こないだ自分のツイートを見返していて似たようなことがあった。生まれつき耳の聞こえない友人が「Twitterでタイムラインに流れ込む文字の洪水を見たときに初めて『うるさい』という感覚が分かったような気がするよ」とうれしそうに語ってくれた。— アミルスタン羊(ex.かふかふ) (@kafkaf_) 2010年8月5日
世の中に楽しいことなんて何ひとつない、と思っている俺が、なんか楽しげなことをつぶやいている。「楽しかった」という記憶はまるでない。単にツイートが楽しげなだけで。
例えばこんな調子だ。
オレ シンチョク ダス シンチョク ダシテ 🍣クウ #もののけ姫風— Hiroaki Yutani (@yutannihilation) 2016年3月5日
奥義! 🍣おごってくださいの構え!!! #こうですかわかりません— Hiroaki Yutani (@yutannihilation) 2016年3月2日
「クリリンのことかーっ!!!」— Hiroaki Yutani (@yutannihilation) 2016年2月1日
ああ、これが楽しいってことだったのか、と他人事のように思った。
俺は「楽しい」という感情を知らなくて、ただ、「『楽しいことは?』と聞かれたらこういうことを挙げる」とか、「こういうときはとりあえず『楽しかったです』と言っておく」とか、 そういう答えめいたものを、カンニングをして知っているだけだ。
と、思ってたけど、「楽しい」と感じたことがないわけではないのかも。「楽しい」というラベル付けの仕方を知らなかっただけで、俺は、その「楽しい」というやつを案外味わってきたのかもしれない。ふつうに喜怒哀楽のある、つまらないふつうの人間なのかもしれない。
それでもやっぱり、楽しいことをしてる時に「楽しい」と気付くことはできなくて、まだまだ人間として修業がたりないな、とか思う。もっと書かないと。
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