2010年9月26日日曜日

坂口恭平「ゼロから始める都市型狩猟採集生活」

ゼロから始める都市型狩猟採集生活ゼロから始める都市型狩猟採集生活
坂口 恭平

太田出版 2010-08-04
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タイに行く前から、ずっと読まなければと思っていた本。
俗な紹介をするなら、「路上生活の仕方」。
だけど、ここに書いてあるのはもっと深いことだと思う。
実際、この本の筆者も、

 ぼくが繰り返し言う都市型狩猟採集生活というのは、ただの路上生活のことではない。最終的な目標は、自分の頭で考え、独自の生活、仕事を作り出すことにある。
 既存の生き方は一度横においておこう。法律で認められていることすら一度疑って考えてみる必要がある。

と書いている。
そう、この本は、都市の持っている別のレイヤーを見るための本だ。
路上生活というのは、その一例に過ぎない。
都市にはもっと多様な、多くの人には見えない、レイヤーがある。

そもそも誰のものでもないはずの水や土地が、
管理されてお金を払わなければ使えないという現実に疑問を感じ、
ゴミは毎日新しく実る果物、
水道は涸れることのない泉、
という風に<都市の幸>を捉えるその視点に、
俺はとても共感する。


何を言っているんだ、
都市の幸なんてない。
水は山に育まれ、
食べ物は農家が育てる。
俺たちは農村と自然に生かされている。

というのが、
学部までの俺の模範解答。


でも、それは模範解答であって、
俺の現実じゃない。
都市から農村は見えない。

見えるようにすることと、
見えない視点にあえて立つことと。
俺は後者を選んだから、いまの場所にいる。

都市には都市でいろんな良いところも悪いところもあるし、
そのためには、都市の視点に立たないと見えないことがある。
いろんなことが逆に見えなくなるけど。
模範解答から遠ざからないといけない。


この本には、そうやって俺が探している、
「都市の視点」のひとつのモデルケースが書いてある。

もちろん、誰もが「都市の達人」になれるわけじゃない。
それを分かりつつ、路上生活の仕方を軽やかに説明する文体は、
なんかちょっとマッチョな感じがしてやだけど。

ところどころ違和感を感じつつも、
でも面白い本だった。
↓この部分が心に残った。

 きみは二十一世紀の狩猟採集民となる。都市を駆けぬける遊牧民となる。
 社会システムは、いくら変化させてもまた同じ循環を繰り返し、人間を苦しめつづけるだろう。それよりもまず、きみの精神、視点、創造性を変革させるのだ。そこにこそ、希望が隠されている。
 <都市の幸>で暮らすことは、きみが起こすことのできる、唯一の革命なのだ。

吉川勝秀「河川の管理と空間利用―川はだれのものか、どうつき合うか」

河川の管理と空間利用―川はだれのものか、どうつき合うか河川の管理と空間利用―川はだれのものか、どうつき合うか
吉川 勝秀

鹿島出版会 2009-09
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お世話になっている日大の教授の本。


河川の管理と利用に関する教科書的なの。
だけど、「利用」のことが主になっている気がする。
今まで、「河川整備」に関する本は見たことあるけど、
タイトルにあるような「空間利用」に関する本はほとんどない。
と、この本に書いてあるし、
俺も出会ったことがない。
(もしおすすめがあれば教えてください!)


河川の空間利用は、
河川計画と都市計画が重なる部分で、
その両方をわかる人はあんまりいない。

河川敷地を利用するためには、治水や公共の利益とかに配慮したルールがあって、
(具体的には「河川敷地占用許可準則」「河川管理施設等構造令」「河川環境管理基本計画」など)
それを逸脱することはできない。

なのに、そのルールを理解しない政治家や意見団体が圧力をかけてくる、という。
この本の筆者は、元建設省のひとで、
あまり具体的には書いてないけど、

また、行政担当者に圧力をかけるなど、危険を伴う神聖に関する打ち合わせ・協議は、隔離された場所で行なうべきでなく、多くの行政担当者がいる場所で行なう、場合により警察官の立ち合いを依頼することもあってよいであろう。

とかって書いてあるから、
相当タフな場面もあるんだろうな。


防災のことに関する記述がやや散漫な気がするけど、
空間利用についてここまでまとまってる本はなかなかない。
うちの指導教官から借りたけど、自分でも買おうかな。

2010年9月23日木曜日

ほほえみの国、に来てしまったわたし、のほほえましい日々 写真編

とりあえず、適当に写真載せます。
ほほえましい雰囲気を感じてください。


合掌するドナルド



カオサン通り。2週間ここにいました。ナイフ持った人が出た時もいましたw




ネ…ネコバス的な?


