http://www.j-cast.com/2013/01/07160408.html
という感じで母校が話題になっているらしいので、
なんか言わないとなーという使命感に駆られてみた。
↓元の記事はこれ
2013年・春を言祝ぐ:支局長インタビュー/3 京大総長・松本紘さん /京都- 毎日jp(毎日新聞)
http://mainichi.jp/area/kyoto/news/20130105ddlk26040216000c.html
で、みんなが盛り上がっている箇所は、
受験勉強ばかりでなく、高校時代にやっておくべきこと、例えば音楽とか、恋愛始め人間関係の葛藤とか、幅広い経験をしてきた人に入試のバリアを少し下げる。という部分なわけです。
個人的には、所詮は受験やねんしどうでもいいやんと思いつつ、
それでもやだなあと感じるところは2点あって、
ひとつは、「幅広い」の実例として挙げられてるのが
「音楽とか、恋愛始め人間関係の葛藤」って大して幅広そうじゃないこと。
もうひとつは、幅広い経験が云々と言いながら、次のページで
京都大学は「自由の学風」と言われているが、自由=勝手気ままではない。かつては権力の束縛からの自由だったが、これからは既存の概念や知識からの逸脱、(中略)科学を広げるチャレンジをするのが「京大の自由」なのです。なんていう幅狭そうなことを言ってること。
幅広さっていうからにはもっとぶっ飛んだもののはずだし、
幅広さが大事だというなら、何からの自由だろうと勝手だし、
そんな都合のいい「幅広さ」は世の中にはない。
自分の思う「幅広さ」じゃないから文句を言うなんて幅広くないですよっと。
でも…、
今これを書いてる事自体が自分の思うのと違う「幅広さ」への文句なので、
あんま説得力ないね。。笑
バランスを取るために付け加えると、
まあこういう幅狭そうなことを平気で言えちゃうなんて
逆に幅広いなあと関心もした。
いや、これ半分は皮肉だけど半分はほんと。
京大にはどうも「自由でなくてはいけない」という不自由さがある。
自由を奪うようなことを言うと問答無用で叩かれる、というその空気が、
俺はあんま好きじゃなかった。
自由なら、他人の自由を奪うのも自由だし、
自ら望んで不自由になるのも自由なはずで。
「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」という意味での自由を、俺は自由と呼びたい。
だから学長がこんなことを平気で言えちゃうというのは、
なんかある意味自由な時代になったんだなーと思った。
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