僕は知りたかった。目の前で兵器が動くのを見ればリアルかと言えば、そんなことはない。富士総合火力演習がただのショーに見えて、残念だった。
もっと想像力を働かせて、いろんなことをリアルに感じれるようになりたい、と思った1日だった。良い経験になった。
↑自衛隊の火力演習にゼミで行ってきた感想。
「自衛隊すごかった! これからもがんばってね!」という感想を書けという無言のプレッシャーみたいなのがあって、じゃあ絶対違うこと書こう、と思って書いた文章(笑)。
とにかく、
「リアルさ」に関しては簡単に譲れない。
目の前で見ればリアルかと言えばそんなことはない。
むしろこの火力演習は、
軍事マニアみたいな、「非現実」を求めてくる人に媚びたつくりになっている。
目の前で「非現実」をぶっ放せばリアルになるかというと、
兵器のディテールを語ればそれがリアルかというと、
そんなことないんじゃない。
少なくとも俺はそんなマニアックなことを聞きに来た訳じゃない。
でもじゃあ、
何を観に来たのかというとあんまりはっきり答えられなくて、
自分の立ち位置の曖昧さに絶望する。
俺の「リアル」は何なのか。
よくわからない。
そういう、よくわからなくなる、良い機会になった。
上の感想の最後、「良い機会になった」というのはなんか取って付けた感じがするけど、
まあ良い機会にはなったと思うよ。
そんなすぐに答えが出ることじゃない。
リアルさって何なのかとか、平和とか戦争とか。
いろんなことが頭の中をぐるぐる回る。
そういう良い機会になったと思う。ほんと。
2010年8月19日木曜日
久しぶりに高校演劇みた。
北千住で友達と飲む約束があった。
その前にいろいろ買い物しようと思ったら行こうと思ってた店がことごとく休みで途方に暮れる。
時間もて余しまくり。
その前にいろいろ買い物しようと思ったら行こうと思ってた店がことごとく休みで途方に暮れる。
時間もて余しまくり。
でもたまたま、高校演劇フェスティバルが、
OIOI(マルイ)にある、
シアター1010(せんじゅ)というところでやってたから、
一校だけ観てきた。
劇場には、高校生とその保護者だらけで、
なんか俺には場違い感が漂う。
すごく年を取った気分になる。
もうちょい年を取ったら、逆になじめるようになるのかな。
でも実は、高校演劇を生で観るのって、二回目?
演劇ぜんぜんみてないなー、と反省した。
俺が観たのは、
授業参観のときの生徒会室で、現生徒会とその親がとりとめなくしゃべる、という劇だった。
舞台装置はすごくシンプルで、机と椅子だけ。
ストーリーも、なんか事件が起こるでもなく淡々と進む。
初めは、間の取り方がなんか息があってない感じで、
笑いを取るとこもすべってたけど、
一度笑いが起こった後は、なんだかスイッチが入ったみたいで、
別に大したストーリーじゃなかったけど、
なぜか面白かった。
それはたぶんひとつには、俺が年をとったというのがあって(笑)、
若い人を見てるだけで面白い気がする。
未知との遭遇だから。
別に何が違うってわけでもないけど、
一日中眺めてても飽きない風景みたいに、
人間観察は面白い。たぶんそれは若い人に限らず面白い。
で、もひとつは、高校生の力量だ。
俺はあんまうまいへたとかわからんけど、
なんとなく客席の空気を読みながら丁寧にやってた気がする。
ただそこで延々流れてる映像と演劇は違う。
なんかそうやって舞台と客席が互いに探りあってる空気感みたいなのがあって、
初めの微妙な空気がいつの間にかいい空気に変わってて、
面白かった。
なんかいいな、高校演劇。
誰か、来週末土日の、優秀高東京公演観に行きませんか? チケットまだあるか怪しいけど。
2010年8月18日水曜日
神聖かまってちゃん
きのうカラオケ行って、
みんなが神聖かまってちゃんを知らないことに衝撃を受けたので、
あと、俺がかまってちゃんの曲を歌えなすぎることに衝撃を受けたので(笑)、
ブログに書こうと思って。
かまってちゃんは、
非リア充界のカート・コバーン、の子(Vo.)を擁する4人組のバンド。
音楽性のなさと、薄っぺらさでもって、
ネット世代のリアルを体現している。
音楽って、音楽性があればいいかといえばそういうわけじゃなくて、
例えば、いつも吉野家を食べてる人が、
突然、高級料亭に行っても食べ物が喉を通らないみたいに、
非リア充には非リア充の音楽がある。
安っぽさが逆にしっくりきたりする。
もはや、モテない男が聞く音楽と言えば、
神聖かまってちゃんか銀杏ボーイズか、
というくらいの活躍っぷりなんです。
中でも、の子のカリスマ性は圧倒的で、
俺はずっとかまってちゃんを敬遠してたけど、
↓この非リア充っぷりを見て、おののいた。
…すごくない?
