過ぎたるは及ばざるがごとし。
というように、多すぎることは大概よくない。
ウェブの世界でもそれは同じで、多すぎて困ってしまうことがある。
何が多いのか。
選択肢が、だ。
Javascriptに始まり、
Macromediaが開発し、ひとつの地位を築いたFlash、
便利だけどIEでしか動かず、しかも危険なActiveX、
それに対抗するためにMicrosoftがつくったSilverlight、
そうした動きにオープンさを求めてMozillaが推しているCairo、
この混沌とした状況を打開すべくW3Cがいまさら掲げるHTML5
JavaのWeb向けバージョン、って今までも何回も聞いたような気がするJavaFX
C/C++をブラウザ上で動かすまさかのGoogle Native Client
‥‥
挙げればきりがない。
これは全部、リッチなウェブページを創るための手段だ。
なぜ。
人はなぜ争うのか。
それはひとえに自由を勝ち取るためである。
ITの世界もまた例外ではなく、
これらは、いろんな人がウェブの自由でない現状をみて、
「ウェブはお前だけのもんじゃないんだ。独占すんなよ」といって、
自由を求めて新しい標準をつくっていったその歴史であり、
戦国時代なんかと比べても遜色はないと思う。
というか、今が戦国時代だと思う。
群雄割拠。
しかし、例えば考えてみてほしい。
自由を勝ち取ろうとしているAさんがいるとする。
自由を奪い取っている、この世を牛耳るBさんがいるとする。
そして、Aさんは「世界は誰のものでもないんだ」ともっともな正論を唱え、勇猛果敢にもBさんに戦いを挑むとする。
しかし、ここで起こっているのは、単純な、または時に姑息な手段も交えつつな、力比べに過ぎない。
たとえAさんが勝って、世界を牛耳ったとしても、
それってどうなの。
自由とはなんなのか。
支配者が変わる、ただそれだけのことを自由と呼んでいるのか。
そんなことはない。
それは自由ではない。
同じことがウェブにも言えて、
今、世に蔓延っているウェブの規格・言語に対して「自由を勝ち取るために」と戦いを挑むことは、俺たち一般人と下級プログラマの負担を増やすだけに過ぎない。
「ユーザーのために」
「選択肢を増やしたい」
といった言葉の裏には、ネットの覇権を狙う密かな野望が見え隠れする。
どっちが勝つかわからず、
どっちに着けばいいかわからず。
ブルーレイとHD-DVDの不毛な争いと、どっちのプレイヤーを買うかという消費者の逡巡とは記憶に新しい。
インターネットは自由だ。というが、
そんなの嘘だ。
と思うことが最近は多い。
自由なんてどこにあるのだろう。
誰に勝ち取れるのだろう。
サンのシュワルツCEO:「JavaFXが必要とされる3つの理由とは」
http://builder.japan.zdnet.com/news/story/0,3800079086,20385279,00.htm
Google Native Clientをあれこれ試してみた
http://builder.japan.zdnet.com/news/story/0,3800079086,20385164,00.htm
Flash と Silverlight に立ち向かう Firefox
http://blogs.mozilla-japan.org/td/entry/113/
Aurora Concept Video
Aurora (Part 1) from Adaptive Path on Vimeo.
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