2011年3月17日木曜日

日常

地震が起こって考えたこと。
今すぐには役に立たないこと。
メモっときます。


自然にやっていたことが、
意識してやるとできなくなることがある。


自分は普段どう話してたのか、
どう笑っていたのか、
家に帰って靴を脱ぐのは右が先か左が先か、
ごはんは最低何回噛んでから飲み込むか、
それはどのへんの歯で噛むか、奥か手前か、右か左か。


改まって聞かれると思い出せなくない?
そつなくこなせていたことが、力むとぎこちなくなり、失敗する。
日常はこんなにも複雑な手順のかたまりで、
それをひとつひとつ、ぎっちりと、身にまとっていたことを思い知らされる。

こんなにも俺は日常を演じていたのか、と思った。




地震が起こって、

「被災地以外のひとは、いつも通り過ごしましょう。
いつも通りに仕事をして、食べて、遊んで。
日常を保ちましょう」

みたいなことを言われる。

あるべき場所で、あるべき役割を演じる。
それって、まるで演劇じゃない?


でもこれは簡単なことじゃない。

(高校時代の話なのであんまり覚えてないけど、)
舞台の上に立つと、
山のような「あれ、これってどうだっけ?」に襲われる。
どうやってやるか考えたこともない動作は、
考えてやってもなかなかできない。


何もない空間に、「いつも」をかたちづくる。
それは、過酷な作業だ。
考えてもなかなかないできないものばっかりで、
日常は成り立っている。

それを、ひとつひとつ丁寧に着直して、
やっと日常をよそおうことができる。

そんなに簡単じゃない。
でも、きっとみんな、こんな複雑なこともやってのけて、
また考えなくても日常がかたちづくれるようになるんだろうな。



演じることと、日常と。
そんなことをふらふら考えてる。
まとまらないけど。とりあえずメモ。

2 件のコメント:

すずきりょう さんのコメント...

今日、小学校の先生している方と話した。
今回の震災があったのは金曜日だから、14日に震災後初めての朝礼があったみたい。

そこで壇上に立った校長先生は、被災地の話に触れなかったそうだ。僕が話した先生以外のほとんどの先生は震災の件はスルーして授業をスタートさせたそうだ。

きっとその瞬間の教室って、
どこかぎこちなかったんだろうな。

記事に関係あるか分からないけれど触発されました。

yung さんのコメント...

あー、なるほど。
なんなのかわからないけど、そのぎこちなさの原因はきっと、日常を支えるものと関係あるんやと思う。

大事な気がする。
今はうまく見えないけど。
ありがとう。