2016年12月24日土曜日

手を離してみます。

突然ですがブログを以下に移転します。

http://yutannihilation.hatenablog.com/


なぜかというと。このブログを8年間続けてきて、思考が着太りしていると感じる。何か書こうと思っても、ああ昔これ書いたわ、と終わってしまう。もう書きたいことはほとんど書き尽くしてしまったんじゃないか。そんな気がする。でもたぶんそれは気がするだけで、ただの怠慢だ。過去にしがみついているおっさんのたわ言でしかない。

ちょうどこのブログのタイトルが言っているように、積み上げてきたものに手を離してみるタイミングなんだろう。記事の移行をすることもできたけど、ばっさり新しくすることにした。このブログはこのブログのまま残る。

俺には旅に出る理由なんて何一つない。それでも。

2016年12月21日水曜日

最近気になった恋愛の曲とか動画とか

特に理由はないけど、なんとなくブログに残しておく。特にオチはないです。

2016年12月10日土曜日

エモい、の意味、あるいは、言葉の正統性についての小言。

突然だが、「エモい」と聞いて何を思い浮かべるだろうか。

俺はこのあたりを思い浮かべる。


2016年11月6日日曜日

ピエール・バイヤール「読んでいない本について堂々と語る方法」

読んでいない本について堂々と語る方法 (ちくま学芸文庫)
ピエール バイヤール
筑摩書房
売り上げランキング: 4,175

ある本を「読む」というのはいったいどういうことなのか、という命題を掘り下げていく本。冒頭でバイヤールは、「読んでいない」という言葉に対して切り込みを入れる。
「読んでいない」という概念は、「読んだ」と「読んでいない」とをはっきり区別できるということを前提としているが、テクストとの出会いというものは、往々にして、両者の間に位置づけられるものなのである。
注意ぶかく読んだ本と、一度も手にしたことがなく、聞いたことすらない本とのあいだには、さまざまな段階があり、それらはひとつひとつ検討されなければならない。「読んだ」とされる本に関しては、「読んだ」ということが正確に何を意味しているかを考えるべきである。読むという行為はじつにさまざまでありうるからだ。反対に、「読んでいない」といわれる本の多くも、われわれに影響を及ぼさないではおかない。その本の噂などがわれわれの耳に入ってくるからである。
こうしてバイヤールは、「読んでいない」を擁護するばかりではなく、「読んだ」という概念に揺さぶりをかけていく。

2016年10月24日月曜日

ノーベル賞受賞の連絡に返事をしないボブ・ディランは傲慢だ!の原文(は調べられなかったけど)


「ノーベル賞受賞の連絡に返事をしないボブ・ディランは傲慢だ!には実は続きがあった」という見出しが視界に入ってしまったので。気になって調べた。(英語あんまり得意じゃないので間違ってたらこっそり教えてください...)

2016年10月20日木曜日

小川さやか「「その日暮らし」の人類学 もう一つの資本主義経済」

「その日暮らし」の人類学 もう一つの資本主義経済 (光文社新書)
小川 さやか
光文社 (2016-07-14)
売り上げランキング: 5,986

この本おもしろかった。Living for Todayという切り口で、ピダハンからはじまって2章以降はタンザニアのインフォーマル経済に焦点を当てている。本筋とずれたところでちょっとだけメモ。(経済学よくわからないままに書いたので話半分くらいに読んでもらえれば)

2016年8月2日火曜日

村田沙耶香「コンビニ人間」

コンビニ人間コンビニ人間
村田 沙耶香

文藝春秋 2016-07-27

Amazonで詳しく見る by G-Tools

公式ホームページの紹介を見れば、
現代の実存を問い、 正常と異常の境目がゆらぐ衝撃のリアリズム小説。
『コンビニ人間』村田沙耶香 | 単行本 - 文藝春秋BOOKS
だとか評されているけれど、「正常と異常の境目がゆらぐ」なんていうのは、その境目の線を引く側にいる人間のずるい言葉だ。境目の、本の言葉を借りて言えば、「あっち側」の人は、境目がどこにあるか分からないから困惑しているわけで。

前にこのブログにも書いたけど、たとえば俺は「楽しい」という気持ちがあまりよくわからなくて、でも「こういうときはとりあえず『楽しかったです』と言っておく」とかはカンニングをして知ってるから、飲み会が終わったらすかさず「今日は楽しかった! また飲みましょう!」とか言うことができる。そういう教養がある。自慢じゃないけど。

世の中には、呼吸をするように境目の線を引いたり見分けたりできる人(a.k.a. 空気が読める人)と、そうではない人がいて、そうではない人は努力してその線を踏まないようにしないといけない。この本の主人公はどうしているかというと、「コンビニ人間」になる。コンビニの接客フォーマットや同僚のしぐさを型としてコピーすることで「正常」な人間になっている。
朝になれば、また私は店員になり、世界の歯車になれる。そのことだけが、私を正常な人間にしているのだった。
正常たろうとする強い意志と戦略でもって生きている主人公は異常なまでに正しい。

ここで俺が言う「正しい」とは、論理的な正しさのことで、依拠している前提が違うから境目の「こちら側」の正しさとはかみ合わないけれど、正しいものは正しい。それでも地球は回る。

そんな正しい主人公が積極的に間違おうとしていく姿には、ほんとうに勇気づけられるというか、身につまされるというか。俺ももっと正しさをかなぐり捨てたい。「正常と異常の境目」をゆるがすことなんてできないから。俺にできるのは、自分の正しさをゆさぶることだけだから。