ロト6で何億円当たった!とかそういう話じゃないよ。
誤解を招きそうなタイトル…。
「キャリーオーバー」というのは、
「持ち越し」「繰り越し」という意味らしい。
なんとなくカタカナを使いたかった。
卒業までは残しておこう、
と思っていた資料で部屋は埋もれている。
これはちょっと持ち越し過ぎでしょう!
と思って一念発起、
部屋を片付けています。という話。
2年くらい触れたことがない資料は、
もはや資料ではなくて「思い出の品」と化していると思う。
そして俺は、
「思い出」が伴わない「思い出の品」はなるべく捨てようと思っている。
ナガオカケンメイというひとは、
人と会うことが多くなっている今も昔も、僕はいただいた名刺のほとんどはゴミ箱に捨てます。ここだけを読まれると、大抵の方は「なんて失礼なヤツ」と思われることでしょう。そんなにすぐにはもちろん捨てたりはしません。1週間経って、あらためてお会いした方々の名刺を眺めて、どうしても思い出せない方のものだけ、容赦なく捨てます。(ナガオカケンメイの考え)
といっている。
この本ちゃんと読んだことないけど。
普通に考えたら、
名刺を捨てるなんてそんな失礼なことはありえない。
でも、いま部屋の整理をしてて何となく思うけど、
モノは思い出とセットになっていないと意味を持たない。
顔も思い出せない人の名刺は、
けっきょく使わないだろう。
使わないのに、持っていてしまう。
確かに名刺はなくならない。
すぐに記憶のどこかに消えてしまう現実とは違って。
だからせめて、現実のことは忘れてしまっても、
名刺だけは握りしめて離さないでおこう。
という気持ちも、まあわかる。
わかるけど、それってなんか変だ。
現実の人物よりも名刺の方が大事にされている。
現実が、
モノに引きずられている。
複雑な現実よりも、
モノの方が自分の思い通りになるかもしれない。
でも、俺はモノより現実を大事にしたい。
そんな思い通りにならない現実を愛したい。
とかカッコいいことを言ってもまあ
俺は所詮、名刺を捨てられないタイプの人間だ。
部屋はキャリーオーバーに溢れている。
結局使わなかった助成金リスト、
授業で恐る恐る調べた靖国神社の資料、
直島のアートフェスティバルにタマネギを売りに行ったときの資料。
謎な「思い出の品」が次々出てくる。
捨てないといけない。
思い出せない「思い出」のキャリーオーバーは、
そろそろ終わりにしよう。
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