2009年7月18日土曜日

追記:【本】差別と日本人

「差別と日本人」を読んで、思い出したことがある。

あんまり本の内容と関係ないけど、俺が環境問題とか国際協力とかに関心を持つ、遠い遠いきっかけになった話。書こうか迷ったけど、振り返る機会もそうそうないので書いとこうと思う。
なんか最近、自分の話ばっかでどうなんだろう、と反省しつつ。




1999年、俺は小学6年生だった。
今年で世界が終わると巷ではささやかれていたその頃、
野中広務が主導して、ある法律が成立した。

国旗国歌法だ。

8月13日を境に、君が代は国歌に、日の丸は国旗になった。
俺たちは、君が代を「国歌」として卒業式で歌った初めての世代だ。


(国旗)
第一条  国旗は、日章旗とする。
2  日章旗の制式は、別記第一のとおりとする。

(国歌)
第二条  国歌は、君が代とする。
2  君が代の歌詞及び楽曲は、別記第二のとおりとする。

というだけのシンプルな法律はしかし、野中広務たちの「国旗国歌は強要するものでも何もない」という言葉とは裏腹に、シンプルではない日本社会にすんなり受け入れられたわけではない。

そんな戦争賛美の歌は歌えない、思想・信条の自由の侵害だ。と主張して、「一同、ご起立ください」と言われても歌わずに座るというパフォーマンスをするひとがいる。


俺も、そんなひとりだった。


仲が良かった子に「一緒に座ろうぜ」と呼びかけて、
みんなあんまりのってくれなかったけど、
数人でいっしょに座った。

といって、戦争がどうとか考えていたかというとたぶんそんなことはなくて、
「座ると担任が偉い人に怒られる」
と聞いて、あ、それいいかも、と思ったのが動機のような気がする。

戦争がどうとか考えていたかはともかく、
戦争がどうとかわめいている論争の中に足をつっこむことは、後に紆余曲折を経て、平和とか国際協力とか環境問題とかに興味をもつことにつながった。


でも結局その後、君が代がどうとかそういう話に興味がなくなる。
そのことを話すために、ちょっと担任の先生の話をしたい。


担任の先生は、俺が座ったもうひとつの大きな理由だろうと思う。

担任は共産党系のひとで、ことあるごとに「差別はだめだ」「戦争はだめだ」というような言葉を繰り返していた。
座れとも座るなとも言わなかったけれど、担任のそういう雰囲気も俺に影響していた。

でも、今思うと、
そんな教育を受けた俺たちは不幸だった。
担任のことはそんな嫌いじゃなかったけど。

道徳は、聖なる嘘だというけれど、
「だめなものはだめだ」をいくら繰り返しても、
それはただの嘘だ。
実感を伴わない、薄っぺらな平和なんか、いらない。

いらない。と今になって思えるけれど、昔はそんなことはなくて、
薄っぺらだからこそ、必死に守らないといけないと思っていた。
思わされていた。

だからきっと俺は、必死に座っていた。
こどもはいつも、大人の薄っぺらさに翻弄される。


戦争はだめだ、戦争をした日本はだめだった、と言うのも
戦争は仕方なかった、北朝鮮とか中国はだめだ、と言うのも
エコが大事だ、環境に悪いのはだめだ、と言うのも
何も変わらない。
どれも薄っぺらい「だめだ」の押しつけだ。


そんな薄っぺらな大人になりたくなくて、
俺はがんばっているのかもしれない。


平田オリザは、共著「ニッポンには対話がない」で
だから、わたしたち大人は、表現教育をやることによって、演劇活動の中で、たくさんの議論を積み重ねることを通じて、そこで子どもたちがいろいろな意見を交わしながら、結果として「どんな難しい問題が起こっても、決して戦争で解決してはいけない」「原爆は絶対に許せない」という子どもたちが育ってくれることを願うしかないんです。でも必ずリスクがある。「原爆投下はやむをなかった」と結論づけるグループが出てきてしまうリスクもある。そしてわたしたちは、それを覚悟しなければならない。

と述べている。

そういう覚悟を俺も持てるのか。
俺もそろそろ子どもではないし、
薄っぺらじゃない大人になる正念場だな、と思う。

0 件のコメント: