2009年9月13日日曜日

簡易チェック法

お前は今、何かを憎んでいるか?

憎しみは力になる

もっと憎め

もっと、もっとだ!

何かを憎みながら生きていけ

人生ってのは旅だ

憎めない奴、

みんなのヒーロー、

聖人面した聖人を探し出して、

憎む旅だ

たくさん憎め

次、次だ!

敵を憎め

親を憎め

親友を憎め

道ですれ違うひとを憎め

最後に、憎むものがなくなったなら

自分を憎め

今まで他人に振りまいてきたのと同じだけの憎悪を自分に与えろ

やがてお前は鏡に殴りかかり

逆に鏡に殴られて果てるだろう

死んでもまだ憎しみを抱き続けろ

お前を焼く炎が激しさを増すように

そしてお前が骨だけになったなら

憎しみを捨てて世界を見回してみるといい

お前のために誰かが悲しんでいたんなら

それは憎しみが足りなかったっていうことだ

すなわちお前は、

人間だったっていうことだ



という詩が、昔のノートに書きなぐられているのを見つけた。
人間かどうかの、簡易チェック法。

あ、簡易じゃないかな?笑


高1のときに書いたやつな気がする。
そのころの将来の夢は、詩人(笑)。
上田假奈代さんという「闘う詩人」を肩書きにもつひとがいるけど、
そういうのがカッコいいなーと思っていた。
言葉一つで社会と闘う、的な。

やがて大人になって、
自分の言葉のチョイスに限界を見た俺は、
あっさりさっくり諦めるのだけれど、
しかし詩人を目指した後遺症があるような気が最近している。


俺は、無駄に抽象的な言葉を使う癖がある。

例えば。
昨日、水都大阪で中学生がハンガーで作品をつくる補助をしてたときのこと。

ハンガーとハンガーをつけるには、針金で止めた後にホットボンドで接着するのだが、
間違っても、針金は切ればいいし、ホットボンドも固まったらペリっとめくればいい。

「あ、間違えた」

と狼狽する中学生に、

「大丈夫やで、何回でもやり直せるねん、」

とすかさずフォローした後、
何を思ったのか俺は

「人生と違って。」

という一言を付け加えてしまった。
あれっ?

なんやったんやろう。
中学生の若さへの嫉妬?笑

こんな感じで、自分でもよくわからない、シュールな言葉を口にしていることがある。
よくある。

「生きるってそういうことだよね」
「人間っていうのは」
とか、そういう類いの言葉が俺の口から発せられるのを
聞いたことある人はけっこういる気がする。

それはとりもなおさず、俺がシュールだということで、
由々しき問題だ。

最近の悩み。
なんか解決法はないですか?

3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

人生語るのはまだまだ早すぎるよ!
世間の荒波にもまれて、家族ができて、孫ができるくらいになって初めて少し自分の哲学が見えてくるんじゃない?
例えば人生はやり直しがきかないのん?
いやいや、死なない限りその気になれば何回でも地獄の底から這いずり上がれるよ。少なくとも俺はそんな経験何回かしたし。もちろん勉強するとか仕事をするなんてみんながすることだから苦労ではないし、ほんとの苦労をいくつも味わってこそ人生語れると思う。
学生のうちは人生劇場に上がるための時期。
やってることは立派だと思うけど、実際の世間の風は厳しいよ~。

Unknown さんのコメント...

そうそう、そうですよね!
でも、直そうと思いつつ直らないんです。。

匿名 さんのコメント...

そんな自分を受け入れることではないでしょうか?

シュールなところも長所になりうるし、
それがありのままの姿なわけで、
無理に直す必要はないと思います。