2010年11月17日水曜日

みえるか?

「見える化」ってなに?


と、唐突に思う。

動詞に名詞がムリヤリ接続されて、
これって日本語として正しいの?

透明性を上げる、
ということを分かりやすく言っているようでいて実は分かりにくくて、
かわいい字面の裏に牙を隠し持っている気がしてならない。


まずもって語感が悪い。
耳で聞くと、
「見えるか?」と、眼前に事実を突き付けられるような、
そんな圧迫感を持っている。


例えば、水戸黄門。

「懲らしめてやりなさい」という、老人の一言に端を発した戦闘は、
やはり老人の、
「もう良いでしょう」という一方的な通告で終わる。

そして放たれるこの一言。


「この印籠が目に入らぬか!!!」

これは、
「見えるか?」という恫喝であると同時に、
水戸光國公という強大な権力の、「見える化」でもある。


「見える化」の先にある「見えるか?」。
それはなんだか、暗いイメージがつきまとう。

きっと、見たくないものまで見てしまうという恐怖からくるのかもしれない。
逆に言うと、見たいものだけ見ていたいという、
自分勝手な願望に俺は、しがみついているのかもしれない。

でも一方で、都合のいい部分だけ見せられて、都合が悪い部分は見せない、
そんな事態に対する正当な危惧かもしれない。

「見える化」が進んだ先に何があるのか。
その未来はいまだ見えない。

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