2011年3月24日木曜日

補足:信頼するものって

昨日書いたのだと何を言いたいかよくわからず、
「放射能がどうとかごちゃごちゃ言わないで政府を信じようぜ!」みたいに見えるw
と思って、ちょっとだけ補足します。



データをいくら並べたって、
それだけで「信頼」につながるとは限らない。
「計算」しようと思えばいくらだってできて、
疑おうと思えばいくらでも疑える。

「信頼」するものって言うのは結局、
人の笑顔だったり涙だったりなんじゃないかな、と思った。

「信頼」はひとりでに生まれない。
きっと他人との関係性の中に育まれるもので、
だから、色んな人と話したり遊んだりしよう。
書を捨てなくてもいいよ、でも街に出よう。


なんていうことを昨日思ったんです。


政府とかマスコミがどんなに危ないって言っても、
農家から「ほんとがんばってつくってるんです!」って言われたら、
迷いつつも思わず食べてしまう、
そんな頭の悪い人間でいたいんです。

信じることは、
生きながらえることと同じくらい大切だから。



なんて言いつつ、
研究で俺が与えられるのは「計算」ばっかりだ。
たぶん仕事をしてもそうで…。

なんなんだろうなー。
ちょっと落ち着いたら、悶々としそう。

0 件のコメント: