2009年1月2日金曜日

ふつう


Re:S
http://www.re-s.jp/

時代はすごい速度で進んでいき、
新しいものが山のように生まれては捨てられる。
「ふつう」とは何なのか、悩むことが多くなってきた。
そんな中で、Re:Sは「あたらしいふつう」を提案する雑誌だ。

水筒
フィルムカメラ
物々交換
地方の暮らし
引き継ぐ
一生もの
ものを売る
残していく
一緒にやる
木のこと

Re:Sの特集のテーマはどれも、素朴にあるものだ。
それを「ふつう」と呼ぶことに躊躇はない。
新しいもの好きなひとも古いものにこだわるひとも、みんな、それぞれの「ふつう」を探しているだけなのだとこの雑誌を読んでいると気づかされる。

そして、Re:Sは単なる雑誌ではなく、
「ふつう」を探し求めてもがく運動でもある。
取材は体当たり。
物々交換をしに北海道に行ったり、
行商をしに鹿児島にいったり。
筋書きの無い取材からは、人間味あふれる記事が生まれる。
そして、取材でできたつながりは次の取材を生み、ときには紙面を飛び出す。
例えば、取材先の写真屋と意気投合してフィルムカメラの良さを伝えるフリーペーパーができた。

もちろん、ひとによって「ふつう」は違う。
だからRe:Sは、「ふつう」の探し方を背中で教えてくれる。
「ふつう」を求めるひとたちの真摯な想いが、この小柄な雑誌に詰まっている。

2008年12月28日日曜日

「自由を勝ち取るために」という言い訳。

過ぎたるは及ばざるがごとし。

というように、多すぎることは大概よくない。
ウェブの世界でもそれは同じで、多すぎて困ってしまうことがある。

何が多いのか。
選択肢が、だ。

Javascriptに始まり、
Macromediaが開発し、ひとつの地位を築いたFlash、
便利だけどIEでしか動かず、しかも危険なActiveX、
それに対抗するためにMicrosoftがつくったSilverlight、
そうした動きにオープンさを求めてMozillaが推しているCairo、
この混沌とした状況を打開すべくW3Cがいまさら掲げるHTML5
JavaのWeb向けバージョン、って今までも何回も聞いたような気がするJavaFX
C/C++をブラウザ上で動かすまさかのGoogle Native Client
‥‥

挙げればきりがない。
これは全部、リッチなウェブページを創るための手段だ。

なぜ。


人はなぜ争うのか。


それはひとえに自由を勝ち取るためである。

ITの世界もまた例外ではなく、
これらは、いろんな人がウェブの自由でない現状をみて、
「ウェブはお前だけのもんじゃないんだ。独占すんなよ」といって、
自由を求めて新しい標準をつくっていったその歴史であり、
戦国時代なんかと比べても遜色はないと思う。
というか、今が戦国時代だと思う。

群雄割拠。

しかし、例えば考えてみてほしい。
自由を勝ち取ろうとしているAさんがいるとする。
自由を奪い取っている、この世を牛耳るBさんがいるとする。
そして、Aさんは「世界は誰のものでもないんだ」ともっともな正論を唱え、勇猛果敢にもBさんに戦いを挑むとする。
しかし、ここで起こっているのは、単純な、または時に姑息な手段も交えつつな、力比べに過ぎない。
たとえAさんが勝って、世界を牛耳ったとしても、
それってどうなの。

自由とはなんなのか。
支配者が変わる、ただそれだけのことを自由と呼んでいるのか。

そんなことはない。
それは自由ではない。


同じことがウェブにも言えて、
今、世に蔓延っているウェブの規格・言語に対して「自由を勝ち取るために」と戦いを挑むことは、俺たち一般人と下級プログラマの負担を増やすだけに過ぎない。
「ユーザーのために」
「選択肢を増やしたい」
といった言葉の裏には、ネットの覇権を狙う密かな野望が見え隠れする。


どっちが勝つかわからず、
どっちに着けばいいかわからず。
ブルーレイとHD-DVDの不毛な争いと、どっちのプレイヤーを買うかという消費者の逡巡とは記憶に新しい。


インターネットは自由だ。というが、
そんなの嘘だ。
と思うことが最近は多い。

自由なんてどこにあるのだろう。
誰に勝ち取れるのだろう。




サンのシュワルツCEO:「JavaFXが必要とされる3つの理由とは」
http://builder.japan.zdnet.com/news/story/0,3800079086,20385279,00.htm


Google Native Clientをあれこれ試してみた
http://builder.japan.zdnet.com/news/story/0,3800079086,20385164,00.htm

Flash と Silverlight に立ち向かう Firefox
http://blogs.mozilla-japan.org/td/entry/113/

Aurora Concept Video

Aurora (Part 1) from Adaptive Path on Vimeo.

