2008年12月10日水曜日

Blur再結成

まじで!

というのが正直な感想。

http://www.nme.com/news/blur/41530

俺は、Blur派だ。
ときいて、「派」って何? ほかに何派があるんですか?と思った人に解説しておくと、
といっても解説がめんどくさいのでWikipediaからコピペしておくと、

カート・コバーンの死後、それまでアメリカ中心だった音楽シーンに反抗するかのように、国民誰もが本来のイギリスらしいロックの原点回帰を望んでいた中で登場し、脚光を浴びたブラーとオアシス。
機知と皮肉に溢れた歌詞に、どこか能天気でポップなサウンドが特徴な中流階級出身のブラーと、対照的に、荒々しくも疾走感があり壮大なメロディーを奏でる労働者階級出身のオアシス。両バンドにおけるこういった音楽性、階級の違いをマスメディアは大きく取り上げ、いつしか「ブリットポップ」なる言葉が誕生することとなった。
ブリットポップ - Wikipedia


ということでBlur派とOasis派がある。


ブリットポップはしかし、Blurのデーモン・アルバーンの「ブリットポップは死んだ」という言葉をもって終焉を迎えたとされている。ということで、そんな宣言をしたBlurはもはやブリットポップのバンドではなく、同じ土台でBlurとOasisを比較することに意味はないのだけれど、それでも上述のような歴史的経緯から、二者はいまだに対立している。

だって対立してたほうがおもしろいでしょ。

巨人阪神戦の無意味な盛り上がり。
布袋寅泰と町田康の殴り合い。
あのちっちゃな島は竹島なのか独島なのか。

すべてのいざこざはエンターテイメントだ。
ニュースは死ぬまでの暇つぶし。
ブリットポップも、OasisとBlurの対立も、例に漏れず、単なるつくられたエンターテイメントなのだ。と言いきってしまうのはさすがに虚しいと思うけれど、
とにかくBlurとOasisは対立していて、
とにかく俺はBlur派だという話。

なんでって、Blurの方が見ていて圧倒的におもしろい。
Blurの価値は、Oasisと対立しているということにあったわけではない。

Oasisは変わらないことで王道を行っているけれど、
Blurは、そしてデーモン・アルバーンは、変わることで王道を探して、でも惜しいところで見つからなくて。
その葛藤が、その、それでも変わろうとする勇気が、Oasisにはないものだと思う。

だからきっと、Blurの再結成は「元に戻る」という意味ではない。
いままでと同じように、
いままでと同じでないものを探していくのだろう。

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