2010年6月5日土曜日

水都大阪2009の跡地で思ったこと

おとつい、水都大阪2009の跡地に行ってきた。
そしたら、なにも残ってなかった。
中之島は、整備されてきれいになって、
俺が知ってる場所じゃなくなっていた。
水都大阪2009は、
去年の夏に52日間に渡って開催された水辺のアートイベント。
メイン会場である中之島公園では、アーティストのひとが作品を作っていた。
水都大阪は、作品の展示ではなくて、公開製作に近い。
52日間で100組以上のアーティストがワークショップを開き、
そこでできた作品が徐々に会場を変化させていく。
できた作品よりも、
その変化や、
さらには変化を生み出す過程(ワークショップとか)が、イベントの核だった。
静的な、完成度を問うのではなくて、
動きのある、生き生きした空間をつくることが目指された。
だってそれは、この町そのものだから。
俺たちが欲しいのは、
「お手を触れないでください」と注意書きがしてある、お高い芸術品のような、
完成した町じゃない。
もっと安っぽくてもいいから、
そこで自分たちが人間らしく暮らしていける、
未完成の町だ。

だから、
アーティストのひとだけがつくるわけじゃないし、
企画した偉いひとの思惑の中に収まるわけでもない。
ボランティアも、来場者も含めて、
みんなでつくっていくイベントだった。
俺が手伝っていたアーティストは、
「未完成をデザインする」みたいな言葉を使っていたけど、
完成の中にいかに未完成を組み込むかが問われている。
未完成というのりしろがあることで、
意図していなかったなにかが生まれる。
意図しない要素を、
いかに意図的に組み込むのか。
どこまで組み込むのか。
でも、
プランニングもマネジメントも、
「する」ことには慣れているけれど、
「しない」のには戸惑いを隠せない。
マネジメントしないこともマネジメントなんだ、
と胸を張って言えるような方法論は確立していないから。
報告書でも、完成度だけが評価されて、未完成をいかにデザインしているかはあまり顧みられない。
かくして、完成だけが闇雲に志向されてしまう。

ちょっと話がそれてきたので、
冒頭の中之島公園のことに戻すと、
俺がショックを受けたのは、
中之島公園がすっかり「完成」してしまっていることだった。
中之島は、前は更地だったところが緑地公園みたいになってて、
しかも芝生は立ち入り禁止だ。
きれいに整備されつくして、関われる「未完成」がどこにも見当たらないような気がした。
単なるお客さん扱いされている気になって、なんか悔しい。
水都大阪の名残がないのは、寂しいけどまあいい。
とにかく、形は変わっても、
あのほとばしるような可能性だけは消えないでほしかった。
いや、消えてないか。
誰かがそこに可能性をみる限り、可能性は消えない。
大阪はそういうことができる場所だと俺は思う。
次いったら、
芝生が踏み荒らされて(笑)、
みんなその上で遊んだり楽器の練習したり、
みたいな光景を見られるのを楽しみにしつつ、
関西を後にする。

飛騨高山いってきます。

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