2009年1月28日水曜日

見慣れたのがいい。

Prominent Linux desktop developer: No one wants a new desktop
http://news.cnet.com/8301-13505_3-9967932-16.html?tag=mncol


この記事が言っているのは、デスクトップの見た目の話。
読んで、はっとした。
そうか。
新しいものなんて、実は必要じゃないこともある。


そういう意味で言うと、Macは他のデスクトップ環境の先を言っている。
バージョンがあがっても、デスクトップの見た目はほとんど変わらない。
保守的な代わりに使いやすい。

Windowsは、バージョンが変わるとけっこう違う見た目になる。
多くの人がVistaを選ばなかった理由は、
なじむのがめんどくさいからなのかな。

で、Linuxは。

Linuxの場合は、いくつかのデスクトップの中から選択できるし、WindowsとかMacに比べてカスタマイズ性も高い。
そしてその品質も、WindowやMacに並ぶくらいになってきた。
MacでいうSpaces(デスクトップを複数切り替えられる)みたいな機能はずっと前からついていた。

↓こんな感じ。



しかし、過ぎた力は身を滅ぼす。

Linuxのデスクトップは、MacやWindowsの先を目指している。
先を目指しているからこそ失敗する。
例えば、躍進を続けてきたKDEは、勇んでバグが多いバージョンを世に出してしまって、コミュニティの反感を買った。
↓KDE


一方で、古豪のGNOMEは、ユーザーの使いやすさを重視して選択肢を減らそうとする姿勢が「ユーザを馬鹿にしている」とLinuxの生みの親、リーナス・トーバルズの怒りを買い、混乱を生んだ。
↓GNOME


でも、GNOMEの方向性は間違っていない。
ユーザは、馬鹿なんです。
少なくとも俺は、わかりやすい方がいい。
見慣れた方がいい。


しかし。


それはしかし、新しいものを求めていくオープンソースの姿勢とは相反している。
みんなでがんばれば何か新しいものができるという期待と興奮が、オープンソースを支えているのではなかったか。
ならば、使う側は新しいものをほしがっていなくて、
つくる側は新しいものをつくりたいとき、
一体どうすればいいんだろう。

その答えを、Linuxは探している。
どちらを選んでも失うものがある。

Windowsも探している。
みんなに新しいOSを買わせたがっている。

Macは探すのをさぼっている。
というより、答えはもう出ている。
今のデスクトップは一つの完成形だ。
Mac OS XIなんて出す気がないのかな。


どの選択が正しいのか、俺にはわからない。

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