なぜ人はリツイートをするのか、
というのはけっこう根源的な問いのような気がする。
なんてTwitterをおやすみしているここ数日で思った。
しゃべりたいのなら自分で喋ればいいし、
誰かのことばを代弁したいのならリツイートすればいいし、
誰かにことばを代弁されたいのならリツイートされればいいし。
でもたいがいどれか一つではなくてどれもやるやんね。
つぶやくしつぶやかれるし、黙るし黙られるし、
褒めるし褒められるし、ディスるしディスられるし。
なんかどっちでもいい気がしてくる。
この互いにことばを借用しあう引用体系のことをこそ
人間と呼ぶのかもしれない。
ということは、ロボットは引用できるのかを考えないといけないのかな。
そろそろそういうステージなのかも。
そんな能動態と受動態を一緒くたにしたようなことばのあり方が、
離れてみるとすごい不思議。
なんてぼんやり考えてたら、
あんまり関係ないけどこれ↓を見付けて共感した。
代弁なんてしたくないしされたくもない、というこの胸のうちを代弁してくれているみたいに感じられて。
「弱者を勝手に代弁する人々」について、佐々木俊尚@sasakitoshinao氏のツイート 2011/5/3
http://togetter.com/li/131222
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