2013年2月11日月曜日

嘘をついていた人の自伝はフィクションだ、と言われてイラッとした理由

が、わからなくて悩んでいる、という話。
↓この記事を読んでのまとまらない感想。

Australia library in Armstrong pledge prank (BBC News)
http://www.bbc.co.uk/news/world-asia-21115720

ちょっと前に、ランス・アームストロングという自転車選手が、否定し続けてきたがドーピング疑惑について、テレビ番組のインタビュー中でついに、やったと認めた。
それを受けて、アームストロング氏の自伝を、フィクションの棚へと移動させた図書館もあるというニュース。

で、なんかやだなと思ったわけですが、それはなんでなんやろ。



そもそも自伝って、嘘が書いてあるとまでは言えないけどホントの事を書いてないみたいなことはよくある話で、そのへん分かった上でノンフィクション扱いしてたんじゃないの、覚悟が甘いんじゃないのまったく近頃の若いもんは。

とか、たぶんそんな小言が言いたいわけじゃない。

ノンフィクションかフィクションかは重要じゃなくて、読んでるひとがほんとだと思えばほんとだと思う。

このひとの自伝になんと書いてあったかしらないけど、「わたしは努力して勝ったから努力は大事だ」と書いてあったのを読んで「努力は大事だ」と思ったなら、「わたし」の「努力」がフィクションでもノンフィクションでも、「努力は大事だ」というのがほんとの事なのには関係がない。だって、努力が大事なのは、「わたし」が「努力した」からじゃなくて、自分が努力が大事だと実感したからなわけで。

まあでもこういう抽象的な話ではこのロジックでしっくりくるけど、俺も例えば「水にありがとうと言えばきれいな結晶になる」なんていう本は科学の棚ではなくてノン科学の棚に追いやってほしいなと思ってしまう。

すっきりまとまらないね。むむむ。しばらく悩みそう。
図書館に詳しい人は教えてください。

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