2012年8月12日日曜日

北方謙三「三国志」

読み始めた時に書いた記事を見返したら、
なんと2ヶ月も経ってたけど、ようやく北方三国志を読み終えた。
疲れたので、読み終えた瞬間に全巻売ってしまった。。笑

ざっくり乱暴にまとめると、
人がばったばった死ぬけど志は受け継がれていきますよ、
みたいな話だった。

でもじゃあ。

志が生き続けるのなら、
死んだ人間が生きている人間の心の中に生き続けるのなら、
個人が生きる意味というのは何なんだろう。

志があれば個人なんて要らなくない?

もし自分に志なんてものがあるとして、死んでも誰かが受け継いでくれるなら、俺もう死んでもいいんじゃない?

あるいは逆に、誰かの志を受け継いで誰かの人生を生きられるなら、俺はもう俺として生きなくていいんじゃない?

なんてことを思ったり思わなかったり。
だいぶ違うレイヤーの話だとは思うけど。

2 件のコメント:

やまなか さんのコメント...

むかし、サークル内でミームという言葉が流行りました。
情報や考え方を遺伝子のように考えて、ひろまっていく間に進化したり、それが文化を形成したり。
当時、とても影響力のある人が死んでしまったのだけど、彼が周りに与えた考え方や情報が、それ自体として生きているのはもちろん、次第に進化して他のものに発展していく様子を見た時に、彼のジーンは世の中に残らなかったけど、ミームは残ったんだな、と思いました。

いくら子供を作っても、死んでもいいやと(たぶん)思わないのは、自分自身も生き続けないと、自分の分のジーンが世の中から消えてしまうわけで、それを防ぐ為にも生き続けないといけないのではないかと思います。そんなわけで、ジーンの運び屋としての僕達は生き続けないといけないし、ミームの運び屋としての僕達もきっと同じように生き続けないといけない。

ながくなりましたが、上記と同じように、志が引き継がれたからといって、その志を持っていた人が死んでもいい、なんてことにはならないのではないかと思います!

Hiroaki Yutani さんのコメント...

> やまなかさん
それはそれでそうなんですけど、
「運び屋」なら、運ばなければならないものを運び終わったなら、死のうが生きようがどうでもいいんじゃないですか、なんて思ってしまうんです。
日常を生きることとは違うレイヤーの話だとは思うんですけど。