2011年7月29日金曜日
高岡蒼甫の発言に思うこと
このツイートをきっかけに、
俳優、高岡蒼甫がスターダストプロモーションを解雇された。
↓一連の発言が見たい人はこのあたりを読んでください。
http://togetter.com/li/165526
俺が心底憤っているのは、こんだけ言っておいて
「日本の伝統番組」って何なのか、ひとことも言及しないことだ。
意図的に語らないのか、
実は何も考えてなくて語る言葉を持たないのか、
ただただ「日本は日本、韓国は韓国」みたいなことを繰り返すばかりで埒が明かない。
高岡は「日本の伝統」について語るべきだ。
だって、「日本の伝統」って何なのか分からないのに、
「日本の伝統があぶない!」なんてどんな顔して言えるの?
そしてなにより、
俳優という文化を担う仕事をする身として、
文化について語る義務があると思う。
「日本の伝統」の喪失を問題にするのなら、
「日本の伝統」について語らなければならない。
語ることによってしか伝統は紡がれない。
無意識に受け継がれてきたものが、
語られることで「伝統」として意識される。
語られなければなかったことになってしまう。
だから、誰かが語らなければいけない。
高岡蒼甫は、日本の伝統についてここまで言うのなら、
語るべき人間の一人だと思う。
拙い言葉でもいいから「日本の伝統」を語っていれば、
彼への批判は、日本文化論に発展したかもしれない。
語らなければいけない人が、
語られなければいけないことを語らないのが、
かなしい。許せない。
あるいは、金について語るべきなのかもしれない。
韓流ドラマが増えるということは、
その分、日本国内でつくられるドラマが圧迫されて、
出番が減ったり、ギャラが減ったりするのだろう。
ドラマで食べている身として、
高岡はそこに異議申し立てをする権利がある。
「日本人は」なんてきれいごとを言わないで、
泥臭く、生活臭の漂う言葉が聞きたい。
もっと俺に金くれよ、とか言えばいいのに。
私は「私たち」である前に、「私」だ。
「私は」をすっとばして、「私たちは」を語ってはいけない。
高岡蒼甫は「俳優」をすっとばして、「うちら日本人」を語ってはいけない。
自分の立ち位置をはっきりさせないまま議論に臨むなんて、
ずるいと思う。
と俺は思うけど、
たぶんいろいろまとまらなかったり、間違えてる気がする。。
とりあえずメモ的に書いてみた。意見ください。
補足:
一応書いておくと俺は、
高岡蒼甫が、韓国を差別しているわけじゃない(つもりな)のは分かっている。
人種差別主義者だとか批判したいわけじゃなくて、
ただ、俳優としての言葉がないことを、怒っている。
それだけの話。
2011年7月26日火曜日
「その街のこども」
森山未來に見惚れてたら、
「その街のこども」という映画の予告編を見つけて、
記者会見で森山未來が言葉に詰まってる場面を見てなんだか胸が詰まって、
よくわかんないけど観なくては、と思って、観た。
どういう映画だったのか、説明するのが難しい。
夜の街をずっと歩いて行く映画で、
全体的に画面が暗い。
こんなに暗くてテレビ的に大丈夫なの?というくらい暗い。
そういう不安はつくってる側にもすごくあったらしくて、
上の記者会見でも、そういう話をしたことがあったんですけど、と言ってる。
森山未來は「でも、」と続ける。
「やっぱり、神戸の人間ならば、この、真っ暗な情景でも…」
と言って、どんな言葉を継ぐか少し迷うように間があって、
と言った。
その「伝わる」という言葉が端的過ぎて胸に突き刺さる。
端的過ぎて何が言いたいのかよくわからないけど(笑)、
そういう、よくわからない、
