2009年7月11日土曜日

藤浩志さん

なんか、水都大阪の関係で、藤浩志さんについての感想文を書く課題があったので、
せっかく書いたしここに公開しときます。
ちょっと急いで書いたので意味不明かも。。


↓藤浩志さんについて詳しく知りたい人はここも読んでね。
http://www.log-osaka.jp/article/index.html?aid=83
http://www.geco.jp/
http://geco.exblog.jp/


僕が藤浩志さんのサポーターを希望したのは、パンフレットのプロフィールに書かれていた「地域資源・適正技術・協力関係」という言葉に惹かれたからだ。自分がこれから進もうとしている国際協力の分野につながるものを感じた。アートと援助は少し似ている。どちらも、相手のことを考えているようでいて自己満足にしかなっていない、という状況に陥ることがある。「地域資源・適正技術・協力関係」といった概念は、それを乗り越えるための鍵になっていくのだろう。その乗り越え方を水都大阪から学びたいと思っている。

アートは時に人を不安にさせる。秩序とか理論に依拠して暮らしている人間に「こういう世界もあるんだよ」と掲示することは、いい意味でも悪い意味でも、その人の世界観を壊す可能性を秘めている。藤さんのロングインタビューの中に「彫刻公害」という言葉が出てきたが、パブリックアートは時に公害になる。人の気持ちとか、社会の安寧とかを害する。ひととひとが関係を結ぶのが苦手になっていくといわれる時代の中で、アートと人の関係もどこかぎこちない。パブリックアートだとかサイトスペシフィックだとか、照れ隠しのように横文字を使うけれど、それはきっと新しいものではない。ひととの関係性や土地との関係性を切り離したときに感じるぎこちなさの正体を、丁寧に探って気付いた忘れ物だ。

けれど関係性を大切にするというのはそんなに簡単なことではない、と国際協力の一端に触れていて思う。大切にするどころか、鈍った感性では関係性に気付くことすら難しい。国際協力だけではない、どんな分野でも自分が見たいものだけを見ていたい誘惑に駆られるのだろう。例えば、インタビューの中にあったメキシコの石彫シンポジウムの話には「サイトスペシフィック」という言葉のホンネとタテマエを見た気がした。関係性は、正直めんどくさい。だから、人や土地と丁寧に対話をする藤さんの姿勢と理念に、僕は感銘を受けた。

一番印象に残ったのは博多の「公庭」の話だった。失われていく場所への単なる回顧でもない。今までの関係性をばっさり切り捨ててゼロからつくるわけでもない。既存の関係性を大事に、場所を再構築する試みは、月並みな言葉しか出てこないけれど、すごいと思った。小学校の校庭が地域にとって重要な場所だということに気付くその着眼の鋭さと、地域を巻き込む巧みなバランス感覚と。それこそが、「地域資源・適正技術・協力関係」という理念を実現するのに必要な能力だ。これはきっと、古くて新しい。

でも、関係性に気付くのは簡単ではない。水都大阪のサポーターになって、たまに大阪と水の関係について考えてみたけれど、せいぜい、タイガースが優勝したら道頓堀に飛び込む、といった陳腐なイメージしか出てこない。きっと、自分ひとりで考えるからだ。あと1ヶ月すれば水都大阪が始まる。もっといろんな人との関係性の中から、大事なことを見つけたい。そして、新たな関係性が紡がれていくのを手伝いたい。そのためには、丁寧に人や土地と向き合う姿勢を持たなくてはいけない、と藤さんの関係のホームページを読んでいて強く感じた。

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