2009年7月24日金曜日

【本】演劇のことば


平田オリザ「演劇のことば」岩波書店 2004



この本を読んで、
俺の青春は終わったと思う。

それほどに衝撃的だった。

初めて読んだのはもう5年以上も前なので、
いま改めて読んでみるとなんだかとりとめのない文章のようにも見えるけれど、
それでも俺にとっては、奇跡のような本であり続ける。


この本は詩,小説,演劇,批評といった分野の5人がそれぞれことばについて書く「ことばのために」というシリーズで、平田オリザが担当した一冊だ。
「演劇のことば」という表題とは裏腹に、ここには日本の演劇史が書かれている。
演劇の歴史というのはつまり、
演劇が様々な時代に奔流されてきた歴史で、
それはすなわち「演劇のことば」が呪縛されてきた歴史だからだ。


日本の近代演劇は、戦争の役に立たないので西洋から輸入されることはなく、歌舞伎を「改良」することを出発点にしている。
それから、西洋の手本を観ることは簡単にはできないし、かといって日本文化と真剣に向き合うこともしなかった明治維新後の悶々とした時期を経て、
戦前の社会主義リアリズム、
戦時中の軍国主義、
戦後の社会主義の揺り返し、
新劇とアングラ・小劇場の対立、
そして今。

俺が説明すると陳腐になるけれど、
とにかくこうして、「演劇のことば」は、さまざまに自由を奪われ、しかし、少しずつ自由を手に入れていった。


その過程が、衝撃的だった。
当時、俺は高校生で、「今」しか見えなかった。
理系のクラスにいた俺は、過去や未来と切り離して、現在を透徹した目で見ることだけが大事だと信じていた。

演劇は、楽しくて混沌としていて、
無条件に自由だと信じていた。


けれど、自由になるためには、
なにが不自由だったかを忘れずにいなければならない。
先人が勝ち取ってきた自由がなんなのか、知らなくてはいけない。
演劇は、人間は、ふとしたことで不自由になる。

連綿と続いてきた過去の「今」の上に、俺の「今」がある。
その過去の不自由の歴史を、
「今」に囚われてきた記憶の連続を、
俺たちは継いで、紡いでいくんだ。

と思ったとき。
それは青春の終わりだった。
「今」しか見えない不安と高揚を失った時代を、ひとは青春とは呼ばない。
それが良かったか悪かったかわからないけれど、
ともかく俺は、自分の自由さと不自由さに目を凝らせるようになったと思う。


演劇なんて。
と言うひとにこそ、この本を読んでほしい。
「なんて」な演劇に、これほどの葛藤があったことを知ってほしい。
これは演劇についての本ではなくて、
もっと大きなことを気づかせてくれる本だから。

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