象に乗りました(写真は俺じゃないよw)。



なんか落ちてる、と思ったら犬でした。
この国では、こんな感じで犬が死んでるかのようなポーズで寝ています。
せめて日影で寝ればいいのに。。



なんということでしょう!
下は鶏、上は鶏肉。劇的すぎるビフォーアフター!





お寺。


ダイソー。60Bは150円くらいなので、日本より高級!



フローティングマーケット。




っていう感じでした。
まあ楽しかったよ! ヒマやったけど。。

以下、おまけ。
ヒマすぎて調査ノートの表紙を描いてしまいました。

作品1「ほほえまないわたし」



作品2「ほほえみの国」

2010年9月18日土曜日

ほほえみの国、に来てしまったわたし、のほほえましい日々 その5

バンコク滞在も残すところあと2日。
なんかこれまで観念的な日記しか書いてこなかったので、
今までの19日間をざっくり振り返ってみる。


8月30日 空港のATMで、口座残高が持って行く予定だった額の半分しかなくて、一瞬凍りつく。
8月31日 都市計画コンサルタントの人と会う。ぼったくりツアーに申し込んでしまう。
9月1日 元BMA(バンコク都庁)、Department of Drainage & Sewageの人と会う。
9月2日 ぼったくりツアー
9月3日 ぼったくりツアー
9月4日 休息日
9月5日 やっさんの友達2人に王宮周辺を案内してもらう。
9月6日 やっさんの友達3人にバンコク中心部を案内してもらう。
9月7日 やっさんの友達1人にカオサン通り周辺を案内してもらう。
9月8日 ひたすら船に乗る。
9月9日 ひたすら街を歩く。
9月10日 タイ政府のRoyal Irrigation Departmentの人と会う。やっさんの友達2人にチャイナタウンを案内してもらう。
9月11日 休息日
9月12日 やっさんの友達2人にウィークエンドマーケットを案内してもらう。
9月13日 ひたすら街を歩く。
9月14日 休息日
9月15日 元BMAの人ともう一度会う。
9月16日 現BMA、Department of City Planningの人と会う。公用車で街の説明をしてもらう。
9月17日 カオサン通りを脱出。
9月18日 休息日


ということで、

インタビュー → 5回
街の観察 → 4回
やっさんの友達 → 5回

と、ノープランで来たにしてはかなり充実した感じでした。
よく言うけど、
人の縁って大事やね。



特に、9月16日が急展開で、
もう無理かなと半ば諦めていた都市計画マップを手に入れ、
さらには公用車を出して洪水危険地域の解説をしてくれるという、
至れり尽くせり。
日本の公務員もこんなに優しかったらいいのに、と思う一方で、
この人たち、半日も俺の相手をして、仕事いつするの?とつっこみたくなった笑

そして、やっさんの友達。
一回も約束した集合時間に揃ったことないけど(笑)、
でも、他にいろいろやることもあるはずなのに、
そんなそぶりも見せずいろいろ相手をしてくれてありがたかった。




しかし、
充実しすぎて俺は情報過多に陥っている。
たとえば、インタビューだけとっても、
覚えている範囲で書いたやつだけでも1万5000字くらいあって、
とても一気に把握できる情報量ではない。

何もかもを見ることはできない。
なのに、何もかもに目がいってしまって、
俺の頭はおなかいっぱい過ぎる。

なんかこう、
いっぺんタイを離れて、
「これを見るんだ」という明確なフレームが必要だと思った。
研究したいことがあまりにもぼやっとしていて。

2010年9月15日水曜日

ほほえみの国、に来てしまったわたし、のほほえましい日々 その4

バンコクに来て、
ずっと考えていることがひとつある。


それは、王宮とか政府機関が川沿いにあること。
だって、危ないやん、洪水が起きたら。

権力者は安全な場所に陣取るのが社会の鉄則で、
ということは水辺に追いやられるのは弱い人、
という固定観念が俺の中にあったけど、
タイはそうなっていない。

川のすぐそばまで建物がいっぱいあって、
それも、ボロそうなのもあれば、
国賓を迎えるような豪華な施設まで、
いろいろある。
そこには何の傾向も見いだせなくて、
俺はただただ混乱する。


