かしわ演劇祭が終わって、しばらく演劇とはお別れ。
演じるって何なのか、ちょっと考えたりした。
演劇やりたいなー、となんとなく思って、
ぐぐっているうちに今の劇団をみつけたのがたぶん2010年の夏くらい。
やってる舞台をはじめて観に行ったのは、その年の冬。
で、そこで偶然、代表の人を見つけて声をかけて、
なぜか団員でもないのに忘年会に参加させてもらったりして。
でも、入団を認められるのはオーディションを受けてからで、
正式に団員になったのはもうちょっとあと。年をまたいでからだった。
「もうちょっとあと」がいつなのか、
正確にいうなら2011年2月22日だ。
(いまメールボックスを見返して調べた笑)
2月末といえば就活シーズンで、
俺も流されるようになんとなく就活をしつつ、ぼんやり生きていたころ。
ぼんやりしていても、日常を生きてられたころ。
3週間後に、あの3月11日があるなんて、
まるで想像もしていなかったころ。
東日本大震災当日は都内にいたけど、
俺にとって柏に住んでいた経験は、
震災と切っても切り離せない。
うちの劇団が稽古で使っていた公共施設は、
一時避難所になってしまって使えなくなった。
場所がないから代表の自宅で稽古をした。
余震が続いて電車が動かなくなったりした。
ホットスポットだと言われて目に見えない放射能がなんとなく恐かった。
それでも、5月の公演に向けて稽古をしていた。
いつも余震があるたびおそるおそる、
電車が止まって帰れなくなるかも、とか、いやな想像をしながら、
それでいて平静を装って稽古に行ったっけ。たしか。
何も考えなくても目の前にあった日常はもう目の前にはなくて、
でも必死で手さぐりで日常を「演じて」いた。
ほんとそう。
「演じる」という表現がしっくりくる。
どんな大きな舞台に立つときよりも、
どんな非日常の役をやるときよりも、
あの稽古に行くときの、日常に踏み留まろうと抗う力こそが、
「演じる」ということばにふさわしい。
日常はそうやって、演じることに支えられているし、
俺は舞台に立っても立たなくても演じ続けている。
そのことをすごく実感した。
それはもちろん、いいことばっかりじゃない。
日常で不安を塗り隠すことはできるけど、
不安が消えるわけじゃない。
首尾よく日常に踏みとどまったからといって、
震災はなかったことにはならない。
演じることと演じないことと、
日常と非日常と。
そんなのを少しは行ったり来たりできて、
でもけっきょく何も学んでないな、ということを再確認したりした。
とかって書き出してみると、
震災直後に書いてたことから、大して進歩してないな。
悔しい。
2 件のコメント:
この記事なんか好きだよ。
わ。まさかえのきさんが見ているとは。ありがとうございます。
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