古臭いと言われようと、
誰がなんと言おうと、
そう思う。
手紙のように、
届かなくたって、拒絶されたって、
ことばは宛先のあるベクトルだ。
なんでだろう、そう思ったのは。
年賀状の季節だからかな。
だから俺は、
つぶやきという、宛先のないことばのかたちがわからない。
で、ツイッターをちょっと休んでみる。
ツイッターでは、
つぶやきが、洪水のように流れていく。
言葉が、大量生産大量消費されてゆく。
ことばは、そこに込められた気持ちは、
どこへ向かうのだろう。
とか言って俺は、
伝わらないのをことばのせいにしたい。
自分への不信を、ことばへの不信にすり替えたい。
そんなことをするから余計に自分を信じられなくなるのに。
たぶん俺がつぶやきを憎く思うのは、
宛先なんてなくてもいいという気楽さが羨ましいんだろうな。
その気楽さが、信じられない。
気楽につぶやくくらいなら、
悶々と誰とも話さずにいたい。
なんていいつつ、寂しくなってつぶやいてしまうけど。
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