真似できない!
というか真似したくない(笑)
みんなが神聖かまってちゃんを知らないことに衝撃を受けたので、
あと、俺がかまってちゃんの曲を歌えなすぎることに衝撃を受けたので(笑)、
ブログに書こうと思って。
かまってちゃんは、
非リア充界のカート・コバーン、の子(Vo.)を擁する4人組のバンド。
音楽性のなさと、薄っぺらさでもって、
ネット世代のリアルを体現している。
音楽って、音楽性があればいいかといえばそういうわけじゃなくて、
例えば、いつも吉野家を食べてる人が、
突然、高級料亭に行っても食べ物が喉を通らないみたいに、
非リア充には非リア充の音楽がある。
安っぽさが逆にしっくりきたりする。
もはや、モテない男が聞く音楽と言えば、
神聖かまってちゃんか銀杏ボーイズか、
というくらいの活躍っぷりなんです。
中でも、の子のカリスマ性は圧倒的で、
俺はずっとかまってちゃんを敬遠してたけど、
↓この非リア充っぷりを見て、おののいた。
…すごくない?
真似できない!
というか真似したくない(笑)
2010年8月16日月曜日
じこはおこるさ
この名曲を知っていますか?
なんかこれ、つぶやいたけどブログには載せてないなと思って。
歌詞といっしょにどうぞ。
このポジティブさ!
いやー、こういうひといるやんな。
おかしいやろ、そこ笑うとこちゃうやろ!とか、
いっぺん電車にひかれてみればいいのに!みたいな人。
でも、
きかんしゃトーマスの話って、だいたい事故が起こるのが多い。
福知山線脱線事故以降なら、即打ち切りやろうな。。
さいきんこういうどうでもいい話ばっかやね。
ごめんなさい。。
なんかこれ、つぶやいたけどブログには載せてないなと思って。
歌詞といっしょにどうぞ。
「じこはおこるさ」(日本語歌詞)
スリルなんてちょっとなら楽しみさ
でもイライラすると事故が起きる
へっちゃらさ なんて知らん顔して
走っているとそんな時
事故がほら起きるよ いきなり来る
調子乗ってやってるとバチがあたる
事故がほら 起きるよ
いい気になってると
そうさ、よそ見してるその時に
事故は 起きるものさ
思いつきでやると きっと 失敗するよ
幸運の女神は気まぐれだから
ウキウキしてるとまっさかさま
忘れないで気をつけてね いつだって
事故がほら起きるよ 突然さ
運が無い時はしょうがない
なんとかしよう
事故がもし起きたら
落ち込まないで
うまくやれるようにがんばろうよ
事故は起きるものさ
”標識はいくつもあるのにさ
大事なモノばかり見落とすね”
そんな時必ずやってくる
二度とやらなければいいけど
事故がほら起きるよ いきなり来る
調子乗ってやってると
バチがあたる
事故がほら起きるよ
いい気になってると
そうさ、よそ見してるその時に
事故は起きるものさ
事故がほら起きるよ突然さ
運が無い時はしょうがない
なんとかしよう
事故がもし起きたら
落ち込まないで
「まぁ、自信過剰だと集中力なんて
たいがい散漫になっちゃうからね」
事故だ 事故だ
忘れてると事故は起こるさ
ほーら!
このポジティブさ!