でも、固定観念は単なる固定観念で、
よく考えると、日本でも必ずしもそうなってないのかも。
あんまりちゃんと確かめたわけじゃないし。
てことで、固定観念は思い込みに過ぎないという可能性がひとつ。


あともういっこの要素は、
タイでは洪水が起こると、
どこかが被害にあうとかではなくて、
あらゆる場所が水に浸かる。(10年前までの話)

だから、川沿いとか川から遠いとかはそれほど重要ではなくて、
むしろ排水しやすいとかしにくいというの方が考慮されるのかもしれない。
そういう意味で言うと、
バンコクの東のほうには海抜0m以下の地域があって、
そこでは一度浸水すると、水がなくなるまで数ヶ月かかる。

つまり、タイでは、
「洪水危険地=洪水が起こる場所」ではなくて、
「洪水危険地=浸水が長引く場所」なのかもしれない。


日本とは違う、
とわかってたつもりで全然わかってなかった。
そもそも、「洪水対策」が何を意味するのかという前提が違うんだ。きっと。
そういう中での都市計画がどうなっているのか、
つかみどころを見つけられないまま、
俺のもがきは空振りし続けている。

むむむ。。

2010年9月13日月曜日

ほほえみの国、に来てしまったわたし、のほほえましい日々 その3

カオサンを出ます。
9月19日までに。



9月19日。
なんの日か知ってる?
4年前、タクシン元首相がクーデターで失脚した日だ。

以来、ニュースでも報道されているように、
タクシン派と政府の間でたびたび衝突が起きている。
今年も、4ヶ月前にはタクシン派が市内の一角を占拠、
軍と衝突して、約90人が死亡、約1800人が負傷した。
ロイター通信のカメラマンの村本博之さんも命を落とした。
そして、それはカオサン通りの入り口付近だという。

カオサン通りの近くには、
民主記念塔というモニュメントがある。
1932年、タイが絶対君主制から立憲君主制に変わったことを記念して立てた、タイの民主主義のシンボルだ。
いままでの反政府デモの犠牲者が祭られているという。
民主主義は、血を吸ってできあがる。

まあとにかく、ここは民主主義の象徴で、
民主主義を求めて、ここに人は集う。
たぶん、9月19日も。

と、友達の友達のタイ人にいわれた。

彼はほぼ毎日のようにバンコクを案内してくれて、
ほほえみの国にふさわしいスマイルの持ち主で、
おとつい爆弾が見つかったこととか言っても、
「ああ、大丈夫大丈夫(微笑)」と答えるけど、
9月19日だけは、
「外に出ないほうがいい、できれば泊まる場所を変えたほうがいい」
と言う。
なので、おとなしく移動することにした。


俺はいま、
4ヶ月前に90人が死んだ場所に立っている。
その事実以外なにも知らず、
何もないことを祈るだけしかできずに。

過去を覆すこともできず、
未来に手を出すこともできない、
そんな無力を味わいながら。




…なんかもはや、
ほほえましい路線を捨てた感があるこのシリーズ。。
まあ笑えない感じに書いたけど、
危ないかもしれないので念のため場所を変える、
というだけのビビリな日記でした(微笑)。

でも、最近爆弾が見つかってることとか、
治安部隊が19日に向けて警戒を強めてるのはほんとなので、
もしもその時期、バンコクに旅行してる友達がいれば、
カオサンは危ないかも、ということを一応伝えてあげてください!

2010年9月8日水曜日

ほほえみの国、に来てしまったわたし、のほほえましい日々 その2

基本的に、
すべてのハッピーな人間は、敵だと思っている。

なにに、
カオサン通りにいると、
幸せに生きてる感じのバックパッカーによく話しかけられる。
で、あげくの果てに、
「バンコクに3週間? 飽きない?」とかいわれるけど、

俺は飽きるほどバンコクにいるために、いろんなことをすっぽかしてまでここにいるんです。

自分の未来を、穴が開くほど見つめないといけないんです。


とか言って、
じゃあ何か大したことしてるのかというとそんなことはなくて、
まだタイ政府の人と開発コンサルの人にあって話を聞いただけで、
あまりに密度の低い日々を送ってる気がする。研究的には。

今日一日、船に乗って川から街を眺めてみたけど、
なんかイマイチよくわからない。
川沿いにずっと堤防(といっても道路からの高さは1mくらいの壁)があって、
人と水の関わりは見えてこない。
10年前にはまだ堤防がなくて、そのときならまだわかったのかな。

