2010年2月18日木曜日

思い出のキャリーオーバー

いや、
ロト6で何億円当たった!とかそういう話じゃないよ。
誤解を招きそうなタイトル…。

「キャリーオーバー」というのは、
「持ち越し」「繰り越し」という意味らしい。
なんとなくカタカナを使いたかった。

卒業までは残しておこう、
と思っていた資料で部屋は埋もれている。
これはちょっと持ち越し過ぎでしょう!
と思って一念発起、
部屋を片付けています。という話。



2年くらい触れたことがない資料は、
もはや資料ではなくて「思い出の品」と化していると思う。
そして俺は、
「思い出」が伴わない「思い出の品」はなるべく捨てようと思っている。


ナガオカケンメイというひとは、

人と会うことが多くなっている今も昔も、僕はいただいた名刺のほとんどはゴミ箱に捨てます。ここだけを読まれると、大抵の方は「なんて失礼なヤツ」と思われることでしょう。そんなにすぐにはもちろん捨てたりはしません。1週間経って、あらためてお会いした方々の名刺を眺めて、どうしても思い出せない方のものだけ、容赦なく捨てます。(ナガオカケンメイの考え

といっている。
この本ちゃんと読んだことないけど。


普通に考えたら、
名刺を捨てるなんてそんな失礼なことはありえない。

でも、いま部屋の整理をしてて何となく思うけど、
モノは思い出とセットになっていないと意味を持たない。



顔も思い出せない人の名刺は、
けっきょく使わないだろう。
使わないのに、持っていてしまう。

確かに名刺はなくならない。
すぐに記憶のどこかに消えてしまう現実とは違って。
だからせめて、現実のことは忘れてしまっても、
名刺だけは握りしめて離さないでおこう。
という気持ちも、まあわかる。

わかるけど、それってなんか変だ。
現実の人物よりも名刺の方が大事にされている。


現実が、
モノに引きずられている。



複雑な現実よりも、
モノの方が自分の思い通りになるかもしれない。
でも、俺はモノより現実を大事にしたい。
そんな思い通りにならない現実を愛したい。



とかカッコいいことを言ってもまあ
俺は所詮、名刺を捨てられないタイプの人間だ。
部屋はキャリーオーバーに溢れている。

結局使わなかった助成金リスト、
授業で恐る恐る調べた靖国神社の資料、
直島のアートフェスティバルにタマネギを売りに行ったときの資料。
謎な「思い出の品」が次々出てくる。

捨てないといけない。
思い出せない「思い出」のキャリーオーバーは、
そろそろ終わりにしよう。

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