山梨県小菅村に多摩川の源流を見に行ってきた。
見に行ってきたと言っても、写真ないから説得力ないよね。
NATURAを家に置き忘れてしまって。。
デジカメ買おうかなと思う今日この頃。
小菅村はいわゆる中山間地域で、村の面積の95パーセントは森林だ。
ここは多摩川の源流になっていて、東京都民がの水道水として飲む水になる。
その森林の3分の1を、東京都が所有している。
水源を涵養する森として、他県にまで乗り出して森づくりをしている。
5人ほどの東京都職員がいる事務所が4つあり、森を管理している。
最近は、所有面積を更に増やそうと「1ha100万円」という買収案を提示し、希望者を募っている。
森が東京から重要視され始めたのは、江戸時代にまで遡る。
幕府が出来て江戸に人口が集中しだすと、水が足りなくなる。
1653年、幕府は小菅村周辺の森林伐採を禁じ、多摩川の水質確保を図る。
以来300年ほど、森林は良好に保たれてきたが、明治維新が起こり森は東京(江戸)の手を離れる。
一部は御領林となり、一部は民有林となる(たしか。うろ覚え。)
木材や薪のために木は次々と伐採され、山が荒れる。
結果、多摩川の水質は悪化し、水害も増えた。
昭和34年、東京都は国から御領林を譲り受け、
水源涵養林としての管理を始める。
その森が今にまで至っている。
でも、同じ水源の森なのに、
東京が持っている森にはかなりのお金がかけられていて、
個人が持っている森には一銭も払われない。
東京都は、森林保持に対して補助金を出すつもりはなく、
森を自ら所有して、自分の思い通りの森をつくりたい。
その東京都が思い描く、水源涵養のための森と、
小菅村の人々が思い描く、林業や観光資源としての森と、
森を守りたいという想いは同じだけれど、
ビジョンは微妙にずれている。
そのズレが、どう影響していくのか。
とっても複雑な問題。
で、夜の飲み会で、これを「面白いですね」と言うと、
「研究者は面白いなんて軽々しく言うけど、あんま言わないほうがいいよ。
住んでる人にとったら面白いじゃ済まないこともあるんだからさ」
とNPOの人に言われた。
はっとさせられた。
「面白い」というのはマジカルワードだ。
とりあえず「面白い」と言っておけば間違いない。
この論文どうだった?
面白い。
昨日のあらびき団どうだった?
面白い。
米軍基地の問題どう思う?
面白い。
俺たちは、面白すぎるくらいにあっさりと「面白い」という言葉を選んでしまう。
「面白い」は便利すぎる。
便利な言葉は危険だ。
相手にとっても、自分にとっても。
言葉にしてみてから「あ、俺こんなことを思ってたんだ」とわかる、
ということがよくあるけど、
自分の言葉が曖昧だと、自分の思考まで曖昧になる。
そして何より、言葉遣いに無頓着なときというのは、
相手のことを考えていない時だ。
面白いことは、面白いと言っていいと思う。
でも、困ったらとりあえず面白いと言う、みたいな怠惰はだめだ。
もっと言葉をひねり出すことに必死でありたい。
と反省した2日間でした。
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