2011年8月27日土曜日

コピペ時代の、記憶ってなに?

自分が時代遅れだなーと思うことの一つに、
未だにEvernoteを使う気になれないことがある。

ちょっと考えたことをメモ。雑な文章でごめん。


Evernoteは、アカウントをつくると、テキスト、ウェブページ、画像、音声などをクリップできるサービス。らしい。
使ったことないからよくわからないけど。

無理だなーと感じたのは、
試しに使おうかと思ってホームページに行って、
「すべてを記憶する」というキャッチコピーが目に入った瞬間だった。


えっなに言ってるの?と思った。


すべてなんて記憶したくない。ぜんぜんない。


でもそれはたぶん、
俺が「すべてを記憶」できない時代に生きてきたから、
「すべてを記憶」したくないと思うだけなんだろう。

今じゃ、
「すべてを記憶」するのも夢じゃないと信じられる時代で、
俺はそれについていけない時代遅れの男やねんな、と思った。


だって、
記憶というのは自分ひとりのものじゃない。

他人だったり、紙とペンだったり、パソコンだったり、
昔なら伝承だったり歌だったり、
様々な「記録」に支えられて託されて、「記憶」は存在する。

媒体が変われば、当然、
記憶のあり方だって変わるだろう。


それでも、「すべてを記憶」できる(と信じられる)時代とそうでない時代には、
大きな断絶がある。

少なくとも俺は、
「すべてを記憶」できない前提で、
なにをどう記憶するかを選んできたと思う。

不完全な記憶。
不完全な、じぶん。


俺の記憶のあり方に大きく影響したのは、
小学校3、4年から担任に言われて書いていた日記だ。たぶん。

俺は日記なんてぜんぜん書きたくなくて、
その日にあったことじゃなくて、
すごく細かいような、思ったこととか、詩とか書いてた気がする。

でもそれは、見たものとか感じたこととか、
嬉しかったこととか悔しかったこととか悲しかったこととか、
いろんな忘れたくないことの、ほんのひとかけらに過ぎない。

それも、いちばん忘れたくないことを書いているかといえば、
そんなことはない。

大事なことは書きたくなかった。
書くことで誰かに見られたくなかったし、
たぶん書く自信もなかった。


だから、あんまり昔の読み返したことないけど、
俺の日記にはどうでもいい事ばっかり書いてある。
間違ったことばっかり書いてある。

記憶はそれでいいと思っている。
部分的で、歪んでいて、間違っていて、
そういう不完全な記憶でいい。

そんな風に思わされている。
俺は時代遅れな人間だ。


そんな俺だから、
「すべてを記憶する」と標榜するEvernoteに見つかったら怒られそう。

コピペ時代の今は、
すべてを記憶できる。

いちいち手で書き写さなくていいから、
一瞬で世界を切り取ってクリップできる。

それだけではなくて、
正しく記憶できる。

どうだっけと思い出しながら書く必要はなくて、
そっくりそのまま持ってくればいい。
まるごと持ってくるから、
自分の印象や思い込みで歪んだりしない。



すべての記憶。
正しい記憶。



でも俺、そういうのに興味が湧かない。
正しいことなんて、あるの?

記憶は、間違うものだ。

ちょうど俺が色んなことを間違うみたいに、
俺の記憶も間違う。

それを正すのではなくて、
間違いに傷つき、
間違いから色んなことを見つけたい。

だから、大事なのは
正しくすべてを記憶することではなくて、
記憶がどう間違うのかを知ることだと思っている。



というのは、時代遅れな俺の話。
どういう記憶の仕方がいいかって人によって違う。
これはコピペ時代の答えではない。

これからの「記憶」がどうなるのか、知りたい。

2 件のコメント:

s さんのコメント...

記憶ってどう保存するかも大事だけど、どう思い返すか重要ですよね。コピペで保存したものには思い出し方に選択肢が無いのも少しつまらないなと思います。

Unknown さんのコメント...

そうですね、まさに。
どういう思い出し方をするのかも含めて記憶ですよね。