言葉では伝わらない、映像では映らない、
なにかが「伝わる」ような映画だった気がした。
暗闇だったり、間だったり、描かれないストーリーだったり、
そういう余白を、
想像力とか、震災の記憶とか、神戸の街の思い出で埋めて、
よくわからないけど涙がこぼれる。
なにをされたのかよく分からないけど、
なにかが伝わってくる気がする。
震災のことも、神戸のことも、
俺は中途半端にしか知らないけど。
こういう、語らないことで伝えようとする映画を久々に観た。
それってすごく勇気が要ることで、森山未來も、
と言ってる。
すごい映画だな、と思った。
神戸、いい街だな、と思った。
「その街のこども」という映画の予告編を見つけて、
記者会見で森山未來が言葉に詰まってる場面を見てなんだか胸が詰まって、
よくわかんないけど観なくては、と思って、観た。
どういう映画だったのか、説明するのが難しい。
夜の街をずっと歩いて行く映画で、
全体的に画面が暗い。
こんなに暗くてテレビ的に大丈夫なの?というくらい暗い。
そういう不安はつくってる側にもすごくあったらしくて、
上の記者会見でも、そういう話をしたことがあったんですけど、と言ってる。
森山未來は「でも、」と続ける。
「やっぱり、神戸の人間ならば、この、真っ暗な情景でも…」
と言って、どんな言葉を継ぐか少し迷うように間があって、
「神戸っていうものは、伝わるから」
と言った。
その「伝わる」という言葉が端的過ぎて胸に突き刺さる。
端的過ぎて何が言いたいのかよくわからないけど(笑)、
そういう、よくわからない、
言葉では伝わらない、映像では映らない、
なにかが「伝わる」ような映画だった気がした。
暗闇だったり、間だったり、描かれないストーリーだったり、
そういう余白を、
想像力とか、震災の記憶とか、神戸の街の思い出で埋めて、
よくわからないけど涙がこぼれる。
なにをされたのかよく分からないけど、
なにかが伝わってくる気がする。
震災のことも、神戸のことも、
俺は中途半端にしか知らないけど。
こういう、語らないことで伝えようとする映画を久々に観た。
それってすごく勇気が要ることで、森山未來も、
こう、みんなも、照明さんも、すごくそういうの勇気が要っただろうし、もちろん、撮影の方だって、みんなやっぱり勇気が要ったと思うんですけど、それを、なんか応えて、で、こうやって評価されることは、とても嬉しいです。ほんとに。
と言ってる。
すごい映画だな、と思った。
神戸、いい街だな、と思った。
2011年7月21日木曜日
「障害のないひとの弱さ」
あなたは弱い。
と、テレビの向こうにいる女性が言った。気がした。
重度の脳性まひにからだを少しくねらせながら、
しかし凛とした言葉で、
俺に向かって、弱い、と言った。
ような気がした。
実際にはそんなことなくて、
俺がそう感じただけだけど。
彼女の名前は小山内美智子。
俺が観てたのは、ヒューマンドキュメンタリー「あなたが心の道しるべ~小山内美智子と浅野史郎~」というNHKの番組。
途中からちょっとだけ観た。
重度の脳性まひを抱えながら、様々な行政の壁を打ち壊してきた小山内美智子さんとその声を受けとめ た元宮城県知事の浅野史郎さん。四半世紀にわたる二人の交流を見つめる。
という話(番組紹介より)。
前半は観てないので、標題の言葉が出てくる場面だけ書くと、
浅野は、白血病で入院する。
小山内は、浅野への見舞いに、缶詰のトマトジュースを持って行く。
自分が入院していたとき、快方に向かったきっかけになったものだったから。
しかし、浅野はしばらくそれを飲むことができなかった。
「缶切りを買って来てほしい」と、看護婦に言うことができなかったからだ。
「それが、障害のないひとの弱さだ」
と、小山内は言う。
できることに慣れ過ぎて、
できない自分と向き合うことが出来ない、弱さ。
他人の助けを受け入れられない、弱さ。
自分の弱さを受け入れられない、弱さ。
ああ、俺って弱いな、と、
頭をがつんと殴られたように、思った。
思わざるを得なかった。
まるで自分のことを言われているようだった。
ようだった、というか、言われていた。
「障害のないひと」というのはたぶん、
「障害がないと思い込んでいるひと」のこと。
誰にでも(医学用語的な意味に限らない)「障害」はあって、
完璧なひとなんていなくて、
自分の弱さと向き合わないといけなくて、
誰かの手を借りて生きていて。
みたいなまとまりのないことを思った。
と、テレビの向こうにいる女性が言った。気がした。
重度の脳性まひにからだを少しくねらせながら、
しかし凛とした言葉で、
俺に向かって、弱い、と言った。
ような気がした。
実際にはそんなことなくて、
俺がそう感じただけだけど。
彼女の名前は小山内美智子。
俺が観てたのは、ヒューマンドキュメンタリー「あなたが心の道しるべ~小山内美智子と浅野史郎~」というNHKの番組。
途中からちょっとだけ観た。
重度の脳性まひを抱えながら、様々な行政の壁を打ち壊してきた小山内美智子さんとその声を受けとめ た元宮城県知事の浅野史郎さん。四半世紀にわたる二人の交流を見つめる。
という話(番組紹介より)。
前半は観てないので、標題の言葉が出てくる場面だけ書くと、
浅野は、白血病で入院する。
小山内は、浅野への見舞いに、缶詰のトマトジュースを持って行く。
自分が入院していたとき、快方に向かったきっかけになったものだったから。
しかし、浅野はしばらくそれを飲むことができなかった。
「缶切りを買って来てほしい」と、看護婦に言うことができなかったからだ。
「それが、障害のないひとの弱さだ」
と、小山内は言う。
できることに慣れ過ぎて、
できない自分と向き合うことが出来ない、弱さ。
他人の助けを受け入れられない、弱さ。
自分の弱さを受け入れられない、弱さ。
ああ、俺って弱いな、と、
頭をがつんと殴られたように、思った。
思わざるを得なかった。
まるで自分のことを言われているようだった。
ようだった、というか、言われていた。
「障害のないひと」というのはたぶん、
「障害がないと思い込んでいるひと」のこと。
誰にでも(医学用語的な意味に限らない)「障害」はあって、
完璧なひとなんていなくて、
自分の弱さと向き合わないといけなくて、
誰かの手を借りて生きていて。
みたいなまとまりのないことを思った。
2011年7月18日月曜日
女子サッカー優勝とジェンダーフリー
↑こういうつぶやきがけっこういっぱいあるけど、
それあんま関係ないんちゃう?と思った。
これからは女性の時代だ!
みたいなのは、この文脈で持ち出す言葉じゃない。
女子サッカー日本代表は、男子と闘ってたわけじゃないし、
優勝したのは他のどのチームにも劣らない努力と才能の結果であって、女性だからじゃない。
彼女らを、スポーツ選手としてではなく、
女性として見て評価すること自体が、
男尊女卑の社会を下支えしてる。
「女のくせにがんばってるね」みたいなことを言ってるだけの、
笑顔の悪意だ。
大体「なでしこ」っていう名前が女性を旧日本型のステレオタイプに押し込めてるよね、
みたいなことまでは言うつもりないけど。
そんなに目くじら立てるほどのものではないのかもしれない。
でも、見過ごすわけにもいけないと思う。のでいちおうブログに書いてみた。
とにかく、優勝おめでとう!
2011年7月8日金曜日
絶望の温度
昨日の夜ちょっとツイッターでつぶやいたことのまとめ。
非常に比喩的にいえば、
世界の果てまで駆けていって、
行き止まりの壁に打ちのめされて死にたかった。
絶望に殺されるのが夢だった。
世界の果てが、すぐ目の前にある。
いま死んだっていいのかもしれない。
でも、世界の果てはここだけじゃなくて、
あっちにもこっちにもあった。
進もうと思えばまだまだ進める。
ここを行き止まりだと思い込むのは、逃げだと思った。
いつでも死ねることが、
生きるよすがなのだと思う。
行き止まることはいつでもできるけれど、
行き止まりはここじゃない。
こんなもんじゃないだろう、と思う。
いつか俺を殺しに来る絶望は、
もっと重くて、もっと冷たい。
こんなぬるい絶望に行き止まっている場合じゃない。
いつかもっと深い絶望に出会えることだけが、俺の希望。
前に進もう。
非常に比喩的にいえば、
世界の果てまで駆けていって、
行き止まりの壁に打ちのめされて死にたかった。
絶望に殺されるのが夢だった。
世界の果てが、すぐ目の前にある。
いま死んだっていいのかもしれない。
でも、世界の果てはここだけじゃなくて、
あっちにもこっちにもあった。
進もうと思えばまだまだ進める。
ここを行き止まりだと思い込むのは、逃げだと思った。
いつでも死ねることが、
生きるよすがなのだと思う。
行き止まることはいつでもできるけれど、
行き止まりはここじゃない。
こんなもんじゃないだろう、と思う。
いつか俺を殺しに来る絶望は、
もっと重くて、もっと冷たい。
こんなぬるい絶望に行き止まっている場合じゃない。
いつかもっと深い絶望に出会えることだけが、俺の希望。
前に進もう。
2011年7月3日日曜日
たまに吐きたくなる弱音
ひとに評価されることが嫌い。
評価されたくない。
誉められたくない。
誰かと比べられたくない。
誰かと比べて評価されたくない。
誰かが俺と比べられて評価されないのがやだ。
比べられなくても評価されたくない。
みんな違ってみんないい、とか言われたくない。
「みんな」の中に俺って入ってないよね?と念を押したい。
いい、とか言われたくない。
誰かの文脈で語られたくない。
こんなに悪いのに。
ぜんぜんよくないのに。
ときどき、こんな弱音を吐きたくなる。
底のない思考の闇にずぶずぶ足をつっこみたくなる。
これはきっと、
じぶんに対する悩みなのだと思う。
谷川俊太郎が、寺山修司に宛てた手紙にこんな一節がある。
じぶんのことが、分からない。
分かったなんて言いたくないし、分かられたくもない。
そのくせ、分からないことの不安に耐えられない。
その不安だけは分かられたい。
じぶんが誰かは分かられたくないのに、
分からないことと、
分からないから苦しいことだけは、
分かられたい。
こんなことを考えてるのも、
たぶん就活に疲れたからだと思う。
就活は、じぶんのことを分かることと、
分かってもらうことを強要される。
自己分析、自己アピール、個性、志望動機。
そういうのに疲れた。嫌い。苦しい。怖い。
TOEIC何点だから英語できるね、とか。
演劇してたなら人前で目立つのが好きなんだ、とか。
誰かの「分かる」に閉じ込められたくない。
こんなにも分からないことを、分かるなんていいたくない。
誰かの評価で、不安を塗り隠されたくない。
俺の不安をなかったことにされたくない。
のに、
じぶんのことを分かったふりして過ごしたこの数ヶ月。
騙し騙し来たけどそろそろ限界だな。と思う。
とりあえず明日で就活終わります。
あー疲れた。
誰か会って話そうよ。
何言ってるかわからない、とか苦笑いしながら言ってよ。
いつもみたいに。
評価されたくない。
誉められたくない。
誰かと比べられたくない。
誰かと比べて評価されたくない。
誰かが俺と比べられて評価されないのがやだ。
比べられなくても評価されたくない。
みんな違ってみんないい、とか言われたくない。
「みんな」の中に俺って入ってないよね?と念を押したい。
いい、とか言われたくない。
誰かの文脈で語られたくない。
こんなに悪いのに。
ぜんぜんよくないのに。
ときどき、こんな弱音を吐きたくなる。
底のない思考の闇にずぶずぶ足をつっこみたくなる。
これはきっと、
じぶんに対する悩みなのだと思う。
谷川俊太郎が、寺山修司に宛てた手紙にこんな一節がある。
じぶんがだれかってことは、じぶんに聞いてもわからない。他人に聞いてもわからない。じぶんがだれかっていうことは、行為のうちにしか、現れてこないような気がする。じぶんが傷つけた他人の顔を見るとき、いくら疑っても、逃れようもなく、じぶんが、ここにいるのを感じる。
じぶんのことが、分からない。
分かったなんて言いたくないし、分かられたくもない。
そのくせ、分からないことの不安に耐えられない。
その不安だけは分かられたい。
じぶんが誰かは分かられたくないのに、
分からないことと、
分からないから苦しいことだけは、
分かられたい。
こんなことを考えてるのも、
たぶん就活に疲れたからだと思う。
就活は、じぶんのことを分かることと、
分かってもらうことを強要される。
自己分析、自己アピール、個性、志望動機。
そういうのに疲れた。嫌い。苦しい。怖い。
TOEIC何点だから英語できるね、とか。
演劇してたなら人前で目立つのが好きなんだ、とか。
誰かの「分かる」に閉じ込められたくない。
こんなにも分からないことを、分かるなんていいたくない。
誰かの評価で、不安を塗り隠されたくない。
俺の不安をなかったことにされたくない。
のに、
じぶんのことを分かったふりして過ごしたこの数ヶ月。
騙し騙し来たけどそろそろ限界だな。と思う。
とりあえず明日で就活終わります。
あー疲れた。
誰か会って話そうよ。
何言ってるかわからない、とか苦笑いしながら言ってよ。
いつもみたいに。
【メモ】戦場カメラマンのインタビュー記事
The shot that nearly killed me: War photographers – a special report (Guardian)
http://www.guardian.co.uk/media/2011/jun/18/war-photographers-special-report
(注:けっこうグロい写真も。苦手なひとはやめた方がいいです。)
メモ的な日記。
英ガーディアン紙での、戦場カメラマン18人のインタビュー。
2人目のカメラマンは、コンゴで兵士の写真を撮った。
その写真について、こんなことを言ってたのが、胸に突き刺さる。
かなり雑に訳すと、
私は本当にこの写真が嫌いです。
人間の、最悪の顔をしている。
いつも「なぜ私はこの仕事をしてるのだろう」と自問します。
その答えは、人間の最高の顔と最悪の顔を見せたいからなんです。
紛争に行くと必ず、最悪な方を目にする事になります。
私たちは、未来の世代に私たちの過ちを知らせるために、私たちが何をするか直視しないといけない。
このナイフを口にくわえた男は、ほかのみんなと同じ、ひとりの人間なんです。
重要なのは、ひとはこんな風にもなるという「可能性」を見せることなんです。
それが写真で出来なくなった日には、諦めてレストランを開きます。
みたいなことを言っている。
写真家が、自分の写真に対して、「I really hate this shot」と言うなんて、
そして、そんな目も背けたくなるような写真を、
「What's important is that we show what human beings are capable of.」だからって撮ってるなんて、
たしかにそういうもんか、と思いつつも衝撃的だった。
http://www.guardian.co.uk/media/2011/jun/18/war-photographers-special-report
(注:けっこうグロい写真も。苦手なひとはやめた方がいいです。)
メモ的な日記。
英ガーディアン紙での、戦場カメラマン18人のインタビュー。
2人目のカメラマンは、コンゴで兵士の写真を撮った。
その写真について、こんなことを言ってたのが、胸に突き刺さる。
I really hate this shot. It's the worst face of humankind. I always ask myself, "Why do I do this job?' And the answer is: I want to show the best and worst face of humankind. Every time you go to a conflict, you see the worst. We need to see what we do to be able to show future generations the mistakes we make. The guy with the knife in his mouth is a human being like the rest of us. What's important is that we show what human beings are capable of. The day I don't do that with my photography is the day I'll give up and open a restaurant.
かなり雑に訳すと、
私は本当にこの写真が嫌いです。
人間の、最悪の顔をしている。
いつも「なぜ私はこの仕事をしてるのだろう」と自問します。
その答えは、人間の最高の顔と最悪の顔を見せたいからなんです。
紛争に行くと必ず、最悪な方を目にする事になります。
私たちは、未来の世代に私たちの過ちを知らせるために、私たちが何をするか直視しないといけない。
このナイフを口にくわえた男は、ほかのみんなと同じ、ひとりの人間なんです。
重要なのは、ひとはこんな風にもなるという「可能性」を見せることなんです。
それが写真で出来なくなった日には、諦めてレストランを開きます。
みたいなことを言っている。
写真家が、自分の写真に対して、「I really hate this shot」と言うなんて、
そして、そんな目も背けたくなるような写真を、
「What's important is that we show what human beings are capable of.」だからって撮ってるなんて、
たしかにそういうもんか、と思いつつも衝撃的だった。
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