いやー、こういうひといるやんな。
おかしいやろ、そこ笑うとこちゃうやろ!とか、
いっぺん電車にひかれてみればいいのに!みたいな人。
でも、
きかんしゃトーマスの話って、だいたい事故が起こるのが多い。
福知山線脱線事故以降なら、即打ち切りやろうな。。
さいきんこういうどうでもいい話ばっかやね。
ごめんなさい。。
2010年8月14日土曜日
越後妻有
大地の祭りに行ってきました。
アートと地域の関係性。
去年の水都大阪2009を思い出した。
1年前の今ごろは、中之島でハンガーと格闘してたことを思い出してなんか不思議な気分になる。
あれからまだ1年しか経ってないのか。
とりあえず写真を載せます。
解説はめんどいから適当やな。ごめん。。
俺に似てる、と専攻の友達からいわれた。そうかも。
地元の料理バイキング。ベジタリアン料理みたいだった。
有名な作品。もともとある棚田を使ったインスタレーション。借景的な。
教室中が黒板になってて、自由に落書きできる。
竹炭ロールケーキ。
鍋がめっちゃいっぱいぶら下がってる作品。
小学校の校舎全体を使った作品。ちょっとブレてるなこれ。
「夢の家」という。家を一軒つかった作品。こういうホラーな棺桶に入って寝て、見た夢を「夢の本」に書き溜めて行く。ちなみに寝てるのはうちの専攻長です。
もうちょっと写真あるけど、見たい人はfacebookに上げたからみてね。
アートと地域の関係性。
去年の水都大阪2009を思い出した。
1年前の今ごろは、中之島でハンガーと格闘してたことを思い出してなんか不思議な気分になる。
あれからまだ1年しか経ってないのか。
とりあえず写真を載せます。
カメラ使うのが半年ぶり。
もうちょっと、月にフィルム1本くらいのペースで撮っていこう。
解説はめんどいから適当やな。ごめん。。
地元の料理バイキング。ベジタリアン料理みたいだった。
有名な作品。もともとある棚田を使ったインスタレーション。借景的な。
教室中が黒板になってて、自由に落書きできる。
鍋がめっちゃいっぱいぶら下がってる作品。
小学校の校舎全体を使った作品。ちょっとブレてるなこれ。
「夢の家」という。家を一軒つかった作品。こういうホラーな棺桶に入って寝て、見た夢を「夢の本」に書き溜めて行く。ちなみに寝てるのはうちの専攻長です。
もうちょっと写真あるけど、見たい人はfacebookに上げたからみてね。
2010年8月8日日曜日
2010年8月6日金曜日
ずーん
という気分で帰省。
しばらく立ち直れなさそう。
昨日まで、北海道は洞爺湖に行ってた。
水の活動をしている中高生のフォーラムがあって、俺はファシリテーターをしていた。
もう3回目なのに、今年が一番うまくいかなかった。
はたから見ればうまくまとまったし、
参加者の子も割と楽しそうだったし、
何かトラブルがあったわけでもない。
でも、なんかしっくりこないねん。
なんとなく。
子どもたちに申し訳ないとか言いつつ、
実は自己満足したいだけなんやろうなーと思いつつ、
悶々とする。
なんかうまく言えないけど、
いっしょに楽しむことはできたけど、
いっしょに悩むことができたのか。
ということに、俺はひとり悩んでしまう。
自慢じゃないけど、
悩むことにかけては、病的に自信がある。
ほっといても悩む。
悩むなと言われても逆に悩む。
だからきっと、
俺がファシリテーターとしてできることがあるとすれば、
いっしょに悩むことしかないんじゃないかな。
楽しむことは当然として。
でも今回は、
俺は俺で悩んで、
みんなはみんなで悩んで、
それぞれ自分の中に悩みを抱えたままで、
悩みが交じり合わなかったような気がする。
別に、悩みを解決しようなんて思わない。
いっしょに悩んだくらいで解けてしまう、
簡単なことを話してるわけじゃないから。
でも、そんな簡単じゃないから、
せめていっしょに悩みたい。
何もできないけど、せめてそばにいたい。
そういうことができると思っていた。
他のことはまるでヘタクソだけど、
悩むくらいできると自分を過信していた。
みたいな悩みが空の青さと混ざって、ずーんとのしかかってくる。
メロディのないセミの鳴き声が、思考のループを連想させる。
そんな、実家の夏。
しばらく悩みます。
しばらく立ち直れなさそう。
昨日まで、北海道は洞爺湖に行ってた。
水の活動をしている中高生のフォーラムがあって、俺はファシリテーターをしていた。
もう3回目なのに、今年が一番うまくいかなかった。
はたから見ればうまくまとまったし、
参加者の子も割と楽しそうだったし、
何かトラブルがあったわけでもない。
でも、なんかしっくりこないねん。
なんとなく。
子どもたちに申し訳ないとか言いつつ、
実は自己満足したいだけなんやろうなーと思いつつ、
悶々とする。
なんかうまく言えないけど、
いっしょに楽しむことはできたけど、
いっしょに悩むことができたのか。
ということに、俺はひとり悩んでしまう。
自慢じゃないけど、
悩むことにかけては、病的に自信がある。
ほっといても悩む。
悩むなと言われても逆に悩む。
だからきっと、
俺がファシリテーターとしてできることがあるとすれば、
いっしょに悩むことしかないんじゃないかな。
楽しむことは当然として。
でも今回は、
俺は俺で悩んで、
みんなはみんなで悩んで、
それぞれ自分の中に悩みを抱えたままで、
悩みが交じり合わなかったような気がする。
別に、悩みを解決しようなんて思わない。
いっしょに悩んだくらいで解けてしまう、
簡単なことを話してるわけじゃないから。
でも、そんな簡単じゃないから、
せめていっしょに悩みたい。
何もできないけど、せめてそばにいたい。
そういうことができると思っていた。
他のことはまるでヘタクソだけど、
悩むくらいできると自分を過信していた。
みたいな悩みが空の青さと混ざって、ずーんとのしかかってくる。
メロディのないセミの鳴き声が、思考のループを連想させる。
そんな、実家の夏。
しばらく悩みます。
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