2012年1月3日火曜日

あけましておめでとう、的なこと。自分に対しての。

年が明けたということは、ひとによっていろんな意味がある。
「あけまして」の枕詞の後に続くことばが、
いつも「おめでとう」だなんて限らない。
そのひとの新年の文脈を、不完全にでも推し量りながら、
紙にしたためて、メールで、心のなかで、俺は年賀状を送る。(いつも、いろんなひとに送り忘れるけど)


で、じゃあ俺にとっての新年は何なのかと考えてみるけど、
やっぱりとりあえず、研究できるのも、あとちょっとしかないこと。
それに尽きるな、と思う。


少し遠回りな話をすると、
なぜ、という疑問を解消するやり方は、2つある。

ひとつめは、その疑問に答えること。
ふたつめは、その疑問の原因を取り除くこと。

たとえば、非常にざっくり過ぎる例をあげると、
貧困に苦しむひとがいるのはなぜ、という疑問があるとすると、
貧困がいかに人間を苦しめているか明らかにするか、
人間を苦しめる貧困をやっつければ、
俺はもう「なぜ」に悩まなくて済む。

でも、
「なぜ」の答えを明らかにしたからといって貧困はなくなるわけじゃない。(逆もそうだけど)
「なぜ」に拘泥することは、非人道的な贅沢ですらある。かもしれない。


そんな贅を、貪ることができるのもあと少し。
いろんな人のお金と、時間と、気持ちに後押しされながら、
登場人物ではなくストーリーを、
リアルなものではなくリアリティを、
救済しようとできるのも、あと少し。

社会人になって、また別の「なぜ」へのアプローチに取り組む前に、
いま目の前にある「なぜ」に答えを出したい。
みすぼらしくても誠実に、自分の答えを書き綴りたい。

あと少し、研究できるという幸せ。
あけまして、おめでとう。

0 件のコメント: