2012年9月3日月曜日

網野善彦「歴史を考えるヒント」

歴史を考えるヒント (新潮文庫)歴史を考えるヒント (新潮文庫)
網野 善彦

新潮社 2012-08-27
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これは歴史の本ではなくて、ことばの本だと思う。

単に、同じことばでも今と昔ではこんなに意味が違う、みたいな話が書いてあるわけじゃない。
巻末の與那覇潤さんによる解説が秀逸なので引用(この解説だけでも読む価値あると思う):
たとえば、有名な「百姓は農民ではない」というテーゼを語る五章。ここで述べられているのは、単に全近代の日本人の生業比において海民や職能民がもっとおおかったはずだ、という事実認識ではない。(中略)なぜ私たちは百姓というと農民と思い込むのか。その完成の由来こそが、ことばの来歴に寄り添う形で明らかにされているのだ。

例えばこの「百姓≠農民」という話題で言えば、
単に「百姓には農民じゃないひともいた」ってことを言ってるだけじゃなくて、
なぜ俺らが「百姓=農民」だと思い込んでいるのか、というより、思い込まされているのか、が語られている。

いま使ってることばは、いつか誰かの手で恣意的に歪められたことばかもしれなくて、
ことばの裏側に隠れた意図に目を凝らさないといけないよねー、

みたいな夏休みの読書感想文を書きたかったわけではなくて。
なんでこういう本を最近読んでるかというと、みたいな話を書こうと思ったけど、
今日はもう遅いのでまた改めて。なんて言ってもう書かない予感もするけど。。

2012年8月22日水曜日

速水健朗「ラーメンと愛国」

ラーメンと愛国 (講談社現代新書)ラーメンと愛国 (講談社現代新書)
速水 健朗

講談社 2011-10-18
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なんかさいきん読書ブログと化してる。
そんなつもりはないのに。。

ずっと気になってた本。
終わり方はなんだか面白くなったところで終わってしまって、あとがきの「本書には最終章が存在するはずだった」という文面がうらめしい。

いちばん最後のほうがいちばん印象的で、
それに、そもそもラーメンなんて、日本の伝統と関係がない。しかし、それはラーメンを支持する者たち、もしくはラーメン業界の人間たちを批判するやり方としては無効である。
という一節が、なるほどなーと思った。

ラーメンが日本の伝統か、と聞かれれば、それは違う、と答えるけど、
日本といえばラーメン、と言われてまんざらでもない、
みたいな。

どっかで嘘だと気付いていながら、
「それは言わない約束でしょ」という雰囲気に言い出せないし、
言っても無駄だし言わないし、
みたいなことは結構身に覚えがある。

つっこみどころ満載なのに誰も表立ってつっこめないとき、
というのがそれが文化かどうかの判断基準な気さえしてきた。

なんて、これは誰かにつっこんで欲しくて言ってるねんけど。

2012年8月12日日曜日

北方謙三「三国志」

読み始めた時に書いた記事を見返したら、
なんと2ヶ月も経ってたけど、ようやく北方三国志を読み終えた。
疲れたので、読み終えた瞬間に全巻売ってしまった。。笑

ざっくり乱暴にまとめると、
人がばったばった死ぬけど志は受け継がれていきますよ、
みたいな話だった。

でもじゃあ。

志が生き続けるのなら、
死んだ人間が生きている人間の心の中に生き続けるのなら、
個人が生きる意味というのは何なんだろう。

志があれば個人なんて要らなくない?

もし自分に志なんてものがあるとして、死んでも誰かが受け継いでくれるなら、俺もう死んでもいいんじゃない?

あるいは逆に、誰かの志を受け継いで誰かの人生を生きられるなら、俺はもう俺として生きなくていいんじゃない?

なんてことを思ったり思わなかったり。
だいぶ違うレイヤーの話だとは思うけど。

2012年7月31日火曜日

雑記

久々に舞台に立ってた。

久々に、ってどれくらいかと思ったら、
1年ぶりくらいだということに気付く。

演劇やるの、色々疲れることもあるけど、いいなと思った。
演劇の達成感よりもむしろ、悔しさが印象的で。
ひととうまく話せない時の悔しさに、よく似ていて。
悔しいからもうちょっと踏みとどまってみようかななんて気分に、なったりして。

観に来て下さった方、ありがとうございました。

2012年7月8日日曜日

湊かなえ「贖罪」

贖罪 (双葉文庫)贖罪 (双葉文庫)
湊 かなえ

双葉社 2012-06-06
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同級生を殺された4人の女の子が、
それぞれの思う「贖罪」をしていく、という話。


償いってきっとそんなことじゃないのに、
償いをしなさい、という言葉にこんなにも呪縛される。

「言葉に呪縛される」という認識でいるうちは、
償いはきっと、自分のひとりごとになってしまう。

償いは、誰かに対してするものなのに、
いつの間にか「自分が呪縛から抜け出すために」するものになっている。

自分のために何をするべきか、
という問いの立て方はきっとロジックとしては正しい。
正しいけれど、
たいがい冴えない答えしか出てこない。
冴えない答えなのに、それを答えとして引き受け無くてはならない。
そうやって、自分で自分を縛り付けていくことになる。



言葉に縛られて、
自分に縛られて。


そのストーリーがあまりにも酷くて、そのくせリアルで、
とても暗い気持ちになった。
自分にもきっとあるな、と思ってしまったから。

言葉に呪縛される側なのか、する側なのかは分からないけど。
思い出したくないと思っていることすら思い出したくないことって、
大なり小なり色々あるな、と思った。


巻末のインタビューで黒沢清が、
また、ホラーではないと言いましても、すでに死んでいる人間が生きている人間に隠然たる影響を及ぼす、つまり生者が死者の影に怯えるという大きな物語の流れは、怪談映画と共通するのかも知れませんね。
と言ってるけど、 
誰もが多かれ少なかれ、過去と死者に怯えながら生きていて、
ということは人生のストーリーは、ホラーのそれと良く似ている。

俺のこの毎日は、ホラーと何が違うんだろうな。
なんてぼんやり考えてしまう。

2012年6月20日水曜日

振り仮名

さいきん三国志を読んでる。

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北方 謙三

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と、さらっと書くけど、
歴史物は超苦手分野だった。

なんでって、名前を覚えられないから。

歴史物には、
これでもかというくらい読めそうにない漢字の人々が、
これでもかというくらい多数フィーチャリングされていて、
俺への嫌がらせだとしか思えない。

たぶん多数の人が読めないことを予想しつつも敢えて振り仮名を付けず、
「えっ、こんな漢字も読めないで歴史物よもうとしてんの?www まじうけるんですけどwww」とかって、
難読人名を読めてしまう自分と、まるで読めない俺とを比較して
嘲笑し悦に浸る、
そんなために存在する邪悪なツールだとしか思えない。




でも予想に反して、
この三国志には振り仮名が群雄割拠している。


もっと直截的にいうなら、
振り仮名がけっこうな頻度で振ってあって、
めっちゃ読みやすい。ほんと読みやすい。


ちょっと読み方忘れても、
だいたいひとつ前くらいのページを見れば分かる、
てな具合になってる。

しかも別に、大して振り仮名がうるさいということもなく。

こんなに快適に読めるのなら、
もっとがんがん振り仮名を振りまくるべきだ。
公文書にも歌の歌詞にも科学書にも、
振って振って振りまくればいいと思った。

これはひょっとして、
ジャンプとかマガジンとかの少年漫画に親しんだ経験が、
無意識に振り仮名を処理する能力を養っているのかもしれない。
(未だに、なぜ少年漫画では全部に振り仮名がつくのに、
他の漫画になると振り仮名がなくなるのか、疑問

振り仮名の振り方を体系的に学んだことはなくて、
でもけっこう大事な気がしてきた。
どっかまとまってるとこあれば教えて下さい。


内田樹がちょっと関連しそうなこと書いてる。
あとで読もっと。

内田樹の研究室 - 日本語って変かも
http://blog.tatsuru.com/2008/04/23_1545.php

2012年5月22日火曜日

雑記

ふと就活のことを振り返る機会があって、
思ったことをメモ。例によって漠然としてるけど。

いろいろがんばって思い出したけど、
いまだに皆目見当がつかないなと思ったのは
就活がなんであんなに辛かったのか、ということ。

結果的に今の会社でとてもよかった、
という事後的なハッピーエンドを抜きにしても、
別に、ずっと就活をしてなかなか決まらないことも、
未来が見えない感じも、
大して辛いと思ったことはなかった。

じゃあ何が辛かったというと、昔書いた記事を読んでいて、

誰かの「分かる」に閉じ込められたくない。  
こんなにも分からないことを、分かるなんていいたくない。

っていうことばが書いてあるのを見付けて、
あ、これか、と思った。

誰かの「分かる」に閉じ込められたくない、
という恐れはたぶん変わらずにずっと持ち続けてて。
もっと自由に歩きたいなと、いつも思ってて。

「分かる」と「分からない」のいたちごっこを繰り返して、
今日も歩いている。歩いていく。