2008年12月26日金曜日

Chad Vader

Chad Vader


なんかおもしろい気がする。
英語はよくわからないけど。

Chad VaderがDay Shift ManagerからNight Shift Managerに降格した後、数々の苦難を乗り越えて、自分からDay Shift Managerの座を奪ったClintを打ちのめして昼の光に帰ってくるまでの物語。
スターウォーズとは違ってエピソード8までしかないけど。

Chad Vader - Youtube Playlist

2008年12月19日金曜日

拷問のような音楽、音楽の拷問

ナイン・インチ・ネイルズやトム・モレロ、捕虜収容所での拷問に曲を使用され激怒 - barks
http://www.barks.jp/news/?id=1000045772


トレント・レズナーが怒っている。


It's difficult for me to imagine anything more profoundly insulting, demeaning and enraging than discovering music you've put your heart and soul into creating has been used for purposes of torture.
If there are any legal options that can be realistically taken they will be aggressively pursued, with any potential monetary gains donated to human rights charities.
Thank GOD this country has appeared to side with reason and we can put the Bush administration's reign of power, greed, lawlessness and madness behind us.

Trent Reznor
(nin.comより)


悪名高いグアンタナモ基地で、
Nine Inch NailsやRage Against the Machineとかの音楽を大音量で流すという拷問が行われていた。
これはでも、イラク戦争中にも、アメリカ軍が街に立てこもる敵兵相手にそういう音楽を大音量で流した、というニュースを見たことがある。
ひどいことをする。


Nine Inch Nailsの音楽は、確かに拷問の様ではあるが、拷問ではない。
もちろん、拷問のようであるかどうかはそのひとがどんな音楽が好きかにもよるが、音楽は、聴く人の心を代弁するものであればこそ、心に響く。

俺がNINの音楽を聴いたのは「Wish」が初めてだった気がする。

Nine Inch Nails - Wish: Live, DTS 5.1 Surround Version(Youtube)
http://www.youtube.com/watch?v=RRyshAQ1r80

拷問のような爆音、
拷問のような英語攻め。
その中盤にかすかに、けれど確かに聞き取れるフレーズがある。


I hate everyone.


と、そのこわもてのおっさんは歌っていた。

ああそうか。
これはみんなのことが嫌いなひとの歌なんだ。
世界を憎んでる歌なんだ。

俺はNINが好きになった。


拷問とは、この音楽ではない。
これは、この世界を生きるというつらい拷問にかけられている人間の叫びだ。

それを拷問に使うというのは、どういう皮肉か。

拷問の拡大再生産。
この世界をどんどん生きにくくして、
未来も見えず、
人類はいったいどこへ向かうのか。

それは、拷問によく似ている。

2008年12月17日水曜日

コモンズフェスタ2008/2009

コモンズフェスタ2008/2009
http://www.outenin.com/otc/projects/commons2008.html

というイベントがある。
應典院寺町倶楽部という、お寺とコラボするNPOが毎年開いているらしい。
今年のテーマは「減災の身体性」
めっちゃおもしろそう。


デザイナーの原研哉は、著書「デザインのデザイン」のなかで、「新奇なものをつくり出すだけが創造性ではない。見慣れたものの中に未知なるものを再発見できる感性も創造性である」と説いています。そこで、今年度のコモンズフェスタでは、「減災」の視点から、日常と非日常はいかに接続しうるのかについて着目します。
(中略)
M7.6の地震が起きた場合、それぞれ最大で、死者4万2000人、避難者550万人、帰宅困難者200万人、被害額74 兆円と見積もられています。これらを「想定の範囲内」として、日頃の「備え」を行う上では、わたしたちにどんな創造性が求められるのでしょうか?(公式ホームページより)


これを読んだだけで俺は、
創造性ってそういうことなんだ。
減災ってそういうことなんだ。
みたいに素朴な感動を覚えた。


原研哉は、無印良品のデザイナーのひとり。

無印良品もまた日常と非日常をつなぎ合わせるような「創造性」を持っている。
日常を鋭く見つめた先に、日用品のデザインはある。
だから、日用品を鋭く見つめたとき、そこには日常の意外な側面がある。


そう、日常には意外な側面がある。
そしてそれはやがて、非日常というかたちで俺に牙を剥く。
非日常は日常といかに接続しうるのか。と問うまでもなく当然の様に、この日常の先には非日常があるんだ。

