2010年5月11日火曜日

「面白い」に代わる言葉を。

山梨県小菅村に多摩川の源流を見に行ってきた。
見に行ってきたと言っても、写真ないから説得力ないよね。
NATURAを家に置き忘れてしまって。。
デジカメ買おうかなと思う今日この頃。



小菅村はいわゆる中山間地域で、村の面積の95パーセントは森林だ。
ここは多摩川の源流になっていて、東京都民がの水道水として飲む水になる。

その森林の3分の1を、東京都が所有している。
水源を涵養する森として、他県にまで乗り出して森づくりをしている。
5人ほどの東京都職員がいる事務所が4つあり、森を管理している。
最近は、所有面積を更に増やそうと「1ha100万円」という買収案を提示し、希望者を募っている。


森が東京から重要視され始めたのは、江戸時代にまで遡る。
幕府が出来て江戸に人口が集中しだすと、水が足りなくなる。
1653年、幕府は小菅村周辺の森林伐採を禁じ、多摩川の水質確保を図る。
以来300年ほど、森林は良好に保たれてきたが、明治維新が起こり森は東京(江戸)の手を離れる。
一部は御領林となり、一部は民有林となる(たしか。うろ覚え。)
木材や薪のために木は次々と伐採され、山が荒れる。
結果、多摩川の水質は悪化し、水害も増えた。


昭和34年、東京都は国から御領林を譲り受け、
水源涵養林としての管理を始める。
その森が今にまで至っている。



でも、同じ水源の森なのに、
東京が持っている森にはかなりのお金がかけられていて、
個人が持っている森には一銭も払われない。

東京都は、森林保持に対して補助金を出すつもりはなく、
森を自ら所有して、自分の思い通りの森をつくりたい。

その東京都が思い描く、水源涵養のための森と、
小菅村の人々が思い描く、林業や観光資源としての森と、
森を守りたいという想いは同じだけれど、
ビジョンは微妙にずれている。

そのズレが、どう影響していくのか。
とっても複雑な問題。




で、夜の飲み会で、これを「面白いですね」と言うと、

「研究者は面白いなんて軽々しく言うけど、あんま言わないほうがいいよ。
住んでる人にとったら面白いじゃ済まないこともあるんだからさ」

とNPOの人に言われた。
はっとさせられた。

「面白い」というのはマジカルワードだ。
とりあえず「面白い」と言っておけば間違いない。

この論文どうだった?
面白い。

昨日のあらびき団どうだった?
面白い。

米軍基地の問題どう思う?
面白い。


俺たちは、面白すぎるくらいにあっさりと「面白い」という言葉を選んでしまう。
「面白い」は便利すぎる。
便利な言葉は危険だ。
相手にとっても、自分にとっても。

言葉にしてみてから「あ、俺こんなことを思ってたんだ」とわかる、
ということがよくあるけど、
自分の言葉が曖昧だと、自分の思考まで曖昧になる。

そして何より、言葉遣いに無頓着なときというのは、
相手のことを考えていない時だ。


面白いことは、面白いと言っていいと思う。
でも、困ったらとりあえず面白いと言う、みたいな怠惰はだめだ。
もっと言葉をひねり出すことに必死でありたい。
と反省した2日間でした。

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