2011年1月16日日曜日

古市 憲寿、本田 由紀「希望難民ご一行様 ピースボートと「承認の共同体」幻想」

希望難民ご一行様 ピースボートと「承認の共同体」幻想 (光文社新書)希望難民ご一行様 ピースボートと「承認の共同体」幻想 (光文社新書)
古市 憲寿 本田 由紀

光文社 2010-08-17
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去年読んだ本。
時間がなくて感想が書けなかったけど、面白かった。


この本のキーフレーズは、
「若者をあきらめさせろ!」

ここで大事なのは、この本は、
若者に「あきらめろ」と言っているのではなくて、
社会に対して「若者をあきらめさせろ」と言っていること。

あきらめずに夢を掴む天才がいる一方で、
あきらめ切れないばかりに夢に身も心も削られてゆく凡人がいる、
そんな「あきらめさせない社会」の構造を問題としているのだ。



じゃああきらめるにはどうしたらいいかというと、
という話がこの本の核心。

それは、
コミュニティだと著者はいう。


コミュニティが、
現実と希望のギャップに苦しむ「希望難民」を吸収し、
やがてはその「希望」を冷却させる。


コミュニティには「目的性」と「共同性」がある。

 「共同性」と「目的性」というのは、この本の議論を整理するために用意した二つの軸だ。ここでもホネット(Honneth 2000=2005)を参考にしている。彼は様々な共同体理解を整理しながら、「共同体」には二つの前提があることを示した。一つ目は共同体に所属している人が相互評価の関係にある連帯関係にいあること、二つ目はその集団内で何かの価値が共有されていることである。そのままだと使いづらいので、それぞれを「共同性」と「目的性」という二つの軸に読み替えることにする。
 要するに、「共同性」とは「一緒にいる」とか「共同体の雰囲気に馴染んでいる」状態、「目的性」とは「何か特別の理念や政治的関心がある」程度の意味だと思ってもらえばいい。

つまり、コミュニティは、
何らかの目的のもとに人が集まって来て、
やがてみんな仲良くなってできる。

で、だんだん当初の目的を忘れて、
コミュニティで仲良くしていることの方が大事になる。

これを逆に言うと、
コミュニティで仲良くできれば、
当初の目的を忘れられる=「あきらめ」られる。

だから、夢をあきらめるためにはコミュニティが必要だ。

みたいなことを言っている。



その論理は若干荒いけど、
この本はピースボートを例に取り上げて、
「世界平和」と叫んでいた若者たちが3ヶ月の航海を経ていかに「あきらめ」たかを説明している。

その中身が面白かった。
ピースボートの成り立ちとか、
参加者がどんなひとかとか、
ポスター貼りをしてるうちに「ピースボート信者」になってることとか、
航海中でのいざこざとか、それを止めるための言論統制とか。

ピースボートを、知っているようでぜんぜん知らなかった。

なのに、知らないはずなのに、どこか知ってるようなストーリー。
学生団体の活動とか、すっぽりこれに当てはまるなー、と思った。
活動しながらもやっとしてたことが、ちょっとはっきりした気がする。

誰か、この本読んで語り合おうぜー!!




もちろん、「あきらめる」ことがいいのかは分からない。
あきらめて幸せになれるかと言えば、そうでもない。
それでは社会は何も変わらない。

でも、「あきらめる」という道をつくることが必要だという主張には、とても共感する。

あきらめられない社会は、
あきらめるしかない社会と同じくらいに有害だ。

「あきらめ」ということについて考えさせられた一冊。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

ほぅ、興味深い!!

Ryo さんのコメント...

今更やけど、めっちゃ語り合いたい。ピースボートとググったら割と上のほうに出て来たよこの記事。(笑)