メメントモリ。

って知ってる?
ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」という意味らしい。
なるほど、
忘れるなと言われてはじめて思い出す。
あ、忘れてたごめん。みたいな感じで。

そう、俺っていつか死ぬよね。
生の先には死がある。



「地球が温暖化するよね」
「あ、忘れてたごめん」

「東海大地震が起こるよね」
「あ、忘れてたごめん」

みたいな会話で今はいいような気がするけど、ごめんで済むなら警察はいらない。そもそも地球温暖化を前にして警察は無力だけど。
つまり、死とか地震とかそういう非日常は、たやすく日常に埋もれてしまうのだろう。
それを乗り越えるためには、創造力が必要だ。

日常からちょっと足を伸ばして、上町台地に行ってみようかな。

って言っときながら
「昨日コモンズフェスタやったよね」
「あ、忘れてたごめん」
みたいになるのが俺のパターンだけれども。

2008年12月16日火曜日

Hauschka

ドイツのエレクトロニカ。

と聞いて何が真っ先に出てくるだろうか?

Kraftwerk?
Modeselektor?
Ulrich Schnauss?

俺はApparatを思い浮かべる。

Hauschkaもドイツ人。
ピアノの弦の上にいろんな物を置いて音色を変えた楽器「プリペアード・ピアノ」を使いこなす、生え際がちょい危ないおっさん。


これだけインターナショナルな世の中になっても、
その国の人にしか奏でられない音があるように感じるときがある。
ドイツの音は、何だか懐かしくて憂いを帯びている。
同じ敗戦国の日本人の音に似ているけれど、しかし高木正勝ともausとも違う。
ドイツのエレクトロニカがなんとなく好きだ。

ってでもここまで書いてふと思ったけど、
最初にエレクトロニカって書いたけど、
Hauschkaってエレクトロニカちゃうよね。
曲調はエレクトロニカっぽいけど、電子音じゃないもんね。


でも、負け惜しみみたいに言っとくと、分類することに意味はない。

電子音だとか生音だとか、
ドイツだとかイギリスだとか。
ハゲてるとかハゲてないとか。
俺もいずれハゲるけど。

と、Hauschkaの頭を見て思った。

2008年12月15日月曜日

CAPTCHAは死んだ。

CAPTCHAって知ってる?

CAPTCHA =
Completely Automated Public Turing Test to tell Computers and Humans Apart(コンピュータと人間を判別する完全自動化公開チューリングテスト)

なんか難しそう。

簡単に言うと、
何かのウェブサービスにアカウント登録をするときに出てくる、「上の画像に表示されている文字を入れてください」みたいな仕掛けのことらしい。

横線が入れられたり、ぐにゃっと曲げられたり、いろいろ加工された画像からからでも人間の視覚は瞬時に文字を判別できる。

さすが人間の目。
機械なんて目ではない。

と思っていたら。


スパム業者に組織的に悪用されるGmail、Yahoo、Hotmail
http://japan.zdnet.com/sp/feature/07zeroday/story/0,3800083088,20385305,00.htm

Gmail, Yahoo and Hotmail’s CAPTCHA broken by spammers (英語)
http://blogs.zdnet.com/security/?p=1418

後者の記事によると、
すでに実験によって
GmailのCAPTCHAを90%
Yahoo!のCAPTCHAを58%
HotmailのCAPTCHAを92%
の確率で突破するプログラムをつくることに成功したという。


機械を人間に似せようとするひとと
機械と人間を見分けようとするひとのいたちごっこは
実は単純に言うと、人間と人間の追いかけ合いにすぎない。
それは、まるで戦争だ。
機械は、人の欲望を感情を、ただ伝えるにすぎない。

たとえば憎しみはときに、銃弾という形で具現化し、ひとの命を奪う。銃が悪いのではなく、人が悪いのだ。という理論。
そんな言い訳には賛成できないが、
ともかくCAPTCHAを巡ってもまた熾烈な争いがあり、
果たしてCAPTCHAは死んだのだ。

それはつまり、どういうことか。

それは、大量のアカウントを機械的に生成できるということ。
実際、アカウントの叩き売りがされている。
例えば以下のサイトでは、1000アカウントが1000円以下で売られている。(1kは、1000という意味)



こんなに大量のメールアドレスを必要とするのは誰なのか。

ひとつしかない。

スパム業者だ。


匿名性の陰から迷惑メールを送りつづける。
人の心の隙をつく、
すきま風のように吹き込みお金をさらっていく、
そんな最強のスキマ産業、スパム業界。
それで成り立つ裏の経済が、確かにある。

世界は俺の知らないところで動いている。