でも、考えてみれば、わかるための知識を俺は持っていない。
農学部だったから、それが農村なら多少はわかる。たぶん。
けれど、年は俺にとって未知の領域だ。
いつも都市に暮らしてるのに。

建物のことも、
道路のことも、
地理学のことも、
空間論のことも、
タイ語も、
俺はぜんぜん知らない。

まるで自分の知らなさを知るためにここに来たみたいで、
なんかやだ。
「自分の足りないところを知れてよかったです」
なんていうのは、ハッピーな人の言葉で、
俺はそんなこと、口が裂けても言わない。
とかいって帰ったらうっかり言ってしまうんだろうな。



あーあ。
バンコクはもう飽きた。
ひとに言われなくても分かってる。
もう飽き飽きしてる。


ただ観光するだけなら、
もう飽きてしまったんだ。


でも、知りたいことがある。
うわべを撫でるだけでは見えないものを見たい。
飽きるほどここにいてその先に、何があるのか、知りたい。

バンコク滞在ももうすぐ折り返しだ。

2010年9月4日土曜日

ほほえみの国、に来てしまったわたし、のほほえましい日々 その1

とかいいながら、ほほえましいというか悩ましいことを書きます(微笑)
それなりにほほえましい日々を送ってるんやけど、
このブログに書くと悩ましくなるとか、あるやんね。
まあほほえましいことはまた次回ということでひとつ、手を打ってください。


3日前、こっちでのカウンターパート的なひとと会ってきた。
バンコクの公務員で治水にかかわる部署にいた人。
今は定年退職したけど、週3でアドバイザー的な立場で出勤している。

マクドナルドで待ち合わせだったのでそのままそこで話すのかと思いきや、
家まで招かれて、めっちゃ豪邸で、
マクドナルドで話すイメージトレーニングとのギャップに緊張を隠せない。

彼は、キリスト教徒だった。
なぜなのか聞くと、キリスト教と仏教の世界観の違いについて説明してくれた。
キリスト教では神の前にみんな平等だけど、
仏教は、前世での行いによって人間に優劣がつく。
だからタイでは、不遇に遭っている人がいても、
「あの人は前世での行いが悪かったからああなんだ」と片付けられてしまう。
人は本来、平等なはずなのに、不平等が是認されてしまう、
これは、インドから入ってきたけどタイ本来の文化じゃないと私は思うんだ、
と彼は言う。

その見方はしかし、日本の仏教からはあんまり想像できない。
そういう「自己責任」がどんどん拡張されていくのは、
責任がどんどん個人になすりつけられていくのは、
確かに日本でも同じだ。
けれど、仏教がそれに迎合しているようには思えない。
南伝仏教と北伝仏教の違いだとも思えない。
きっと、タイではたまたま仏教が言い訳に使われているだけだ。

不平等という得体の知れないものに向き合うときに、
それを何かのせいにするのはたやすい。
「それは仏教のせいだ」と責任をなすりつけてしまえばいい。
ちょうど、彼が嫌う人々が、
不平等は「前世の行いのせいだ」と責任をなすりつけるみたいに。

でもこれでは、責任のなすりつけ合いに過ぎない。
果て無き責任転嫁という、諸行無常。
何かのせいにしたところで、不平等を理解したことにはならない。


俺がタイでやりたいと思っている研究も似たようなところがあって、
ひとことで言えば、住む場所の平等にかかわる研究だ。
洪水で危ない場所と危なくない場所があって、
そこに住んでる人たちがいて。
危ない場所に人が住んでしまうのを、不平等と呼んで、
その不平等をなにかになすりつけるのはたやすい。
お金がないから、とか、知識がないから、とか。
でも、そんな浅いことを知るために大学院に来たんじゃない気がする。

何かのせいにすることと、
メカニズムを知ることの違いがわからないまま、
もう半年が過ぎたけれど。


そして、何が平等なのかというのも難しい。
彼は、水害危険地でも、水害のたびに補償をする仕組みがあれば平等だ、という。
でも、洪水のたびに補償がもらえるところと、洪水が起こらないところと、
どっちに住みたいかというとやっぱり後者じゃない?
じゃあどうしろっていうのって聞かれても分からないけど。

平等とか不平等とか、
それがいいのか悪いのかとか。
価値観にかかわる問題はすごく難しい。
タイの価値観を知って、
それを自分の価値観とすり合わせないといけない。

きっと、タイの価値観を知る前に、
自分の価値観をもっと確立しないといけない。
と思った。


まだまだ長い旅になりそう。