友達と待ち合わせていると、
横で路上生活者だと思われるおばあちゃんがいて、
一心不乱にハサミをチョキチョキしている。
雑誌とか広告チラシとかを器用に切って、
1cmほどの四角い紙片をたくさんつくっては、脇においたペットボトルに詰めていく。
もうすでに、1.5リットルのペットボトルが6本ほどいっぱいになっている。
なんでそんなことをするんやろ?と、気になる。
気になってどうするかというと、
多くの人通りのひとのように、
なにこのおばあちゃんこんなとこで意味わからんことやっててめっちゃ邪魔やな、
と思いながらスルーすることもできる。
あるいは、現代人にありがちな感じで、
となりでおばあちゃんがハサミちょきちょきしてるなう、
とかツイッターでつぶやいてみることもできる。
でも、なぜなのか、というもやっと感を解消するためには、
やっぱ直接聞くしかないかな。
でも、見知らぬ人に話しかけるの怖いな。
どうしようかな。
とか迷ってると、
おばあちゃんと目が合ってしまった。
そこで目を逸らせば、
おばあちゃんと目が合ったなう。
とかで終わったのかもしれないけど、
しかし迷っている人間の動作というのは鈍いもので、
すばやく目を逸らすことができない。
おばあちゃんの目が、なに?と言っている。
せっかくなので、ためらいつつ、
「これは何に使うんですか?」と聞いてみた。
すると、おばあちゃんは、
気さくに答えてくれて、
これは鍋敷きとかになるのよ、という。
鍋敷き??
あの紙吹雪みたいなのが鍋敷きになるの?
なんかおばあちゃんの説明は、
鍋になるとか鍋敷きになるとか、
俺にはあんまりよく分からなかったけど、
とにかく、あの紙を水とかでふやかして、
固めていろんなものにするらしい。
で、付け加えておばあちゃんは、
でも私が作るんじゃなくて、すごくうまい人がいるの。
みたいな感じのことを言った。
たぶん、こういう紙片を作品に変えてしまう、
職人的なひとがどこかにいるということで、
おそらくこのペットボトル一杯の紙吹雪を、
その人のところに持っていけば買ってくれるんだろう。
その金でこのおばあちゃんは生きているんだろう。
ひょえー。
と思った。
腰を抜かしそうに感心してしまった。
ぜんぜん知らない世界の話だったから。
俺が見えない価値を、
そのおばあちゃんの目は見ている。
俺が知らない世界を、
そのおばあちゃんは渡り歩いている。
「ゼロから始める都市型狩猟採集生活」という本に書いてあったように、
都市にはまだ多くの人が気付いていないレイヤーがある。
その言葉を、今日はじめて実感した。
知っている街の、知らない顔をほんの少しだけ見た。
でも、俺はまだぜんぜん知らない。
おばあちゃんの世界の楽しさも、
おばあちゃんの世界の苦悩も、
突然話しかけてきた見知らぬ人に、
こんな深い世界のことを教えてくれたのを、
どういう感謝のかたちで返せばいいのかも。
まるでわからない。
ありがとうございます、
と軽く会釈して俺はその場を去る。
おばあちゃんの姿が人混みに消えていく。
見えかけた景色が、
分厚い街の色に上塗られ、隠されていく。
気がつけばもう、
いつもの不透明な街に、俺は立っている。
悔しいな、と思った。
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